守るべきもの その5
結局、あれから五日経ってから、騎士団は派遣されて来た。
伯爵家の人間が表立って動いたと知られる訳にはいかないので、そこは村長に上手く誤魔化して貰って、赤熊は森に帰ったと説明した。
幸い村への被害は最小限で済んだが、何度も村へ降りて来られても堪らない。
ここでしっかり赤熊を仕留めて貰って、魔獣にも村を襲うのはリスクと、改めて覚えて貰わねばならなかった。
具体的にどこまでやるのか知らないが、とにかくここから先は騎士団の仕事だ。
顔を覚えられる訳にもいかないので、見に行けないのはもどかしい。
村の子供達にとって騎士は憧れの職業なので、目を輝かせて見に行っている。
森の中へ入って行く彼らを、邪魔にならない距離から見つめるのは、この村にとって良くある事だ。
騎士への入団は、ごく一部を除いて実力主義だ。
能力さえあれば出自は考慮されず、入団試験も犯罪歴さえなければ受けられる。
何しろ個人で馬を所持できる職業でもあるのに加え、世話する為の丁稚を雇えるだけの高給を約束されるという事でもある。
子供たちにとって、騎士とは夢のある職業なのだ。
それに、この村にとって魔獣被害から守ってくれる存在でもあり、強く頼りになると思われている。
男の子は手に棒を持ち、頭に鍋を被って騎士ごっこをしている姿は、素直に微笑ましい。
子供たちにとって、彼らはヒーローで間違いなかった。
そんな彼らとは裏腹に、こちらでは被害に遭った畑の修復作業に追われていた。
被害が最小限とはいえ、農家にとって飯の種が損なわれるのは愉快な話ではない。
そして、今から植え直すなら、新品種を扱って貰えないかと交渉した結果、快諾を貰える事になった。
元より諦めていた部分に実りが出来て、それがセイラの助けになるのなら、と言ってくれた。
赤熊の襲撃に、逃げる事なく立ち向かったからこそ、今回の協力に結実した。
それが目的でやった事ではなかったものの、良い方向へ上向いている気はする。
認められるのは嬉しい。
受け入れられて、喜びを感じる。
――だから、いずれ捨てると分かっていて心に痛い。
彼らと親交を重ね、互いに必要とし、尊重し合える仲になる度、それを捨てるのが惜しくなる。
どうにか、ならないのだろうか――。
今更ながらに考える。
だが、既に結論が出た答えでもあった。
父を止めねば解決しない。
しかし、父が公爵閣下と袂を分かつ決断をせぬ限り、没落は変えられないのだ。
あるいは、公爵閣下そのものが、賭博狂いから抜け出せなければ不可能だろう。
そして、それはこちらのアプローチで変えられる事ではない。
出来るものなら、公爵家の重鎮などが既に止めている。
ならば父はどうかと言えば、
会話する機会もなく、オルガスからの進言にも耳を貸さない。
父の懐柔は公爵の説得同様、絶望的と言って良かった。
「……お嬢様? どうされました、ぼーっとして」
「いえ……、ちょっと考え事をね」
今も畑の修復中で、そして近くに騎士団がいる事から、魔術も使えない状態だった。
下手な事をして尻尾を出す訳にもいかず、今日一日は単純な肉体労働に従事していた。
こちらの会話が聞こえたらしい、畑主が近付いて来て、大袈裟な声を出しながら心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫かい、疲れが溜まってるんじゃないか? いつも助けて貰ってるんだ。無理せず、ちょっと休んじゃどうだね? ちょっと早めの昼休憩とでも思って」
「……そうね。そうしていい?」
「勿論だとも! 遊んでるチビどもに代わって貰うさ。まったく、騎士様が来るってんで、あいつら浮かれてちまって、しょうがねぇったら……!」
曖昧に微笑んで、チビたちに無理させないで、と言ってから離れた。
それに付いて来たカーリアが、日陰になる場所まで誘導した先でシートを敷く。
地べたに座るのは貴族令嬢のする事ではないが、今更なので誰も何も言わない。
一度断りを入れて離れたカーリアは、井戸から水を汲んで帰って来た。
それで喉を潤しつつ、麦わら帽子を取り去って、うちわ代わりに煽る。
畑主に連れて来られて、ブー垂れている子供を見ながら、もう一杯水を飲んだ。
「それで、お嬢様? 本当にご気分が優れなかったので?」
「そういうんじゃないんだけどね。ちょっと、先々を考えて集中出来なくなくなったから、丁度いいかと休ませて貰っただけ」
「以前、オルガスさんに話していた事ですか? このまま寒冷が続けば、という……」
「そっちは目処が付きそうだから、ちょっと違うわね」
実際、オルガスの報告を聞いても順調そうだった。
当初のとおり、全てを植え替える事に賛成する農民はいなかった。
だから、半分から始めさせる形で決着し、半ば強引であるにせよ、同意させる事に成功していた。
だが、これは成功する目が大きいギャンブルでもあった。
その公算は高いと見ていたので、前年と同数の収穫量に届かなかった場合、差額を補填する形にすればどうか、と提案した事で了承を得たのだった。
最低でも損だけはしないと分かれば、納得も引き出し易い。
そして、蝗害などの極端な例を考えなければ、問題なく収穫量が増す筈なのだ。
だから、そちらについては、今のところ心配していない。
ただ、手放し難くなった現状でも、いつかは手放さなければならない。
その覚悟だけは早めに付けておかねば、後悔が大きいだろうと思うだけだ。
汗を流して畑を修復する、村民たちを見て思う。
彼らの顔に逼迫したものは見られない。
大変だとしても、大変な思いをした先に、見返りがあると信じて疑っていなかった。
将来の不安が少ない証拠だ。
その将来を、より確かなものにする為、いま奮起している。
そして、その入口にまで導けたのが嬉しい。
彼らは、彼らの努力の末、領主の交代があっても生きていけるだろう。
勤労で真面目、税収を押し上げてくれる農夫を嫌う領主など居ない。
「まぁ、特に問題はないって感じよね……。それより……」
同じシート内の端で、膝を折って座るカーリアに目を向ける。
いつもと変わらぬお仕着せと、それに似合わぬ麦わら帽子を被った彼女は、今も表情に変化がない。
気になると言えば、カーリアの存在こそが気になるところだった。
「そろそろさ、あんたのこと聞かせて欲しいって思うんだけど……。まだ言えない?」
「オルガスさんなら知ってますよ。そちらから聞けばよろしいのでは?」
「あたしは、あんたの口から聞きたいの」
強めの口調でそう言うと、暫し外へ視線を向けていたものの、ゆったりとした口調で話し始めた。
「別に面白い事でも、特別な事でもありませんよ。少々、その生い立ちが特殊というだけで」
「ちょっと特殊ってだけじゃ、魔獣の前には立てないでしょ。最後、赤熊が土から出て来た時、あんたがナイフを突き出したら逃げた様に見えた。……あれって偶然?」
「全くの偶然かどうか、それは赤熊にしか分からぬ事です」
そのように断言したが、こちらの視線がカーリアの顔を見つめたままなのを受けて、続く言葉を吐き出す。
「……でも、鋭い金属を持った人間は、面倒だと映ったでしょう。その背後には魔力を持った人間もいる。逃走を決めるには十分な理由でした」
「まぁ、それについては納得しておくけど……。こっちが決め手に欠けて困ってるなんて、アイツには知らない事だろうし。散々転がされて、良いようにされていたんだから、逃げたくなる気持ちも分かるし」
だが、それだけが疑問な訳ではない。
やけに的確な指示は戦闘中、そして戦闘前から始まっていた。
戦慣れ、とでも言うのだろうか。
臆した様子もなく、頼りになる姿は勇気付けられもした。
だから、それに文句を付けたい訳ではない。
ただ、何も知らないカーリアの事を、もう少し知りたいと思っただけだった。
「暴力を生業にしてたとか、名字は無いとも聞いてたから、スラム出身なのかなと思ったけど……。もしかして、傭兵とかそっちの方かしら?」
「そうですね。この国の人間じゃありません。隣国の傭兵旅団に拾われて、各地を転々としながら生きていました」
「ははぁ……。傭兵って本当にあるのねぇ……。半分、冗談のつもりで言ったんだけど、まさか……ねぇ」
「この国は西国に比べて、すこぶる平和ですからね。一歩外に出ると、そうはいきません。この国の平和ぶりを見て、何の冗談かと思ったのは私の方です」
そう言った彼女の表情に、やはり変化はない。
しかし、その声音に呆れとも感嘆ともつかぬ雰囲気が混じっていたのは確かだった。
「この国って、そんなに違う?」
「根本的に違います。傭兵が生業として、成立するぐらいですよ。私はそうした旅団に、赤子の時に拾われました。戦災孤児ですね。そうした子供は私以外にも複数いて、幼い頃から訓練させられました」
「なるほど、だからか……」
魔獣程度では臆せぬ度胸が付くのも納得だ。
そして、刃物の扱いに慣れていそうなのも、それで納得できる。
「傭兵ってつまり、戦争に参加するんでしょう? でも、魔獣に対しても詳しいみたいだった。……そういうもの?」
「戦争ばかりが商売の種じゃありませんから。そうした依頼も引き受けていましたよ。私は専ら斥候としての訓練を受けて、そうした役割を受けていました」
「やけに気配が隠すの上手いと思ったら、そういう事ね……」
背後にピッタリ居たというのに、気付かなかった事を思い出す。
それ以外においても、背後に控えていると知りつつ、気配を感じない事もある。
出来るメイドはそういうものだ、とカーリアに言われたが、実は全くそんな事はないのかもしれない。
「でも、それならどうしてここに? 初対面の時は十四、五くらいの年だったでしょ? 何があってウチに来たのよ?」
「単に旅団が全滅しただけです」
「えらく重い事を、随分軽く言ったわね……」
生まれの親はおらずとも、家族同然に育った場所だろう。
思い入れも多分にあるだろうに、それを全く感じさせない口調だった。
「珍しい事ではありません。傭兵は使い捨てで、正規兵の突撃前に捨て駒とされる役目ですから。メンバーも入れ替わり立ち替わりが多くて、言うほど親しくしていた人は多くありません」
「そういうものなの……」
「大抵は勝ち戦に乗るものですし、負けそうなら、ひと当たりして逃げ出すものなんですよ。守るものを持たない傭兵なので、現場を死守するなんてしません。だから、長く続いていた旅団だったのですが……」
そこまで言って、ここで珍しくカーリアが言葉を濁した。
表情はそのままに、言いづらそうに口を噤む。
無理に聞き出すつもりはない。
だが、話したいなら――吐き出したいものがあるなら言うだろうと、そのまま黙ってカーリアの反応を待った。
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