新たな成果、新たな試み その5
自室へ帰る途中、静かに付いて来ていたカーリアが、ぽつりと言葉を落とした。
「随分と、お優しい言葉をお掛けになるので驚きました」
「あのコには、多分あんまり通じてないけどね」
「……それにしても随分、気に掛けるのですね」
「あのコ自身に問題があるというより、周囲と教育の責任だから。個人的には、……そうね。可哀想な子だと思うわ」
これは心からの本音だ。
姉が不出来だから、その責任と期待を一身に背負わされてしまった、憐れな妹。
その上、親の期待に応え続ける事が出来たとしても、報われたりもしない。
親の思想を受け継ぎ、親の様にあるべきと育てられた結果が、親の不始末による没落なのだ。
今から三年後の夏には、その罪を詳らかにされ、バークレン家は取り潰しに遭う。
その時、マルグレットは十歳になるかどうか、という年齢だ。
貴族の罪は基本的に連座が常だから、十歳と言えど無罪にはならない。
ただ、親より遥かに軽い罪で済む。
養子に望む声があれば、表向きは修道院入りとして、その家の子として入る事も可能だろう。
だが、どこも望まなければ、やはり修道院ぐらいしか行き先がない。
――きっと。
どこの家も、好んで受け入れてはくれないだろう。
元よりバークレンの評判は芳しくなく、当主は遊び歩いてばかりいた家だ。
それは他家でも、よく知られているだろう。
家を取り潰される程の大罪を犯したとなれば、その子に罪がないとはいえ、敢えて関わりを持ちたいと思わない。
マルグレット自身に、余程の器量や価値があれば、話はまた別なのだが――。
「まぁ、なるようにしかならないわね。あのコ自身が……いえ、どちらにしても若すぎる」
「それをお嬢様の口から言われると、冗談にしか聞こえませんね」
「いいのよ、あたしは。色々とおかしいから」
「自覚があるのは結構な事です」
背後に目は付いてないけれど、したり顔で頷いているのは良く分かる口調だった。
妙な形で絡まれてしまったが、とにかく今日は得た成果をより完成に近付けさせる為、やる事をやらねばならない。
畑の方は申し訳ないが、キャンセルするしかないだろう。
寒冷に強い作物を研究する方が、余程大事だ。
それに、この進捗次第では今後の作物事情を、完全に覆す事になるかもしれない。
寝ている暇すら惜しい程だった。
鼻息荒く歩を進ませながら、自室への道を急いだ。
※※※
流石に徹夜は看過されず、カーリアから力ずくでベッドに放り投げられた。
寝静まったと見せかけて起き上がっても、いつの間にやら背後にいて、人を殺せる笑みで横から覗き込んでくる。
ちびるかと思うほど恐ろしい目に遭って、それからは改めた。
人間、睡眠は大事だ。
考える頭がなければ、効率も落ちる。
そう自分に言い聞かせて眠り、起き上がると同時に机へ齧り付く。
食事が少ないのも、今だけは利点でしかなく、手早く済ませられるのですぐ作業に戻れた。
食事する間も惜しいとはこの事で、この研究成果を上げるのに躍起になっていた。
それが三日続き、いよいよ目処が立ったと確信の息を吐いた時、今や立派な助手となっていたカーリアが尋ねてきた。
「……どうして、お嬢様はそこまで必死なのですか?」
「何が? すごい事でしょ。夏が遅く、秋が早い年でも、実を付けてくれるのよ?」
「確かにそれは素晴らしい事です。でも、どうしてそれで、お嬢様が必死になる必要があるのでしょう? 一地方の令嬢が考えずとも、国家の中枢の偉い人たちが、きっと助けてくれますよ」
「……そうかもね。そうあって欲しいと思うわ」
「でも、お嬢様は信じてないんですね」
信じていない訳じゃない。
むしろ、信じたいと思ってる。
だが、寒冷対策は働けば働くほど実りで返してくれる、というほど単純なものではない。
毎年の気候や気温など、それこそ国は把握している。
そこから更に今年は、来年は、と推測を立てて運営している筈で、芳しくないと思えば備えもする筈だ。
しかし、それで何とかなるのなら、この世に飢饉など起きていない。
来ると分かって、備えたところで足りない。
国中全てを賄うには、資金が不足している。
急な変化を予想できるか。
そうしたどうしようもない間違いを、常々起こすものなのだ。
そして、それは決して怠慢でなく、人知の及ばない領域である事を示している。
「人間には、出来る事と出来ない事があるわ。それは国でも同じ事。常に備える事が肝要と言うけど、出来ない事には備えられないのよ。だから、それが出来る、あたしがやるわ」
「つまり、お嬢様なりのノブリス・オブリージュですか。確かに、領民を守るのは領主の務めです」
「あたしは領主じゃないけど、領主がアレなら、あたしが代わりにやるしかないでしょ。第一、食糧不足の末に起こるのは、何も飢饉だけじゃないもの」
カーリアは只でさえ無表情の顔に、暗いものを落としながら頷く。
「食料の奪い合い……、あるいは強奪。争いの内容次第では、内乱へ発展する可能性があります」
「内乱だけで済めば良いけどね。国力の低下は、外国から攻め込まれる口実にされるわよ」
「それもまた、……あり得ます」
食料支援などと、道義的外交ばかりを期待できない。
グランフェルト王国の興りは、戦争を勝ち抜き、領土を拡大させていった結果としてある。
国というのは、一度奪われた自国の領土を決して忘れない。
三百年も昔の話だから、という言い分もまた、通じないものだ。
絶好の機会と見れば、どうとでも大義を持ち上げるだろう。
「目に見える火種を潰せるなら、潰しておきたいのよ。あたしの平穏な生活の為に」
「なるほど、ご自身の為でしたか。それならば納得です」
「そういう納得され方も、すんごい鼻に付くからやめなさい」
威嚇するように歯を見せて顰めっ面をしてから、再び作業に戻る。
寒冷に強い種、そしてより実を付ける麦は完成に近い。
今の麦は背が高く、その成長の分だけ栄養を余分に使っている。
それを背丈ではなく、実の方へと使わせてやれば、多くの実を付ける麦が完成する。
そして、その完成は、すぐ目の前まで来ていた。
※※※
作物の改良について目処が立ち、実際に栽培してみて、それが望んだ結果を運んでくれた。
麦穂から取れる小麦は通常種の、最低でも二倍。
平均的にはそれ以上でありつつ、寒さに異常な強さを持っている。
春先の深夜となれば未だ寒く、外気温は十度を超えない。
それでも問題なく実を付けるのだ。
病気に対して十分な検証は出来ていないが、今までの実験結果から見る限り、特別弱いといった兆候は見られない。
これから更なる研究で、より病気に強い品種は作れそうだが、今はこの寒冷に強い麦を広める方が先だ。
成果を手に持ち、一路オルガスの執務室に急ぐ。
ノックするなり返事を待たずに飛び込んで、机の上に稲穂を叩きつけた。
「見て頂戴、これが新品種! 自信作よ!」
「ほぉ……!」
突然の乱入に驚く顔を見せつつも、オルガスに咎める様子はない。
ただ、後から続いて入って来たカーリアに目配せし、静かに扉を閉めるのを見届けるまで口を開かなかった。
扉が閉められ、カーリアがドア付近で待機するのを確認した後、机の上に置かれた稲穂へ目を向ける。
根本がしっかり残っている麦穂を上から下まで見つめ、そして見事に実る穂先で目を留め唸った。
「これは……、これ程の小麦は初めて見ます。今までにも途中経過は聞いておりましたが、何ともはや……。予想を遥かに上回る出来栄えです」
「そうでしょう? しかも、これまだ麦踏みしてないのよ。一晩、勝手に育つに任せてるから。その上で、これだけ実ってるの」
麦踏みとはその名の通り、芽が出て葉が四つほど伸びてきた辺りで、その葉を踏み付ける事を指す。
これをする利点は多くあり、より頑丈な麦として育つだけでなく、主幹が伸びすぎる事を防げるのだ。
また、根の張りもよくなり、より多くの実を付ける事にも繋がる。
農作の上では必須作業とも言え、それをせずして従来種よりも多く実を付けるのは、まさに革命といって良い出来栄えだった。
「……素晴らしい! しかし、やけに茎が短く思えますが……。この品種特有の病気、という事はないのでしょうか?」
「ないわ、それはわざとそうしているの。茎を伸ばすのに使う栄養は、余分と切り捨てた結果ね。だから、実を多く付ける訳なのよ」
「なるほど……。そして、ご報告にあるとおりなら、寒冷下にあっても実を付けると……」
「そう。実際に他の畑で生育させた訳じゃないから、まだ不安要素はあるんだけど……。私の魔力で無理やり成長させた結果、ここまでの実りを見せただけかもしれないし。でも、なるべく早く領民にこの麦を植えて欲しいの」
オルガスの目を真摯に見つめて頼み込む。
目を逸らさずに見つめていた彼が、ふと横に目を向けてチラリと笑った。
それからソファとテーブルの方へと優雅に手を差し伸べ、自らも席を立つ。
「お話が長くなりそうですな。腰を落ち着けて、ゆっくりと話しましょう」
「そうね、そうするわ」
「――ここは良いから、お茶の準備を」
オルガスが短く指示すると、カーリアは音を立てずに一礼し退出していく。
そうして席を移り、オルガスが新品種の小麦を矯めつ眇めつしていると、カーリアが帰って来てお茶を淹れてくれた。
二番煎じでも、湿気ってもいない普通の茶葉は久しぶりで、香りを楽しみながら嚥下する。
オルガスも紅茶で唇を湿らせると、柔らかい笑顔で頷いた。
「勿論、お嬢様の仰ることです。領内にて、この品種を広めるのに尽力させて頂きます。しかし、種籾が十分になくては、それも不可能でしょう」
「それは大丈夫、あっちの畑をフル稼働させて増やしている最中だから」
「なるほど、そちらは順次数が揃い次第で良いとして……。領民の全てが、素直に応じるとは思えません。たとえ王命であろうとも、難色を示す農民は多いでしょう。折衷案として、畑の半分に留めるべきかと提言いたします」
「そうね……、即座の納得は難しいでしょう。植えてもらえるだけで良しと、今年は考えるべきだわ」
仲良くしているヨーン達ならばともかく、遠く離れた村の、特別親しくもない者たちはまず反発したいところだろう。
領主命令を使ったところで、なお強い反発が生まれそうだ。
貴族の勝手な思いつきに、振り回されては堪らない、と思う人間の方が多いだろう。
もしも、これがお祖父様からの命令であったなら――。
領民に慕われていたお祖父様なら、反発なく受け入れられていたかもしれない。
それこそが、領主としての器、信頼の有無から生まれるものだろう。
領主が領民に何をしてくれているか、それを肌身で良く感じている筈だ。
「しかし、お嬢様。それほど急ぐ必要があるのですか? 実際の農地で試耕していないのなら、今年はそれに当てても宜しいのでは?」
「そう悠長なこと言ってられないでしょ。毎年の生産推移、貴方なら良く理解している筈。自領の評判が落ちている事と、繋げて見てしまいそうになるけど、これは別の事が原因よ」
「……他領の事情までは窺えませんので、明言致しかねますが……。毎年の気温も、寒冷めいてからこちら、大きく前後しておりません」
そして、だからこそ水際対策が成功しているとも言える。
国内に混乱が見られないのは、作物不良があったとしても、他で賄える範疇だったからだ。
この緩い寒冷が始まって数年、毎年下がるのなら悲観的にもなるが、一度下がりはしたものの更に下がるところには来ていない。
まだ大丈夫、と思っているだろう。
またすぐ盛り返す、とも思っているかもしれない。
だが、これがもし寒冷期の到来だったとしたら、今後少なくとも五十年以上は続くと考えられる。
五年の皺寄せに耐え、十年の重みに耐えられても、そこから更にとなれば難しい。
そして、今はまだ、その前兆の段階でしかないと踏んでいた。
本格的な寒冷期は、まだ来ていない。
それが訪れる前に、農作物の飢饉対策だけはしておきたかった。
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