新たな成果、新たな試み その4
この世界で夜の灯りとなるのは、松明であったり、蝋燭の光ぐらいしかない。
魔力を一箇所に定着させる方法がない事、また魔力を生活の中に取り入れる発想がないからこそ、昔ながらの方法に頼っている。
仮に定着できたとしても、光属性の魔力持ちでなければ、結局意味がないという話にもなってしまう。
蝋燭よりも長い時間維持するには、また別の解決案も必要なのだろうし、便利な照明器具の誕生はまだまだ先の事になりそうだった。
普段からやってる作物の改良も、灯りがなければ満足に結果を書き記す事も出来ない。
研究内容はアーレン家が残した家屋に保存してあるが、陽もすっかり沈んだ後とあっては、屋敷で書き物をした方が良かった。
あちらでは蝋燭の使用制限などないし、何より今日の成果をしっかりと記入し、他と照らし合わせ、今後の方針を練る事も出来る。
急ぎ足で屋敷に戻り、使用人用の勝手口前で簡単に土を落とす。
肩やスカートの裾を手で払っていると、背中に付いていたらしい葉を、カーリアが取って捨ててくれた。
そうして扉を潜ると、付近に誰も居ない事を確認して歩き出す。
既に使用人の生活ルーティーンもよく把握しているので、この時間は勝手口付近に寄る者などほぼ居ない。
――と、思っていたのだが……。
「あら、お姉様」
幼い声音に呼び止められ、その場で足を止める。
顔を向けると、そこには六歳になる妹、マルグレットがこちらを見つめて野卑な笑顔を浮かべていた。
まだ幼いというのに、実に両親とよく似た子供に育った。
その笑みの浮かべ方までそっくりで、よくもまぁ、そこまで同じ所作が身に付くものだと感心してしまう。
――だが、それも当然と言えるかもしれない。
親のマルグレットに対する溺愛ぶりは、行き過ぎだと感じる程だ。
姉を不出来と断じているからこそ、両親の関心全てが妹に向けられた。
この家の中心となっているのは、今やマルグレットであり、全てを許されるお姫様の様な扱いだった。
そうして育った彼女だから、姉に対するささやかな敬意もなく、見下す癖が身体に染み付いてしまっている。
「勝手口から入ってくるだなんて……。正門を利用できないって話は、本当だったんですのね」
「あんた、そんなこと言う為に、わざわざこんな所で張ってたの? いつ帰ってくるとも知らない姉の為に? ご苦労な事ね」
「誰が……!」
一瞬、激昂しそうになったマルグレットだが、即座に気を取り直して、見下した笑みを浮かべる。
「哀れんでいるのよ。父様と母様から、居ない者とされているお姉様に。家族とは互いに、愛し合うものでしょう? それが例え、不出来な相手でも……」
「あらあら、それは自分に対する慰め? 今の内から予防線、張っておきたいのかしらね?」
「なにを――!」
「だって、あんたも不出来だったら、あの親から容赦なく切り捨てられるものね?」
嫌味たっぷりに言ってやると、マルグレットの肩がワナワナと震えた。
「そんな強がりを言ってられるのも今の内よ! わたくしが魔力を安定させれば、より両親から愛されるわ。今だって、単なる慈悲で家に置かれてるって、自覚することね!」
「自覚というなら、あんたこそしておいた方がいいかもねぇ」
一歩大きく踏み締め、顔をマルグレットへと近付ける。
「あたしが魔力を安定させたのは、今のあんたと同じ六歳の時よ。……で、どうなの? もう安定させた?」
「は、早ければ良いという問題ではない、とお母様も言ってた! それで失敗したお姉様に、そんなこと言われる――!」
「あぁそう、まだなの。じゃあ、平均的な八歳で安定させるのかしら? それとも、少し遅れて九歳……? んー……、十歳かも。人より遅れての安定は、やっぱり無能って思われるわよねぇ」
「そんなことない……! わたくしはお父様とお母様の期待を裏切ったりしない! お前とは違う!」
少し揺さぶってやれば、面白いほど動揺している。
ここに見限られた前例がいるのだし、六歳という年齢を考えれば、もしかしたらを考えずにはいられないだろう。
その顔は赤く染まり、目尻には涙まで浮かんでいた。
「貴族なのに民草に混じって畑を耕すなんて、なんて卑しいの! 媚びを売るのが、そんなに楽しい!?」
「嫌ね、あんたまで民草だのと馬鹿にするの? ご立派な教育を受けていらして羨ましいわ」
「お父様が言ってたわ! 貴族は下賤な輩とは違う。貴族は気高さを生まれながらに持っているから、貴族なのだと!」
思わず鼻で笑ってしまい、マルグレットの怒りが更に高まった。
確かに貴族であるか否かは、その大部分が生まれで決まる。
だが、その気高さとやらが日がな賭博に明け暮れ、借金を作ってくる事だとしたら、その気高さにこそ疑問を持つべきだろう。
そんな事も、まだ幼いこの妹には分からないのだろうか。
父は領主としての責務を投げ出し遊んでいるだけで、貴族として相応しい行いを何一つ為していない。
寒い時期が数年続いた時点で、飢饉を危惧して備蓄に努めるなど、率先して指揮しなくてはならなかった。
しかし、父の口から出た言葉は、税収の低下を嘆く声と、領民を鞭打つ脅しだけだった。
「生まれが全て、と考えるのはどうかしらね。優秀であるか否か、有益であるか否かは、その者の行動によって決まるのよ」
「それがお姉さまの土いじり? お父様は言ってたわ。あんな事を続けていたら、民草どもは増長し、身分の差を軽く見始めるって! 支配体制が崩壊し、国を維持できなくって!」
「あら、まぁ。それは……」
全くの見当違いとも言えない発言に、思わず口が止まった。
マルグレットも意味を理解して言ってるのか疑問で、父が言う事だから正しいと思っているだけに見える。
ただ、考えそのものは、軽く蔑ろに出来ないものを含んでいた。
父からすれば、権力に固執し、既得権益を守りたいだけで言った発言とも取れる。
しかし、綺麗事だけで国家は運営できない、という真理もまた含んでいた。
「……そうね。一部は、その意見に賛成しましょう。けれど、その権威と特権を、私腹を肥やす事に使うとなれば話は別だわ」
「お父様はそんな事してない! 領民だって、今の生活に満足してるって、皆言ってるわ!」
「ふぅん……」
誰が何を吹き込んでいるものか……。
現状に不満を持つ領民は、確かに少ないだろう。
領主への不満もきっとあるだろうが、それは遮断されているのか、マルグレットの耳には届いていないようだ。
現在の生活に、不満が出ていないのは当然だ。
ここ数年かけて、領民の生活が上向くように、奔走したのは私なのだ。
正確には、それにオルガスとカーリアも加わる。
表向きには変わらぬ税収と、低迷していたワイン売り上げの向上、数字を見るだけなら上向いて見えるよう細工をした。
右肩下がりだったものが持ち直し、ここから回復しようとしている。
帳簿を見るだけなら、その様に見えるから、父も文句を言わない。
税率は五割から四割に下げているが、その差分以上に儲けているので、穴埋めが可能となっているのだ。
領民の懐も潤い始め、毎年の収穫、ワイン評価の向上もあり、今シーズンの出来にも大きな期待を寄せている。
これで不満が噴出する筈もなかった。
「……ま、そうね。知らぬが良いって事もあるわ。特にあんたは、まだ幼いんだし。小難しい言葉を並べるのは、その意味がハッキリ分かってからにしなさいね」
それだけ言って、横を通り過ぎようと歩き始める。
実際、ここで口論にもならない、子供の口喧嘩を続ける意味などなかった。
「何よっ! 自分だけ賢いつもり!?」
「あんたも、そこそこ賢いわよ。未来の伯爵家は安泰ね」
――そんな日は、決して訪れないけど。
実際、その聡明さは高度な教育を施されている事を抜きにしても、大したものだった。
もしも今、同年齢の貴族令息や令嬢を並べれば、その違いが如実に分かるだろう。
だが、今のマルグレットに違いを計れる物差しは、姉しかない。
親も姉を引き合いに出すだろう。
あれがお前ぐらいの年頃には、これくらい出来た、とでも言われたかもしれない。
珍しく突っ掛かって来ると思ったが、もしかすると、それが原因だろうか。
屋敷の者全てが劣っている――マルグレットにとってはそう見える――相手より、下だと思われたくないのだろう。
「でもねぇ、アンタ。こんな出来損ないに勝ったからって、何だと言うの? そんな暇があるなら、手仕事の一つでも身に付けなさい」
「誰が、そんな……っ!」
「あら、綺麗な刺繍は、貴族にとっても立派に自慢できる特技よ。それがあんたを助けるかもしれなくてよ」
今度は呼び止める声を無視して、歩みを進める。
手芸が貴族の中で尊ばれるのは本当だ。
戦地へ赴く旦那の為に、刺繍を認めたハンカチを贈るのは、美徳とされた時代もある。
その名残で貴族令嬢の嗜みとされる事もあり、そして出来の良い刺繍は買い取ってくれる場合もあった。
そして、貧乏貴族の家計は常に火の車だ。手仕事で家計を助ける話は良く聞く。
だから、そのイメージに引き摺られて、嫌な顔をする令嬢もいるのだ。
だが、この先もし真面目に学ぶ事があれば、その手芸が妹を助けるかもしれない。
よく出来た刺繍は売れる。
それは時として、修道院でも家計の足しに行われる、立派な収入源だった。
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