新たな成果、新たな試み その6

「今の状態がどれだけ続くかは不明よ。考え過ぎって事もあるかもしれない。実は来年には元に戻るかもしれないわよね。でも、予算とは例年、前年を基礎として作られているものだし、もしも変わらず続くなら、悲鳴を上げる頃合いだわ」


「それは……。しかし我が領は、ワイン生産の成功で潤っております。買付けも不審にならないよう手広く行っており、安価場所の一点買いなどしておりません」


「えぇ、備蓄は大丈夫みたいね。父には上手く誤魔化せてる?」


 備蓄場所も堂々と正規の倉庫を使っているのだが、直接確認しないと分かっているので、そこは問題視していない。

 しかし、帳簿だけはしっかり確認してくるので、その欺瞞工作だけは手を抜けなかった。


「えぇ、裏帳簿……本来の意味とは若干異なりますが、旦那様に見せるものも、しっかりと手抜かりなく作っております」


「本家――公爵領への報告義務も、本国への納税とは別に行っているのよね? そちらは正しい支出から算出してる?」


「無論でございます。そちらへ間違った数字を報告しては、それこそ裏切り行為ですからな」


 つまり、知らぬは本人ばかりなり、という訳だ。

 それも実際に視察するなり、行かないまでも領主としての本分を全うしていれば、容易に気付けていただろう。


 ほんの少し税収が上向いて、毎年僅かに使える金が増えている現状に、密かな満足感を得ているようだ。

 悪態を吐くだけで本人は何もしていないだろうに、目先に餌をぶらつかせれば、それで満足するのは滑稽でしかなかった。


「……そう。話を逸らしてしまってごめんなさいね。それで、あたしが懸念しているのはね、自領だけ無事な運営が出来れば良い、とは考えていないからよ」


「他領も……本家だけでなく、その枠組すら超えての発案だと……?」


 オルガスの眦が見開かれ、その肩が次第にワナワナと震えだした。

 まるで、その壮大なスケールと、多くを救いたい慈悲を感じて感動している様に見える。

 だが、当然そんな聖人めいた考えで、他領を気にかけている訳ではなかった。


「貴方なら分かるでしょう? 自分だけ助かる事は、他領のやっかみを買うわ。恨みさえあるかも。それだけならまだしも、略奪が発生するかもしれない。……それに、小麦や葡萄だけあっても、生きていけないしね」


「……なるほど、確かに壊滅的な飢饉となれば、豊かな所から奪おうという話になるやもしれません。他領全ての食料を賄える筈もなく、旦那様はより高く売れる場所のみに卸そうと考えるでしょう」


「商人としてはそれで良いけど、領主としては最低だわ。とはいえ、全てを平等に配れば全ての場所で足りず、仲良く共倒れ……ってなりそうだし」


 難しく、悩ましいところだ。

 本家となる公爵領を融通するのは当然として、ならばどこを切り捨てれば良いか、という判断をする必要が出て来る。


 仲の良い、付き合いのある領から優先するのも一つの当然だろうが、それで不満を抑え込める筈もない。

 そもそも、最初から一つの領が、一人勝ちする政策こそ間違いなのだ。


「寒冷期という災害に対しては、誰もが協力する姿勢こそが大事だわ。初年度を切り抜けられても、翌年……翌々年を暴動で脅かされては意味ないでしょ? 全てを助けたいんじゃない。領民を助ける為に、これは必要な措置なのよ」


「このオルガス、己の浅慮をこれほど恥じた事はありません」


 慇懃に深々と頭を下げ、しっかりと十秒後頭部を見せてから顔を上げた。

 その目には薄っすらと涙の膜が張っており、感動の面持ちを露わにしていた。


「やはり、お嬢様は特別な御方。聡明だとは良く理解していたつもりでしたが、そこまで先を見越していらしたとは……! お嬢様にお仕え出来ますこと、終生の誇りと致します!」


「そこまで言われる事じゃないのよ。下手すりゃ乱世に発展しかねないから、あたしが平穏に暮らす為、必要ってだけだから」


「その様に自分を貶めなさいますな! お嬢様の心優しいご気質、よく理解しております!」


「いや、理解してないわね、それは……」


 もはや、こちらの声など届いていない。

 ハンカチを取り出して目尻を拭い始めるのを見て、どうしたものかと後ろを振り返る。


 カーリアは我関せずで、部屋の置物と化していた。

 いつもなら身分を無視した辛辣な発言を飛ばすだろうに、今は無駄に空気を読んで静観している。

 見慣れた無表情の済まし顔が、何故だかとても鼻に付いた。


 とはいえ、いつまでもオルガスの感激が治まるまで待っていられない。

 少し大きめの咳払いをすると、ハッと我に返り、身なりを正して向き直った。


「まぁ、それでね。無理を通しても自領だけにしか、新品種は植えられないでしょう? 他領にともなると、働きかけたところでまず頷かない。――納得させるには実績が必要だって、誰かさんも言ってたわ」


「誠に、然様で……。言葉を尽くしたところで、伝わるものではございますまい。まず、納得させられるだけの結果を持って説得する……それは大事でございましょう。ですが……、よろしいのですか?」


 言わんとしてる事が分からず、首を傾ける。


「何が?」


「お嬢様のお考えは理解できます。まず今年は自領に半分の種付け、そして来年以降は全て置き換え。同時に他領にも有用性をアピールし、同年ないし来年から他領にも種籾を使ってもらう……。早くとも数年越しの計画であり、来る寒冷の本格化の備えとしたいのだと」


「良く理解して貰ってるみたいね。それならば、一年でも早く開始したいのも分かるでしょう?」


 いえ、とオルガスは小さく首を横に振り、挑むような目つきで見つめてきた。


「これまでは隠してこれた事が、公になります。小麦、そして葡萄の産出量は、そこまでいくと誤魔化し様がありません。幾ら旦那様が実態をその目で見ないといっても、必ずその耳に入ります。……いえ、そうならない方がおかしい」


「そうでしょうね。遅かれ早かれ……、そういう話になる。……早くても三年後? その時に実際の税収とか、知られると拙いものが表出するでしょうね」


「ですから、お訊きしました。……よろしいのですね?」


「仕方ないわ。これで来年以降、温暖に戻ったら馬鹿をやったと笑いましょう」


 一切の気負いない返事に、オルガスはまたも何かの琴線に触れた様だ。

 全身を震わせ、涙を隠す様に深く頭を下げた。

 彼は、またも大きな勘違いをしている。


 この芽が芽吹くのは、早くても三年後なのだ。

 三年――。

 つまり、現公爵閣下が事故死し、グスティン様が爵位を継承して、多くの汚職が明らかになる年だ。


 そして、学園に入学する年代でもある。

 この学園入学前に逃げ出すのが計画の一部であり、明らかになる時には家が潰れているという算段だ。


 功績は何一つ残らず、判明したとしても本人は何処かへ姿を消している――。

 そういう形に持っていくつもりなので、何がどう明らかになろうと関係ない。


 唯一の懸念は、現公爵閣下の死をどれだけ正確に知れるのか、という事だった。

 素早く情報を知れる立場にないし、そもそも情報は遅れてやって来るものだ。

 手紙を出せば二日で届く、などという利便性は存在しない。


 公爵閣下の死を合図にするのが、時期としては最善と思っていて、それまでに自分の貯蓄を作ろうと考えていた。


 貴族令嬢は、自分で財布を持たない。

 お金の扱いさえ知らないものだ。


 欲しい物があれば商人を呼び付けるもので、その支払いも使用人が行う。

 食料品などを扱う商会を贔屓にしているなら、全てまとめて月末払いで、御用聞きが来た時に支払うのが普通だった。


 現在は税収も少し上向いたとはいえ、相変わらず父は借金を作る。

 母は無駄遣いとは言わないまでも、妹へ高額な費用が発生する講師を手配していた。

 我が家の収入に見合った講師を雇えばよいもの、分不相応な相手を招いて、やはり借金を作っている。


 何故そこまで金銭感覚がないのか、と言えば、その一つに娘の身売りを画策しているからだった。

 父は私を公爵夫人に据えようとしているし、そうすれば莫大な富に手を付けられると思っている。


 無理なら豪商の妻にでも、と考えているだろう。

 だから、先を見ない馬鹿な散財が出来るのだ。


 溜め息をぐっと我慢して、歯の間から静かに吐き出す。

 きっと眉間に深い皺が出来ているだろうが、どうせ今は誰にも見えていない。

 オルガスが再び顔を上げるの辛抱強く我慢して、それから今更思い付いたかのように声を出した。


「そうそう、ここ数年で作った資金に、まだ余裕はあるかしら?」


「他にも何か、ご懸念でも……?」


「いえ、そうじゃないのよ。ワイン蔵を一つ、新設したいの。秋の収穫に間に合うように」


「それは……可能かと存じます。備蓄分に使用したのとは別に、大分ダブつかせておりますから、それ自体は問題ありません。――では、新たなワインをお作りになると?」


「趣向を変えた逸品をね」


 現在の伯爵領で作られるワインは、所謂ブランドワインだ。

 貴族や商家に卸されるワインで、一定の評価はある。

 しかし、売り上げを伸ばそうと思っても、主だった所には既に行っている訳で、新たな開拓が難しいものでもあった。


 ワインは庶民にとっても馴染み深く、酒場に行けばまず飲める代物だが、水で薄めて飲むのが一般的だ。

 そのまま飲むと高価だから、というのが一番の理由だった。

 それを逆手に取れないか……。そして、もし叶うなら莫大な利益になる。

 以前から漠然と考えていた事だった。

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