成果を得た先 その3
翌日、朝食はパンとスープだけという、実に簡素な物を用意され、改めて謹慎の旨も伝えられた。
伝言人は母の側仕えで、厳格な教育ママを枠に嵌めて形にした様な人だ。
貴族と淑女の何たるかを重要視する人でもあり、母が全幅の信頼を置く人物でもある。
恐らく――。
魔力測定でケチが付かなければ、いずれ私の教育係になっていたんじゃないか、と睨んでいる。
ご丁寧に扉に鍵を掛けて行ったので、トイレすら自由にさせないと言ったのは冗談ではなかったようだ。
足音も遠ざかり、部屋に沈黙が下りると、カーリアから話し掛けて来る。
「……それで、許されているのは魔力制御の勉強についてのみ、との事ですが……」
「バカ正直に従う訳ないでしょうよ。もうある程度、読み終わってるし、何より実践に勝る練習もないものね」
前提となる基本や理念、理論を学ぶのは重要だ。
しかし、机上で学ぶだけでは意味がないと、畑の改善をしていた時に実感している。
まだ六歳という幼い年齢だからこそ、まずは本から学べと言いたいのは分かる。
だが、魔力は使わずして成長しないとも、実感していた。
昔と違って実際に使わない事が前提になっているから、どうすれば上手く使えるか、その技術的な部分ばかりが注目されていて、本を読んでいても退屈極まりない。
腕立て伏せを繰り返すと筋力が付く。
フォームを整えれば速く走れる。
そんな事を本で理解させても、実際に動かさなければ体得したとは言えないだろう。
「まぁ、でも……結局年齢を見ると、実践にはまだ早いって判断なのかしらね?」
「普通は八歳から魔力が安定する、という話ではありませんでしたか? 普通の貴族家の魔力教育としては、六歳から始めるには妥当な内容という気はします」
「あー……。それは、確かにそうねぇ……」
自分は出来るから、ついそれを前提に考えてしまった。
常識として六歳から始める教育内容と見れば、確かに妥当な内容としか言いようがない。
ある意味、特別扱いする事なく、枠に嵌めた教育を施そうとしただけなのかもしれなかった。
「まぁ、だとしても、ここで燻るだけのあたしじゃないのよね」
「……とはいえ、扉には鍵が掛かっておりますが? 壊すのですか?」
「それも一つの手段だけど、窓から行くわ。三階程度の高さ、制限にはならないもの」
「中庭の土を引っくり返して? 柔らかい土といっても、危険ですよ」
「いいえ、子供達と遊んでいて思い付いたんだけど……」
土で波乗りする様に子供達を転がして遊ばせていたのだが、それと近い形の物にウォータースライダーがある。
パイプの中を下っていく遊びで、中には天井部分がないハーフパイプを使った遊びもあった。
それと同じ物を作れば良いのだ。
「土まで距離があるから、あんまり簡単じゃないんだけど……」
最近では離れた井戸から水を引っ張り上げたりと、魔力の可動範囲も広くなった。
以前は直接、井戸の中に手を差し込まなければ、水を取り出す事など出来なかったのだ。
それもまた、魔力を酷使した結果、成長した部分だと感じている。
とりあえず窓を開けて、中庭の土に一本糸を張るイメージで魔力を流した。
中庭は一面綺麗な芝生になっていて、丁寧な手入れをされているが、お構いなしに土を起こす。
そうして緩く螺旋を描かせて自室の窓まで繋げると、その土を固めて即興の滑り台を作り上げた。
そこから逆再生する様に滑り台の露面が整えられ、まるで飴に見える光沢まで生まれる。
「さ、見つかる前にさっさと行きましょ」
「こうして見ると、魔術というのは改めて、規格外だと気付かされますね」
「今更でしょ、そんなものは」
ハン、と鼻で笑って滑り台を降りる。
それなりに大きく作ったので、三周半して地面へ降り立ち、数秒後にもカーリアが降りてきた。
僅かに頬が上気していて、口の端も僅かに上がっている。
「なによ、しっかり楽しんでるんじゃないわよ」
「そこの所はお目溢しを。普段は子供達が騒いでいるのを、傍で見ているだけでしたから。……なるほど、これは子供達にお嬢様が大人気な訳です」
肩を竦めて土を元へと戻す。
地中から掘り出し持ち上げた土なので、ミミズが土に潜るような挙動で帰っていく。
最後には、芝生が荒らされた中庭だけが残された。
「今更だけど……、これちょっと酷いわね」
「庭師の方は激怒確実でしょう」
「そして、その修復作業にメイド達が駆り出される、と……」
「お嬢様、何とかして下さい」
土を引っくり返しただけなので、芝生それ自体は無事だ。
散乱したそれらを、元に戻して踏み固めれば、それらしく見えるかもしれない。
ただし、その場合は一部だけが妙に凹んだ庭となるだろう。
「……何とかって?」
「魔術でやった事なんですから、同じ方法で上手く隠蔽して下さいよ。どうせ駆り出されるのは、私なんですから。私が可哀そうとは思わないんですか」
「微塵も思わないけど、そうは言ってもねぇ……」
どう土を操作してやれば、違和感を失くせるか、そのイメージが湧かない。
最終的には踏み固めなければ、盛り上がりを消せないだろうが、そうすると草の方が踏まれて倒れてしまう。
隠蔽したいのなら、それでは片手落ちだろう。
さてどうしたものか、と顎に手を添えて考えていると、カーリアが意見を添えてくる。
「お嬢様の得意属性は、確か草だった筈でしょう? 何とか上手くやって、何だかいい感じにして下さい」
「何よその、雲より軽いフワッとした意見。出来たら苦労しないわよ」
「……でも、お嬢様は何だかんだと、いつも上手くやって来たじゃないですか。今度も上手くやって下さいよ」
「自分が庭の整備したくないからって、あんた適当言い過ぎでしょ……」
そもそも出来ないと言っている理由は、その制御方法を知らないからだ。
土にしろ水にしろ、その世代に多く使用者がいるから、その制御方法が確立されていったに過ぎない。
分母の数が全く違うので、多くの時代で効率化されていった結果、今に伝わっている。
先人の苦労があって現代では書物に記されているだけであって、誰もが己で制御方法を身に着けた訳ではない。
過去にあったとされた属性も、後世に残されなかったものも多く、草属性についてもそれは同様だ。
今となっては紙もそれほど高価でなくなったが、それでも庶民にとっては高い買い物だ。
識字率も低く、過去の人間は更に環境が悪かった。
口伝するしか残す方法がなく、使い手のいない属性が忘れ去られていったのは仕方ない。
今までも、どうにか使えないかと考えた事もあったが、結局形にならず現在まで至っている。
それを都合よく、今すぐどうにかなる筈もなかった。
「最近は全く、草属性のこと忘れてたしねぇ……。今は無理よ。こんな所であーだこーだしてたら、それこそ庭師に見つかって引き止められるわ」
「説教の一つで済めば御の字でしょうか」
「そうなる前に、逃げるのよ。芝生はそれらしく見えとけばいいでしょ、今は」
土や水の属性は、それなりに使う事も出来るようになってきた。
今まで頭の隅に追いやっていた草属性を、今こそ手を出しても良いかもしれない。
だが今は、隠蔽工作する方が先だった。
散らばった芝生は、土ごと根がしっかり残っているので、パズルのピースを嵌める様に戻す事ができる。
違和感はどうしても残るが、即座にバレなければそれで良い。
手早く済ますと、誰も見ていない事を確認し、屋敷の隅を通って逃げ出した。
※※※
「やぁ、おはよう。今日は遅かったね、セイラちゃん」
「おはよう! ちょっと野暮用があったのよ」
村人の一人から朗らかに挨拶されて、同じ様に笑顔で返す。
最初はヨーン一家とその周辺としか交流はなかったが、今では村人全てと顔見知りの状態だ。
そのヨーン一家も、最初は決して厚遇してくれている感じはなかった。
しかし、半年間やって来た努力を知っているから、今では村の中でも特に親しい一家となっている。
ただ、カイとの仲は未だにギクシャクしたもので、それが悩みのタネと言えばタネだった。
村全体に認められた事で、カイ自身も認めざるを得ない空気となっていて、本人も認めなくてはならない、と感じてはいるようだ。
しかし、最後に別れた時の事があったから、どうにも気不味いと言ったところだろう。
年下の女に頭は下げられないなどと、男特有の思いで意固地になっている部分もあるかもしれない。
――精神的に大人の自分から、歩み寄ってやっても良いかもしれないけれど……。
時々お呼ばれして、食事を御馳走になる以外で会う事もなく、どうにも、これといった切っ掛けがなかった。
今日も畑の改善を行うつもりだし、そこで会う事があれば、と思いながらまず森を目指した。
潜竜杉の森は魔獣が現れる危険な森だが、入口付近の浅い部分なら、そう危ない事もない。
村人も時折森に入って、木の実やキノコなど、森の恵みを受け取っている。
パンとスープだけではお腹が空いて仕方ないので、まず腹ごしらえのつもりで森に入った。
「まぁ、お貴族様とその使用人じゃ、兵糧攻めで音を上げると思ってるんでしょうけどねぇ」
「ほぼ野生児のお嬢様に、そんな甘い攻めは通じませんよね」
「黙っていても食事が出て来ると思ってる人達には、想像もできない事でしょうよ。――っていうか、誰が野生児よ!」
「今ちょっとスルーしそうになってたじゃないですか。もしかして、自覚が出てきたんですか?」
「あんたの暴言に慣れただけだっての! ――あ、リロの実!」
味は悪いが栄養のある実と知られていて、食べる物のない時、食い繋ぐ為の食料と知られている。
苦みと渋み、そしてえぐ味があって、火にかけると破裂する特性上、生で食べるしかない。
煮れば破裂しないが、苦みが増して食べ辛くなるという、嫌がらせみたいな食材だ。
殻を割って口の中に放り込み、顰めっ面で噛んで飲み干す。
他の動物も手を出さない実なので、この季節だと、どこにでも転がっていた。
飢える事だけはしないという理由だけで、この実には存在価値がある。
「それにしても……良く食べられますね、お嬢様」
「あんたが教えてくれたんじゃない。腹がすぐに膨れて腹持ちするって」
「だからって、小腹空いたから食べて行こう、なんてするとは思いませんでした」
「中には無味無臭の実があって、それを引き当てると嬉しいんだけどね」
「無味が当たりと喜ぶ貴族は、きっとお嬢様だけでしょうね」
そうかもね、と素っ気ない返事をして、視線の先に別の実を見つけた。
こちらも美味しくはないが、上手く加工出来れば、素朴な味わいの菓子となる。
粒粉上になるまで砕き、水で溶いた後、ワイン造りで絞った葡萄の余り皮を細かくして混ぜて焼けば、立派な農村お菓子の出来上がりだ。
「今度はアコンの実だわ、ツイてるわよ。沢山採って、ヨーンの所で焼いて貰いましょう」
「これで喜ぶ伯爵令嬢は、きっとお嬢様だけですよ」
「何よ、別にいいでしょ! そんなこと言うなら、あんたにはあげないわよ!」
「いえ、お嬢様のお菓子の半分は、私の取り分なので。しっかり頂きますよ」
「ちょっと待ってよ、それもう無効でしょ!? 無効にしてくれない!?」
カーリアの腰に組み付いて、必死に揺さぶっても視線を向ける事すらしない。
いい加減鬱陶しくなったのか、眉間に手刀が落とされ、悲痛な叫びが森の中に響き渡った。
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