第70話、PS2のチップの外販や『ミスタードリラー2』や「月刊TVチョップ!」創刊が発表され丸山忠久が名人となり明石散人の文庫解説を書く

【平成12年(2000年)6月の巻】


 「プレイステーション2」が売れに売れて、2カ月で200万台に到達したようです。「プレイステーション」は9カ月で200万台ですからそのスピードたるや。勢いに乗ったかソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)が、半導体の工場を作るといった発表会を開いて見に行きました。


 発表会では、久夛良木健社長がプレイステーション2に搭載されている「エモーション・エンジン」とか「グラフィック・シンセサイザー」といったチップセットを外販する考えを明らかにして、プレステーションというゲーム機の規格のライセンス提供も打ち出したようです。テレビに組み込まれればゲーム機はいらなくなる。そんな夢を抱きました。赤字でコンソールを作って売って、ソフトのライセンスで稼ぐといった家庭用ゲーム機に特有だったビジネスモデルからの脱却も感じました。


 ネットワーク家電とかデジタル家電といったものが普及していく中、「エモーション・エンジン」や「グラフィック・シンセサイザー」が普及して浸透してデファクトになっていく。そんな夢も見ましたが、結果は果たしてどうなったか。まあ、「プレイステーション4」自体がコンソールとして最高のパフォーマンスを誇っているから良いのですが、企画の部分はハードもソフトもプラットフォームも海外勢に押され気味。どこかで道を踏み間違えたのでしょうか。経緯を振り返ってみたくなりました。


 家庭用ゲーム機戦争が一段落して話題が枯れる中、業務用ゲーム機の展示会を幾つかのぞいていたみたいです。そのうちのひとつで、川崎でやっていたナムコによる新作の業務用ゲーム機の展示会では、カートのボディをそのまま乗せたレーシングゲームに目が向きました。ワイヤーで作ったようなペダルを交互に踏み込んで、小さなハンドルを右に左に切りながら、目線が路面ぎりぎりのコースを進んで行くカートの雰囲気がそのまま出ていたゲーム機でした。


 デコレーションがバリバリのトラックを燃した業務用ゲーム機も並んでいました。セガ・エンタープライゼスがアメリカのコンボイを模して出したゲーム機に対抗したというよりは、ヒューマンが出していた『デコトラ伝説』の業務用版といったとところだったでしょうか。音楽を冠二郎が担当していて、なかなかの迫力だったようですが、今もどこかで遊べるのかな。気になります。


 そんな展示会で新作が登場したのが、モグラみたく地下へ地下へと掘っていく『ミスタードリラー』でした。ウエブ日記には「スピード感とか操作性とかってな点でなかなかに見せるものがある。良いパズルゲームってのは後ろで見ているだけでも、あれこれ心で(うまいっ!)(ナイスッ!)(そーじゃねーよ)とかって叫べるのが嬉しいんで、分かりやすい『ドリラー』はきっとそれなりな人気を獲得してるんだろう」と書かれています。実際に人気もあってコンシューマ向けにもなってナムコの看板に一時はなっていました。今は……。ちょっと寂しいです。復活しないかなあ。


 将棋の名人位に丸山忠久八段(当時)が就きました。「7つあるタイトルの中でも、伝統と格式で賞金が同じの読売新聞が主催する竜王よりも事実上は格上だと見なされていて、その獲得の難しさから『選ばれた者だけがなれる』とまで言われている」名人位を、最初のタイトルで獲得したのですから、当時は結構騒がれました。相手も佐藤康光さんですから強かったのでしょう。今も弱くはありません。ずっと第一線で活躍し続けています。


 ただ、順位戦でのランクは目下B級2組で、名人位に挑戦できるA級にはいないようです。タイトル獲得も名人位を防衛しての2期と、羽生善治さんから奪取した棋王位の都合3期。永世名人位を獲得していく森内俊之さんや佐藤康光さん、そして羽生善治さんとの“差”も見えてしまいました。チャイルドブランドと呼ばれた棋士たちも50歳前後にさしかかって向かえている曲がり角を、抜けて残れるのはやはり羽生善治さんだけなのでしょうか。丸山九段の“再起”はあるのでしょうか。気になります。


 この頃は、「電撃アニメーションマガジン」という今はもうないアニメ誌で書評の仕事をしていました。1ページを使って上半分くらいが傾向でまとめて、下に4冊くらいの短評を載せる形式だったはず。7月発売号に向けて原稿を書いた話があって、珍しく何を紹介したかの記録がありました。


 「『信仰』やら『伝承』なんかの重要さが盛り込まれた池上永一さんの『レキオス』に北森鴻さん『凶笑面』に加門七海さん『呪の血脈』に平谷美樹さん『エンデュミオン エンデュミオン』がメインの4冊」だったようで、どのタイトルからも懐かしさが浮かびます。平谷さんはこの後、小松左京賞を受賞を『エリ・エリ』で受賞してSFの書き手となるのですが、最近は時代小説へとシフトして人気を博しています。20年という年月は作家も変えてしまうようです。


 あとこの次期に、明石散人の『謎ジパング』という文庫本の解説も書きました.初めての文庫解説だったはずです。超人気作家だっただけに緊張しました。「週刊SPA!」で別の文庫の紹介をしたのが縁で声をかけられたようです。築地の台湾ビルにあった事務所ものぞきました。その事務所が「IN☆POCKET」というPR誌でイラストで紹介されていたようで、「古今東西和漢洋を問わず資料を引っ張り知識をめぐらせて新説異説を繰り出す人の仕事場がいったいどーなっているのか興味のある人も多かっただろうから、まさにその希望に答えた企画ってことになる」と書いてます。


 「『古事記』真福寺の写本とか『源氏物語』室町期の遊行三十三題普光自筆本とかを持ってるっていうことも羨ましいけれど、目録をそろえて史料へとアクセスする窓口にしているらしい分類・整理の方法は、原史料を並べて悦にいるんじゃなくって何が実際的かが考えられていて面白」とも。そんな史料もあのビルの立て替えとともにどこかに移ったのでしょうか。お目に掛かったのはその時の1度だけ。今どうされているのか気になります。


 まったく覚えていませんでした。当時は三軒茶屋にあったエンターブレインに言って、「月刊TVチョップ!」というテレビ情報誌の創刊発表会を見たようです。単純に番組紹介を網羅するのではなく、「テレビ番組」という「コンテンツ」をあれやこれや掘り下げていく内容を目指していたとか。「EURO2000」が話題になってるなら、「テレビで賑わっているサッカー」として特集を組んで、記事を読んだだけでも楽しめるような内容にするといったこととか。いろいろと想像したようですが、その後、「月刊TVチョップ!」は何号まで出たのでしょう。雨宮編集長はどうなったのでしょう。これもやっぱり気になる話題です。


 DASACON3にも登場した山尾悠子の作品を集めた『山尾悠子作品集成』が刊行されたようです。その巻末の解題によると、今回の集成刊行に関連して「インターネットのある掲示板に『幻想文学』で山尾悠子の特集をしていて嬉しいと書かれてあったのを見たときに、ある感慨がありましたね。(中略)初めて石が誰かに届いていたんだということが実感としてわかって、とにかく嬉しかったですね」と山尾さんが言っていたそうです。


 作風を理解されず、2度とSFなんか書くものかと、東京に向かって誓ってから20年くらいでしょうか。幻の作家にネットからの言葉が届いたことで、復活から今の活動につながっていたとしたら、ネットというものに大きな意味があったと言えます。ポジティブな言葉が届いたということですから。今はむしろ言葉が溢れかえってポジティブよりもネガティブな言葉が伝わりやすい状況。そんな時代に逆にネットの言葉に打ちのめされて、筆を折らないかと心配になります。清濁混交のネットをよりポジティブに使えるような方策、考えたいです。


 池袋で水木一郎のサイン会を見ました。今も続く「アニソン帝王」のご尊顔を拝したようで、その顔の小ささに驚きました。サインをしたのはアスペクトから出た『アニキ魂』という本です。サイン会場では設置されたスピーカーから『マジンガーZ』の曲とかがガンガンと流れていいて、アニキな空気が漂っていました。その本が部屋のどこにあるかは覚えてません。内容も。いつか掘り返せたらサインを眺めて懐かしみたいと思います。


平成12年(2000年)6月のダイジェストでした。

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