成果を得た先 その1
それからの日々は、実に慌ただしいものだった。
ワイン造りとしてはここからが本番で、実際に酒造する職人はまた別にいる。
農家の人間が全く関わらない訳でもなく、多くの作業を共にするのだが、本職へと任せるものだった。
そちらの仕事も見てみたい、あわよくば少しでも習得できないかと思ったものの、その前に大仕事が控えている。
セイラがやってみせた改善方法は、まさに革命といって良かったし、そして魔力なしには成し得ないものでもあった。
畑はこれから休眠期に入り、その手入れも秋までと比べて随分落ち着く。
次のシーズンに入る前の段階まで、全ての畑をセイラ型へと改善してやらねばならなかった。
ワインはバークレン伯爵領を代表する一大生産物であり、他領に自慢できる特産物でもある。
当然、広大な面積を使って畑が用意されており、目の前にどこまでも続くかと思われる畑には、辟易とする思いしか浮かばない。
「……誰かに任せたりできないの」
「出来るというなら、為されればよろしいのでは?」
「それが出来れば苦労しないわよ! ……まぁ、でも魔力の鍛錬と思えば、少しはマシに思えるかしらね」
「どんな事でも、自分のプラスになると思えばやる気になるものです。お嬢様のお世話も……おっと、何でもありません」
「わざとらしいってのよ! 聞かせるように言ってんじゃない!」
この様なやり取りも結局、現実逃避と変わりない。
一つ溜め息をついて、目の前の畑に取り掛かった。
日差しがあるとはいえ、既に風は冷たく、手袋がないと指先が冷たくなる季節だ。
だが、一つの畑を半分程も改善していると、既に汗だくで風が気持ち良い程だった。
「はぁー、どっせい!」
『どっせい!』
「あぁ、よっこいしょ!」
『よっこいしょ!』
そして、二つ目に取り掛かる頃には、こちらの動きに合わせて真似する子供達が背後にいた。
綱引きする様な動きと、その掛け声がツボに入ったようで、楽しげに笑いながら五人の子供が拙い動きで真似している。
表層土を弄くる方はともかく、下層土を動かし整えるのは簡単ではない。
その場で黙って身体を絞り、魔力を通じさせるより、身体を動かす方が楽だと気付いてから、この形になった。
魔力を糸のように大地へ繋げるのは、あくまでイメージの問題でしかなかった。
しかし、それを綱に変えて実際に身体の動作も加えると、楽に動かせるというのは一つの発見だった。
その代わり、淑女にあるまじき掛け声と格好は、相当残念なものになってしまっている。
だが、子供達はそれが楽しいらしい。
何しろ、こちらの動きに合わせて土が隆起し波打って、この世の物とは思えない動きを見せる。
大人たちは仕事があるからここに参加しないだけで、手が空いているなら加わりたい、と思わせる顔を幾つも見て来た。
「あぁー……ッ、しんどい……! うんざりよっ!」
『うんざりよ!』
「そこは真似しなくて良いのよ、馬鹿!」
『きゃー!』
両膝に手を置いて息を落ち着かせていると、それさえ子供は真似してくる。
顔を上げて怒鳴りつけると、蜘蛛の子を散らす様に逃げて行った。
ひとしきり走り回ると、また戻って来て畑の中に踏み入って、きゃっきゃと笑う。
「すんげぇー、ふっかふか!」
「斜めになってるー! 変なのー!」
「変じゃないよ。これが良いんだって、ウチの父ちゃん言ってた!」
口々に感想を言い合っては、踝まで足を入れては出してを繰り返す。
すっかり荒らされてしまって、こめかみに青筋を立てながら声を上げた。
「こらぁー! ガキども! さっさと戻ってらっしゃい!」
「えぇー!」
「えぇー、じゃない!」
魔力を土に通し、表層の畑を均しながら、波を作って子供達までも乗せて畑の外へ追いやる。
そうすると、逆に喜んで、また畑へと戻って行ってしまった。
「もう一回、もう一回!」
「遊んでんじゃないわよ! そういうんじゃないから!」
非難轟々の野次が飛んで、仕方なくもう一度やってやると、歓声を上げて喜ぶ。
土を布団代わりにするかの有り様で、身体中泥だらけにして、満面の笑みを浮かべていた。
「もう一回やってよ!」
「馬鹿ね、それじゃいつまで経っても終わらないでしょ。こっちはまだ幾つも畑仕事あんのよ。あんたらだって、家の手伝いあるでしょ」
「あるけどさぁ……」
「でも、楽しいもんねー!」
「ねー!」
今まで村にろくな娯楽もなかったところに、遊園地が出来たと思えば、子供達のはしゃぎようも分かる。
だが、実際問題魔力には限りがあって、遊びで浪費してしまっては、いつまで経っても作業が終わらない。
子供へのサービスは程々にして、いい加減進めてやらないといけなかった。
未だに不満気な声は上がるが、見切りは付けないといけない。
魔力の糸を伸ばして、遠く離れた井戸の水を掴まえると、そのまま子供達の頭上に運び込んだ。
「ほら、ガキども。雨降らしてあげるから、身体に付いた泥、簡単に落としちゃいなさい」
「おぉー! スゲェー!」
「冷てぇー! でも、楽ー!」
「いいなぁ……! あたしも魔法、使いたい」
最初はしとしと、次にどしゃ降り、また緩めて泥を落とさせると、濡れ鼠になった子供達が出来上がる。
魔法を羨むのは当然だが、血統がものを言う世界なので、その願いは叶えてやれない。
現実を突き付けてやるべきか、やんわりと濁してやるべきか、一瞬悩んだ後、曖昧に笑って背中を叩いた。
「ほら、風邪引くわよ! さっさと家帰って、拭いて貰いなさい!」
「走ってりゃ乾くだろ。次の畑いこうぜ!」
「おぉー、行こう行こう」
「駄目よ! 夏ならいいけど、今は駄目! 油断するとすぐなんだから! いいから今日は家に帰る! しっかり拭いて、暖かくなさい!」
えぇー、という非難の大合唱が始まると、いつでも背後に控えているカーリアが一歩前に出て諭す様に言う。
「お嬢様の言うとおりですよ。また今度の機会にして、今はすぐに水を拭き取って下さい」
「……はぁーい」
乗り気ではないものの素直に引き下がって、子供達は方々へ散って行った。
その後ろ姿を見送りながら、何とも言えない表情で口を開く。
「何であんたの言う事は、あんな素直に聞くのよ」
「彼らは全員、お嬢様より年上だからじゃないですか? 田舎では、年功序列は良くある事ですよ」
「えぇ……? だからって、このあたしの言葉が軽んじられるっての?」
「ここでは貴族じゃなくて、村娘のセイラちゃんじゃなかったんですか?」
「そうだけど……。そうだけども! でもそれは、あくまで建前っていうか、最低限の礼儀だけは残しておくべきというか……」
「そんなの子供に分かる訳ないじゃないですか。親に他の子と同じ様に扱えって言われたら、それでいいんだって思いますよ。お嬢様からも何も言いませんし」
子供に大人の機微を身に着けろ、という方が無茶だったのは分かる。
とはいえ、釈然としない気持ちだけは残った。
ふと空を見上げれば、既に陽は高く、そろそろ昼食の頃合いだ。
最近は、村人にお呼ばれして同じ昼食を頂く事もある。
しかし今日は、一度帰らなければならない日だった。
「午後から淑女教育があるでしょ。今から帰っても汗を流して着替えして……、結構ギリギリかもね」
「では、急ぎましょう」
※※※
何事にも、間の悪いタイミングはあるものだ。
いつも屋敷への入出時には裏口を使い、まず先にカーリアが先に入って問題ないか確かめる。
昼食の時間はその準備に使用人も動いているので、裏口近くを人が通る事も滅多になかった。
農作業を始めてからこちら、ずっと上手くやれていたのが油断の原因だろう。
カーリアよりも先に扉を潜ったその先で、出会う筈でない人物に出会った。
曲がり角の偶発的遭遇で、急ごうと逸る気持ちもあって、注意を疎かにしてしまった。
「あなた……、一体どこから……」
そこには母ビルギットが使用人を複数連れて、蔑む視線を向けていた。
多くの場合、使用人しか通らない道でもあり、そして家族は誰も通らないと思っていた事もあって、油断があった。
そして、私が現れた方向を考えれば、どこから来たのかはすぐに察っせられる。
即座にしまった、と顔を歪めてしまっても、既に遅かった。
「それに、その服……。民草と同じ下賤な格好……、一体なにを考えているの? 肌までそんなに焼けて……、バークレンの家名を何と心得ますか……!」
「あら、お母様。娘の安否を気遣って頂けるなんて、大変心苦しゅう思いますわ。でも、服のこと、肌のことを気遣う余裕がおありでしたら、とっくに知っていたと思うのですけど」
「その口……、母に向かって……!」
「その様に興奮しないで下さいませ。……だから、顔合わせしたくなかったのでしょう? 本末転倒では?」
ビルギットの顔色が赤く染まる。
一気に興奮し、手に持っていた扇子から鈍い音が響いた。
更に何か言われる前に、顔を逸らして横を通り過ぎる。
背後から奇声に似た怒鳴り声が聞こえてきた。
それと同時に、傍使い達が必死に宥めて落ち着かせようとする声も聞こえる。
「宜しいんですか、お嬢様。あんなに挑発する様な事を言って……」
「構いやしないわ。面倒事の幾つかに、もう一つ加わっただけでしょ」
「……それはどうでしょう。小さな面倒で済む感じはしませんけど」
確かに、今まで同様、無視を決め込まれる訳ではないだろう。
外出禁止なら可愛いもので、食事抜きぐらいは当然やってきそうだった。
「それに、側仕えの方々の目を見ました? お嬢様の態度だけじゃなく、姿格好にも侮蔑してる感じでしたよ」
「あぁ……、そう。位の低い爵位、平民からもそんな風に見られるなんてね。そっち方面でも、何か嫌がらせされそう」
「今まで通り、波風立てない振る舞いをしていた方が賢かったんじゃないですか?」
それは間違いない。
恐縮ぶって頭を下げ、叱られるまま嵐が過ぎ去るのを待っていれば良かった。
何かしらの罰は避けられなかったろうが、簡単なもので済んでいた筈だ。
「そうね、理性的でなかったのは認めるわ。でも、腹の虫が収まらなかったの。どうしてかしらね……」
これにカーリアから返事はなかった。
そして、返事を求めて言った事でもない。
どうしてなのか、その理由は自分自身でも分かっていた。
村で見る家族の姿を、これまで幾度も見て来たからだ。
遊んでばかりいるなと怒られる姿も、逆に愛おしそうに頭を撫でる姿も、村の中で当たり前に見て来た。
だから、なのだろう。
セイラの中に居る幼い彼女が、癇癪を起こしてしまったのだ。
半年以上振りに出会った母から向けられる目が、まず蔑むものであったのが許せなかった。
「あたしにとっては良くある事よ。癇癪を抑えきれなかっただけ。あんたには面倒を掛けるわね」
これにもまた、カーリアから返事はない。
ただ背後で、後ろを付いてきながら頭を下げたのが、その衣擦れ音で分かった。
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