そして思いは結実する その5

「お前に覚えがないとは言わせない。公金を横領し私的利用に用いた横領罪、領内の罪人を財貨でもって赦免する収賄罪、またそれに付随して領内管理を放棄した怠慢、いずれも看過できない」


「そ、それは……! 誤解です、閣下!」


 フレデリクは往生際悪く抵抗しようとしたが、両脇から騎士に動きを封じられている為、僅かな身動ぎも出来なかった。


「お前の逮捕はモノのついでだが、初めから決まっていた事だ。父の代で作った膿は、私の代が始まる前に全て出し切る」


「閣下、私は決して怠慢などしておりません! ……そう、領内の経済は上向いておりました! どの領もこの寒冷で、苦しい所を我が領だけは持ち直していたのです。それは正に、領主として仕事を全うしていたからに――」


 咄嗟の思い付きにしては、悪くないと思ったらしい。

 フレデリクの主張は尤もらしく聞こえた。

 周辺の領も厳しい天候が続く中、その経済を低迷させていたのは事実だ。


 そして、多くが右肩下がりを余儀なくされる中、バークレン領は逆に持ち直していた。

 それは怠慢で領政を放棄していたら、決して成し得ない事でもある。


「なるほど、持ち直していた……? それはいつから? 具体的な数字は?」


「勿論、分かっております!」


 それまで蒼白だったフレデリクの顔に、赤みが差して会心の笑みが浮かぶ。

 口から出任せではない、具体的な数字を知っているからこその笑みだった。


「五年ほど前から黒字化し、そこから約三から五%上向きが続き、今ではそこから比較して十%もの……」


「あぁ、お前が何も知らないのだと、良く分かった。何一つ務めを果たしていない事もな」


「お、お待ち下さい! 何も間違った事も、黒字化が虚偽であるとも言っておりません! 帳簿が! 確かに領内の経済を纏めた帳簿に記されておるのです!」


「その言葉だけで、既に信じるに足ると思えない台詞だが……」


 フレデリクの抗弁と仕草から、虚偽を言っている様には見えない。

 だからこそ、グスティンは憐れに見えた。

 そして、聡明なセイラが何も手を打っていないと、グスティンは微塵も思っていなかったし、またそれが事実だと知っていた。


「閣下、確認してくれれば分かります! 我が家の帳簿を――!」


「ふん、いいだろう。では、今すぐ用意せよ」


「既にここへ」


 六十を過ぎた総白髪の家令オルガスが、規律正しい姿で一礼し、手に持った物を捧げてみせた。

 グスティンがそれに頷くと、早すぎない歩調で近付き、傍らのスヴァンへと一礼してから渡す。


 スヴェンが中身を簡単に改めてから頷きを見せると、オルガスは一礼して元の位置へ戻って行った。

 そしてスヴァンがグスティンへ捧げ渡すと、数字を目で追って行き、満足そうな息を吐く。

 それでフレデリクも誤解が解けたのだ、と安堵の息を吐いたが、グスティンから出た言葉で表情を凍らせた。


「お前が口にした数字は、全くのデタラメだと分かった。逆に、当家へ報告されていた数字とは一致する。やはり、お前は何も知らず、ただ怠慢であったのが証明されたな」


「そ、そんな……! そんな筈は!」


「ところで訊きたい。どうして他領に比べ、バークレンは上向きになれたのだ? どうした施策で、これ程までの結果を?」


「そ、それは……」


 フレデリクの目が泳ぎ、赤みの指した顔からサッと色が消える。


「他領とて指を加えて眺めていた訳ではない。元に戻そうと努力していた筈だ。しかし、どの領も芳しくなかった。農作で生計を立てている領は、特にそうだ。――お前は何をした?」


「……それ、は……領民を、鼓舞し……」


「そうか。頑張れと、領民の肩を叩いて励ましてやった訳か。実に殊勝な心がけだ」


 声音は冷たく、それ以上にフレデリクを見つめる視線は冷えていた。

 努力すれば実りが増えるなど、夢物語に過ぎない。


「領内を視察していたなら、当然分かっていた筈だな。どの様にバークレンが豊かになったか」


「は……」


「意地悪は止めておこう。何より時間の無駄だ。……いいか、バークレンの利益率は五年前と比べ八十%を超えている」


「ば、馬鹿な!」


 堪らず顔を上げて叫んだフレデリクに、表情を変えないままのグスティンが頷いた。


「馬鹿な事を言ったな。五%から十%……? それどころではない。バークレン領は他と隔絶した、比べるのも烏滸がましい成長を遂げた。これからも尚、成長すると見ている。領民を鼓舞した程度で、どうにかなる数字ではない」


「そんな、そんな筈……! 大体、帳簿には……!」


「確かに、お前が見ていた帳簿とは、随分違う数字であるようだ。だが、帳簿を見ていた事すら嘘とは思えない。……誰か、どういう事か説明しろ」


 グスティンがオルガスへと視線を向けると、一歩前に出て一礼する。

 背筋が伸びた、全く悪びれもしない堂々とした姿で回答した。


「旦那様には、内容を調整した帳簿をお見せしておりました。正しい数字は見せるなと、お嬢様からの指示です」


「それは何故か」


「あればあるだけ、賭博に浪費するとお考えだったからでございます。多少上向いて見せるだけで機嫌を直す。それで満足して貰おう、と……」


「納得できる話だ。領主――主人が賭博狂いだと、苦労するな」


 これにオルガスは返事をせず、ただ頭を下げるのみだった。

 賭博狂いだったのは前公爵も同じだ。

 同意してしまえば、そちらに対する批判にもなる。


 よく弁えた家令だと、グスティンは少々見直した。

 だが、そこにフレデリクの一喝が横槍を入れる。

 歯を剥き出しにして、身動きできないながらにオルガスを睨み付けていた。


「どういう事だ、貴様! アレの指示だと!? 主人が誰かを理解していないのか! 謀るなど一体、どういうつもりだ!」


「領民は領主の奴隷ではありません。まして、私財を湯水の如く使い、借財を積み上げ、政務すら行わない者を主人として扱えません」


「き、さまぁぁ……!」


 フレデリクは魔力を練り上げようとしたが、それより前に騎士が強く腕を引っ張り、肩を押し込む。

 苦痛で呻き、集中力を欠いた魔力は、それで一気に霧散した。


「ゆ、許さん……! 許されると思うな、貴様……!」


「無論でございます」


 オルガスはその場に跪き、グスティンに向けて頭を下げた。

 片手を胸に当て、深く下げた事でその首筋までも顕になる。

 それは全面的な謝意と、如何なる沙汰でも受け入れるという表明でもあった。


「越権であるのは百も承知のこと。お嬢様に申し付けられた事とはいえ、非は全面的に私にあります。どうか、この首一つでお嬢様をお許し頂きたく……」


「それには及ばない。――立て」


 グスティンが変わらぬ声音で言えば、どうか、とオルガスは更に頭を下げた。

 そこへスヴァンが優しい声音で声を掛けた。


「バークレンの家令よ、閣下はセイラ嬢に咎があるとは、最初から考えておられない。むしろ、暫定的に必要な処置だったと考えております。謝罪の必要なし、立ってよろしいとは、そういう意味です」


 そう諭されては、オルガスも顔を上げずにいられない。

 真意を問う様な視線を向ければ、スヴァンから力強く頷かれ、それでようやく上体を起こして起立した。


「閣下はセイラ嬢の功績を、良く理解しておられます。寒冷に強い小麦を作り、それを自領が富む為だけに使わず、広く流通させる手筈を整えた。また、北方への通商路を開墾し、新たな商業地区の建設は、公都へ商人を運ぶ流れも作った。大変な儲けを得たのではないかな?」


「いえ、今の所は税収に結び付くものは弱く……」


「確かに、規模に対して税収が少な過ぎるように見えます。借金で相殺ですかな」


「新小麦の種籾を優先的に回す事で、北方との提携、協力を得ましたから、借金はありません。ただ、商人を呼び込む為の免税を行いまして、実際の収入が得られるのはこれからといった次第です」


 オルガスが恐縮して一礼すると、グスティンは満足そうに頷いた。


「見通しは明るそうで何よりだ。商人は利に聡い。人が来れば物も集まり、物が流れて利益も生むだろう。そして頓挫していた北方との道を作った事を、何より評価したい。金も掛かっただろうが、その損失を穴埋めできるだけの餌を用意できたのは大きかったろうな」


「は……! やはり北方の被害は南方よりも大きい様でして、種籾は大層欲しがりました。あちらで広まれば良い宣伝効果にもなる上、恩も売れます。お嬢様は来たる冷害と凶作を、未然に防ぎたいと腐心しておりました」


 そして、実際は本格的な冷害が来るまでもなく、今と同じ気候が続くだけで飢饉の発生は止められなかった。

 一年、二年と不作が続くだけなら、凌ぐ事も出来る。

 だが、五年続けば悲鳴も上げる。


 凶作ではなく、不作止まりでそれだったのだ。

 農民は勿論、国の中枢まで頭の痛い問題だった。


 では、他所から大量に買い付ければ良いかというと、それはそれで弱みを見せる事に繋がる。

 そうはいってもどうにもならず、已む無しとの判断が出た所に、セイラが新品種を生み出した。

 すぐに広めろという御達しが出るのは当然で、そしてそれを見越した大量の種籾まで用意されていた。


 傾きかけた天秤を、元に戻したのはセイラだ、という声もある。

 その正統な恩賞を受ける前に、彼女は姿を消してしまった。

 早とちりした愚鈍な領主が、貴族籍を奪い追放したからだ。


 グスティンとしては到底許せぬ事であり、私人としても公人としても、捨て置く事が出来なかった。

 ここで茶番めいた沙汰を行ったのも、一重にそれが理由だった。

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