エピローグ

 セイラはあれから、特に詳しく考えないまま、西の方角へと足を進めた。

 屋敷から飛び出してまだ一日しか経っておらず、昨日も野宿して夜を明かしている。


 心細さは当然あったが、土を掘り起こし、草と蔦で簡易的なテントを作れば、寝床としてはまぁまぁの出来となった。

 草と蔦で作られた壁は、単純かつ強固であると同時に、外敵を攻撃する手段にもなる。


 早々、侵入できないという安心感もあって、終ぞ身の危険を覚える事なく朝を迎えた。

 村や町には立ち寄っていないから、仮に捜索されていても簡単には見つからない。

 きっと馬に乗って捜すだろうから、たった一日のアドバンテージはすぐに無くなると、セイラ自身も理解していた。


 捜す方にしても、まず縁もゆかりも無い場所より、少しでも繋がりのある場所へ向かうだろう。

 だからこそ、南側の領都方面や、昨今商業路を完成させた北方は選ばなかった。


 これでどれだけ時間が稼げるものか、そこまでは分からない。

 しかし、初動としては、まずまず悪くないと思っている。


「ちょっと遠いけど、湾口都市まで辿り着けば、それこそ何処行ったか分からないでしょうし、そこで少し路銀を稼ぐというのもアリかもね」


 何しろ貿易の玄関口として、非常に活気のある都市だ。

 探せば日雇いの仕事くらいすぐに見つかると、セイラは高を括っていた。


「問題は、先回りされて賞金とか掛けられていた場合よね。……そこまでするかしら? 領内で済ませる話になってたりしない? そこまで大事にはしないと思いたいけど……」


 こればかりは、セイラの罪科をどう定めるかに寄る。

 フレデリクの罪が多く取り定められる筈で、そちらに注意が向けば、小物扱いされ簡単に済ませろ、という話になるかもしれない。


 そうなってくれたら嬉しいが、こればかりは時間を置いて調べるしかなかった。


「ま、思い悩んでも仕方ないか。食料が保つ三日ぐらいは、村や町には立ち寄れないわね。川沿いを進んで飲水を確保しつつ、隠れ進むのが得策だわ」


 声に出して言うのは、寂しさを紛らわせたかったからだ。

 この世界に意識を移してからというもの、一人でいる時間は余りに少なかった。

 多くの場合、直ぐ側にカーリアがいた。


 お目付け役であり、身辺警護役でもあり、世話役として、常に傍にいるものだった。

 煩わしいと思った事は何度もある。

 一人で居たいと思う時は離れず、そうしていざ居なくなると寂しさを覚える――。

 何とも我儘な話だ、とセイラは自嘲の笑みを浮かべた。


「そういえば、よくお尻を蹴飛ばされていたかしらね。何かと忙しい毎日だったし……」


 村との往復、研究成果のまとめ、畑で種籾の量産……等々。

 やる事は多岐に渡り、そして、時にはやる気が付いて来ない日もあった。

 そういう時、いつもの歯に衣着せぬ物言いで、セイラを動かすのはカーリアの役目だった。


「――何をされてるんです。そんなに思う様バカ面晒していると、直ぐにも兵が追い付いて来ますよ」


「そうそう、そんな物言いで……ハァ――!?」


 突如として横から飛んできた声に、セイラは身体を捻って顔を向ける。

 そこにはいつもの澄まし顔で、至極当然という雰囲気を醸しながら、カーリアがすぐ傍に立っていた。


 いつものお仕着せではなく彼女もまた旅装姿で、厚手のズボンや皮のブーツ、腰には短剣が下げており、上半身はマントに覆われている。

 あるいは冒険者スタイルと見て取れる格好だった。


「な、なん、何であんた……!?」


「ここにいるか、でしょうか? お嬢様の足跡を追うなど、ヤギの蹄を洗うより簡単です。ぬかるみが残るこの時期となれば尚の事。隠れて逃げているつもりなら、道の上を歩くべきではありません」


「そうじゃなくて……。いや、蹄の例えも良く分からないけど。いやいや、何で居るのかって話をしてるんじゃない!」


 セイラは驚きを隠せず、また唐突な声掛けで心臓が飛び出るかと思う程だった。

 今も胸に手を当てて、乱れそうになる呼吸を懸命に抑えていた。

 そんな様子を気にする素振りも見せず、カーリアは淡々と続ける。


「どうしてここに居るのか、という理由なら簡単です。私がそうしたいと思ったからです。お嬢様は色々計算高く動けますし、全くの世間知らずではないものの、一人旅をさせるには危うい方ですから」


「自分でそうしたいから? 誰かからの差し金じゃなくて? オルガスに言われて来たんじゃないの?」


 セイラが胡乱げな視線を送り睨めつけても、カーリアは全く否定せず首を左右に振った。


「違います。屋敷に留まれば、その様な話を持ち掛けられたかもしれませんが……。でも、そうなる前に、私もお嬢様の後を追いましたので」


「……なんで? 言っとくけど、雇えないわよ。そんなお金ないもの」


「では、仕方ありません。お嬢様のお菓子半分で手を打ちましょう」


 カーリアの表情は変わらない。だがそれは、努めて変えまいとしているように見えた。

 それがおかしくて、セイラはついつい笑ってしまった。


 カーリアが付いて来てくれたのは、素直に嬉しい。

 心まで弾む思いがする。

 しかし、同時に気になる事もあった。


「傭兵の忠誠は、金で買うものだって言ったじゃない。あたしに心酔なんてしてないでしょ? それがどうして、そんな破格で付いてこようとするのよ」


「心酔はしておりませんね。でも、危なっかしくて見てられません。私の目の届かない場所で何をするか考えると、気が気でないのです。お嬢様には、私が付いていなければ」


「……お守りが必要な歳じゃないわよ」


「でも、行く先々で問題行動しか起こさない様子が、私の目にはハッキリ映っております」


 断言されて、セイラは顔を大きく顰める。

 そして、不本意ながら、セイラもまた何一つ問題が起きないとは考えていなかった。

 意図しないところで、何かに巻き込まれるかもしれない、そう不思議と予想できてしまう。


 セイラが何も言い返さずにいると、カーリアが表情を崩してニコリと笑った。

 それは彼女が初めて見せる、本心からの笑顔だった。


「ぜひ、ご一緒させて頂ければと思います」


「……ふ、フン! 好きにすれば!? 言っとくけどね、本当にお金ないからね! 食費も旅費も倍になるし、余裕ないんだから!」


「あら、既にそこまで面倒見てくれるおつもりなので? ありがたい事です。では、私が持ってるお金は、いざという時の為に取っておくとしましょう」


「――持ってるんなら、最初から自分で払いなさいよ!」


 セイラが喚くと、カーリアは鼻で笑って口元を歪める。


「それぐらい、面倒見ても宜しいんじゃないですか。主人としての甲斐性ってものを、見せるチャンスですよ」


「煩いわね、主人なんて思ってない癖に!」


 掴み掛かろうと腕を伸ばすと、まるで流体の様な体捌きで躱される。

 腕を取られ、足を絡ませて来て、複雑な関節技を極められた。

 身体中から悲鳴が上がり、メキメキと嫌な音まで聞こえて来る。


「い、いだっ! いだだだ! なに、何なのこれ!? 痛い、やだ、怖い! ちょっ……ちょっと止めなさいよ!」


「あまり落胆させないで下さい、お嬢様。主人として敬おうと思ったからこそ、こうして付いて来たというのに……」


「だったら、今こうしてるのは何なのよ! ――いだ、いだだだっ! 止めっ……止めなさい、この馬鹿ッ!」


 涙声で――実際、涙すら流して吠えると、カーリアもあっさり技を解いた。

 腕や足やら腰やらを、ひぃひぃ言いながら擦っているセイラに、無表情に戻ったカーリアが告げる。


「痛いのが嫌なら、素直に私の忠誠を受け取る事ですね」


「あんたのそれ、絶対忠誠じゃないからね。脅迫だから……! 暴力には屈しないわよ!」


「流石はお嬢様、気高い主人を持てて光栄です。私の忠誠を、しこたま捧げたい気持ちになって来ます」


 そう言ってジリジリ迫ろうとすれば、セイラもまた腰を落としてジリジリと下がる。

 しばらく睨み合いが続き、そして唐突にカーリアが顔を横へ向けた。

 何が、と思ってセイラは更に警戒を高めると、カーリア呆れた調子で溜め息をつく。


「お嬢様……。馬鹿な真似してるから、追手がもうやって来たじゃないですか。遠からず、騎馬がここまでやって来ますよ」


「……あんたの所為でしょ! 他人の所為にしないでよ!」


 激昂したものの、すぐに冷静さを取り戻し、周囲へ忙しなく顔を向ける。


「っていうか、なんでこんなに早く!? あたしの予想じゃ、父のアレコレで時間稼げてる筈なんだけど!?」


「それはまぁ……、村人の嘆願とかあって、事態が良い方向へ転んだ所為なんじゃないですかね?」


「嘆願……? 何それ、どういう事? 村人がどうして関わって来るのよ? 何も知らない筈でしょ?」


「だって、私が知らせておきましたし。ある事ない事を吹き込んで、悲壮感たっぷりにお伝えしておきましたから」


「――はぁ!?」


 カーリアは胸まで張って、良い仕事をしたとご満悦だ。

 無表情の癖して、器用にドヤっているのも、セイラには小憎らしくて堪らなかった。


「ある事だけ吹き込んでおきなさいよ、そこは! ――いや、違うわ。吹き込んでるんじゃないわよ、何してくれてんのよ!?」


「無事、逃げ切って新天地で何か始めるか。それとも捕まって、また貴族生活に戻るか。どっちであっても楽しいですよね」


「楽しんでるのは、あんただけでしょ!? ……あぁもう、最悪よ! 下手すりゃ一生、首に縄だってのに!」


 口から呪詛を吐きながら、さっさと逃げようと準備を急ぐ。

 テントを畳んで一纏めにし、草の壁も解除して穴から出る。


「どうしたあんたって奴は、そう余計な事しかしないのよ!」


「牢獄行きって事はないですよ。お嬢様は自分の価値を、少し低く見すぎです。牢に繋ぎ止めておくより、利用する方を考えるのが貴族ってものじゃないですか」


「それが嫌だって言ってんのに!」


 自由のない生活、という事はないだろう。

 真っ当な貴族生活は送れるかもしれない。

 しかし、それは常に結果を求められる要請が、背後から突き付けられる前提だ。


 色々無茶をしつつ結果を残したのは、跡を濁しまくって立つ鳥になりたくない、その一心からだった。

 同じ水準をこれからも要求される貴族生活など、全く望んでいなかった。


「逃げてやる! 逃げ切ってやるわ! 自由があたしを呼んでいるの!」


「えぇ、邪魔者の排除は、このカーリアにお任せを」


「あんたが一番、邪魔者よ!」


 涙目になって吐き捨て、カーリアを置いていくつもりで駆ける。

 しかし、所詮田畑で鍛えた程度の足腰だけで、彼女を置き去りには出来なかった。

 全く苦にせず、カーリアは背後にピッタリ追い付いて来ている。


 魔力を練って草舟を出してもそれは同様で、それどころか追いつき、追い越すタイミングで乗り込まれてしまう。


「ちょっと! 重い! どきなさい!」


「あら、酷い。いつも苦も無く乗せて頂いていたのに」


「邪魔者なんだから当然でしょ!?」


 草舟は騎馬よりも速い。

 まだ発見されていないなら、全速力で駆けてもいないだろう。

 その間に、きっと距離を離せる筈だ。


「自由が! すぐそこに自由があるの!」


「ご随意に」


 捕まろうと逃げ切ろうと、どちらに転んでも退屈しない。

 カーリアの表情はそう物語っていた。

 それがセイラを躍起にさせて、草舟の速度が更に上がった。


「――んっとに! 後で覚えときなさいよ、カーラ!」


「……カーラ?」


 聞き覚えのある呼びかけに、カーリアは不思議そうな顔を向けた。

 それでセイラは、苦し紛れの不意打ちが成功したと笑う。


「あんたのあだ名。よくよく考えると、名前で呼ぶこと全然なかったのよね。でも、呼ぶと長いからカーラにするわ」


「その昔、旅団では親しい者にそう呼ばれていました」


「嫌だったら止めるけど……」


「いえ、嬉しいです。そう呼ばれる事は、もうないと思ってました……」


 ほんのりと頬を染め、カーリアが微笑みを浮かべた。

 それを見て、セイラもからりと笑みを向ける。


「まったく! いつもそうしてれば可愛げもあるのに! 行くわよ、カーラ! 海があたしを呼んでるわ!」


 それに返事はなかったが、カーリアは眩しいものを見るように目を細める。

 まだ雪解けが初まったばかりの寒々しい空に、自由を求める熱い声が響き渡った。

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【完結】断罪される悪役令嬢に、断罪される悪役令嬢 海雀 @umesuzume

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