第24話、「夏エヴァ」が上映され衝撃のラストにうろたえTV版「エヴァ」のDVDを買い『おたくのVIDEO-CD』も買い「ON YOUR MARK」のLDも買う

【平成9年(1997年)7月の巻・下】


 平成9年(1997年)7月16日水曜日。霞が関からほど近い虎ノ門ホールに官僚にもサラリーマンにも見えないオタクな人々が結集しました。夏エヴァです。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の試写が行われたのです。


 千人はいるだろう観客が固唾を呑むなかで幕が開き、始まった映画はくるくると回る映倫のマークが登場して、笑いの漏れる中で始まりましたが、池の畔にたたずむシンジ、病室でアレをするシンジ、ミサトが走ってアスカが目覚めて空からウナギが降りてきて、そこで「魂のルフラン」が……鳴らなかったのです。そして「第25話 Air」の後半部分へと突入していきます。


 「展開されるのは驚愕のシーン、壮大なシーン。テレビ版の第25話、26話で見たような悲惨なカットの、そこへと至る哀しい展開が目の前で繰り広げられ、けれども未だ起たない主人公に人々のイライラと怒りがつのる。やがて始まる『欠けた心の補完』『いかなきゃ、シンジくんが呼んでる』『殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる……』。もはや会場には微塵の笑いもなく、ときおり漏れ聞こえる感嘆の溜息だけが、激しさを増すスクリーンに向けて吐きかけられる」


 そんな印象がウェブ日記に綴られてています。


 「1つになり、解放され、理解しあい、大勢が1人に、1人が大勢になって憎しみに満ちたそれまでの世界が終わる。『同じことをもう一回やるだけです』。そう、確かに同じだった。ちょっと表現形式が違うだけで、やっていることは同じだと思っていた。『僕はここにいてもいいんだ』と説得されて納得して、それで誰もがハッピーになって虎ノ門ホールを後に出来るはずだった。だがしかし、庵野監督はそんな安易な妥協を許してくれなかった。2階に追い上げて、それとも穴蔵に突き落としてからハシゴを外して石をぶつけた。水をかけた。火を放った。逃げられない状況に追いこまれて、人はうろたえとまどい、悩み苦しむことになった」


 すでに見ている人が大勢いるでしょうから、うろたえて悩み苦しむエンディングだったという記述にも納得頂けるでしょう。「世界のはじまりに生まれたアダムを、イブが愛してくれるなんてご都合主義だ、世界の終わりに取り残された男と女が愛し合うなんて幻想だ。僕は僕でしかなくあなたはあなたでしかない、そんな当たり前過ぎる真理をあかさらまにして放り投げ、さあおまえらこれからどうすると問いかける。種として考えなくてはいけない人間と自然との関わり以前に、個として考えなくてはいけない自分と他人との関わりに、毒を流して走り去った庵野監督をとにかく怨む。そして感謝する。つらいけど。ありがとう」


 絶賛でも絶望でもなく絶句すらできない強烈な映画だったといえます。そこから20余年が経って今、まさに作られている新しいエヴァンゲリオンのラストで庵野秀明監督は、今度は何を見せてくれるのでしょう。今から楽しみで仕方がありません。


 『もののけ姫』を特集した「週刊少年マガジン」はこの夏エヴァも特集していたようです。長く沈黙を守っていた庵野秀明監督が対談に登場していて、ここで「同じことをもう一回やるだけです。やっぱり終わり方は変わらない」と発言していました。だから「夏エヴァ」のラストも「おめでとう」になるのかと内心でウンザリしつつ暗視していましたが、結果はご覧のとおり。流石は庵野監督です。


 ちなみにわたしも日本工業新聞に『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の紹介記事を書いたようです。90行も。新聞としては多いですが、当時はそうした無茶も赦されました。時代がソフト化の匂いを感じていたのかもしれませんが、今は減る紙面の中で取捨選択をすると、若い人に向けた文化は後回しになってしまいます。居場所はもうない。それがわたしの近況に至った理由だとも言えます。


 関連本の出版が相次いだようです。幻灯舎からは『詩篇 新世紀エヴァンゲリオン』と帯で銘打たれた『THE END OF EVANGELION 僕という記号』が出ました。小谷真理さんも満を持して究極のエヴァ本『聖母エヴァンゲリオン』を送り出しました。こちらはモノクロ包帯姿の綾波レイの表紙がシンプルで、けれども中はカラー図版が抱負に収録されていて、それだけを目当てに買っても良さそうでした。


 文章の方もガイネーシスがどうとかサイボーグ・フェミニズムがどうとかいったいつもの小谷節がたっぷり。マギの内部に入るリツコさんが四つん這いになる、そのスタイルが前エディプス期的表象と言う下りとか、ATフィールドをこじ開けられてプログレッシブナイフを打ち込まれた使徒の場面を「女を虐殺の対象として取り上げる」女性虐待描写にしばしば登場する暴行形態の隠喩表現と言う下りとか、凝った評論がされていたようでした。男性側からは出て来そうもない分析の数々。エヴァにべったりだった当時は引いていたかもしれませんが、今なら冷静に読めそうです。部屋のどこに置いたかな。


 マンガ・マガジンからは「新世紀エヴァンゲリオンJUNE読本『残酷な天使のように』」が出ました。「JUNE本だけあってJUNEだから、読んでいてすっかりJUNEな気持ちにさせてくれる」ものだったそうです。使徒のデザインもしたあさりよしとおの「エヴァンゲリオン補完委員会」、ふくやまけいこの「エヴァ新聞」とかが入っていたそうで、今も現役のお2人が、どんなエヴァを描いていたのか、ちょっと見てみたい気がします。


 この頃から、パッケージとしてのDVDビデオを買い始めていたようです。テレビシリーズの『新世紀エヴァンゲリオン Volume1』が発売になっていて、1枚購入しました。実はキングレコードから出ていた案内を見て、日本工業新聞でDVD化をいち早く記事にしていました。日本経済新聞が追いかけたようで記者としては嬉しいのですが、販売店には回っている情報を出しただけとも言え、スクープだと騒ぐ気はありません。流通経路の違いから販売元にキングレコード版とガイナックス版があって、秋葉原ではキング版を買いました。比率はどれくらいだったのでしょう。


 前後してパイオニアのDVD・LDコンパチ機を導入していたようで、DVDを再生していきなり始まるオープニングに感動し、録画したビデオと違って微粒子のとばない画面に感嘆し、ガンガンと響くサウンドに驚愕した後に流れたエンディングに「あれ、まだ第1話だよ」と訝りました。この頃は(今もかもしれませんが)すべての話数でオープニングとエンディングと予告編を入れていたようです。それらも含めて1本の番組という意識もありますが、Netflixなどが配信でオープニング飛ばし、エンディング飛ばしを可能にしているのを見ると、時代は変わったと思えてきます。


 DVDではバンダイビジュアル(現バンダイナムコアーツ)が満を持して送り出したDVDタイトルの第1弾『未来少年コナンメモリアルBOX』を買いました。割引価格で3万2000円。家に帰って箱から取り出したディスク1の封を切り、DVDプレイヤーにぶち込んでスタートボタンを押したとたん、モニターの前に座っている自分が、毎週テレビにかじり付いて「コナン」を見ていた19年前に戻ったようなな気になりました。


 ときどき色パカもするまだまだ稚拙な絵とか、素っ頓狂なオープニングテーマやエンディングテーマとかが気にならない訳ではないけれど、モンスリーたちを追い返そうとしておじいが抱えていたミサイルが暴発した瞬間の煙や破片の動き、ラナを助けに斜面を駆け下りるコナンのスピード感はまさしく『ルパン三世 カリオストロの城』から『風の谷のナウシカ』を経て『もののけ姫』へと至った宮崎駿監督の真骨頂。それらが詰まったタイトルとして、永遠に愛され続けると思います。


 LDもまだ買っていました。CHAGE&ASKAの作品で、ハリウッド映画『ストリートファイター』のテーマソング「Somthing Ther」とか、宮崎監督によるアニメーションで表現された「On Your Mark」とかが入ったものです。20分で2700円は高いか安いか迷うところですが、後日、宮崎駿監督の作品を集めたBlu-ray BOXなどが出る際に、入る予定だったものがいろいろあって外されたことから、貴重な1枚になっていると言えそうです。Blu-ray BOXの時は購入者が別に申請すればもらえることで救済されましたが。


 『おたくのVIDEO-CD』というのも買ったそうです。CDのサイズにDVDよりは劣る画質で映像を入れた媒体がビデオCDです。やはり誉められた画質ではありませんでしたが、元が「おたくのビデオ」だけにLDでもDVDでもBlu-rayでも絶対に不可能な語呂合わせが出来たという点で、ビデオCDで出た意味はあったと言えそうです。今これを見られる機器ってどれだけ出ているんでしょう。気になります。


平成9年(1997年)7月のダイジェスト・下編でした。

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