成果を得た先 その2
淑女教育を卒なく終わらせた後、自室に帰って来た後で、セイラに多くの制限が課せられた事を知った。
申し伝えられたカーリアは、セイラにそれを説明する度、怒りを持て余しているように感じられた。
いつもと変わらぬ無表情なのだが、今だけは必死にその鉄面皮を維持する努力を強いていたように思う。
「まぁ、外出禁止は当然として、部屋からも出るのを禁止。食事制限に加え菓子類、紅茶類禁止。魔術書以外の読書禁止に、娯楽の禁止。後は……なんだっけ?」
「奥様への接近、会話禁止です。今回の様な偶発的な場合であろうと、厳罰に処すのだそうです。そもそも、部屋から出られないのですから、出会う事もないでしょうけど」
「お風呂やトイレは?」
「水で絞った雑巾で、身体を拭けば良い、とのお達しです。トイレについては、朝と夕の二回、許可されるそうです」
あらまぁ、と口を手で抑えて笑う。
「これじゃあ、迂闊にお腹も壊せないわね。いや、元から大して食べられないんだから、その心配もいらないんだろうけど……」
「笑い事じゃありません!」
流石に我慢できなくなったのか、カーリアは声を荒らげて拳を握る。
「私のお菓子はどうなるんですか! いつもお嬢様の半分、ちょろまかして食べていたというのに!」
「え、そっち!? ――っていうか、半分!? あんた、あたしから半分も奪ってたの!?」
「最初は一枚とか、端っこだとか、ごく少量だったのですが……。どこまで減らしてバレないかと、少しずつ取っていく量を増やしていったら、そんな感じに……。結局、その事でお嬢様から何か言われる事はありませんでしたね」
「でしたね、じゃないわよ! 何でちょっと自慢気に語ってくれちゃってんの!? あたしのお菓子返しなさいよ!」
言うや否や、襟首掴もうと飛び掛かる。
二度フェイントを掛け、惜しい所までいったのだが、結局カーリアはひらりと身を躱して、代わりに後頭部を叩いて距離を取った。
「失ったものは、もう二度と手元に帰ってこないのです。割れた瓶は戻らない。零した水は元に戻りません。あの日を思い返せば辛いだけ……、お忘れになるべきです」
「含蓄っぽい言い方するんじゃないわよ、腹立つわね! 返しなさいよ! 今すぐ、あたしのお菓子、返しなさい!」
「そんな子供みたいなこと言わないで下さいよ。まぁ、お嬢様はまだ六歳ですけど。でも、どう見ても六歳の考え方してないので、六歳じゃない扱いでいいですよね」
「いい訳あるか! ……いや、いいのかも。いいけど、今は駄目なの! 今は返しなさいよ、あたしのお菓子を!」
「我儘言わないで下さいよ。いま手元にある筈ないじゃないですか」
やれやれ、と溜め息をつかれ、足で床を踏み鳴らしながら憤慨する。
「あんたの所為でしょ! あたしだって、こんな馬鹿な事で怒りたくなかったわよ!」
「まぁ、そう言わないで下さいよ。お嬢様の専属ってだけで白い目で見られて、周囲からの扱いも悪いんですから」
「う……っ!」
それを言われると肩身が狭い。
全てが自分の所為とも思わないが、セイラの評価を貶めているのは、その行いをわざと悪く見られるようにしている部分もあった。
主人の評価は、そのままメイドの評価に繋がる事もある。
この場合、口実作りに利用されている感じもあるが、それで陰気な虐め被害に遭っていると思えば、悪い事をしている気分にもなった。
「まぁ、それなら今は引いといてあげるけど……。次から許さないわよ」
「次にお菓子が出る機会なんて、ないんじゃないですかね? この屋敷で、今後お菓子は期待しない方が良いですよ」
「そんなに酷い事ある……?」
「滅多にない機会ですら私が奪ってしまうので、お嬢様の取り分はないという意味です」
「何でよ!? 奪うな! せめて半分でしょ!?」
その一言が口から飛び出た瞬間、カーリアの口元が醜悪に歪む。
何を口走ったか自覚して、咄嗟に口を両手で塞いだ。
「お許しを頂けましたね。今度からは、きっちり半分頂く事にします」
「いや、嘘よ! 今のは無効でしょ!? 大体、六歳の子からお菓子を奪おうなんて、自分が浅ましいとは思わないの!?」
「普通なら思いますけど、お嬢様には全く」
「真顔で返すな! 思いなさいよ、あたしにも! いつからそんな薄情になったの!」
「――最初からです」
「だから、真顔で返すな!」
幾ら癇癪を起こしても、カーリアには通じない。
力任せに暴れても、熟練の戦士みたいに――あるいは流麗な踊り子の様に、紙一重で攻撃を躱されてしまう。
暴れるだけ時間と体力の無駄と悟り、ベッドの上に身体を投げ出す。
考えてみれば、食事の量を減らされてしまうのだから、無駄な消耗は抑えるべきなのだ。
「まったく……。明日も畑の改善があるんだから、疲れる事させないでよ……。食事についても、今日だけ我慢すれば良いだけだしね」
「おや、外出禁止を言い渡されている事、もうお忘れですか? 破ったら、どうなるか分かりませんよ」
「馬鹿なこと言うのねぇ……? 何であたしが、素直に言うこと聞くと思ってんのよ。あんな言い付け、無視するに決まってるでしょ」
「……よろしいので?」
「よろしいも何も……」
ベッドの上で大の字のなったまま、小馬鹿にした息を吐いて続ける。
「行くに決まってるでしょ? 大体、そんなに目障りだったら、屋敷から追い出せばいいじゃない。本邸以外にも家を持ってるし、外に移せば済むだけなのに。それをしないのは、世間体があるからでしょ」
「ご当主様夫妻が、平民からどう思われるか、気にするとは思えませんが……」
「そりゃ、平民にはね。でも、我が家の長子――それもまだ幼子を、外に移すとなれば波風立てたい奴が黙ってない。嫌だろうとも、せざるを得ないんだわ」
「貴族社会は足の引っ張り合い、というやつですか……」
そう、と短く返事して天蓋の木目を目でなぞる。
実際、母の怒り様からして、出来るものならしたい、と思っていたに違いなかった。
それでも家中に留めておいたのは、再教育して、分別の付く娘にしたいからではない。
筆頭分家とはいえ、醜聞があれば幾らでも揺らぐ。
中には、その座を奪おうと考えているのが、貴族社会というものだ。
少ない椅子はいつでも取り合いになり、家格が大きくなるほど、その争いも熾烈になる。
そして、それはどこまで家格が大きくなろうと、なくなる事はない。
「まぁ……、単にあたしという存在を外に知られたくない、という線もあるわよねぇ……。一応、淑女教育は真面目に受けてるから、先生から外に伝わる情報は、そう悪いものじゃないと思うけど……」
「外見だけ立派に着飾れても、というのもありますよね。生徒としては優秀で、実際見事な振る舞いを見せても、その内面というのは伝わるものですし」
「サラッと人を貶してるんじゃないわよ」
滅相もない、と声だけ笑って、カーリアは顔の前で手を振った。
「メイドの口まで塞げない、という事ですよ。噂話が大好きな上に、親しく付き合う方には口が軽くなります。今の講師もそろそろ一年、気安い間柄の者も出ている筈です」
「なるほどねぇ……。人の口に戸は立てられない、なんて言うけど、メイドの口なら尚更か……」
「公爵家ほどのご立派な御家でも、完全な封鎖は無理だって聞きますよ」
「それはまた、筋金入りだわ」
母は子爵家の生まれで、貴族社会についても良く理解している筈だ。
社交界は噂の宝庫で、どうしてそんな事を知っているのか、という隠し事まで知られているケースもある。
母がそれを知らない筈もない。
結局のところ、噂の流出は止められないし、噂は噂でしかない、そう割り切った結果なのだろうか。
もしくは、まだ幼い妹の存在――。
そちらが育つまで繋いでおけばよい、という考えなのかもしれない。
次の子が優秀だとは限るまいに……。
「ま、親の都合は関係ないわ。あたしはあたしのやりたい様にやる。何よりも、あたしの未来の為にね」
「……ご立派です。オルガスさんも喜ぶでしょう」
「別に爺やを喜ばせたくてやってるんじゃないわよ。全部、自分の為だわ」
「然様ですね。民が富めば、領もまた富む。その為の大規模改善計画ですものね」
聞き捨てならない台詞が聞こえて、身体を起こしつつカーリアを見据える。
「なに、その計画って……?」
「最初からそのおつもりだったのでしょう?」
両手を臍のあたりで重ねたまま、コテン、と首を傾げて続ける。
「春の展葉期より前から村に出て、説得しようとしたのはその為だったのでは? 実績が足りないから声が届かないと言えば、即座に考えを修正されました。半年以上も根気よく続け、村民に認められたのもその一環でしかないのでしょう?」
「いや、なによ、その壮大な何かを感じさせる勘違い。違うわよ! 別に大それた計画なんて考えてない!」
「なるほど、まだ頭の中でしっかりとした形になってないと……。その小さな頭の中で、何を思い描いているのか、非常に楽しみです」
無表情のまま、したり顔の雰囲気だけは発して、うんうんと頷く。
単に没落後の人生を考えているだけというのに、彼女の中では未完成な計画がある事は、既に決定事項になっているようだ。
「……いや、無いから。壮大なものは一切、ないから」
「壮大に思えない何かはある、という事ですか。未だ卵の殻に包まったままだと。ひび割れる前に、その一端でもお聞かせ願えれば良いのですが……」
「だから、無いから! 本当にないから! ――いい、今日はもう寝る!」
頭から布団を被って、カーリアとの会話を強制的に打ち切る。
だが、何かしら勘違いされているのは都合が良い、とは思った。
そこに壮大な計画、となれば話は別だ。
こういうのは大概、変な勘違いをされた上、暴走すると相場が決まっている。
最終的に切り捨てる家と領なのだから、その時に、足かせになるような真似はしたくない。
変な勘違いをされる前に、そこだけはしっかりと釘を差しておかねば、と強く誓った。
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