そして思いは結実する その6

「確かに、見事なものだと思う。ここまで華々しく領内を管理、繁栄させられた人物は、実に稀ではないかな」


 グスティンが褒めるとフレデリクは憎々しく、オルガスは誇りに満ちた表情を顕にした。

 しかし、話はそこで終わりではない。


「だがセイラ嬢は、己に権限が無いと知りつつ、領政を執り行った。それは悪しき事だ。身分に伴う責任とは、軽々しく扱う事を許されない。それは権威の失墜であり、領主を叙任する我々をも愚弄する行いだ」


「お、お待ち下さい、閣下……!」


 唐突に旗向きが代わり、今度はオルガスの顔が青くなる。

 フレデリクからは醜悪な笑みが、口元から漏れた。

 目付きは血走っており、姿は見えないまでも、セイラを視線で呪い殺そうとするかのようだった。


「閣下、しかし、旦那様は領政を放棄しておりました。私に全てを投げ出し、代行させておったのです。その理屈で言えば――」


「代行させるという言質はあったのだろう? お前が勝手に始めたのではなく、やれと命令があった筈だ。それとも、見るに見かねた結果やった事か」


「それは……」


 オルガスが思わず目を逸らす。

 明言こそしなかったが、何を意味するかは明らかだった。


「越権行為は重く受け止められなければならない。この場合、正当な領主が非難し、離縁を申し付けたのは順当と言える。それに――」


「閣下、お待ち下さい」


 声を遮って、話し掛けたのはスヴァンだった。

 沙汰の内容に対するケチではなく、問題の発覚を察知して声を掛けた。

 グスティンが向けた視線に釣られて見てみれば、そこには何十……あるいは百を超えるかという村民が屋敷の前に集まっていた。


 公爵家の馬車があり、そして屋敷を囲む騎士の姿もある。

 それでも臆せずやって来るというのだから、尋常でない事態を意味していた。


「何があった」


「陳情……であるかのように見えます。彼らの手に、武器や農具は見当たりません。伯爵に用があるのか、それとも閣下にか……。追い返すのは容易でありますが」


「いや、聞こう。代表者を連れて来い」


 グスティンが命じると、近くで控えていた騎士が敬礼して、その場を離れる。

 正門近くで何やら言い合っていたが、しばらくして二名の男性を連れて来た。


 一人はまだ若く三十代と思しき男性で、もう一人は壮年の、顎髭を蓄え顔にシワが刻まれた老人だった。

 それぞれの両端に騎士が立ち、十分な距離を離して膝を付かせる。


 不穏な真似をすれば、立ち上がる前に切り殺せる距離だ。

 グスティンは小さく頷いて、二人へ交互に目を向けた。


「代表者を連れてこいと言ったが……」


「どうしてもと言って引きませんでした、申し訳ございません! この両名から話があるとの事です!」


 騎士が一礼すると、男二名も続けて頭を下げる。

 そして、頭を下げたまま、緊張した声音で叫ぶように言った。


「わ、わたしどもは! どうしても、こ、公爵様にお願いしたい事があって、参りました! 近隣の葡萄村を代表し、声を聞いていただきたく!」


「どうか、お願いします!」


 どうやら年嵩の方が村長であり、その付添としてなのか、若い男性がいるようだ。

 本来なら村長一人で済む話だと思うが、どうしても引かなかったというのなら、この若い男性こそが代表なのかもしれない。


 村長は万が一の場合、責任を取るため同行した可能性がある。

 グスティンは若い方へ顔を上げるよう命じた。

 そこには強く挑む気配があり、物怖じしつつも負けられないと思う瞳が輝いていた。


「名前は」


「ヨーンであります、公爵様!」


 礼儀も礼節も知らないのは、この際問題にならない。

 不慣れな敬語でも、自分に出来る精一杯を果たそうとする気概は好ましく思えた。

 だから、グスティンは敢えて指摘せず、会話を続けた。


「何をしに来たか、理由を聞こう」


「あ、ありがとうございます! セイラちゃ……お嬢様の助命嘆願と、領地追放を取り下げて頂きたくて来ました!」


「助命……? 誰も殺そうとはしていない」


「そ、そうなんでございますか……。すみません、騎士様達が大勢いたもので、勘違いしてしまいました」


 武器を掲げて殺気立っている訳でもなく、あくまで逃亡防止の為に包囲させた騎士達だ。

 しかし、外から見ればその意図まで汲めるものではないだろう。


 その勘違いに対しても、不問にするのは問題ない。

 グスティンは面白そうに口元を緩め、再びヨーンへ問い掛けた。


「しかし、領地追放の撤回か……。離縁についてはどう思う。そちらは良いのか?」


「い、いえ! そちらも、勿論……! して頂ければと思います!」


「随分と多くを望むな。――何故だ」


 鋭く短い質問に、ヨーンは一瞬面喰らう。

 だが、視線に力を乗せ、腹に力を入れて声に出した。


「そ、それは……! セイラ様こそ、我々の領主だからです! あの子じゃないと――あの方が、我々を豊かにしてくれました! 未来に展望を抱かせてくれました! だから……」


「しかし、セイラ嬢は領主ではなかった。にも関わらず、領主の真似事をしたのだ。お前たちは情で語るが、政とは情で動かしてはならない。離縁は順当と言える」


「でも、セイラ様でないと駄目なんです! あの人は俺らと同じく、土に汚れて働いてくれた! 誰より村民に近くて、誰より大事にしてくれます! 他の貴族じゃ……」


 なるほど、と呟いてグスティンは頷いた。

 ヨーンはそれに希望を見出して表情を和らげるが、グスティンが捕らわれたフレデリクへ目を向けると、それに釣られてヨーンの視線も動く。


「あれが正当な領主だ。助命嘆願はしなくて良いのか?」


「何でそんな事しなくちゃいけねぇんですか。セイラちゃ……様が苦労したのだって、あいつが何にもしないからだ。一度も村に来た事もない癖に、よくも領主なんて……!」


「そうか、一度も行った事はなかったか。……当然だろうな。行っていれば、帳簿の数字と差異に気付けただろう。更に北へ足を伸ばせば、大規模工事をしているとも気付けた筈だ。自分の預かり知らないところで、何かが起きていると」


 だが、実際には何も知らなかった。

 グスティンはフレデリクへ冷めた視線を送る。

 初めから分かっていた事だ。


 帳簿を眺め、ダメ出しするだけが仕事だと思っていた男だ。

 それを酔った勢いで自慢気に話していたと、部下から報告された事もある。


 では、代わりの繁栄を誰が行っていたかなど、考えずとも理解できる事だ。

 セイラの聡明さを理解していれば、更に容易い。


「セイラ様は、オレ達の希望なんです! もうとっくに、あの方はオレ達の領主だった! どうか、それを取り上げないでください!」


「どうか、お慈悲を……!」


 ヨーンと村長、二人で地面に額を擦り付けて乞い願う。

 その頭へ、頭上からグスティンの声が落ちた。


「お前たちの意見は分かった。……しかし、離縁の解消はしない。彼女は永遠にバークレン家へ戻さない」


「そんな……」


 ヨーンがガックリと肩を落とし、自分の無力さに身体を震わせた。

 フレデリクからは哄笑が上がり、愉快で堪らないと身体を震わせる。

 実に対象的な二人だった。

 そこへグスティンの冷たい視線が射抜く。


「満足そうだな、フレデリク。お前には余罪もたっぷりある。牢から出られるとは思わぬ事だ。そして、その妻にも責を負って貰う」


「へ……?」

「は……?」


 唐突に水を向けられたビルギットは面食らい、娘のマルグリット何故と呆けた声を上げた。


「貴族の罪は連座が基本だ。お前たちも当然、その罪を償う事となる」


「お、お待ち下さい、閣下……!」


「異論は受け付けない。娘の方はまだ八歳、こちらに母と同じ責まで問わないが、養子に引き受けたい家が無ければ修道院行きだ。貴族社会で生きるお前たちが、それを知らないとは言わせない」


「で、ですが閣下!」


「財産は全て没収だ。同じく投獄されるか、働くか、お前は選ばなければならない」


 ビルギットは顔を青くさせ、悲鳴を呑み込んだ。

 まだ幼い娘の方は、何を言われているか分からず目を点にさせている。


「は、働く? わたくしが……? 娘が、修道院……?」


「当然だ。フレデリクが作った借財を、返済しなくてはならないからな。家族の作った借金だ、お前たちが返済しろ」


「で、でも、本当は我が家にはお金があったのでしょう!? アレが! あの娘が小麦だの何だの作って!」


「だから、それは既に没収されている。家を取り潰されるとは、そういう事だ。仕事の斡旋はしてやろう。無体な場所へは送らない。今、小麦はどれだけ作っても足りるという事はないからな、人手は喜ばれるだろう」


 ビルギットは今度こそ悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちてしまった。

 自分の身の上に起こった事、これから起こる事が受け入れられず、半狂乱になっている。


「土に汚れて働くだけだ。王都の路地裏で泥水を啜るより、余程マシな生活が出来るだろう。セイラ嬢とて、土に汚れて働く事を厭わなかったという。お前にも出来ぬ道理がない」


 その一言が、天啓であるかのようだった。

 ビルギットが金切り声を上げては、人差し指を突き付け指摘する。


「そう、あの娘は! あの娘にも責任がある筈です! 何よりあの者をこそ働かせ、借財を返済させるべきでしょう! 権威を蔑ろにした不埒者! あの者のせいで、こんな……!」


「セイラ嬢はこの件に関係ない。彼女は離縁されたのだ。フレデリクが作った借財も、それを返済する義務も生じない。言ったはずだな。一度決まった離縁だ、復縁は許さん」


「あ、あ……!」


 ビルギットはそれ以上声を紡げず、顔面からは表情が消えていた。

 ぼとりと落ちた腕が、力なく床に垂れた。

 魂が抜けたように呆けてしまい、娘のマルグリットもその腕に縋って泣いている。


「追って沙汰を渡す。それまでに身辺を整えておけ」


 そう言うと、騎士に命じてフレデリクを連行させる。

 だが彼は、一人で立ち上がる気力もなく、引き摺られていくがままだった。


 メイドを始めとした使用人は、余りに突然の事でどうしたら良いか分からないようだ。

 その中で一人、オルガスは自分の沙汰を待ち受ける罪人の様に、背筋を伸ばして起立している。

 そんなオルガスに、グスティンは変わらぬ表情で語りかけた。


「爵位は剥奪。領地と財産も没収……いや、こちらは一時公爵家の預かりとする。その後、相応しい領主を定め、与えようと思う。その者に仕える意思はあるか」


「は……! 御家が亡くなりましょうとも、領民を守るべしと、お嬢様から命を受けておりますれば。拾った命、その為に使用したくございます」


「結構。一つ浮いた伯爵の爵位、それはスヴァンの陞爵しょうしゃくにて当てようと考えている。そうなると、今度は子爵位が一つ空位になるな。それは相応しい領主に当てられるべきだろう」


「は……」


 それならばそれで、男爵位を持つ誰かを、子爵へ上げるなどすれば良い。

 その使い道は多く、良くしている部下などに、褒美として授けるのが順当なところだ。

 実際に、伯爵位はそうした理由でスヴェンへ与えられる。

 あるいは功績持つ者へ、新たに叙任するのも一つの手と言える。


「考えるに、それに相応しいと思える人物は一人しか居ない」


「では……」


「セイラ嬢には、新たに家を立てさせる。そうして、旧バークレンを引き継いで貰おうと思うのだが……、どうだろうか」


「そ、それを許して頂けるなら、是非もない事でございます!」


 オルガスが感涙に涙し、腰を深く曲げて一礼した。

 それまで呆然としていた村長とヨーンもまた、感動と感謝の涙を浮かべてグスティンを見ている。


「公爵様……! なんと、何と言って良いか……!」


「順当な沙汰だ。彼女は良くやってくれた。これからも良くやって貰いたい」


「然様でございますな」


 スヴァンが朗らかに笑って言った。


「セイラ嬢のご才知、野に捨てるには余りに惜しい! 奥方様からも、またエレオノーラ様からも、良くしてやって欲しいとの願いに適います。大変、よろしい事かと」


「……うむ」


 視線を少し横に逸らして、グスティンも首肯する。

 そして、騎士を選抜して命を発した。


「セイラ嬢を探せ。女一人の足だ、そう遠くまでは行ってない。必ず連れ戻すのだ」


「ハッ!」


「決して手荒な真似はしないように。彼女は己を罪人だと自覚しているだろう。逃げる筈だ……しかし、忘れるな。セイラ嬢は母と妹の恩人、私にとっても恩人である。不埒な扱いは許さない。客人として遇する事を、肝に銘じろ」


「ハッ! 確かに、承りました!」


 騎士は敬礼すると踵を返し、正門へと駆け足で戻った。

 何やら指示する声が響き、騎馬兵が小隊単位で道の左右を疾駆していく。

 離れていく馬蹄の重音と共に、グスティンは空を見た。


 今もきっと心細く、心寒い思いをしている筈だ。

 全てを捨て、全てを失ったと思っているだろう。


 だが同時に、彼女が離縁という手段を取った所に狡猾さを感じていた。

 家の損得と切り離す事で、自らの身を守る……。


 それはグスティンの沙汰次第で無意味になるかもしれなかったが、もしもの可能性に賭けていた可能性がある。

 そして、その沙汰を下すのがグスティンであれば、賭けの勝率も高いと見ていた筈だ。


 その彼女に、少しでも早く暖かな報せが届くと良いと思いながら、グスティンもまた、帰路に着くべく正門へと足を向けた。

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