第33話、おたっきぃ佐々木がゲームを作りアスミック・エースが誕生し『ブギーポップは笑わない』が世に現れる

【平成10年(1998年)2月の巻】


 この時代、おたくの世界のスターとしてまず名前が挙がったのがオタキングこと岡田斗司夫でしたが、もうひとり、若い世代の支持を集めていた人といったら、おたっきぃ佐々木だったかもしれません。文化放送で「超機動放送アニゲマスター」というラジオ番組を持ち、アニメやゲームについて語り続ける姿に、今ほど情報が溢れていない時代ということもあって皆が聞き入りました。ラジオでおたく話を繰り出すよっぴーことニッポン放送の吉田尚記アナウンサーの“ご先祖さま”と言えるかもしれません。


 そんな「文化放送のラジオディレクターにしてパーソナリティーの女装もすなるおたく野郎のカリスマ、おたっきぃ佐々木。ゲームにアニメ三昧の生活で培ったすべての才能と人脈をそそぎ込んで製作総指揮するとゆーゲームソフト『いつか、重なりあう未来(あした)』」の発表会を秋葉原で見ていたようです。製作総指揮をおたささが務め、「SFドラマ的な未来の士官学校で学園生活を疑似体験する」という内容のゲームで、発表会は声優の長沢美樹も登壇して盛況のうちに終了しました。


 その後、ゲームは発売延期をへながらも無事、発売されたそうですがプレイはせず、どういったものかは分かりません。名作だったんか違うのか。それでも歴史に「おたっきぃ佐々木」という名を刻めたことは、何も創作物を残せていない身として羨ましくあります。


 久夛良木健が家庭用ゲーム機「プレイステーション」の生みの親として紹介される傍らで、「プレイステーション」の躍進を支えたソフトを整えた人物として取り沙汰されるのが丸さんこと丸山茂雄です。ソニー・ミュージックエンタテインメントでEPICソニーなどのレーベルを立ち上げ、日本のロックや後のJ-POPを隆盛へと導きながらも乞われ、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現在のソニー・インタラクティブエンタテインメント)の会長としてゲーム業界に目を配っていました。


 その丸さんが、一時はもう外れたと言われたソニー・ミュージックエンタテインメントの社長に就いたことが話題となりました。この数年前、共に副社長だった丸さんとアイドル歌謡を支えた稲垣博司を棚上げするような人事が行われ、ちょっとした話題になったからです。その騒動で人も辞めたことで人心の結集を目指したのでしょうか。減った人材を埋めたかしたのでしょうか。


 もっとも、個人としては政争めいた話にはまったく興味を示しておらず、社長会見にはどんな格好で出てくるかを気にしていたようです。普段からラフな格好をしている丸さんが背広姿で出てくるか? 結果はポロシャツジーパンブレザースニーカーな白い頭のおじさんが登場したそうでした。変わらない丸さんは今もやっぱりラフな格好で歩いているのでしょうか。そういえば数年、お見かけしてないなあ。


 「ノイタミナ」といえば他とは違った、クールだったりファッショナブルだったりチャレンジブルだったりするアニメを放送するフジテレビの深夜アニメ枠だと周知されていますが、その最初の作品『ハチミツとクローバー』を手始めに、結構な数の作品をアスミック・エースエンタテインメントが手がけています。理由は、『ハチクロ』の実写化に絡んでアニメ化が必要となって、アスミック・エースエンタテインメントが動いたことで「ノイタミナ」ブランドの発足に繋がったからだと言われています。


 後に『PSYCHO-PASS サイコパス』から最近の『BANANA FISH』まで、人気作品が多くが生み出されたのも「ノイタミナ」枠が生まれ、その後にアスミック・エースエンタテインメントがいたからだとしたら、2月10日に角川書店の傘下にあったエースピクチャーズと、住友商事傘下のアスミックが合併を発表したとは、その原点と言えるのでしょうか。


 当時は、そうした展開よりも、「インディペンデントに優れた洋画を配給して来た両社が、大資本の住友商事と多彩な才能を誇る角川書店をバックにして、新たな展開をして行くその可能性の大きさといったら、見かけのマイナーな社名以上のインパクトを巻き起こすはず」といった可能性に期待を寄せていました。当時、角川・エースからは『失楽園』や『リング』『不夜城』といった話題作も出ていましたから、期待も当然です。会見後のパーティーには、東映・岡田茂に東宝・松岡功の両巨頭、さらには松竹の大谷新社長と、邦画メジャーから重鎮がそろって出席していました。影響力も小さくはなかったのでしょう。


 そこで、挨拶に立った岡田茂が言った「1番は無理だろう」「挨拶しない奴がいて誰だと聞いたらアスミックの、えっと誰だっけ、椎名さんか、そうだった」という言葉は、メジャーの上から目線での牽制でもあり、また警戒心でもあったのかもしれません。この時、角川書店の角川歴彦社長は劇場に『失楽園』とか『エヴァ』といったヒット作を供給している側でありながら、岡田茂のところに行って、アスミックのビデオ事業が東映ビデオとバッティングするってことはないと説明していたそうです。仁義があって成り立つ世界。そう感じました。


 だからでしょう。早速、松竹を親子で解任された元専務の奥山和由が新しい映画の企画会社「チームオクヤマ」を作って仕事を再開するというニュースに、映画への情熱の賜と見るべきか、解任されたことへの自省はないのかと訝りました。「反省の色無しで映画撮るなんて10年早い」と業界の重鎮も厳しく指弾していましたが、それでも作り続けて現在に至るのですから、やはり映画を作るのが大好き過ぎた人だということなのでしょう。


 この頃、子どもたちの間で最も流行っていた玩具が「ハイパーヨーヨー」でした。1月中旬に幕張メッセで開かれた「次世代ワールドホビーフェア」にはプロスピナーと呼ばれるデモンストレーターが次々に壇上に上がり、トリックを見せて立錐の余地なく集まった子どもたちの歓声を集めていました。あまりの人気ぶりにヨーヨー自体も品薄に。会場でも物販に大勢が並んで近寄れなかったようです。


 その「ハイパーヨーヨー」を平成30年2月で閉店となった船橋西武の玩具売り場で買った話がウェブ日記に出で来ます。「お子さまがたかって『ハイパーヨーヨー』漁りをしていた。600円の1番安いのから2000円の標準機、クラッチのついた2400円のタイプとあった中に燦然と輝き鎮座ましましておられたのが、その名も高い(子供らの間では、だけど)『ステルスレイダー』様さま様であった」


 ヨーヨーの回転を支えるベアリングの部分が金属で出来た高級機らしく、人気もあって品切が続いていた商品でした。せっかくだからと買ったのは良いのですが、馴れも技術も必要なようで、長い回転時間をまっすぐに保てずトリックをしまくるまでには至らなかった記憶があります。ほどなくして「ハイパーヨーヨー」のブームは終焉。カッコいいトリックを見せるプロスピナーに憧れプロを目指した子ども達もいたでしょう。そして大きくなるとそんな活躍の場は見当たらない。流行り廃りの激しい玩具の世界によくある話です。そして時代はジターリングの世に移って……行きませんでしたね。


 ワンダーフェスティバル1998[冬]で、ライターのあさのまさひこが村上隆のガレージキットが即完売となたったことに、モデルグラフィックス誌で、「『錯乱状態』とか『事前予想を裏切り』とか『半年ほど前は完全に“オタクの敵”扱いだったことを考えれば」とかいった表現を使って文章を寄せていました。オタク側を狭量と位置づけている節があって、そうじゃないオタクもいたからこその完売だったとも思ったのですが、今なお認めない空気もありますから、そこを抉ろうとするスタンスは当時としては当然です。


 同じ号であさのまさひこは、ニューヨークのギャラリーでBOMEの作品が展示されたことに関連して、ギャラリーのオーナーに行為を含めてアートと考える村上隆のアプローチが、純粋に作品性だけで勝負するBOMEの作品と決定的に違うということを分からせようとして通じず、「負けだ」と投げていたようです。


 行為でありコンテクストを含めてアートという傾向を忌避し、純粋に作品性のみを見て欲しいという思いは分かりますが、それもまたガレージキットを作りたいという作り手の意志を含めて評価している態度であって、作品性のみと言えるかといった疑問を抱いてしました。逆に立像やアニメの歴史を背景に作品性を語るほうが純粋なのではとも考えますが、正解は今もって分かりません。


 マイナーな新聞社の悲哀を味わっていました。バンダイビジュアルの社長に就任した渡辺繁にインタビューをしたいとお願いしても断られていたら、日経産業新聞に登場していてその前には「AERA」にも出ていて悔しがりました。セガ・エンタープライゼスの新社長となった入交昭一郎も日刊工業新聞、時事通信、朝日新聞と出ながら会えずにいたようです。


 媒体力よりも人間力の足りてなさだったと今なら思いますが、小さくても看板を背負っているとそうは考えないみたいです。その看板すら下ろしてしまった今、わたし自身にどれほどの価値があるのかと、考えて改めて沈みがちになります。かといって背負った看板を使えない場所にいて意味があるとも。こうした迷いを吹っ切るには、自分という看板を磨くしかないのでしょう。今はその方法を、少々の蓄えを伴って探し、あがいていきます。


 この月、上遠野浩平の『ブギーポップは笑わない』が発売されたのですが、日記では感想などについて書かれてていません。「ユリイカ」から平成31年(2019年)3月末に出た上遠野浩平特集に寄せた文章でも、漂ってきた泡に知らず触れていたような出会いについて触れています。


 とはいえ、「『ブギーポップは笑わない』と良く似た表紙絵の本を見かけて購入。櫻井牧さんとゆー人の『瑠璃の惑星』(富士見ファンタジア文庫)で、開くと表紙・口絵は松岡剛志とある。ちょっと違うなと思って「ブギーポップ」を見返すと、こっちは確か緒方剛志だったっけ」といった具合に、存在はしっかり認識してたようです。ここからライトノベル(当時はヤングアダルトと書いていました)への関心が深まり始めるのです。


平成10年(1998年)2月のダイジェストでした。

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