先を見据えた職業体験 その8
季節は移り、春の日差しが更に暖かくなると、葡萄は展葉期を迎える。
成長速度も一気に早まり、芽からは
新梢が出始めたら、まずその生育状態と速度を観察するのが大事になる。
全ての葡萄を、望むままに成長させてやる事は出来ない。
多すぎる芽や枝は剪定し、新梢を想定した方向へ伸びるように位置を調整してやる。
これを新梢誘引と言う。
目覚ましく伸びる新梢を紐などで固定し、万遍なく日光が当たるように調整と配置をしてやらなければならない。
一度の固定で想定通りに行く事もあれば、そうでない場合もある。
日々の調整と、その積み重ねが大事な、地味ながら重要な仕事だ。
それらと格闘してひと月程経てば、白から薄黄色の花を咲かせる。
この花が受粉する事で、葡萄は実を付けるのだ。
この時期に雨や風が続き、低温状態が維持されてしまうと、花が咲いても受粉されず実が落ちてしまう。
これを『花ぶるい』といい、果房の中にバラ付きが生まれ、収穫が落ちる原因となる。
昨今は寒冷が続き、今年こそはと思ったが、気温は然程上がらず例年通りだった。
気候ばかりは幾ら対応しても、思うようにはならない。
臍を噛む思いで、温暖な日が少しでも多くあれば、と願う事しか出来なかった。
そこからひと月程過ぎて、結実した実は照り付ける太陽の元、肥大し成熟していく。
赤ワイン用の品種では、この頃から着色が始まる。
結実後の房が揃うと、収穫量の見積もりも出来るようになり、樹や房を確認しながら収量の調整に入るのだ。
新梢の葉の枚数、房の数と大きさのバランスを見て、余剰な房を落としていく。
こればかりは知識だけでどうにかなる問題ではなく、長年の熟練した経験が必要だ。
ひと房当たりに、より多く栄養を与える為に実施されるのだが、日光の当たり方を調整する意味合いも含まれる。
より良い形を模索してやってみたが、全くの手探り状態なので上手くやれた自信はない。
この頃になると、葡萄が病気になる割合も増えて来る。
雨などで過剰な水分が付着する事でそのリスクが増すので、必要なら雨除けも作ってやらなければならなかった。
果実が更に成熟していくと、昆虫を始め鳥類も実を食べようとしてくる。
この対策も必要となり、多忙な日々が続いた。
それから更に三ヶ月程経ち、果実が完熟したら、いよいよ収穫期となる。
これまでの苦労が報われる瞬間でもあり、そしてワイン造りのスタートでもあった。
この房の収穫は手作業で行う必要があり、畑では一家総出で行う大事業だ。
セイラが作った畑は、たった二人で管理していたとは思えない規模なので、当然他から手を借りて来なければやっていけない。
そこで声を掛けたのがヨーン一家だった。
一方的に喧嘩別れしてきたカイが、遠くから気まずそうに見ている。
だが今は、素人で苦労知らずの小娘が、ここ半年の成果を見て貰う場でもあった。
その時にヨーン家の畑を見せて貰ったが、全ての樹が順調だった訳でなく、欠株になって壊死被害が出ている所も多くあった。
実も小ぶりで、上手く成熟できていない所も多く見られた。
今年も変わらぬ寒冷だった所為でもあり、それが他家の畑も同様だとすると、今年の収穫は多くを期待できそうにない。
収穫の手伝いより、まず出来栄えを確認して貰おうとヨーンを呼んだのに、気付けば興味をそそられた他の村人まで付いて来てしまった。
その彼らが、畑へ近付くなり感嘆の息を上げた。
「おいおい、これがあのアーレン家の畑かよ……。どうなってんだ、全然違う形になってんぞ……」
「畑が違うだけじゃねぇ。見てみろ、あの成熟した葡萄……! 丸々と実がなって、壊死した欠株なんぞ一つもねぇ!」
「色付きも良い……。健康状態は良好だな。一粒貰ってもいいかね?」
「勿論よ、どうぞ」
快く許可を出すと、他の皆も手元の道具で丁寧に一粒切り落とし、口の中に含んだ。
「果汁の糖度が丁度いい……」
「酸の量もだ」
「種を歯で磨り潰してみろ。この渋み……、随分感じてなかった理想に近い!」
彼らは農民というより、むしろ職人と言うべきだ。
どういった葡萄が良いワインになるのか、その手や舌が知っている。
その彼らが、瞳をギラ付かせて近寄って来た。
「何をしたんだ。どうやったら、あんな寒冷でこの葡萄が出来るんだ……!」
「貴族の家には、何か上手くやる方法でもあったのかい……!?」
「魔法か? この畑もそうだもんな!? それで旨い葡萄が出来たのか!」
取り囲んで質問攻めにして来る彼らを、カーリアが力任せに引き離し、一定の距離を保たせた。
相手は貴族で、そしてその家に雇われるメイドだ。
手荒な事をすれば、どうなるかなど目に見えている。
それで一旦は大人しくなったが、彼らの瞳には燻ったまま熱意が籠っていた。
見て欲しかったのは成果だが、同時に彼らの熱意も見たかった。
これだけ大成した畑があるのなら、その方法を知りたいと思うのが当然だ。
それは職人故のものかもしれなかったし、徴税から少しでも楽になりたい一心からだったかもしれない。
しかし、熱意がある事だけは確認できた。
聞く気のない者には、何を言っても無駄なだけだ。
理由はどうあれ、彼らには知識に対する渇望がある。
それが知れたのは幸いだった。
「そう騒がないで頂戴。あたしはね、そもそも最初から、この方法を教えようと思っていたのよ。そうでしょ、ヨーン?」
「あ、あぁ……。そういえば、そうだった……」
表情を暗くしたヨーンに、他の村人が食って掛かる。
「なんだよ、お前だけ良い目を見ようとしてたってか!? 自分だけ教えて貰って――」
「違う! 俺は教えられてない! その前に断った!」
「何ぃ!? 馬鹿言うな、そんなこと……!」
「いいえ、ヨーンが断るのは当然だわ。だって、こんな小娘の言うこと、頭から信じる訳ないものね」
歯に衣着せぬ物言いを放つと、ヨーンはバツを悪くさせつつ頷く。
それから声を荒らげて弁明を始めた。
「お貴族様の言う事だ……、もしかしたらとは思ったさ。でも、税は毎年変わらないんだ! 子供の言うことを真に受けて、実を付けなかったらどうする!? 俺は家族を守らなきゃいけなかったんだ! 本当かどうかも分からない話に、飛びつくなんてとても出来なかった!」
「そりゃあ、そうだが……。でもな……」
村人の一人は、セイラの葡萄を見て、実に惜しいと言いたげに顔を顰める。
結果を見ればこの通りだが、これは自分でも出来すぎと思える結果だった。
それだけ見て、惜しいと言っても詮無き事だ。
それに、手探りな部分も実に多かった。
他人から見れば失敗と思える箇所は、幾つもあったに違いない。
そして、カーリアと二人掛かりでは、到底人手が足りていたとは言えなかった。
それでも結実したのは、一重に葡萄作りの知恵と、魔力による労働力の補助が上手く作用したからだ。
今回は単なる偶然の産物に過ぎない。
だが、この知恵を長年の知識と経験、そして勘を持つ彼らが上手く使ってくれれば、来年以降きっと収穫は回復する。
「あたしが示したかったのは、上手く出来たでしょ、って自慢したいからじゃないの。あたしなんかでも、これだけの結実を生めたのよ、って教えたかったからよ」
「じゃあ、この方法を……」
「えぇ、実績は示したわ。素人がやっても、これだけ出来る。その方法を知ったあなた達なら、きっともっと上手くやるわよね? その手伝いをさせて欲しいの」
「そりゃ……願ってもねぇ! でも、何でお貴族様がそんな事まで? 土で手を汚さなくても、無理矢理やらせる事だって出来ただろうに」
村人の一人がきょとん、と見て来て首を捻る。
確かに彼の言う通りだった。
貴族はその領民に無理を押し通せる。それだけの権力がある。
やらせたいのなら、やれと命令すればそれで十分だった。
だが、根本的に彼らは勘違いしている。
私は仕事の内容を知り、学びたいのが前提にあった。
とはいえ、外側から見ているだけで学べる事は少ない。
無理を通して教えろと命じる事は簡単でも、それで彼らの生活を困窮させるのは本意でなかった。
無理を押し通せば、押した分だけ反発がある。
最終的に遠巻きにされ、逃げ出されたかもしれない。
ありは表面的なさわり部分のみ、嘘も教えないが本質まで教えられなかっただろう。
疲れず汚れず、見ているだけと変わらない部分しか関われなかった可能性もある。
必要なのは、内側に入る事だった。
同じく働ける人間なのだと、土で汚れて構わないと思う、彼らを味方する人間なのだと知って貰う事だ。
反発されず、受け入れられれば、知りたい事を無理なく教えて貰える。
そういった打算あればこそ、なのだが――。
それを正直に、ここで告白する必要もなかった。
少しわざとらしいほど胸を張って、両手を腰に当てて答える。
「馬鹿なことを言うのね。それは、あたしが貴族だからよ。お爺様は民に寄り添う、民に愛される領主だったと聞いたわ。あたしもね、そういう貴族でありたいと思ってる。父の様な貴族にはなりたくないの。分かるでしょ?」
「それは……。いや、そんなこと言っちまって良いんですかぃ……?」
「あら、大変! これを告げ口されちゃったら、とっても困る事になるわ。おめでとう、あたしの弱みを握れたわね」
これもまた演技掛かった仕草で口元に手を当て、それからニヤリと笑ってみせる。
村人は降参とでも言うように手を挙げて、乾いた笑みを浮かべた。
「いや、弱りました。あんなこと聞かされた後じゃ、弱みだなんてとても……」
「でも、皆だって嫌いでしょ? 同じ人が嫌いなら、きっと仲良くなれると思うのよね」
「いやいや、そんな簡単な事かはともかく……。でも、俺はあんたが気に入った! ぜひ仲良くなりたいし、葡萄の秘訣も教えて欲しいね!」
「馬鹿お前、抜け駆けだぞ! 俺なんてずっと前から良いって思ってたんだ!」
「そうそう! 手も服も、土で汚してたって気にしないしさ!」
そこからは、村人同士肩を組んだり、逆に突き飛ばしたりと、騒がしい事になった。
荒々しくはあるが、気安い友人同士のお遊びで、誰の顔にも笑顔がある。
そんな笑顔を見せられると、打算ばかりの自分が申し訳なくなった。
だが、ともかくも、村人達の内側に片足を入れられた、と見て良いだろう。
そこから先、彼らと信頼関係を築けるかは、自分自身に掛かっている。
これまで接してきた感覚として、彼らは実直に接する事には、実直に返して来る気質を感じた。
新たな葡萄栽培法が失敗に終わらなければ、まず受け入れられるだろう。
ようやく一歩、破滅から逃れる足掛かりを得た実感を得て、顔にも満面の笑みが出来る。
「さ、これから収穫でしょ? ワイン造りもこれからだし、畑の休眠期には改善した土壌を作りたいわね。忙しくなるわ!」
「その忙しさの大半は、お嬢様の魔力頼りですけど、大丈夫なんですか?」
それまで黙って控えていたカーリアから、ぼそりとした指摘が入る。
「畑を隆起させて斜面を作ったり、下層土に調整入れたりするんですよね? 畑一つで死ぬ思いしてたのをお忘れですか? この村一つで、一体幾つの畑があるのでしょう」
「か、あ、……そこまで考えてなかったわ」
まるで、死神から宣言を受けたかのような錯覚を覚えた。
一つでも大変だったものが――大変の一言で片付けられないものが、まだ大量に控えている。
今回セイラが見せた収穫は、この土壌改善が全ての根本と言って良い。
これを終わらせなければ、同じ規模の収穫改善は見込めない。
その全てに魔力を使うかと思うと、未だ始めてすらいないのに、もう身体中から既に悲鳴が上がっている。
「嘘でしょ……。今から無かった事にならない? 全部? 一人で? 死にたくなるわよ!」
「なるほど、死ぬ気で頑張るつもりだと。実に結構な事です」
「おぉ、そりゃ嬉しいな! 俺たちも手伝うよ。俺達ゃ一蓮托生みたいなもんだもんな!」
「勿論だ! 何だか、これからやっていけるって感じがする!」
「あぁ、嘘よ! 悪夢よ! 何であんなこと言っちゃったのよぉぉぉ!」
頭を押さえて慟哭するのに、その声は誰にも届いていないようだった。
今は耐えよう、来年からは希望が見える――。
誰の顔にも、そう書いてあるかのようだ。
だが、ただ一人、この中で例外が居る。
自分だけが悲痛で悲壮な顔を浮かべ、盛大な涙を流していた。
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