第21話、徳間康快からジブリ吸収の理由を聞き鈴木敏夫から『もののけ姫』の予告編が残酷な理由を聞き『エターナルメロディ』の会社に行く

【平成9年(1997年)5月の巻・下】


 宮崎吾朗監督の長編アニメーション映画『コクリコ坂から』で、学生寮の取り壊しを止めてもらうために生徒たちが東京へと行き、学校の理事長に直談判する場面があります。現れた徳丸理事長を見て、すぐに「徳間康快だ!」と思いました。威厳はあるけど偉ぶっては見えず、人の話をよく聞いてくれそうなおじいさん。けれどもしっかり、経営者としての顔も持って子供たちを話す雰囲気が、生前に1度だけインタビューした時と重なりました。


 今は汐留FSビルとなっている徳間書店の中にある、東京港がよく見える部屋で聞いたのは、スタジオジブリを徳間書店と合併させた話や、ディズニーと提携した話だったように記憶しています。「メガコンペティションが叫ばれていて、世界に進出していくためには合併するしかないんだ」といったことを話して、出版だけでなく映像も含めた展開を、スタジオジブリという協力なアニメ部門を軸にして展開していく考えを聞かせてくれました。


 傍目には、厳しくなっていた活字部門の救済なり、儲かっているように見えたアニメ部門の節税対策にも見えなくもありませんでしたが、元からメディアミックスに熱心だったKADOKAWAはもとより、小学館と集英社、講談社といった大手がアニメーション製作に熱心なところを見せるようになっている今から思えば、流れとしては必然だったと言えます。


 加えてスタジオジブリは、自分たちでアニメーションを生み出せるスタジオです。宮崎駿監督、高畑勲監督という両輪を持って新しい世界を創出し、それを出版でも展開していくパターンのメディアミックスを見せてくれるのでは、といった期待を持ちました。そんな話をしてくれた徳間社長は、部屋では草履で、帰りがけにドクダミ茶を持たせてくれました。こういうホッとさせるところ、そして大言壮語ととられても夢を語ってくれるところに惹かれて、この人のためならばと大勢が動き、そしてスタジオジブリの誕生となったのかもしれません。


 そんな一人といえそうな、鈴木敏夫という人に徳間社長へのインタビューで出た話の補足を聞きに行きました。日本橋浜町で『もののけ姫』の音楽回りの仕事をしていたところをお邪魔して、「むかし『アニメージュ』の付録についていた『となりのトトロ』のストーリーボードを集めたポストカードが好きでした」と言って「あれやったの僕ですよ」と教えてもらったりして、記憶が10数年昔に飛びました。


 取材では、CSチャンネルのディレクTVに徳間書店が出資したこともあって、ジブリチャンネルを開いてそこで、宮崎高畑以外の新しいクリエイターを使ったテレビシリーズのようなものを作りたい、といった話を聞いて記事にしました。では誰が、といったところで『耳をすませば』の近藤喜文監督の名前を出したら、もう47だからといった答えで、もっともっと若い才能に出て来て欲しい、あるいは育成していきたいような気持を感じました。


 スタジオジブリの後継者問題はずっと言われていたことで、宮崎高畑の二枚看板のあまりの大きさに、とって変わる若手がなかなか出てこられないことが課題になっていました。それは最後には課題を通り越してスタジオジブリの活動休止へと至ります。米林宏昌監督や宮崎吾朗監督が映画を作って送り出しても、やはり二枚看板を期待されるならそのためのスタジオとして役割を終える。そんな判断があったのかもしれません。


 もしもジブリチャンネルが立ち上がり、若い監督がテレビシリーズをどんどんと送り出すようになったら、スタジオジブリは後継者問題も解消され、東映アニメーションやトムスエンタテインメントのようなアニメーション制作会社になっていたのかもしれませんが、そこにスタジオジブリらしさが残ったままになっていたか、と考えた時に心は揺れます。


 マッドハウスらしさ。I.Gらしさ。ボンズらしさ。TRIGGERらしさ。あるようでないようで。とりわけらしさの色濃いスタジオジブリが商業ラインに載ってしまった時、らしさが薄れてしまった状況を嫌って宮崎駿監督が飛び出してしまった可能性もあります。そうなってしまっては元も子もないのなら、二枚看板をらしさの象徴にし続ける道を選んだのもひとつの判断だったと言えそうです。


 鈴木プロデューサーからは、手首が飛んで血が吹き出す残酷さが話題になっていた『もののけ姫』の予告編は、実は鈴木プロデューサーが意図的に作ったものだったと聞きました。「だっていきなり劇場でああゆう場面の見せるって、いけないことだと思うんですよ」と鈴木プロデューサ-。日本だけでなく外国での公開も決まっている作品に、最初からああいったシーンがあることを明示しておけば、後で「こんな残酷な映画は公開できない」と蹴られずに済むとも考えたようです。


 残酷なシーンはあるけれど、全体のストーリーを見れば素晴らしいと分かってもらえる。そうした効果も狙った感じ。結果、『もののけ姫』は年齢制限はつきましたが、カットなしで全米で公開されました。してやったり、でしょうか。


 この月は、「週刊アスキー」(初代)の渡邊直樹編集長に創刊に当たっての意気込みを聞きに行きました。両方が表紙という前代未聞の雑誌の体裁については、1年を期限に見直す可能性があると答えて、こだわりではなかったことが分かりました。タテ書きに象徴される文化系な文化と、ヨコ書きに象徴される理系な文化が混在している今の時代を具現化してみたのが両開きとで、時代が一気にヨコ書き文化へと突き進めば、1年後に全部横書きになっているかも。そんな話を聞きました。残念にも1年後はありませんでしたが。


 徳間康快も日本のメディアキングでしたが、この月は世界メディア王、ルパート・マードックも見ていたようです。FIPP「東京会議」の全体会議でスピーチするために来日して、「コンテンツは王様」だという話、そして「ローカルコンテンツが大切」といったことを話しました。つまりはそうしたコンテンツを生み出す人材であり、集めるネットワークが大事だということですが、今はそこがもっともコストがかかるとベテランを切り、取材網を縮めてネットから集めたような情報を繰り返し使う雰囲気が漂っています。


 おかげで個人的に大変な目にあっていますが、逆に言うなら受け手もその程度で良いという考えなのでしょう。寂しい時代です。


 このほか、新横浜へ言ってシグナルライトというゲームソフトの開発会社がインターネットサービスを始めるというので見学にいきました。『エターナルメロディ』という懐かしい人には懐かしい恋愛シミュレーションゲームを開発した会社で、実際にプレイもしていましたが、この時はメインでは触れず。『悠久幻想曲』ともども、妙に記憶に残るゲームでした。


 大和堂というCD-ROM制作会社にも行ったようで、自社タイトルの第1弾としてねこじるの『ねこぢるうどん』と丸尾末広『少女椿』がリリースされるという話を聞きました。当時はそういう会社だったのですが、まさか青林堂を引き継いで、ああいったジャンルの書籍や雑誌を出すようになるとは。20余年もあるとそういうことが起こるのです。


平成9年(1997年)5月のダイジェスト・下編でした。

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