原作の呼び鐘 その2
田舎の噂話は風より早く、風より遠くまで伝わると言うが、それは噂話に限った話だ。
重要な情報ほど伝わらず、そして日数が経過してからようやく届く。
今回の公爵閣下事故死の報についても、情報が解禁されたからこそ伝わったと見て良い。
まず内々で処理し、隠し切れなくなったか、あるいは他に理由があって公表したと見るべきだ。
何しろ、これはグスティンによる謀殺である。
この約二年という時間を使い、順調に準備を進め、そして決断に踏み切った筈だ。
全てが計算ずくで行われたに違いなく、ならば公表についても同様と考えるべきだった。
問題は、実際の死亡よりどれだけ時間が経っているか、だ。
父は知らなかったろう。
知っているなら、家中はもっと騒ぎになっている。
外部に漏らせない内容とはいえ、事が事だ。
鋼の精神を持っている訳でもないのに、普段と変わらぬ様子を続けられた筈もない。
元より、謀殺を決意された時点で、我が伯爵家は公爵家から弾き出された関係だ。
情報を遮断されていたのは、不思議でも何でもない。
そして、今それを知ったからには、葬儀も大体的に行われる予定も組み上がっているだろう。
エレオノーラやクリスティーナ夫人も、本邸へと呼び戻される筈だ。
それ自体は喜ばしい。
彼女たちは檻からの開放を望んでいたし、グスティンもまた救出を望んでいた。
彼女たちは既に、報せを受けているだろうか。
グスティンならば報せていても可笑しくない、と思う一方、全てを終わらせた後で報せるかもしれない、とも思う。
今まで冷遇され、狭い邸に押し込められ……しかし、開放された直後の舞台が葬式、というのも辛いものだ。
本当に事故死だったのか、そうした噂話も飛び交うだろう。
社交の場に出る事にもなり、悪意を薄いヴェールで隠した台詞を向けられてるのも想像に難くない。
グスティンならば、憐れな境遇で生きた二人を、まず
だが、
今まで鳥籠の中に押し込めていたとはいえ、生かしていたのは公爵夫人という立場があってこそだ。
社交界から切り離し、閉じ込めていた事もそれ自体は醜聞に違いない。
檻に閉じ込めた当人は、緩やかな極刑のつもりだったとしても、謀殺の噂が立つよりは良い、という判断だった。
だが、その夫人としての価値が暴落したとして、果たして見逃したままにするだろうか。
――考えすぎだと良いけど……。
原作において、クリスティーナ夫人の死因は明らかになっていない。
ただ、グスティンが迎えを出した時には、既に死亡していたと読者は知らされただけだ。
死んだ理由も、葬儀についても、何一つ知らされていなかった。
そういう話であった筈で、死亡時期について何一つ明確にされていなかった。
……読者としては、その情報だけで十分だ。
グスティンの悲運と非業を伝えるものでしかなく、それ以上の意味なんかなかった。
――クリスティーナ夫人はいつ死んだのか?
肺炎が原因だった、とその時は思った。
薬もなく、介護してくれる使用人もおらず、そのまま病に倒れ、亡き人になったのだと。
だが、もしかすると、理由は別にあったのかもしれない。
肺炎からは自力で回復し、その後別の理由で亡くなったのかも……。
――例えば、謀殺などで。
女主人が公爵家を支配し、家中全てを監督し、意のままに出来るのは本来、現公爵の正妻のみ。
クリスティーナこそが、その権利と権威を与えられるべきなのだ。
それを追い出し、公爵が良しとしたから許されていたのであって、現状の方が是正されるべきだった。
それをグスティンが爵位継承と共に、あるべき形に戻そうとするのは至極当然の事だ。
グスティンは当然妻を持たないので、その母が継続して地位を授かる。
形式として正しく、そして、そうあるべきと主張するだろう。
しかし、それを
クリスティーナ夫人さえ消してしまえば安泰、と考えたりしないだろうか。
そして、実の死因が
思わず拳に力が入り、きつく握りしめる。
そこに横からカーリアが、顔を覗き込みながら言ってきた。
「お嬢様、怖い顔されて、どうしたんですか? トイレ我慢できないんですか?」
「何でそうなるのよ! 違うわよ! いいから行くわよ!」
「トイレぐらい一人で行ってくださいよ」
「だから、違うって言うの! 行くのよ、別邸に!」
並々ならぬ態度のせいか、オルガスからも言葉が飛ぶ。
「お待ち下さい、お嬢様。別邸に行くのはともかくも、何故そのような急に……。そちらで何かあるのですか?」
「ある
「それはつまり、
自ら危険に飛び込もうと言うのだ。
家令として、それを止めようとするのは当然だった。
それに、自分でも言ったとおり、これから事が起こるかも不明で、仮に起きても何日先になるか分からないのだ。
グスティンから迎えが来るまで、片時も離れずに居られる訳でもない。
だが、黙って傍観するだけは論外だった。
「じゃあ、私兵に警護……は、駄目ね。公爵家の許しなく、勝手に兵を配置できる筈ないもの。そもそもが接触、接近禁止の前提もあるし……いや、危険があるならグスティン様は既に察知してる? 勝手に防衛までさせている可能性も……?」
何しろ、私が考え付いたくらいだ。
母に危険が迫る可能性を、一切考慮していないとは思えない。
もしかしたらの可能性を排除出来ず、先に兵を配置するぐらいの事はしていそうだ。
――単なる勇み足でしかないのかも。
よくよく考えてみれば、その可能性の方が高かった。
万全の状態で
その筈だ。
そう思えるのに、どうしても不安が消えてくれない。
グスティンならば、グスティンだから、頼りになる家臣団だっているのだから――。
考える程に安心材料が積み上がっていく横で、同じ様に不安な思いが重なっていく。
杞憂でも良い。
勇み足であっても良い。
確認するだけ、見て安心するだけで良いじゃないか。
自分で自分の心にそう決着を付けると、ソファーから立ち上がって宣言する。
「やっぱり行く事にするわ。そもそも考えるばかりで行動しないって、あたしの性に合ってないのよね」
「しかし、お嬢様……! お嬢様ご自身で危険と考える場所に行こうなどと! 到底、看過できる事ではございませんぞ!」
「そうは言うけど、あくまで最悪を考えた場合であって、むしろ危険はないと思うのよ。……因みに、公爵家から兵の配置について打診はあった?」
分家とはいえ、他者の領内に対する事だ。
事後承諾であろうと、一応筋は通しておく必要はある。
武力を投入しようというのだから、そこは尚更だ。
だから、全て計算どおりであるなら、その打診もあると思ったのだが――。
オルガスは重苦しく首を左右に振った。
「そういった連絡は受けておりません。後から一報入れて、それで済ませるつもりの可能性はありますが……」
「そうなのよね……。あちらからすると、それで十分義理は果たしているし……」
だとすれば、やはりこの目で直接確認するまで、安心する訳にはいかない。
本当に警備兵が配置されているなら、遠目からでも分かる筈だ。
「うん……、やっぱり確認だけはしておきたいわ。危険な事はなるべくしないって約束するし、護衛にはカーリアもいるんだから」
「しかし……」
セイラの身に危険が及ぶ事を考えれば、オルガスが頷く理由はない。
確認だけで済ませるつもりなら、それこそカーリア一人を派遣すれば済む話だ。
遠目からの確認というなら尚更、便利遣い出来る他の誰かでも良い。
だから、理屈で責められるより前に逃げ出す事を選んだ。
サッと身体を翻し、引き留めようと立ち上がるオルガスへ、困ったような笑みを浮かべる。
「もしもの事を考えたら、現場判断できる人が行った方が良いでしょ。万が一に備えて、責任取れる誰かがね」
「やはり危険があるのですか……!?」
「可能性の話よ。それに、状況的に問題行動と取られる場合もある。接触禁止を破らず、何とか上手く解決しろなんて、無茶振りも良いトコでしょ」
それだけ言って、何かを言われる前に執務室から飛び出した。
カーリアも後から付いてきて、背後からはオルガスの呼び止める声が聞こえて来る。
それを無視して自室へ戻った。
素早く村娘風の衣装に着替えると、いつもの慣れた手段で部屋の窓から飛び出す。
中庭の土へと魔力を通し、すべり台の要領で形作ると、その上をサーフィンする様に滑った。
しかし、今はまだ春の兆しを感じ始めた頃合い。
土には雪解け水が多分に混じり、水分と土の比率が近い。
途端に制御が複雑になり、悪戦苦闘するとはやった後に気が付いた。
泥濘から水分だけ抜いて、そのあと土だけ動かす方が楽なのだろうが、飛び出した後ではそこまで悠長にしてられなかった。
「かーっ、面倒くさっ! 雪解け時期ってこれだから嫌いよ! 草も全然ないし!」
「そんな事よりお嬢様、危険って本当なんですか?」
「そんな事って……! まぁ、いいわ。そうね、あくまで可能性の話。グスティン様がどこまでも抜け目ない人なら、単なる杞憂で終わる話よ」
「私はグスティン様を良く知りませんから、何とも言えませんけど……。お嬢様としては、飛び出すくらいには危険と考えている訳ですよね?」
カーリアの目からは、その様に見えていたとしても仕方がない。
だが、あくまで保険的意味合いに過ぎなかった。
一年を通じて、エレオノーラ母娘とも仲良くなった。
単なる杞憂と鼻で笑い、それで失う事になるぐらいなら、自分で納得できる行動を取りたい。
そう思えるだけの情がある。
「……グスティン様は優秀な方よ。勤勉で有能、情報を整理し決断する能力がある。リーダーとしての資質に長けた方ね」
「でも、任せる事はしないんですね。吉報を待つだけで済まさない、と……」
「彼の部下も優秀で、一人一人頼りになるけど、それって政務方面に限定した場合なのよね。政治的……打算的? いえ、どれも違うわね。合理に従った考えなら先読みできる。でも、後先考えない、女のモウシツってヤツを計算に入れられないタイプ」
「あぁ、計算に長けた人達だから、計算外からの行動に弱いと考えた訳ですか」
互いに走りながら門から出て、背後からオルガスの止める声から逃げつつ頷く。
「あくまで可能性の話よ。笑い話に出来たら良いって類いのね。でも、どうにも胸騒ぎが収まらない。笑い話で済ませたいわよ、あたしだって……!」
道は領都へと繋がる本道以外、未だ整備されていないのが現状だ。
土が剥き出しで、雪解け時期は特にぬかるんで走りづらい。
焦る気持ちばかりが先行し、何度も滑って転びそうになる。
その度に泥が跳ね、靴やスカートの裾が泥に塗れた。
チラリと後ろを見てみれば、どういう魔法を使ったものか、カーリアは全く足を滑らせる気配がないし、泥の一粒さえお仕着せに飛び移らせていない。
それを見て、得意分野を駆使すれば良いと思い立つ。
さっそく魔力を周囲に撒き散らし、周囲の草へと魔力の糸を通した。
それで付近の雑草があっという間に育ち切り、次いで形を変えて交わり合う。
次第にそれはカヌーに良く似た形を取り、こちらの足元に滑り込んで来た。
手際よく飛び移って、足元と前方の土に限定して魔力を流す。
畑の土を動かすのと同じ要領で地面を後方へと動かし、土の上をまるで坂道の様に滑っていく。
「あら、楽そうで大変結構ですね」
言うや否や、カーリアも乗り込んで来たお陰で重量が増し、顔に渋面を浮かべる。
楽そうに見えるのは、その見た目だけだ。
実際は絶え間なく、草カヌーと地面に魔力を流しているわけで、走るよりも余程疲れる。
しかし、それに嫌味を言う手間と時間が惜しかった。
今はぬかるみがあるお陰で滑りが良く、摩擦抵抗の少なさ故か、予想より負担は少ない。
その分、魔力を増やして回転数を上げてやれば、あっという間に馬より早い速度で街道を駆け始めた。
気分を良くして、遠方を睨むように見つめる。
これなら、到着まで小一時間も掛からない。
逸る気持ちを抑え付け、魔力の制御に集中し、ただ真っ直ぐ別邸を目指した。
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