第25話、映画『ときめきメモリアル』『20世紀ノスタルジア』を見て開田裕治の展覧会に行き鈴木敏夫Pから宮崎駿引退宣言の真相を聞く

【平成9年(1997年)8月の巻】


 榎本加奈子に中山エミリに矢田亜希子に山口紗弥加、そして吹石一恵。今も活躍していたり、あの福山雅治と結婚して話題になったりしている女優たちが、いっしょに出演していた映画があることを覚えていますか。そう、『ときめきメモリアル』です。平成9年(1997年)8月9日に公開されたこの映画の試写を見たようです。


 感想は、『ときめきメモリアル』というタイトルがついていなければ、普通の青春映画といったものです。仲良し美人4人組ともう1人坊主頭のライフセーバーな池内博之を合わせた5人が、毎年夏にバイトしている海の家に、女の子とたちと仲良くなりたいという不純な動機でバイトに潜り込んだ岡田義徳が、人とコミュニケーションすることを覚え、力強さを増し、最後は仲間の一員として認められていくといった成長物語。海の家編では女優陣の肢体を堪能できたようです。藤崎詩織役の吹石一恵も青い水着で登場。改めて見返して確認したくなりました。


 広末涼子が主演していた『20世紀ノスタルジア』を映画館で見ました。アイドル映画でありながら、こちらはとんでもないものを観たといった印象でした。それほど広末のファンではありませんでしたが、大森望や森下一仁が誉めていた、といったネットからの情報もあって観て、冒頭から頭が飛んだみたいです。広末涼子がいきなり隅田川の河川敷で唄い出すのですから。


 ただ、映画だったらなんでもありというのを、映画の中で撮っている映画という形で2重に強調をしているため、不思議と納得させられます。屈託なく笑い喋る広末と、相手役の嶋田久作にちょっと似た圓島の顔を、「演技の演技なんだから」と笑って見通すことができました。そして地映画の中の映画ではなく、映画の役所である杏を演じている時の広末の真面目な表情にキュンとさせられました。


 今、映画館では若手の俳優や女優が出演する、マンガや小説が原作の学園ラブストーリーがひっきりなしに上映されていますが、どうせならアイドル系でも両極端に抜けた『ときめきメモリアル』と『20世紀ノスタルジア』のようや映画をまた、観てみたい気がします。


 平成という元号を超えて次の元号でも活躍しそうなポップカルチャー界の星の、この頃の活動に触れていたようです。日本が世界に誇れる怪獣絵師の開田裕治が川崎市民ミュージアムで開いていた展覧会「怪獣ミュージアム 開田裕治の世界」見にいきました。入り口を入ると伊福部昭の音楽が鳴り響き、その中をゴジラやモスラやガメラといった特撮怪獣のアートが出迎えてくれてくれたようです。


 その後、ウルトラマンシリーズのポスターやLDのジャケットやプラモデルのボックスに使われた作品が続き、やがて『機動戦士ガンダム』『機動警察パトレイバー』『聖戦士ダンバイン』といったアニメを題材にした作品が並んでいました。迫力のゴジラに精悍なウルトラマンと生物的な素材の後に、無機物であるロボット物が続いてもそこに感じたく生命感。それは作者が特撮ロボットアニメを問わず愛を注ぎ込んでいるから、といった印象を抱きました。


 会場では「怪獣ミュージアム」と書かれたTシャツを濃い夫婦を見かけました。展覧会の主である開田裕治と奥さんの開田あやだったようです。実物を見たのはこれが初? 以後、コミックマーケットやイベントなどでしばしばお見かけすることになります。ここからで20余年、デビューからではもっと長い時間を“好き”を突き詰めて仕事をし、頂点に立たれた活動を見習いたいです。この歳でまだ間に合うか。


 そしてもうひとり。「オタク学叢書」の第1弾として刊行された『20年目のザンボット3』という本を買い、こちらも目下の日本でアニメと特撮について語ってもらいたい人のトップに来る氷川竜介という筆者の存在に触れました。


 岡田斗司夫プロデュースの本で、はじめは『無敵超人ザンボット3』のLD-BOXの副読本として企画されたものを、話を進めるうちに「文字ばかりのザンボット本」(あとがきより)として成立させるべく方針を変更し、ライナーとのバッティングを避けてインタビューなどを行わず、氷川竜介自身が見て感じ考えたことを綴る“俺ザンボット”本として出来上がったそうです。


 ハードな作品だったんだというのが読後の感想でした。実は本放送も再放送でも『ザンボット3』を通して観た記憶がなかったのですが、タイトルが似ていながら『無敵鋼人ダイターン3』のノリの良さとは正反対の、地獄のような展開が繰り広げられていたとは驚きでした。そんなアニメの各話エピソードにつけられた「チェックポイント」は冷静にして簡潔にまとめられていて、これだけ読んでも相当にストーリーの勘所を理解できます。見えないのは動きだけ。それでも金田伊功の爆発するキャラクターの表情の原画とか、躍動するロボットの動きの原画とかを見ながら、動きを想像できました。名著です。


 この頃、『エコエコアザラク』の放送を打ち切ったテレビ東京で、同じGAGAプロダクション製作の『ねらわれた学園』というドラマが放送されていました。劇場版の『ねらわれた学園』と同じ村田和美と柏原収史が出演していて、音楽も映画版と同じのが使われていたようですが、劇場版では真面目で純情可憐な役柄だった村田和美が、テレビ版では今風の女子高生になっていたとのこと。エンディングが飯島真理でとても驚きました。


 『エコエコアザラク』の方も動いていました。石丸電気でのLD-BOX発売記念イベントが開かれて、第1話の上映の後に主演の佐伯日菜子が登場し、終始むっつりとしていたテレビとは違った笑顔で登壇しました。役柄が強烈だっただけに違和感を覚えたようですが、トークで笑顔の佐伯日菜子を見るうちに、むしろガハハ笑いが似合いそうな、コメディエンヌとしても行けそうな人だと思うようになりました。


 イベントでは呪文を覚えて自分の言葉にしなくてはならず、苦労したと話していました。すべての呪文にちゃんとした意味があって、魔術の専門の人が途中まで呪文を唱えた段階で「それ以上は言わない下さい。出ます」と止めに入ったそうです。それでも撮影済みのテープに聞いたことのない声が入っていたとのこと。もしかしたら途中で打ち切りになったのは、何か映ってはいけないものが見えてしまたからかもしれません。


 大日本印刷が銀座で運営している「ギンザ・グラフィック・ギャラリー」で、CGスタジオのポリゴン・ピクチュアズが手がけたキャラクター「ロッキー」の展覧会が開かれて、観に行ったようです。1階のフロアの半分を大小さまざまなイワトビペンギンのヌイグルミとグッズ類が埋め尽くしていました。会場には河原敏文と企画をプロデュースした榎本了壱が登場。ドリーム・ピクチュアズ・スタジオをいっしょに作ったナムコの中村雅哉社長もいて、ヌイグルミを見たりポップコーンを頬張っていたりしました。


 この頃、「ガロ」の分裂騒動が勃発して、「創」や「噂の真相」といった雑誌で内情が取りあげられていたようです。わたしとしては「ガロ」は「ガロ」だから「ガロ」であって、所属作家が大挙移籍して違う雑誌を立ち上げても、それは違うものになるといった意見を持っていたようです。20余年が経って、分裂して立ち上がった「アックス」は未だ健在で「ガロ」の空気を受け継いでいるように見えます。歴史ある題字でもそこにある魂が萎えれば題字も廃れ、そして魂が引き継がれた先に活気が生まれる。そんな教訓を見た気がします。


 この月、初めてコミックマーケットとワンダーフェスティバルに行ったようです。1990年に東京に出て来ながらも縁遠いと思っていた場所でしたが、アニメやマンガに子供の時以上にハマり、ネットから情報も得るようになってよりディープな情報を、あるいは作品を見るには行かなくてはならない場所だと思ったようです。カタログは平成31年(2019年)3月31日で閉店した神保町のコミック高岡で買いました。2分冊の体裁に電話帳かと思いました。


 ワンダーフェスティバルでは霞タカシという人が原型を製作した『星界の紋章』のスポールとラフィールを買ったようです。後に早川書房から刊行された『星界の紋章』のムック向けにラフィールのフィギュアを作った原型師です。そちらも販売されたのかな。ガレージキットは今に至るまで作らずじまいですが、毎日が日曜日のような境遇になってしまった今、極めてみるのも手なのかもしれません。落ち着かない心情では色ひとつ満足にぬれませんが。


 東小金井でスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーに近況を取材していたようです。引退宣言を出した宮崎駿監督でしたが、まったく仕事をしなくなることではないと聞きました。宮崎駿が認識している「監督」は、企画から脚本、演出、絵コンテ、原画チェックまでしっかり自分でやるということ。脚本を書いて絵コンテを切って演出するって程度の、つまりは普通一般のアニメ監督がやっている(あるいはそれ以上の)仕事から足を洗うことはないとも。とはいえ、そこで止まっていられないのが宮崎駿監督です。やがて口を出し手を出して全部自分でやると言い出して……。聞き覚えのある展開です。


 というより、『もののけ姫』の製作発表の席上で、これから仕上げるぞと意気込んでいた所に「次の作品は」と聞かれて「次なんかねえ」と半ばあきれ怒り喋ったことに尾鰭がついて、本人の発言がそれに輪をかけて「引退」ということになったとのことでした。次になにかやるとは具体的に決まっていませんでしたが、やがて『千と千尋の神隠し』へと続いて今へと至ります。宮崎駿監督の引退宣言には裏がある。そう思うしかないようです。


 この月の最後、英国の皇太子妃だったダイアナが亡くなったという報が飛び込んで来ました。世界を騒がす事件の始まりでした。


平成9年(1997年)8月のダイジェストでした。

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