新たな成果、新たな試み その7
「早期熟成、低価格、薄めず飲める庶民のワイン。目指すのはそれね」
高価で美味なワインとは、ブレンドワインとされている。
手間暇を掛け、どの様な品種を、どの様な割合で作るか……。
そこに職人の腕が試されるし、価値も付加される。
だが、単一ワインにそれはない。価格を抑えられる理由の一つだ。
かつて日本においても、ワインは高価で裕福層の趣向品だった。
しかし、低価格帯商品の登場、コンビニでの取り扱いにより、庶民の間でも爆発的に広まり、そしてワインブームへと繋がった。
こちらでも、大衆酒場だけでなく広く卸し売場を設ける事で、似た現象を引き起こせないかと思っている。
「当たれば大きそうですが、それもまた旦那様の目に……。いえ、これは……」
そう、と一言呟いて、ニヤリと笑う。
「これは北部にしか流さない。そもそもが単一ワインは受け入れられ難いでしょう? そこに加えて低価格。貴族や商家は対象じゃないの。父の耳にも、まず入り辛いと思うのよ」
「商売を北部に限定するならば、それも確かでしょうが……。問題は山積みです」
「そうね、まだ完成していないワインで商売しようなんて、無謀すぎると思うわ」
「それだけではありません。そもそも南方とばかり商売しているのは、北への販路に問題があるからです」
問題と一口にいっても、その内容は様々だ。
何だろうと首をひねって、思い付いたままの単語を口に出した。
「山賊が出るとか?」
「いえ、そういったものではなく、道そのものが問題なのです。ワインを運ぶには、安定した道が必要不可欠。そうでなくては途中で割れます。無論、そうしない為の工夫も、箱や馬車にあるものですが、道そのものが悪路であるならそれも……」
「そういう意味ね……」
箱詰めする際に瓶同士が接触しないよう、箱内に仕切りを作るとか、藁を詰めるとかして防止しているのは分かる。
だが、便利な緩衝材など存在しないから、悪路を進むだけで破損してしまう。
ワインは高価なものだから、割ってしまえば商人がそれだけ損する事になるので、当然悪路しかない道の商売は成立しないという訳だ。
わざわざ遠回りして仕入れるケースもあるのだろうが、それも余分な時間と金を掛ける価値あってこそだろう。
そして、我が領のワインが南方にしか出されていないのは、つまりそういう理由があるからだ。
「途中に宿がないのも問題です。村には隊商を休ませる設備がなく、一日で次の街まで往復しなくてはならない。多く荷を積めば、その分移動も遅れる訳ですから、大量に買い込めない。商人としても、商売として旨味がなければ取り扱いません」
「尤もな話だわ。でも、どうして北の販路を放置していたの? 南には領都、そして公都があるから商売に困らないでしょうけど、だからって……」
「先代のご当主様は、着手目前まで漕ぎ着けておりました。実際に施工する前段階まで来ていたのです。しかし、実行直前、道半ばでお亡くなりになり、その事業を引き継いだ旦那様は……」
「あぁ……。分かったから、それ以上は言わなくて良いわ」
道路の整備、そして隊商宿の新設、販路を作るには多額の資金が必要だったろう。
掛かった資金をペイできるまで、掛かる年数も不明。
だが、仮に十年先から利益を生むと試算が出たなら、やるべきだった。
しかし、父はその時間を待てず、祖父の死亡と共に計画を握り潰し、その資金を自らの為に使おうとしたのだろう。
只でさえ、販路の開拓は博打なところがある。
必ず利益を生み出すとは限らない。
だが、それなら利益を生むよう、育てる努力をするのが領主の仕事だ。
賭け事が好きというなら、ここぞという博打をするべきだろうに、どこまでも身勝手な父である。
「完成させてしまえば良かったのに……」
「完成だけならともかく、予算案にある毎年の整備費が不満だったようですな。やはり、少なくない金額が掛かる訳ですから……」
「整備しなければ、荒れていく一方だものね。一つが欠ければ、次々と欠けていくものでしょうし……。それだって、北方との通商が上手くいけば、十分取り返せる見込みもあったんじゃないの?」
「然様です。その様にご説明もしました。葡萄の樹を植える事と同じなのだと。必ず実を付けると説明申し上げたのですが、枯れる樹もある、と頑なに否定され……」
「なるほどねぇ……」
一つを知れば、幾らでも問題が出て来る自領の領政に、頭の痛くなる思いがする。
腕を組んで息を吐き、改めて宣言した。
「じゃあ、やっぱり販路の再計画は必要だわ。商売の為だけじゃなく、円滑な物流を作る為にも、やるべきだって思うから」
「それは……、つまり小麦の……?」
「えぇ。冷害に関しては北方の方が余程深刻な筈よ。馬車一台で済む量でもなし、種籾を運ぶにも、領都を経由して馬鹿みたいな遠回りしてられないもの」
北方を田舎呼ばわりする風潮があって、その理由として交通の不便があった。
あまり遠回りして行かねばならず、山を避けて通る必要もある為、とにかく時間が掛かる。
必然として滅多な事では往来しなくなり、北方は陸の孤島扱いされて来た。
そして、それを解消する目的で販路を開拓したのがお祖父様だったのだろう。
バークレン領を通過すれば、公爵領都までも近い。
言うなれば、Tの字で止まっていた道を、十の字にして北方と繋げようとしたのだ。
公都と商売するにしろ、自領を通過するなら、そこで落とす金も生まれる。
経済活性化を狙った事業だったろうに、父はそれを潰したのだ。
確かに、道が出来る事は必ずしもプラスになる訳ではない。
犯罪者、ならず者の流入、場合によっては戦争に使われる道にもなるかもしれない。
道がない事で防波堤となっていたものを、そこに自分から穴を開けようとした、と見る事もできる。
監視の目、警備兵の常設……掛かる費用は更に膨らむだろう。
確かにそれは、将来の禍根となり得る。
――しかし。
「デメリットはある。でも、メリットの方が上回るわ。そして、そのメリットを維持、成長させるのが領主としての務めよ。お祖父様も、きっとその様にお考えだった筈……」
「誠に、然様でございます。数年は間違いなく赤字でしょう。十年続く可能性もあります。しかし、子の代になれば、それが大きな財産となって成長している筈です」
「自分は苦労して、子が享受する……。それが許せなかったのかしら」
父にとっては、より良い状態で領地を子に継がせるなど、考えていなかったのだろか。
享楽的な刹那主義、領主として持っていて欲しくない思想だ。
オルガスから
「資金の方はどうかしら、足りる?」
「試算してみるまでは、なんとも言えません。……が、所感を述べますと、足りていないかと」
「やっぱりそうよね……。ワイン蔵は諦めるべきかしら?」
「それも一つの手段ですが、一つ蔵を増やす程度は、それほど負担になりません。やはり、開道作業が問題ですな」
掛かる人件費を考えても、一つの蔵と比べて雲泥の差だ。
当然、それ以外にも多岐に渡る費用があるだろうし、まさしく比べる事すら烏滸がましい、という奴だろう。
「足りない資金は、他から持ってこないといけないんだけど……」
「手を付けられる資金というのは、他に存在しません。旦那様に勘繰られるのも、面白くないでしょう。伯爵家の金には手を付けられないかと……」
即座に発見されると思わないし、改ざんした帳簿を見せているのだから、早々に見つかるとは思わない。
しかし、常に金の入出について見ている訳だから、どうせ大丈夫と甘く見るのも危険だった。
オルガスが言うとおり、下手に伯爵家の資金に手を付けるべきではない。
「じゃあ、北方領にも一枚、嚙ませましょう。資金を提供させて、共同事業って事に出来ないかしらね」
「……不可能ではないかと思います。開通して旨味があるのは、あちらも同様ですから」
「じゃあ、大丈夫そう?」
「問題は、どの程度の資金を提供されるか、でしょう。開通後は関所を設けるなど、利益を作り出そうとするかもしれず、交渉にも時間が掛かります。諸問題を考え出すとキリがなく、単独の方がマシかもしれません」
難色を示すオルガスの意見は、至極真っ当なものだった。
それを後ろ向きと非難する事は出来ない。
だが、それを理由に諦めたくもなかった。
「確かに関所は問題ね。流通を作り出そうっていうのに、それを邪魔されたくないもの。でも、あちらがどう考えているかも分からないし、聞くだけ聞けないかしら」
「畏まりました。そちらも、こちらで上手く手配しておきます。交渉役は悩ましいところですが、旦那様も介さずとなると……私ぐらいしかおりませんな」
本来なら、それだけの大事業となれば、当主自らが顔役となるものだ。
陣頭指揮は別としても、責任がどこにあるか明確にする為にも必要となる。
それが出来ないとなれば、嫡男など次に大きな権力を握っている者に任せるものなのだが……。
家令が代わりを務める事を、蔑ろに、あるいは侮られている、と取られないかが不安だった。
「余り面白く思われない可能性もありそうね。利は十分生まれるから、それを弱みとして後の交渉材料に使われる可能性もありそうだわ」
「……やはり、当主を使えないというのは痛いですな」
普段は全く役に立たないカードだが、世間的には有用なカードであるのは間違いない。
どこまでも邪魔な父だ、と顔を顰めて息を吐き、それなら、と別の意見を口にした。
「そっちが不安要素なのは確かよね。上手く行かない可能性は高い。それなら、いっそ商売させましょうか」
「また別口に業務展開を? ……難しいのではないでしょうか」
オルガスの顔が曇るのも当然だ。
行き詰まってる最中に、あれこれと手を伸ばして、結局全てが上手くいかない八方塞がりになる可能性もある。
だが、先を見越しているようで、三年先までしか見てない私には、大胆な手が打てるのだ。
「労働者が必要だけど、近隣から呼び寄せる事になるでしょう? それ、北方だけに限定できないかしら?」
「……可能でしょう。特に、地続きとなる領民からは受け入れられ易いでしょうな。旦那様に秘匿したいなら、むしろ領内から労働者を呼ぶのは止めた方が良いかもしれません」
「だったら、宿場町が必要だわ。労働者が通える距離じゃないでしょうし、人が多ければ、そこで商売するチャンスも生まれる」
そこに異議はないらしく、オルガスも素直に頷く。
「食料、生活必需品、娯楽品、趣向品、求められる物は多いでしょう。しかし同時に、そこで商売が成立するだけの利益を生む、と商人に思われなくてはなりません。大人数の労働者がいる前提でなければならず、それでは雇うにも金が掛かります。本末転倒になりませんか」
「収入が得られない段階では、単なる金食い虫でしかないものね。でも、働く男には酒も女も必要でしょう? 働きつつ出費もして貰いましょうよ」
「お嬢様、そんな事を何処で……」
頭痛を堪えるような表情をさせた後、オルガスはカーリアへ目を向けた。
彼女からは無言の否定が返って来て、それでコメカミに手を当てる。
何やら難しく考え出したが、最終的にはお嬢様だから、という結論で落ち着いたようだ。
「とにかくね、払うだけでなく還元もして貰わないといけないじゃない? で、その商人はこちらの領から手配したい。商売女も同様にね。必需品系統は、近隣の村民だって欲しがるだろうから、単なる足掛けにならない可能性もあるし……」
「つまり、そのまま出店させる事も考えていると?」
「遠方から買いに来れなかった理由の一つに、隊商宿が無かった事もあるでしょう? 道の完成と共に、宿泊施設も用意する。それを期に、町の規模を広げるわ」
「それを餌に、商人を呼び込むと……」
不安そうなオルガスとは対象的に、そう、と自信ありげに頷く。
その態度だけで払拭できるものではないらしく、難しい顔をして押し黙ってしまった。
ならば、とそこでダメ押しの一言を放った。
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