新たな成果、新たな試み その8
「先着順で、三年間の免税特権を与えましょう。商売の軌道がどんなものか、商人としても事前に知れる訳よね。新たに開通する道、そこに作られる宿場町。その出店は早い者勝ちな上、素敵な特典まで付いて来る。……これって、食い付いてくれないかしら?」
「……可能性は十分ございます」
難しい顔で顎先を撫でていたオルガスは、眼光を輝かせながら言った。
難しく考え込む表情は、依然として変わりない。
しかし、そこには勝利を見据えた気配も称えていた。
「予算の都合に懸念があるのは、工事中は出費ばかりが嵩むからでしょう? だったら、そこを商売地点にして収税で賄いましょうよ。聡い商人なら、単に北への直行道路が出来るだけでも旨みがあると気付くでしょうし……」
「引き込む為の餌は十分、と見て良いでしょう。しかし、まだ問題が……」
「何よ、まだあ――」
流石にげんなりして言葉を吐いたが、全てを言葉に出すより早く、何を問題としているのか気付いた。
規模が大きくなり過ぎると、父を誤魔化す事が出来ないからか。
――それも一つの理由だけど……。
むしろ、ここまでの領内事業に手を出しておきながら、一切の権限を持たない人間が執り行う事に問題があるのだ。
然るべき人間が然るべき地位に付き、その権力を振るうのには理由がある。
理がある、得があるからといって、勝手をして良い理由にはならない。
「……公になると、困ったことになるわけね。実はこの案件に、責任者が存在しないなんて、知れたらきっと大事だわ」
「その際は、私の独断という事にして頂いても構いませんが……」
「有り得ないでしょ。そんなの認められないわ。私が、ではなく、世間の方がね。公爵閣下のお耳に入れば、家令一人の首を切るだけじゃ済まされない」
実際のところ、王国法に基づいてどうなるかまでは分からない。
悪意あっての事ではない、と見て貰う事はできても、家令が勝手にやったとなれば横領に問われる可能性もある。
領主が命じた、という話にすれば、家の中で完結するだけだ。
しかし、その領主を騙してやっているのだから、決して肯定的には見られまい。
仕事を丸投げしているのだから、良かれと思ってやった、という言い訳も立ちそうなものだが――。
一度は自分で潰した仕事だ。決して愉快な気持ちにはならないだろう。
「もし発覚して、責任の所在を問われたら、私が命じたと言いなさい。父の許可を得たとか、嘘を吐かれて騙されていたとか、適当にでっち上げて」
「まさか、そんな――!」
オルガスの上げた声は、まるで悲鳴の様だった。
しかし、何も他人を庇う、自己犠牲精神を発揮したいのではない。
彼にも――そして、ここで奉仕している者達には、次がある。
バークレンが没落しても、清廉な使用人は残り、次の領主に引き継がれるだろう。
オルガスが家令の地位に居続けるか分からないし、信用できる誰かを用意してくるかもしれない。
しかし、放逐まではされないだろう。
オルガスを始め、実直な仕事を続けていた者たちは、雇用も継続される筈だ。
没落を知っているのは私だけだし、その前に逃げ出そうと画策しているのだから、せめて今の生活を維持される様に努めるのは当然だと思っている。
だから、咎を負う必要があるのなら、自分がやれば良いというだけだった。
「いいのよ。あたしは生まれながらに、責任を負う立場なんだから。そうした家に生まれた……でしょ? 一番、自然な帰結だわ」
「何と……お嬢様……っ! なんと……!」
本日何度目だろう、と遠い目をさせながら、感涙にむせぶオルガスを視界の外へ追いやる。
年を取ると涙脆くなると言うし、きっとその類いなのだろう。
オルガスがお祖父様へ、未だに忠誠を誓っているのは知っている。
そして、どうやら、その蔭をこちらに見出しているのも……。
だからいっそ、その勘違いを利用させて貰っているのだが、変な事になる前に、さっさと逃げ出してしまった方が良さそうだった。
「誇りあるバークレン伯爵家のお世継ぎとして、これ以上相応しい方がおりましょうか……! その一番の障害が旦那様というのなら、いっそ……!」
「いやいやいや、ちょっと待ちなさい。冷静になりなさいよ、冷静に」
両手を前に突き出して、宥めようと上下に振る。
目を合わせて苦笑いを浮かべると、それでようやく厳しい顔が晴れた。
とはいえ、腹に一物抱えたようにしか見えず、どうも落ち着かない。
だが、原作を思い返してみると、現公爵閣下の事故死というのも怪しく思えてくる。
今オルガスが言った様に、障害となるなら排除しようと動いた結果に見えた。
息子を溺愛していた人だから、あるいはと思えるものの、タイミングが良すぎた。
そして、速やかに公爵領を掌握。
これまでと打って変わった善政が敷かれ、驚くべき速度で盛り返していく。
原作小説に、そこに対する詳しい説明はなかった……が、ウチの状況と良く似ているからこそ、やろうと思えばやったという気がした。
――憶測に過ぎないし、深く考えても仕方けど……。
非常に理知的なグスティン様だから、滅多な事はしないと思う。
氷の貴公子なんて言われても、冷徹な訳じゃなかった筈だし……。
いや、しかしそれが母の死が引き金となったとしたら……。
伯爵領に押し込められている
父に……そして祖母に殺された、と思っても仕方ないだろう。
そして、その二人は明らかに公爵領の癌となっていた。
排除も已む無し、と考えて不思議ではない。
そこに合理性が含まれている気がして、嫌な予感をさせつつ首を振った。
結局は娯楽小説、ご都合展開はどこにでも転がっている。
作者の都合、編集の意向で殺されるキャラだっているし、深く考えても仕方ない事だ。
自分にそう言い聞かせた後、顔を上げると、そこには不思議そうな顔と、心配そうな顔を同居させたオルガスが見つめていた。
「……お嬢様、どうされました? どこか、お加減でも?」
「いえ、違うのよ。ちょっと考えが飛躍しちゃって、変な事を……」
「お嬢様、ご安心を。決してお嬢様一人に、全てを背負わせようなど致しません。見つかれば不都合というのなら、
「あ、あぁ……うん」
その時とは、一体いつなのか。
何を意味するのか、深く考えたくない。
しかし、言葉の繋がりを考えるなら、きっと女伯爵として立つ事を含んでのものだろう。
それがオルガスにとって正しい事でも、そんな未来はやって来ない。
説明したところで意味はないので、曖昧に頷いてサラリと流した。
「ああ、そうそう。一つ注文があったわ」
「なんなりと」
こちらの口調に応じて、オルガスもサッと態度を改めて、背筋を伸ばす。
身構えられている様に感じるが、面倒な事を頼むつもりはなかった。
「女を呼ぶ時は娼館に声を掛けたりするんでしょうけど、そこから父に繋がらないよう注意して頂戴ね」
「旦那様が娼館遊びをしていると、何処で……?」
「しているかどうかも知らないわ。でも、賭け事が好きなら女遊びだって、きっと好きでしょ? 貴族ってそういうものって思ってたけど、……違うの?」
「さて……」
オルガスは曖昧に笑って言葉を濁した。
それはそうだ、彼の口から言明できる筈がない。
だが何より、まだ十二歳の令嬢からそんな言葉が出る事に、苦笑を禁じ得ないようだった。
「旦那様が娼館へ出入りしているかどうか、それは存じませんが、調べておきましょう。そちらの線から漏れるのは、遠慮したいところですから。……それだけですか?」
「あぁ、違う違う。そっちが本題じゃなくて、呼ぶ相手を選ぶだけじゃなくて、数も絞って欲しいのよね」
「労働者の数次第……では、あるでしょう。使い倒されて女が駄目になっても、やはり問題でしょうから」
そっちの方じゃない、と思ったが、それも確かに問題だ。
劣悪な労働環境を作るつもりはないし、それは実際の工事従事者だけを指すものではなかった。
働く者全てを貴賤なく扱うつもりなら、彼女らの心配もしなくてはならない。
「えぇ、そっちは上手く分からないから任せるわ。そうじゃなくて、出店の方よ。早い者勝ちだからって、娼館の支店ばかり作られても困るの。花街を作りたい訳じゃないんだから」
「それも……然様ですな。免税特権にかこつけて、三年間だけの出張……そういう悪知恵の働く者もいるやもしれません。その辺りの調整も必要でしょう」
「えぇ、宿ばかり、商店ばかりでも困るでしょう? その辺り、上手くやって欲しいわ」
意図する所が伝わって、オルガスはしっかりと頷く。
「心得ました。今から考えるに早すぎるとはいえ、先々まで見据えておくのは大事です。お嬢様には真、驚かされるばかりですな」
「……まぁ、今更でしょ? 慣れてよね」
「その様に致します」
嬉しそうに微笑んで、オルガスは胸に手を当て一礼する。
主に捧げる、臣下の礼だった。
くすぐったいやら、重苦しいやら複雑な気持ちで、唇をむにゅむにゅと動かす。
そして一応、話したい事は全て話したと気付き、残っていた紅茶を飲み干して席を立った。
「それじゃ、後の事は任せたわね。あたしはあたしで種籾の量産や、寒冷対策の葡萄も作らなきゃ」
「そこが全ての肝ですからな。煩わしい手配や交渉は、全てこちらにお任せを」
「えぇ、お願いするわ。それじゃ、お暇するわね」
オルガスの深々とした礼に見送られ、執務室を後にした。
扉から出る時もカーリアを先頭に立たせ、行き交う誰かが居ないと確認してから外に出る。
セイラが執務室に頻繁に出入りしていると知られたら、それだけでいらぬ勘繰りをされてしまう。
用心するに越した事はなかった。
自室に戻る廊下を歩きながら、今日はひたすら静かだったカーリアを見る。
「どうしたのよ、あんた。いつもなら、途中で馬鹿にしたり、嫌味言ったりするじゃない。変なものでも食べた?」
「馬鹿なこと仰らないで下さい。ただ、信奉者の前で下手な発言をすると、碌な事にならないと知っているだけです」
「言い得て妙だわね……」
まだ幼い令嬢に、あれほど心服し、忠節を向けるのは異常だ。
それだけ父が期待外れで、私が期待以上という証左かもしれないが、時としてやり辛さも感じてしまう。
オルガスの見る目は、確かにお祖父様の孫に向ける以上のものに思えるのも、一度や二度ではなかった。
信奉者と評したカーリアの目は、案外正しいのかもしれない。
「ま、今はいいわ……。それより忙しくなるわよ。やる事は山積みなんだから」
カーリアへ、というより自分を鼓舞するつもりで言って、自室への道を急いだ。
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