守るべきもの その2
「いつも森から魔獣が出て来たら、どうしてたの?」
顔面蒼白になっている二人に尋ねると、首を左右に振ってから、曖昧に言葉を零し始めた。
「どうしてたって……。閉じ籠もったり逃げたり……その間に、村長が領主様に何か……こう、要請とかしてたんだと思う。後から……、騎士団が……」
「そう……!」
ホッと息を吐いて胸を撫で下ろす。
要請すれば来てくれるというなら、まず身の安全を確保して置けば問題ない。
騎士団は精鋭揃い、実績も十分ある。
では、後は任せておけば大丈夫だろう。
避難誘導などで失敗しなければ、深刻な問題に発展せず、嵐が過ぎ去るのを待っていれば良いだけだ。
「じゃあ、早く逃げましょう。まだ知らない皆にも教えてあげなきゃ。いつも、どこか一箇所に集まってたりしたの?」
「いえ、いえ……! 違うんです!」
「違う? 何が……?」
「赤熊が出て来た事なんてない! もっと小さな……斑鹿とかっ、森狼とか、そういう……! 閉じ籠もってても、まだ安全な奴ばっかだ! 戸なんか壊されちまうんじゃないのか!?」
エリクがあれほど焦っていた理由が、ようやく分かって来た。
珍しくはあっても、魔獣が森から漏れて来る事はある。
だから、その際の対処法などもあっただろう。
家の外や蔵などに備蓄している食料などもあるだろうし、それらを食い荒らされようとも、生き延びられるとは思えたに違いない。
獣にしても、一度楽を覚えると次も同じ事をしようとする。
だから、騎士団も魔獣の相当には協力的なのかもしれない。
定期討伐以外にも、要請すれば来てくれるのは、そういう事だろう。
「赤熊の巨体となれば、食料の被害も甚大でしょうね……。足りなければ戸を壊して侵入して来るかも……、確かにそうだわ」
「村で一番頑丈な建物は?」
「そりゃ……、村長の家です。でも、村の全員を集めて入れるほど大きな家じゃ……!」
「そうよね、農村なんだし……。そもそも近くにウチがある時点で、管理はこっちの仕事みたいなトコあるし……」
他の村ならば、実質的なリーダーや責任者として、その格に見合った住居を持っていたかもしれない。
しかし、この村では皆のまとめ役以上の役割はなく、他の村民と変わらぬ生活を送っている。
多少、他より立派とはいえ、大きく変わりはしないだろう。
「それに……、それに! 騎士団が来るのは、早くとも三日後なんです! どんなに早くても……。でも、大抵はもっと遅かった筈で……」
「何でそんな事になるの? 騎士団でしょ? 公都から急げば……いえ、ちょっと待って。
「そりゃ……、まず領主様です。そちらから呼び掛けて、騎士団を派遣して貰っとるんだと思います」
ツバを吐き掛けたくなる気持ちを抑えて、拳を握る。
伯爵領で起こった事だ。緊急時とはいえ――いや、だからこそ、領主はそれを把握していなければならない。
その報告を領主に宛て、それから速やかに騎士団派遣を要請する。
こうした流れになるのは当然に思えた。
だが、その流れを堰き止める存在がいて、それが父なのだろう。
嫌がらせでもなく、単に把握してないだけ。サインを貰えないから、派遣が遅れる始末になるのだ。
その間の作物は、備蓄は、人命は……!
人々の生活がどれだけ脅かされるか、少し考えれば分かる事だろうに!
父は自分の生活を優先して、全く顧みたりしなかったのだろう。
「最悪だわ……! 最低でも三日、赤熊に怯えて暮らせって? 畑はどうなるのよ。備蓄は? それより人の味を覚えられたら……! そっちの方が最悪よ……!」
「鎧を着てない人間は襲いやすい、と思われるのも厄介です。三日の間に逃げられると、そのあと幾度でも村に降りて人を襲いますよ」
どこかで聞いてきたかの様に言うカーリアを、睨み付けて黙らせる。
ヨーンとエリクはすっかり怯えてしまって、家族の安否を確かめようと動きだそうとした。
背を向けた瞬間、ヨーンに向けて声を飛ばす。
「家族の事が最優先。自分の子供は助けてやんなさい! でも、戦える男がいるなら呼び掛けて!」
「何をするつもりで……?」
エリクから恐る恐るとして声を掛けられ、不承不承なが頷く。
「――戦うわ。それしか道がない」
「ヒッ!」
「お嬢様、正気ですか。……いえ、本気ですか?」
「三日後に来るかどうかも怪しい騎士団を、待ってなんかいられないでしょう。早馬を飛ばして、即座の承認があったとしても、明日になるまで来ないわよ。夜を徹して駆け付けてくれるとも思えないし」
現在の時刻は昼過ぎで、どう急いでも到着は夜中になる。
魔獣の索敵も容易ではなく、危険ばかりが大きい暗闇で作戦を遂行するなら、明け方に合わせた動きを取るだろう。
オルガスがにせっつかせても、これはどうしようもない問題だ。
そして、それだけの時間があれば、赤熊は腹を満たして森に帰ってしまう。
果たして森への追撃までしてくれるだろうか。
是非、そうして欲しいと切に願う。
しかし、どこまで融通が利くかも分からない。
れっきとした一つの軍事行動だろうから、臨機応変に、とはいかないだろう。
平地と森では用意する装備とて違うかもしれない。
下手に期待して、その背を見送る事になるぐらいなら、ここで決着を付けた方が良い。
「威勢が良いのは結構な事ですよ、お嬢様。ですけれど、実戦経験もないのに、どうやって戦うおつもりです? 戦い方も知らず、倒し方も知らず、それでどうやって立ち向かうのです」
「そんなの分かんないわよ! でも、放っておけないじゃない!」
「こんな時に子供の癇癪は止めて下さい。無理なものは無理と、素直に受け入れて欲しいんですけどね」
どこまでも冷静なカーリアに怒りが湧いた。
こんな状況でよくもそんな、と口から出掛かった所へ、更にカーリアが畳み掛ける。
「素人は足手まといだって、農作業で理解した筈じゃないですか。それに、ここで死なれると村の方にも咎が及びます。自分の勝手、自分の責任……それだけで収まらない問題になるんですよ」
「なんでよ!」
「あなたが貴族だからです」
「ハンッ!」
失笑めいたものが漏れて、何かを言いかけようとしたのだが、やはりそれより早くカーリアが口を開く。
「村人が貴族の為に命を落とすのは是としても、その逆はない。それが貴族というものです。自覚して下さい。ここであなたに死なれると、村長を始めとした何人かが、責任を取らされて首が飛びます」
「そんな、理屈――ッ!」
「ふざけた理屈、そうですよね。勿論です。じゃあ、ご当主様は無かった事にするでしょうか? お嬢様だから別に構わないと? それはそれとして、貴族の矜持を優先すると、そう思えてならないのです」
握った拳を更に強く握り締め、唇を固く結ぶ。
カーリアの言った事は間違いない。
不出来な娘、共に食事も取りたくない娘、そう思われていようと、貴族の誇りには煩い父だ。
母も同様だろう。責任の所在よりも、自家に恥をかかされた事を優先させそうだ。
村に対して、苛烈な報復がなされるだろう。
これまでに築いた村民との絆を、完全に断ち切り溝を作る何かをするに違いない。
「じゃあ、何……? 少なくない被害が出る前提で、あたしは村を見捨てた方がいいって言うの?」
「だって、戦えないでしょう?」
「戦った事がないだけだわ! あたしには魔力がある!」
「だから何です。あなたは新兵ですらない。訓練さえ受けてないのに、戦うのは無謀だって言ってるんですよ」
「だって、あたしはバークレンだもの! 領民を守るのは、あたしの義務だわ!」
カーリアはそれに反論しなかった。
顔を逸らして、ただ溜め息を吐いた。
細く長いその溜め息は、何か決意を込める呼吸に思える。
「その志は大変立派です。でも、何がそうまでお嬢様を動かすのですか? 長く村と接して、情が移りましたか? 死なないまでも大怪我したら、やっぱり村には報復がいくと思いますよ。仇で返す事になります」
「だったら、あんたが守りなさい! あたしの代わりに傷を受け、魔獣を倒すのに尽力なさい! 貴族の魔力は、民を守る為にこそ使うんだって、本にだって書いてあるわ!」
「本に書いてるだけの、御上品な上辺を信じたりしないで下さいよ。貴族の方便でしょう? どうして、私が代わりに……」
逸らしていた顔を戻し、小馬鹿にする息を吐いた。
常に無表情なカーリアがすると、また別のものが見えそうになる。だが、長年一緒に居るお陰で感情の機微は良く分かる。
口で言うほど、彼女は今の状況を嫌がっていない。
むしろ試している様に感じる。
この状況に対し、どう対応するか見ているのだ。
貴族への悪し様な言いようも、つまりそれに起因している。
腹に力を込めて、裂帛の気合と共に声を出す。
命じる、従え、その気持ちと共に言葉を紡いだ。
「カーリア、お前に命じる。あたしと共に前に出て、魔獣の掃討に付き合いなさい! 村を守るの! 領民を助ける! 犠牲を出さずに!」
「――畏まりました、お嬢様」
腹の下で両手を合わせ、背筋を伸ばして深く礼をする。
今まで見たことのない、礼節に則った一礼だった。
頭を上げた時には、口の端に笑みが浮かんでいた。
握り締めた拳が震え、背中には汗が張り付いて、鼓動が早くて頭が真っ白になりかける。
自分が何故ここまで興奮しているか分からないまま、強張った顔は笑みを作れず、ただ上下に首を振った。
「ところでお嬢様……足、震えてますよ。虚勢を張るなら、もう少し……」
「頑張ってるわよ、精一杯! 黙っときなさいよ、そういうのは!」
「いつもの調子が出てきましたね。では、魔獣退治を始めましょう」
「お茶の時間じゃないんだから、そこまで気軽に言われても……」
「犠牲を出さずに勝つのでしょう? そのぐらい余裕を持った気持ちでいませんと。――あぁ、そうそう」
突然、水を向けられたエリクはビクリと身体を震わせた。
二人に圧倒されて、動くに動けずにいたヨーンも、ここで動きを取り戻す。
「戦える者を集める、と言ったお嬢様の意見は正しいです。武器といわず、先端が尖ったものなら何でも良いでしょう。シャベルとか鋤とか鍬とか……。当たったら危ないと思えるものを持って、男衆を集めて下さい」
「一緒に……戦えってのかい?」
「いや、セイラちゃんがあんだけ啖呵切ったんだぞ! それで俺らが黙って守られるなんて出来るか……!」
ヨーンが腕を振り上げ宣言すると、カーリアの言葉を受け取って走り出す。
エリクもそれに釣られる様に走り出し、後には二人だけが残された。
「後はこちらも準備を整えるだけです。……大丈夫、お嬢様が言ったとおりです。恐らく、すぐに済みますよ」
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