守るべきもの その1
寒さに強い葡萄の開発は、非常にスムーズだった。
小麦の応用で済むので悩む時間も少なく、微調整するだけで納得のいくものが出来上がった。
苗木を植えるには少し遅い時期となってしまったが、遅すぎるという時期でもない。
とはいえ、この時期から別の苗木を植えるなど、誰も賛成したりしないものだ。
しかし、そこはこれまでの信頼を築き上げていた、セイラの下地がある。
魔力を使えば労力的にも、時間的にも短縮できるのは実証済みで、畑の開墾そのものに対する忌避も少ない。
ただ問題は、前年度の生産量を下回らないか、という懸念だった。
検証してみなければ分からない事だし、その為に畑を作っても、自分ひとりで管理できないのも、また問題だった。
実際に着手すれば、実験に使う農場とは比較にならない広さとなる。
だから、協力者が必要不可欠だった。
そうなると、頼れる相手は今のところ、一つしかない。
「そういう訳で、ヨーン。前に言ってた手助け、カイに頼みたいんだけど良いかしら?」
「勿論いいさ、そういう約束だった。ただ、男手一つだけじゃ流石に心許ないだろう。こちらからも、少し当たってみよう」
現在、畑の真ん中で休憩中だったヨーンに、時間を割いて貰って交渉中だった。
彼は気を悪くした素振りも見せず、更には骨を折ってくれる提案までしてくれた。
「ありがたいけど……、いいのかしら? ヨーンの負担にならない?」
「これぐらいは、どうとでもないからなぁ。それに、周りから少しずつ手を借りた方が、一つの畑あたりの負担も軽く済む。でも、セイラちゃん。いっそ農家やりたい奴に、新らしく受け持って貰うのも手かもしれねぇよ」
「そうねぇ……、確かにそれも手だわ」
今はなるべく外へ情報が漏れない様にしたい現在、大体的な募集は憚られる。
今の段階ではあまりにリスキーだった。
ただ、ワインや葡萄について、常に新たな試みをする農家は珍しくない。
だから、そこは誤魔化せるとしても、父の耳に入るというのが問題なのだ。
あれでいて……というと語弊はあるが、公爵閣下の親友の位置にいる伯爵家当主でもある。
社交界にも相応に顔が利く。
ならば当然、耳も遠くまでよく聞こえる事だろう。
今の段階で一つ勘繰られる事は、他全ての瓦解を意味する。
それは何としても避けたかった。
「人手不足は、いずれ深刻な問題になりそうよね。こちらでも対策は考えとく。……だから、ヨーンには甘えさせて貰って良いかしら」
「勿論さ。誰だって、ここまで良くしてくれるセイラちゃんの助けになりたいって思ってるんだ。ウチのカイは素直じゃねぇけど」
仕方のないやつだ、とヨーンが笑って顔を逸らした。
その方向には、きっとカイがいるのだろう。
「あぁ、あくまでも希望する人だけにして、無理強いはしないでね。収穫自体、どこまで成功するか確約できないの」
「セイラちゃんが関わるなら、成功間違いなしって思うけどなぁ」
「そんな考えは危険よ。常に成功が続くとは思えない」
「そうやって考えられるから、俺達ゃ安心できるのさ。成功続きの奴って、どこまでも成功するって思い込んでるものだろ?」
ヨーンの言う事には含蓄があった。
そして、それは正しい認識と言えた。
成功の重なりは、己を過信させる原料だ。
ヨーンに指摘された事で、改めて自分を戒められた気がする。
「……そうかもね。でも、どっちにしろ、今回の件は新ブランドのワインに使う葡萄だし、売り上げるにも買い手が居ないとね……」
「ワイナリーはどうするんだい? どこもいっぱいで余裕なんて……」
「それは作らせるから大丈夫。既に準備は始めてるわ」
「流石だねぇ。そんなだから、今度も大丈夫だろって皆に思われるんだろうなぁ」
先々を見据えて行動するのは、むしろ立場としては当然だ。
しかし、そんな姿勢も彼ら村民からすると、凄い事をしているように見えるらしい。
「ともかく、葡萄の方はお願いね。試作段階では上手くいってたから、大丈夫だとは思うけど……」
「それって、ウチの畑で育てても良いのかい?」
「駄目って事はないわね。ただ、即座の収入に直結しないから、乗るならもう少し後の方が良いかもしれないわ」
「そうなのかい。売る先がないって事なのかね?」
頷いて見せながら、眉間にシワを寄せつつ腕を組む。
「勿論、そっちの開拓も進めてるわ。でも、ちょっと大掛かりな工事になりそうなの。販路が出来ないまでは、ワインの試作作りに専念してもらうつもりだし……」
「何か色々やってるんだなぁ……。ま、とりあえず分かった。出来る限り協力は惜しまないから、これからも何か思い付いたら言ってくれて構わないよ」
「ありがとう。頼りにさせて貰うわ。……でも、まずは葡萄の出来を確認してからよね」
悪天候や寒冷の中でも育つ、丈夫な葡萄なのは間違いない。
しかし、そこから売れるワインが作れるかは、職人の腕に掛かっている。
実を沢山付けても使い物になりません、では意味がない。
一応、熟した葡萄を食べて貰った時には、良いものが出来そうという意見は貰えたものの、それも実際に完成してからでないと分からない事だ。
懸念材料の一つが片付いて、そろそろお暇しようとした時だった。
黙って影に徹していたカーリアが、サッと動いてすぐ傍へ移動して来る。
ヨーンの居る方向とは真反対で、立ち並ぶ葡萄畑を見つめていた。
「……どうしたのよ?」
「誰かが近付いて来ます」
「不審者……?」
「いえ、村の誰かだと思いますよ。でも、一応……」
まるで身を挺して守っているようにも見え、そんな事をする奴だったろうか、と首を捻る。
本当に危険が迫っているなら、むしろ盾にして逃げるのがカーリアだと思っていた。
魔力もあるし、土や草など、付近には使える物に事欠かない。
下手な騎士より自分の方が強いという理由で、容赦なく敵の前に蹴飛ばすぐらいの事はすると、そう信じてやまなかったのだが――。
実際は、危険を前に一歩も逃げ出さない構えだ。
使用人として相応しい行動、と言えばそれまでだ。しかし、どうにも違和感を拭えない。
もしかしたら、オルガスに強く言い含められていたりするのかもしれなかった。
しばらくすると、息を切らして走ってくる男が見えてきた。
葡萄に接触しないよう気を掛けて来る辺り、同じ生産業の一人だと分かる。
そうしてカーリアの背から伺う様に見ていると、その顔に見覚えがあると気付いた。
名前までは覚えていないが、ヨーンとも親しい間柄だったと記憶にある。
その男が興奮した顔に汗をびっしょりとかいて、立ち止まるなり後方を何度も指差す。
何かを言いたいようだが、荒い呼吸と混乱で、言葉が出てこないようだ。
指差す方向に目を向けても、誰かがいたり、火事などの事故が起こっている様にも見えない。
全く要領を得ず困っていると、ヨーンが歩み寄って肩に手を置いた。
「どうしたってんだ、エリク。そんなに慌てて? 誰か偉い人でも来たってのか?」
「ち……っ、ちがっ……! ハァッ、ハァッ……! まじゅ……っ! 魔獣が出た!」
「ば……!?」
馬鹿な、と言いそうになって、慌てて口を噤む。
魔獣は森の奥深くに生息している。それはこの村に住む者なら、誰でも知っている事だ。
それなのに、ここまで慌てているのは、森から姿を見せる筈のない相手が出てきたからに違いない。
余程の大物か、あるいは――。
「それで、どいつが出て来たんだ!?」
「あ、赤熊だ……!」
その一言に、思わず唇を噛み締める。
名前のとおり、背中から腹部に掛けて、虎柄を思わせる赤い線を走らせた毛皮の熊で、体長はメスでも二メートルはある。
オスの平均は三メートル以上あり、額に角を持つことから、ツノワグマとも呼ばれる魔獣だ。
とても凶暴ではあるものの、滅多に森から出てこない。
知能も高く、何が危険かをよく理解しているとされていた。
騎士団が派遣されると、主に討伐する対象でもある。
実力ある騎士が最低でも四人掛かりでなければ、足止めすら難しいとされる相手でもあった。
森の外が危険で、森の外には騎士がいる事も、赤熊は知っている筈だ。
それでも、森の外に出て来たのは好奇心からか、それとも別に理由があるからか。
一番に考えられるのは、まず食料を求めての事だと思うが――。
「森から出て来たなら、まず一番に被害に遭うのはあたしの畑でしょ? そっちはやられたの?」
「いや……っ、森と隔てる土壁があるから、そっちは避けたんだろう。被害は別の畑だった……!」
「避けた……?」
今は春先で、畑に実った作物など無い。
腹を空かせてたなら、季節外れに実った作物のある、私の畑を狙うだろう。
そうでないのならば、目的は別にあるのだろうか。
「てっきり、腹を空かせて森から出て来たのかと思ったわ。寒冷化の影響は、人だけでなく獣にだってある筈だもの」
「森の恵みを食べてる動物は、確かに影響を受けそうです」
カーリアが同意して、追随するように頷く。
寒ければ、野生の木の実だって数を減らすのだ。
そうして数を減らせば、割を食うものも出て来る。
「寒冷はここ数年、ずっと続いてたものね……。動物の数も徐々に減らしていった筈だわ。あたしたちは森の入口付近までしか入らないから、森の実態までは知らなかったけど、予想以上に深刻だったのかもしれない」
「森の外に食物を求めて出て来るくらい、ですか?」
「そう思うのが自然って思ったんだけど……。あたしの畑を避けたのなら、思い違いかもしれないわ」
思案顔で拳を顎先に当てていると、カーリアがゆっくりと首を横に振る。
息が整ってきたエリクは、そんな二人を縋る様に見つめていた。
「お嬢様、食料を求めて降りて来たのは間違いないと思いますよ。ただ、土壁には魔力が籠もっているんです。森の魔獣ならば、魔力に対して敏感でしょうから、敢えて避けたのでしょう」
「知恵があるとはいえ、食料の匂いは嗅げた筈よ。それでも避けたの? ロクな罠だって置いてなかったのに」
「魔力があれば、そこに敵がいる、と思ったのでしょう。アレらは常に騎士から追われながら、森で生きているんです。騎士の多くは魔力を持ちませんが、持った人間が同行する事は多い。……警戒して当然でしょう」
実に納得できる話だった。
毎年、騎士団は森に入って掃討戦を行う。
魔獣が増えすぎるの抑える為、村への被害を抑える為、潜竜杉の確保の為……理由は多岐に渡るが、魔獣からすれば単なる敵だ。
狩られる側からすれば、近寄りたいと思わないのも頷ける。
「じゃあ、あんたは食料を求めて、と考えているのね?」
「獣というのは、人里に近寄りたがりませんが、例外は大体そんな所ですから」
「でも、畑に作物なんてないわよ」
「ですから、民家の食料を襲うのでしょう。あるいは、人そのものを」
冷徹な一言が放たれ、一瞬で血の気が引いた。
ヨーンとエリクも、顔面を蒼白にさせて全身を硬直させている。
ただ、その目から、慈悲を乞う視線が強く――あまりに強く向けられていた。
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