第37話、ドリームキャストが発表され秋元康が取締役になり終わりの始まりと思い『D2』のイベントに1万人が集まり任天堂の今西さんに会った

【平成10年(1998年)5月の巻・上】


 それは、ひとつの歴史の終わりの始まりだったのでしょうか。


 平成10年(1998年)5月21日、ホテルニューオータニの鶴の間にて新しい家庭用ゲーム機が発表されました。セガ・エンタープライゼス(当時)による「ドリームキャスト」です。TBSの鈴木史郎アナが登場し、どこかの校庭に机で渦巻き模様が作られたといった嘘ニュースを読み、そして入交昭一郎社長がオレンジ色のポロシャツを登場して「ドリームキャスト」という名前、「SH4」という使用CPU、そしてOSは「ウィンドウズCE」といった概要を発表し、11月20日という発売日も明かしてセガのゲーム機好きの関心を煽りました。


 値段は未定でしたが、会見で「2万から3万円でこれだけの性能が」といった声が出たからだいたいのところは分かりました。実際は2万9800円でしたからモロにバラしていた感じです。もっとも、ここでは肝心のソフトの話があまりなく、拍子抜けの会見だったとウエブ日記には書いてあります。だったら何を売りにしたかというと、マーケティングとプロモーションだったようです。そこで秋元康の起用となります。


 「ドリームキャスト」発表の翌日に開かれた決算説明会で、セガは役員の数を10人に減らしつつ、そこに「ドリームキャスト」のプロモーションを引き受けた秋元康を社外取締役にする、といった発表を行いました。同時に導入された執行役員制度で、取締役だった『バーチャファイター』の鈴木裕は取締役から外れて執行役員になったようです。いわば現場のボスであって、取締役は経営のボスたち。そのひとりに秋元康が入っていったい何をするのか。何をしでかすのか。当時から興味がありました。


 すでに宣伝は始まっていて、戦国武将たちが討ち死にしている絵を使って「セガは倒れたままなのか」と問いかけ、すぐさま「逆襲へ、Dreamcast」と出して復活への狼煙をあげました。もっとも、それなりに数は出ていた「セガサターン」を大失敗の如く貶めてしまったことなど、セガファンにとって嬉しい宣伝ではなかったはずです。実在する湯川英一専務をキャラクターに仕立てて一般層を面白がらせはしましたが、CMが愉快なこととゲーム機が楽しいことはまた別です。けれども、とりあえず宣伝をとなったところで奇抜なアイデアが先行し、プロモーションだけは目立っていきました。


 発表会でも、藤岡弘、が演じるせがた三四郎が居合いで4本の竹を切ったりするパフォーマンスを見せ、来場者を喜ばせましたが、それが「ドリームキャスト」の面白さを伝えたかというと……。そうしたズレは多分最後まで埋まらないまま、「ドリームキャスト」は送り出されて売られていったような気がします。発表会のお土産も、巨大な箱の中から出て来たのは、スタンド付きの透明な張り合わせたアクリル板で、隙間に入交昭一郎社長がニコニコ微笑んだ絵柄の入った、一種の株券のようなカードが挟まっていました。


 嬉しいか? 喜ぶか? と誰だって思いそうですが、そうした宣伝プロデューサーによるド変化球をド直球のように感じ、取り入れた時点でセガのその後は決まっていたのかもしれません。いろいろなものの終わりがここから始まった、ということです。


 この月は、セガに鞍替えをした飯野賢治率いるワープによる「D2ワールドプレミア」も開催されました。5000人が入る会場が昼と夜の2回とも満席になったようで、当時の飯野賢治でありワープでありゲームでありドリームキャストの知名度の高さ、人気の程が窺えます。灯りが消えれば壮大な「ワープコール」が始まったほど。そしてピアノとバイオリンとチェロによる「D2メインテーマ」の演奏に続いて、飯野賢治による「D2」のデモが行われました。


 オープニングムービーはまるで実写のようでした。ただ、飛行機の中でサブマシンガンを乱射していたりして、大丈夫かなと思ったようでした。ゲーム画面でストッキング姿のローラが雪山に足を埋もれさせて走る姿に、寒くないのと思ったことも添えておきます。


 ゲームは一種のアクションRPGで、リアルタイムで処理される3Dの世界の中を、ローラを操作して現れる”宇宙からの物体X”を次々と倒していくという内容になっていました。リアルタイム性が追求されていて、山があればその向こうに行き、海があれば砂浜におりて日がな太陽を眺めることが可能になっていました。この「リアルワールド」を実現するためには、プラットフォームが「ドリームキャスト」である必要があった、といった感じです。


 セガの入交昭一郎社長も登壇した発表会は盛況でしたが、さていったい「D2」はどれだけのインパクトをゲーム史に残したでしょう。「ドリームキャスト」の売り上げに貢献したでしょう。発売日は平成11年(1999年)12月23日とハードの登場から1年後。「プレイステーション2」の発売を翌年の3月に控えて迷う人も多かった時期だけに、気になるところです。


 ゲームでは、スクウェア(現在のスクウェア・エニックス)から『ファイナルファンタジー8』の発表会がラフォーレ六本木で開かれました。ソニー・コンピュータエンタテインメントの次世代機に載せるといった発表はなく、デモ用のCG映像を流し、質問を受け付けるだけのあっさりしたもののようでしたが、そのデモ映像は素人目にだってはっきりと分かる美麗さだったようです。


 棒っきれな手足に人形めいた顔といったCG映像ばかりが頭にあったので、「かくも実写めいた映像が作れるんだったらスクウェア、これはCG映画も期待できるんじゃないかって思えて来る」と書いてます。そして実際に、『ファイナルファンタジー』はCGによる映画が作られることになって、スクウェアにとてつもない事態を巻き起こすのです。技術があるということと、映画が作れるということの間にはとてつもない開きがある、ということでしょう。


 この月は、ゲーム業界を担当していたこともあって京都の任天堂を訪問していました。まだ東山区にあったころで、今の真っ白い豆腐のような社屋とは違った工場のような雰囲気を讃えていたという記憶があります。受付の人も腰にきびだんご、ではなく「ポケットピカチュウ」を付けていたという記録。「いいかんじNOW」なのか「フレンドリーNOW」なのかを聞いてみたい、という言葉でそういう状態が出たのだということを思い出しました。


 話したのは広報の今西さんでしょうか。ごついおじさんだった記憶。取材というより雑談で、3時間ほど話してから会社を離れて京都駅へと向かい、帰途に就きました。中央部分の吹き抜けの大階段に溜まっている女子高生を下から見上げながら、何かを見ようとしていたようでしたが薄暗い時間帯では難しかったようです。そして意外にルーズソックスが多いことに驚きました。関西では誰もルーズなんて履いてないという話があったからです。流行に地域差などなかったのか、ルーズソックスは地域差よりもファッション性で広まったのか。気になるところです。


この月はほかにもいろいろあったので上下に分割します。


【平成10年(1998年)5月のダイジェスト・上編】


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