第35話、「AX」「電撃B-magazine」創刊でアニメ誌戦争が勃発しフル3DCGアニメ『VISITOR』が上映され中原誠が突入する

【平成10年(1998年)4月の巻、上】


 平成10年(1998年)4月あたりでアニメ誌戦争が勃発していました。といっても「月刊ニュータイプ」を筆頭に「月刊アニメージュ」「アニメディア」が並ぶ協力なラインに割って入って、勢力地図が塗り変わるような大戦争が起こったかというと微妙です。ただ、いくつかの歴史は作ったとは言えます。


 たとえば、3月にソニー・マガジンズから出た「AX」は、安倍吉俊と小中千昭による『serial experiments lain』のメディアミックス企画を掲載して、テレビアニメーションやゲームを記事の方面から支えました。後に本にもまとまって練りに錬られた作品であったことを今に伝えてくれています。


 メディアワークスから「電撃B-magazine」が「B-CLUB」をリニューアルするといった形で刊行され、アニメや特撮、ホビーといった分野を取り扱っていました。そこから「電撃ホビーマガジン」と「電撃Animation Magazine」が創刊され、その「Animation Magazine」方でわたしはしばらく経った号から休刊となるまで、書評のコーナーを担当することいなるのです。


 おっと、これはわたしにとっての歴史が作られたということになるのしょうか。編集部に遊びに行ったとき、『課長王子』が襲来してフライングVを弾いてくれたのは良い思い出です。毎月10日発売のアニメ誌戦争はやはり長くは続かず、平成13年(2001年)に「電撃Animation Magazine」は休刊となって1画が崩れ、「AX」も同じ年の10月に休刊して元の状態に戻ります。


 やはり並び立つのは難しかったのでしょうか。とはいえ、これだけアニメが作られていながら、アニメ誌は薄くなり高くなり部数は下がる一方。ネット発で情報が権利元やネットメディアからのべつまくなし発信される状況では、雑誌はグラビアやポスターというグッズ目当てのものになってしまったとも言えそうです。いえいえ、インタビューとかコラムといった多彩な情報をパッケージにして配布し、新しい発見を得られるのが雑誌の特徴です。十分に価値はあるので、アニメ誌にはこれからも頑張って欲しいのですが……。


 大針正己監督の『VIRUS-VIRUS BUSTER SERGE』には幾つかキャラクターグッズが作られて、知念エリカのソフビフィギュアとかは張り出した胸の再現度が凄まじく素晴らしかったという記憶があります。トレーディングカードも出てこれがコンプリートまで57種類という優しさで、箱買いをして56種類まで集めたのですが最後の1枚がなかなか出ません。両脇が知念エリカだから当然エリカだろうという予想があって、いつ当てられるかと思い過ごしていたある日、秋葉原駅前のセガのアミューズメント施設内にできた「ゲーマーズ」で4パック買ったらビンゴでした。


 1箱と4パックでコンプリートとはリーズナブルですが、57種類という少なさもあってこと。というよりトレーディングカードでこの数というのは、それだけ使える絵が少なかったからなのかもしれません。中澤一登の描いた絵のカードは抜群のものが多くて、画集があったら欲しいくらいでした。ちなみにそして56番の絵は、細いのに胸はメロンなミレイ・G・コールダー。声を担当していたのが池澤春菜です。トレーディングカードはファイルに入れて閉まっておいたのですが、これも部屋のどこに行ったのやら。最近、イベントなどでお顔を見る機会も多いので、探してミレイのカードにサインを頂きたいところです。


 『VISITOR』というアニメーションがありました。GAGAが作ったフル3DCGアニメーションで、脚本を伊藤和典、キャラクターデザインを高田明美という『魔法の天使クリィミーマミ』『機動警察パトレイバー』の黄金コンビが起用されてファンなら垂涎の企画と歓喜したものでした。その上映が行われて、見たらなるほど「フィギュアニメーション」という造語での紹介を地で行く、人形のような造形のキャラクターが動き回る、CG版『サンダーバード』といったルックの作品に仕上がっていました。高田明美度はだからそれほどでもなかったように記憶しています。


 ひとつの割り切りでした。無理にリアルさを追求して果たせず中途半端になるくらいなら、「人形なんだ」と割り切ってモデリングして動かした方が、『サンダーバード』に馴れた目には自然に映ります。これなら実写のリアルさと比較し、超えられない谷を意識することもなくなります。2億円というバジェットで成立させるグッドアイデアだったと言えます。


 モニターが次々と点灯したりずらりと計器が並ぶ場面は格好良く、宇宙船や宇宙ステーションといったメカもなかなか。そこに登場するお人形さんっぽいキャラクターも、見慣れると違和感なくハマります。ではお話は? といったところでウエブ日記では言及を避けていました。どうしてでしょう。気になりますが、今となっては『VISITOR』を、あるいは第2弾となる『A.L.I.C.E』を見る機会はあるのでしょうか。黎明期にあった日本のフル3DCGアニメーションとして、後世まで語られて欲しいです。


 改築のためお台場のフジテレビへの一時避難が始まっていたらしいニッポン放送の有楽町に残っているビルで「東京キャラクターショー」の開催概要発表会を聞きました。覚えているでしょうか、「東京キャラクターショー」。人気のゲームやアニメーションに登場するキャラクターに関するアイテムを集めて見てもらう、といったコンセプトで今でいうならコミックマーケットの西館企業ブースと同じ様なものと思ってもらうのが良さそうです。


 この当時でも、「キャラクター」といえばハローキティのようなものを思い浮かべる人もいたようですが、角川書店がにメディアワークスが参加し企画がブロッコリー、企画協力が真木太郎率いるジェンコといった布陣を見れば、アニメとゲームとコミックのキャラが集まる強力な展示会だったと分かります。とはいえ、当時にあまり類例はなくどれだけの出展があり、どれだけの来場者があるかは未知数でした。そして当日、ふたを開けたらとてつもない人出で、限定商品を求め走り込んで来た人にニッポン放送の偉い人が吹っ飛ばされる“事件”も起こりました。列整理と誘導はしっかりやらなければと思わされた一幕でした。


 アスキーが業績下方修正の会見をする、というので東京証券取引所に行ったら、CSKの大川功会長もいて驚きました。過去20年間にわたってアスキーを1から作って育てて来た西和彦社長が、平取締役に降格となって経営の第1線から退くという内容は、今にして思えばパソコン業界のひとつの時代の節目だったのかもしれません。ここからネットに着目してYahoo!を日本に持ってきて軌道に乗せ、携帯電話事業も買収して巨大ぐるーぷへと至ったソフトバンクとの分かれ目は何だったのか。やはり気になるところです。


 アスキーについては既に平成9年(1997年)の12月25日に、CSKとセガからの資本受け入れを発表して傘下に入っていました。そして経営再建に臨んでいたところに新しい不良資産が見つかって、その処分で大赤字の決算を余儀なくされることが解ったから、西社長には退任を願ったというのが発表内容の構図でした。それは本当か、西社長を外すための方便だったのかは諸説ありますが、大川会長の後ろ盾があったこともあって去ることなく、教育事業などに勤しんで立場を取り戻したところは流石です。


 それでも大川会長の死去で西和彦はグループを去り、アスキーはメディアワークスと合併してKADOKAWA傘下となり、やがて吸収されて一部門に。すでに分社化されていた「ファミ通」を刊行するエンターブレインもKADOKAWAに入ってと、曲折を辿りながらも同じ屋根の下で“再会”を果たします。まったく消えてなくならないところにブランドとしてのアスキーでありファミ通の存在の大きさが見え、それらを生み出した西和彦という実業家の名前も歴史にしっかりと刻まれるのです。孫正義の帝国がどこまでも拡大しようとも。


 「突入しまーす」という録音テープが後に取り沙汰された、女流棋士の林葉直子に対する「棋界の太陽」こと中原誠十六世名人からの視聴なアタックが発覚したのもこの頃でした。きっと観戦記者なり棋戦を主催するメディアは知っていたのでしょうけれど、相手が相手でダメージもあると察して黙っていたのかな、なんて思いました。


 中原十六世名人はテープが出てこれは自分と認めたようで、以後、調子を落としてA級から陥落しフリークラス入りを宣言、それでも指し続けて大病を患った直後の2009年に引退するまで、将棋のトップ棋士として活躍しました。一方の林葉は写真集を出し、大病を宣言したりと波瀾万丈の人生を歩んでいます。あれほどの棋力の持ち主がと寂しい思いもしますが、同時に今でも屈指の美貌が女流棋士に止まることを難しくしてしまったのかもしれません。


 ほかにもいろいろとトピックがあるのでこの月は上下に分割します。


平成10年(1998年)4月のダイジェスト・上編でした。

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