第75話、ジェフ・ベゾスと大川功と藤田田という日米の立志伝中の人物を見て山寺宏一の声優本の凄みに触れ大道芸フェスティバルとデザインフェスタに行く

【平成12年(2000年)11月の巻】


 黒船が来ました。アマゾン・コムのジェフ・ベゾスが恵比寿にやって来て、日本語版「アマゾン・コム」の設立を発表しました。世界を席巻しつつある流通の革命児、アマゾンのトップはどんな人物かとワクワクして待っていたら、入ってきたのはマルクスというよりはレーニンといった感じの禿頭の青年で親近感が湧きました。そこからベゾスはアマゾン・コムがどれほど凄いかという話を、今のジャスパー・チャンに変わる前の日本法人代表を交えて話したようです。


 質疑応答では、「紀伊国屋とか三省堂書店とかに比べてどうだ」といった質問が出ましたが、「アマゾン・コムってもう日本じゃ1番じゃん、あとはこれをどう維持していくか、だけだよ」と答えて強気を見せていました。なるほど、日本のアマゾンはすでに20万人近い会員がいて30億円の売上も確保して、日本でも有数のECサイトになっていました。とはいえ、当時はで洋書しか売れておらず、和書の扱いがどうなるかも見えていませんでした。


 「とりあえず60万冊とか70万冊とかいった扱い点数があったとしても、全国で引っ張りだこになっているベストセラーが24時間以内に届けられるよう、ちゃんと在庫を確保してあるとかいった物流面での裏付けなりがあって、始めて『使える』本屋になる訳で、1年に1冊2冊しか売れないような本でも、『あるよ』と在庫に入れて取り扱い冊数に入れてカウントするのって、何かちょっとズレてるような気がする」と当時のウエブ日記に書きました。実態が伴わなければ意味がありませんから。


 そこでアマゾンが凄いのは、流通も整え在庫も揃えて実態を完璧にしてしまったことです。後に千葉の市川に作った巨大な倉庫を見て、どれだけ物流に力を入れたかが分かりました。しがらみなどに囚われず、お客さまのために出来ることを最大限にやってのける会社という姿勢を貫いてきたからこそ、今のあのとてつもないスケールの会社へと成長できたのでしょう。そんな時に乗っていれば……とこれはいつものグチですが。


 ジェフ・ベゾスがアメリカで立志伝中の人物なら、日本における立志伝中の人物も相次いで見たようです。ひとりはCSKを創業してセガも傘下に収めた大川功。食道ガンの宣告を受けながら外科的な手術を拒否し、放射線療法と免疫療法のツープラトンで生態検査上はガンを克服したと言って、セガの方針説明会に登場して話しました。


 快気祝いに紅白饅頭が配られた中、実に1時間にもわたって壇上で立ったまま熱弁を振るった大川功。発表の内容は、コンソールビジネスをフォーマットビジネスに切り替える、つまりは「ドリームキャスト」というものでした。もはや家庭用ゲーム機の形にこだわらず、セットトップボックスでもカーナビでも情報家電でもモバイル端末でも、適用できるなら「ドリームキャスト」のフォーマットをライセンス供与して「DCファミリー」的な商品をいろいろな所から出してもらい、そのライセンス料で金を稼ぐビジネスを始めるという内容です。


 まだ家庭用ゲーム機ビジネスを捨てるとまでは行きませんでしたが、その兆候はあったのでしょうか。年が明けてすぐにセガは、家庭用ゲーム機からの撤退を明らかにします。ソフトビジネスへとシフトして、果たしてセガのアイデンティティが保てるのかという心配も浮かびましたが、特別顧問に就任した香山哲が、世界でもそれなりに売れているソフトがあり、先行するネットワークゲームの開発力があり、過去に積み重ねたソフト資産もあって大丈夫だと話しました。ハード撤退への予防線だったのかもしれません。


 そんな独演会で熱弁を振るったものの、相当に痩せていた大川功はこの時から4カ月後に亡くなります。そういう意味ではセガという会社の分水嶺にもなった発表会でした。今、セガはサミー傘下に入り、家庭用ゲーム機も持ってませんが、ソフトとネットワークゲームとアーケードでしっかりと存在感を保っています。ここに至るまでの大川功の“功”と“罪”を、誰か検証してくれないものでしょうか。


 もうひとりの立志伝中の人物は藤田田です。日本にマクドナルドを持ってきた人ですが、あの「トイザらス」の日本参入も確か仕掛けていました。「としまえん店」で日本国内100店舗を達成するということで、会見が開かれたようです。こちらではお煎餅が配られました。


 日本への進出時には、大店法だ構造協議だ参入障壁だ米通商代表部だといった具合に話題となった「トイザらス」で、規制緩和のシンボルめいた存在として語られていました。会見で藤田田は、1号店の「荒川沖店」が出来た後でもイジめられて、だったら世界的に話題になることをするんだ思いホワイトハウスに行き、当時のブッシュ米大統領の来日時に第2号店のテープカットをお願いしたそうです。


 そうした努力もあって、平成3年(1991年)の1号店から10年近い間に100店舗まで来たのだから、日本の規制緩和も一気に進んだと見て良かったのでしょうか。おかげで玩具やがて消えてしまったとも? もっとも「トイザらス」、ネット通販に推されアメリカの本家がなくなってしまいました。白から黒へと一気に変わるのではなく、融合しつつ長持ちさせる日本の商売の雰囲気がここにも見てとれます。


 山ちゃんこと声優の山寺宏一が、一線級の声優たちと対談した『山寺宏一のだから声優やめられない』という本が主婦の友社から出たようです。最近はある種、声優本がブームとなっていますがそれよりもずっと早く、声優の仕事をしっかりと語ろうとした本が出ていた訳です。


 相手にいわゆるアイドル系な人はまったくおらず、若くて(当時としては)三石琴乃だったりするくらい。メジャー級の超ベテランたちをゲストに迎えて、「声優」という仕事の重さ辛さ大変さ、そして楽しさを語り明かしていたようです。


 何しろ1回目のゲストが「ブラック魔王」の大塚周夫さんに「バトー」の大塚明夫さん父子。その道30余年という大塚周夫の仕事に対する熱情と厳格さは、声優という仕事に就いてなくても傾聴するに値する内容の重さ、濃さがありました。例えば、「今の若い人を見てて危惧するのは、一発ヒットすれば有名になるけれど、化けの皮がはがれるとキツいぞということ」といった感じです。


 返して山寺宏一も、「なんか違うところで競争している。『あの子のCDは売れているけれど、私のはなんでもっと宣伝して売ってくれないの』。そんなことをスタジオで言っているんだから」と言っていました。現場の第一線で声優の仕事をつぶさに見ている人たちの言葉だけに、ギャグでも冗談でもなく、本当にそういう声優がいたということでしょう。そして今も……。


 冨永みーな、鶴ひろみとの対談では、冨永みーなの「スタッフへの取り入り方とか取材拒否の仕方とか(笑)、妙に芸能人気取りの人が増えたように思えるわ」といった言葉が衝撃でした。そうした人たちが具体的に誰で、今どうなっているかは分かりませんが、一念発起してプロとなり、そして同じように「最近の若い声優は」と言っていたりするのでしょうか。そうした苦言を聞き入れれば、同様に20年後に苦言を言える立場になる。経験と指導は受け継がれて欲しいものです。


 静岡で開かれている大道芸フェスティバルに行ったようです。TINAMIXで連載されていた「タニグチリウイチの出没!」(http://www.tinami.com/x/riuichi/)という連載のネタ探しのためだったと思います。とうじはそんなウエブ連載をしていたのでした。会場は駿府公園を始め静岡市内の各所。フラリ近寄った所では「雪竹太郎」という人が、「人間美術館」という大道芸を披露していました。


 服をはぎとってパンツと布きれ1枚になった雪竹さんが最初にするのは全身を真っ白に塗ることで、次にやることは台の上に乗って横の看板に書かれた文字が現すポーズを取ること。例えば「考える人」。あるいは「円盤投げ」。さらには「モナリザ」「ダビデ」「叫び」etc。「モナリザ」の時は遠くに置いた額縁を観客の中で目をつけた人に取りに行かせるイジリ芸なんかも見せてくれました。言葉を一切使わずに。世界でも通用する芸でした。


 バンダイのホビーセンターも近くにある東静岡「葵博」でも大道芸が行われていました。関西方面で活躍する女性ジャグラーで去年の「TVチャンピオン」で3位に入った「ミス・サリバン」のパフォーマンスがあったようです。火のついたロッド3本をジャグリングする定番コースを見せてくれました。海外からやって来た、世界を転戦する筋金入りの大道芸人たちもいたようですが、人気爆発なのか「蚤のサーカス」は整理券が即品切れとなったようです。「来年も行こう」と書いていますが、あれ以来見てません。目的がないとやはり遠出は。そういうものです。


 パーツや素材は出しちゃダメだと言って騒がれたデザインフェスタへ、この時期に初めて脚を運んだようです。入ると並ぶは似顔絵にファッションにアクセサリーに絵はがきにTシャツといった具合で、雰囲気だけなら代々木公園あたりに出ている路上販売かフリーマーケットに近いものを感じました。ほとんどがオリジナルの作品で、アーティストにしてもデザイナーにしても画家にしても書家にしてもミュージシャンにしても、それぞれがそれなりに自分を表現しようと集まっていることが分かりました。まさしく「デザインフェスタ」だった訳です。


 もっとも、アートなのかパフォーマンスなのかホビーなのかクラフトなのか、判別不明な作品もいっぱいあって、それらはデザインであると自己申告でも感覚でも線引なんかできません。「どっちというよりその時々の気持ちで判断するしかないんだろう」と書いているように、場の空気の中でどういった心意気かを感じていくのが、見方として正しい気がしました。


 パーツだとか素材と指摘されたグラスアイやガレージキットも、それを見て手に取れば表現でありデザインと感じる可能性が高いでしょう。申告の言葉だけで判断する怖さを感じます。まずは見ろ。そして触れろ。そこから感じろ。といったところでしょうか。次回もそうした運営が続くと願いたいです。


平成12年(2000年)11月のダイジェストでした。

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