第50話、横浜フリューゲルスが消え新作のタイトルが『ターンAガンダム』と分かり電子書店パピレスがマンガを売り始め奈良美智の時計を買い朝日でアニマゲDONが始まる

【平成11年(1999年)1月の巻】


 7の月に世界が滅亡する平成11年(1999年)が始まりました。もちろん滅亡はしませんでしたが、驚くような事はやっぱりいろいろと起こりました。元日にJリーグの発足時から存在していた横浜フリューゲルスがサッカーの天皇杯に臨み、清水エスパルスを逆転で破ってカップを手にしながら、チーム解散という事態に陥りました。


 表彰のためにスタンドへと上がっていった選手たちが、日本サッカー協会の会長やJリーグのチェアマンにメダルをたたき付け、拳を振り上げ憤りを示すかなんて想像もしましたが、そこはスポーツマンで誰も殴りも投げしないで、優勝の喜びをファンに見せていました。


 「結局最後まで選手との話し合いをしなかった全日本空輸という会社への、それが資本主義であっても人間味の無さにはやっぱり哀しい思いが仕切り」。問題はだからリストラする資本の側にあって、そうした会社の無情さというのを今まさに噛みしめている最中でもあって、改めて憤りが浮かんで来ました。振り上げた拳、どこに持っていけば良いのか……。


 そんな波乱で始まった年の1月22日、富野由悠季総監督の新しい「ガンダム」シリーズのタイトルが『ターンAガンダム』と公表されました。バンダイが東京ビッグサイトで開いた春夏商戦向けの新作玩具展示会で集まった人たちに初披露されたものらしいです。忘れていましたが、前年の8月1日にパシフィコ横浜で開かれた「ガンダム ビッグバン宣言」で「Aプロジェクト」というコードネームが語られていたそうです。


 その「A」をひっくり返して「ターンA」。分かりやすいですがどういう意味があったかと考えると、やはりガンダムというものの常識だとか固定観念をひっくり返そうというものだったのでしょうか。だからモビルスーツのデザインもユニーク極まりないものになっていました。


 「シド・ミードがデザインしたところの新しいガンダムは、言うなればローマの甲冑ってとこですか。なんだかお椀を伏せたようなヘルメットみたいに丸い頭部に円形の胴体がついたって感じのデザインが、安田朗さん描くキャラクターデザインの後にドドーンとスクリーンに登場した時にはお兄さんちょっと頭を抱えてしまいました」


 そんな感想がウエブ日記に書いてあります。「でも聞くと立体になったらもうちょっとスリムで格好も良くなるそうなので、実際に登場するまでは判断を留保させて戴きます」。これは当たっていて、アニメの中で動き出したり、模型になった時にはスタイリッシュでスリムなボディラインと、メカメカしい背中のビジュアルに惹かれる人が結構出ました。


 平成31年(2019年)4月27日から令和元年(2019年)5月19日まで、アーツ千代田3331で開催の「シド・ミード展」にはそんな「ターンAガンダム」のデザインに関する展示もあって、なぜ、あの形になったのか、そして、あの形はどうだったのかを改めて感じられるようですので、当時を知らない人、ヒゲだといった噂くらしか耳にしていない人は行って確かめてみると良いでしょう。


 「読まずにいらRenta」というキャッチコピーがテレビでバンバンと流れて、すっかり世間に知れ渡ったパピレスという会社の電子書籍レンタルサービスですが、マンガを専門にしていたのかと思いきや、当初は書籍のオンライン販売がメインだったことをウエブ日記で思い出しました。この年になって「電子書店パピレス」で、いよいよ漫画のオンライン販売も始めると発表。中身はまだレンタルではなく、マンガのデータをPDFにして配信するというもので、見開き2ページ分をディスプレイ上で見られるようになっていたそうです。


 ラインナップは松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』などで、値段は300円から500円といったところ。今のkindleで売られている単行本の値段と、そう差はなかったみたいです。ただPDFであっても当時の貧弱な回戦で、ダウンロードにどれだけかかったかを考えると、利用には二の足を踏んでいた様子です。


 それでも「国際的に人気のニッポンマンガが世界で自由に見られる環境ってのには魅力もあるし、うまく使えば結構なビジネスも開けるような気がする」と思っているところに自分なりの先見性はありました。問題はだから、それをビジネスとして自分で立ち上げられなかったことでそう。だから今……とやっぱり気持が沈んできます。


 逆に、本当のビジネスにしてしまったフジオンラインシステム(現パピレス)は先見性ありまくりでした。当時、東池袋のアニメイトやK-BOOKSが並んだ通りを大塚方面へと抜けて大通りに面したビルの6階にあった、1フロアだけの事務所があって、そこ話を聞きに行きました。


 天谷幹夫代表は以前から取材もしていましたし、前年のSFセミナーにも現れていたそうで、雑談混じりで近況などを聴いたようです。サービス内容から書棚にはマンガではなく小説が多かったようで、「そこに並んだ絶版な本の山に結構グラリと来る。ヨコジュン系が結構あったし森奈津子さんの文庫がだいたいあったし、加えて津原やすみなるヤングアダルト作家の文庫もズラリとならんでちょっと壮観」だったとウエブ日記に書いてあります。「後は出版芸術社の『ふしぎ文学館』がシリーズで全部とか」。研究熱心だったようです。


 マンガのPDFは単行本からスキャンしていたそうで、それでフキダシも読めるものになっていたのですから、サービスとしては十分なものになっていました。電子書籍の販売という事業については、すでに毎月1万冊以上を売っていたそうで、立ち上がったばかりのサービスを求めていた人の多さも伺えます。ただ、宣伝コストに製作コストに運転コストが電子出版にはかかるため、儲かるまでにはまだまだとのことでした。


 作家が自前でサイトを立ち上げ、PDFで自著を販売したとして、すべてが儲けになるかと言えば当時はSNSなどありません。宣伝が行き届かなければ売れず、本屋の店頭に並べてもらって多くの人目に触れる方が数も出るのではといった想像を当時、めぐらせていました。誰もがPCを持っている時代ではなく、スマートフォンというものもない時代。よほどでなければ電子書籍のダウンロードなんてしません。


 そうした時代に、ビジネスとしてとりまとめて書店として押し出し、富士通という大企業のベンチャーといった要素も載せて経済系やテクノロジー系のメディアに取りあげてもらう機会もあったことも、「電子書店パピレス」には追い風に働いたのかもしれません。それでも、続々と巨大資本が登場してAmazonのkindleのようなサービスも出て来た中、マンガレンタルを立ち上げ軌道に乗せたのですから、才知が働いたのでしょう。決断できた人の強み。それが今を支えているといったところでしょうか。それに対して……と言えば詮ないので言いません。


 アニメでは『宇宙海賊ミトの大冒険』にハマっていたようです。「アッパラパーなオープニング(真っ先に渡部高志監督の名前がドカーンだもん)にパッパラパーな音楽で期待もたっぷりに始まった本編は、いきなりの叙情的な展開にアレっと思ったのも束の間、舞台はいきなり宇宙へと飛んで太陽系をひた走る海賊船の中に何故かドーブツな部下が山と載っていた様に仰天至極」したそうです。


 シリアスばやりの深夜アニメにあって、明朗爆笑健全活劇な雰囲気もたっぷりの、お子さまにこそぴったりな作品を放映するのかと憤り、こうした番組こそ夕方に放送して広めるべきだといった意識も浮かべていたようです。それは他の作品にも浮かぶものでしたが、テレビ局が番組として放送するのではなく、枠を売って放送させるアニメがあるんだということを、だんだんと理解していきました。儲けるにはだからパッケージや関連商品を売らなくちゃいけない。でも……といった状況がだんだんと深刻化していった果て、配信という黒船プラットフォームが現れ美味しいところを持っていく、そんな20余年が始まろうとしていました。


 今敏監督の『PERFECT BLUE』に続く映画のタイトルが『千年女優』に決まったという報告がウエブ日記に書かれていました。今敏監督のサイトに書かれていたもので、「愛に生き、逢いに行く」と言うキャッチコピーも添えられていたようですが、後の宣伝で使われた記憶があまりありません。とりあえず付けてみた、といったものだったのでしょうか。スタジオジブリのように展覧会があって、企画書などが出展されれば確かめようもあるのですが……。


 『PERFECT BLUE』を手がけたレックス・エンタテインメントのミスター・レックスこと石原プロデューサーを何かの会合で見かけて、LD2種類にDVDで2万枚が出たといった話も聞いたみたいです。なかなかの売れ行きです。以後も「今村井敏さだゆき的な続く企画もあれこれあるよう」と聞いたみたいですが、レックスはその後、特に目立った活動はしないで親会社の印刷会社に吸収されたみたいです。栄枯盛衰。でも『PERFECT BLUE』を今敏監督に手がけさせたことは、偉業と誇るに値する仕事でした。感謝。


 『スラッシュ・ウイズ・ア・ナイフ』という画集も出て、世間に名が広まり始めた奈良美智の個展に出入りしていたようです。資生堂・ザ・ギンザで始まった展覧会には、ワーカホリックという会社が作った奈良美智デザインのシチズンインディペンデンスが売られていて、クッキー缶に近い大きさのケースに、奈良美智ならではの特徴的なワニ目をした子供が描かれていて、中を開けるとやっぱりジト目でこっちはニヤリと嗤っている子供の顔が文字盤にデザインされたベルト2本付きの時計が入っていました。


 1万8800円の値段でしたが、1000個の限定なんてあっという間に売り切れてしまいそうな気がしたので、奮発して1つ丸ごと買い求めたと日記には書いてあります。そうだったっけ。今いったい幾らになっているんだろうと考えると心躍りますが、置いた場所が分からないので意味が無い。有り余る時間を使って掘り出すしかなさそうです。


 小山登美夫ギャラリーで始まった奈良美智の展覧会では、遊園地にあるコーヒーカップみたいな大きなカップから子供の顔が2つと3つと4つ生えている3体の置物だけが置かれていました。「子供の顔は奈良さんが特徴にするあの額の大きく目のトンがった内なる反抗心に残酷な純粋さを感じさせる子供たちで、真っ白だけに目玉こそ描かれてないけれど、角度と光の加減によってある時は上目遣いに挑発する悪魔的な、そしてある時は瞼を伏せて沈思する天使的な子供の顔になって面白い」といった感想を持ちました。当時はアートをそれらしく語る口も持っていたんですね。


 芥川賞を平野啓一郎の『日蝕』が受賞したようで、三島由紀夫の再来という声へのどうして三島に縋るのか、三島をまた売り出したいだけではないのかといった異論を綴っています。ここから20余年、平野啓一郎は今も三島の再来なのでしょうか。書く物的にどうも違います。キャッチコピーはやっぱり当てになりません。


 朝日新聞で「アニマゲDON」というコーナーが始まりました。「アニメ」に「マンガ」に「ゲーム」の記事を特集で掲載するページで、第1回目のゲストには富野由悠季監督が登場して新作への意気込みを喋っていました。見出しが「『ガンダムの富野』は虚像」とあって、自らの立場を卑下しているのかと思ったら、インタビューのラストにはちゃんと「虚像にね、ついに、ついていこうと思ったんです」と自覚、あるいは開き直りの言葉を発していたそうです。


 当時は、権威のある朝日新聞がポップカルチャーなんてと思いましたが、そのポップカルチャーがメインすら押しのけ日本を代表するものになっている現在、立ち上げてそして続けて来た朝日新聞という媒体の粘り強さを感じます。手塚治虫文化賞なんてものも立ち上げ、運営を続けているのだから凄いというか素晴らしいというか。そうした活動をずっと負い続けていられる担当記者も羨ましい限り。いくら頑張って記事にしても、マイナーな産業専門紙では届かず名も売れず、そしてグループがポップカルチャーから引きつつある中で行き場を失った身として、悔しさを噛みしめるばかりです。


 ほか、『Looker』なる雑誌が『カウボーイ・ビバップ』の表紙だったとか、明石散人に会ったとかいった話もありますがこのあたりで。


平成11年(1999年)1月のダイジェストでした。

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