第12話、堤光生という人と話しハイパークラフト破産の報に触れ岡部淳也のパワーに押されぴえろの海外展開を聞く
【平成8年(1996年)12月の巻】
この月、ついにビデオテープレコーダーがわが家に導入されて、放送されていた『機動戦艦ナデシコ』を録画して見て喜んでいたようです。平日の夕方に放送されるアニメーションも多かったこの時期(『機動戦艦ナデシコ』も毎週火曜日の18時30分から19時)は、深夜ならリアルタイムで見られても夕方では仕事があって不可能で、ビデオ録画が欠かせませんでした。
それを怠ったことで、『新世紀エヴァンゲリオン』はほとんど映像を見ないまま、フィルムブックで雰囲気を掴んだという体たらく。最初に観た映像はアメリカから買ってきた英語版のビデオだったほどで、初期の特撮をアニメに置き換えたような展開を称賛する動きに、乗り遅れてしまった感じでした。今はハードディスクレコーダーにのべつまくなし録画していますが、今度は見切れず選んでいたら流行に取り残されるという事態が発生。ままならないものです。
この月は、ハイパークラフトというCD-ROMショップが破産したという話がありました。主にマッキントッシュ用のソフトを売っていた店にはクリエイターが集い、知り合った人たちでウェブサイト構築の仕事を始めて大きくなっていくような、そんなハブ的な機能も持っていました。渋いタイトルから最新のタイトルまで、ずらり揃えて熱心に販売していた姿勢を気に入っていましたが、ちょっとした本屋とかでも、CD-ROMが買えるようになると、専門店としての価値も薄れていったようです。
ハイパークラフトの安斎哲社長には何度か取材しました。いつも持ち歩いていたハートマンというアメリカのメーカーが作っていたベルティングレザー製のアタッシェケースが気に入って、まねして買ってしまいました。安斎社長は2012年の初頭に亡くなります。伝道師として日本にコンピュータによるクリエイティブの風を送り込んだ人でありながら、その去り際はスティーブ・ジョブズと比べてまるで騒がれませんでした。あの時代のマルチメディア界隈の空気をいつか、掘り起こしてみたいものです。
CD-ROMショップでは、池袋のメディアパレットも数カ月前に店を閉めてしまい、いわゆるコンシューマー向けでないCD-ROMのマーケットの厳しさが、冬の訪れとともにひしひしと伝わり始めていたようです。そうした中、ソニー・ミュージックエンタテインメントに行って、マルチメディア本部に名称を変更した元ニューメディア本部の堤光生本部長に近況を聞いていました。
加山雄三率いるランチャーズのギタリストとして活動し、ソニー・ミュージックでは洋楽ディレクターとしてシカゴやサンタナ、シンディ・ローパーといった人気アーティストを手がけていた堤光生本部長は、1990年台に入るとデジタルメディアの分野に居場所を移し、数々のマルチメディアタイトルを送り出しました。若い才能を引っ張り出すDEP(デジタル・エンタテインメント・プログラム)を開催して、そこから『東脳』『天誅』『クーロンズゲート』といった作品や、CGデレクターの笹原和也、マンガやイラストで活躍する西島大介といったクリエイターを送り出しました。
そんな堤本部長と、最初はちゃんとデジタル関係の話をしていたのに、いつの間にか雑誌「月刊ニュータイプ」の巻末に掲載されている江川達也のイラストの女の子の足が良いとか、「CUT」の裏表紙前に掲載されているWARPの『エネミー・ゼロ(E0)』の広告は日本のセンスじゃ出来ないといった話題で盛り上がりました。当時はネットでキャリアを調べて、洋楽の凄い人なんだと気づくこともなかったので、そちらの話題をあまりしなかったのが悔やまれます。こちらも2013年に死去。ご存命のうちに洋楽だけでなく、マルチメディアの勃興から拡散へと至った経緯をどう見るか、話したかったです。
この月は、吉野朔実が「本の雑誌」に連載している漫画コラム『お父さんは時代小説が大好き』がいよいよ本になって刊行されました。大好きなマンガ家が大好きな本について語った本が面白くないはずはなく、人気となって連載も続き何冊もの本にまとまりましたが、その吉野朔実も2016年に死去。『悪魔が本とやってくる』まで続いた「吉野朔実劇場」をひもといて、語られた本について読んでいきたいものです。
こちらは今まさにブラストという会社を率いてかっ飛ばしている岡部淳也という人に会いに行った話もありました。当時はまだビルドアップという会社を率いていて、前夜に飲み明かしてほとんど寝ていない状態ながらも、しゃべり出したら速射砲のようにアメリカや日本のエンターテインメント業界の表話ウラ話を語ってくれたようです。何が話されたかは覚えていませんが。
10代の頃からガレージキット業界で活躍していただけあって、30歳を少し過ぎただけでわたしと同じ年でありながら、すでに大物といった面もちを見せていたようです。当時から型破りな言動が多く、敵もいそうだったけれど、「最後はモノがモノ言う業界だけに、ちゃんとモノだけ作っていれば、味方もどんどん出来るみたい。でなきゃ日本を飛び出して米国で仕事なんか出来やしないし、米国で成功なんか絶対に出来ない」といった印象をウェブ日記に書きました。
「もちろん10年後に、誰がどーなっているかなんて、今の激動の世の中、いっさい予想はつかないけど、ビルドアップあるいは岡部社長個人は、10年たってもやっぱり激しく厳しいモノいいをしながら、しっかりとしたモノを作り続けているんじゃなかろーか」。これは当たりました。むしろ想像の上を行ったかもしれません。対して「しょせんは言葉使い師の新聞屋にとって、やっぱり見習うところ多し。まずはモノ作りの心を知るために、ガレキ作りでも始めてみるか」と書いたわたしは、手に何も得ないまま世間の荒波へ放り出されようとしています。ガレキを作りを極めるなら早く。決断をするならその瞬間に。今さらながらそう思います。
この月はほかに、アニメーション制作会社のスタジオぴえろ(現在ぴえろ)に行って当時の布川ゆうじ社長に取材していました。ネットを使った海外展開の可能性について伺ったようですが、自分ところのアニメ作品をピーアールする手段としては利用価値があり、海外の人が見てどんな感想を持ってくれるのかを知るだけでも意味がある、といった認識を当時は示してくれました。
布川社長は、アジアでは日本のアニメが昔から受けいたものの、米国はシンジケーションがしっかりしていて、飛び抜けた作品は別にして一般的な作品ががんがんとネットワークで流れる環境にはほど遠いといった認識を、当時は聞かせてくれました。それでもぴえろでは、『るーみっくワールド』や『エリア88』といったアニメの英語版を米国に持って行き、浸透に努めました。
後、クランチロールが登場し、NetflixにAmazon Primeがサービスを広げ、日本のアニメが海外に出て行きやすくなっている今、当時とは違った問題が持ち上がっているのか否か。その辺りを聞いてみたいところですが、そういう立場から外れてしまいそうな身に機会はありません。どなたかチャンスを。そういう待ちの姿勢が悪いのかもしれませんが。
そうそう、この頃はまだ、ライトノベルではなくヤング・アダルトという言葉を使っていたことが分かりました。森岡浩之の『星界の紋章』から始まるシリーズについて「森岡さん渾身の『星界』のシリーズは、今のSF的作品の商業的主流を占めているヤング・アダルトの作品群と、充分にタメを張った売れ行きを確保できる素材だと思う」と書いています。
「ヤング・アダルトではお馴染み『天地無用!』シリーズの最新刊『天地無用!魎皇鬼 よいこの生活編』(長谷川菜穂子、富士見ファンタジア文庫、500円)と、樹川さとみさんの『緋面都市』(角川スニーカー文庫、600円)を購入」とも。ライトノベルを使い始めるのはいつからなのか。日記を掘り返しながら調べてみようかと思います。
平成8年(1996年)12月のダイジェストでした。
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