先を見据えた職業体験 その7
「ところであんた、『葡萄畑に必要な立地』って分かる?」
「いえ、過分にして存じ上げません」
葡萄農家はそれぞれの栽培方針、そして栽培哲学の元で畑を選んでいると、本には書かれていた。
状況によって望んで得られる立地にない、という場合も当然ある。
そして、何が正解と明確にされていない部分も勿論あった。
実際に手を加えて、畑を自分の理想像に近付けた栽培家も多い。
そして、それは何世代も掛けて完成させたりするものなのだ。
それらの失敗や成功から、現代においてこれだけは間違いない、という畑の条件を探求されていた。
そして、村の畑では、そうした前世で行われていた畑作りを為されていない、とここ数日の観察で気付いた。
だからといって、幾らか口出しした程度で従えるものではないだろう。
知ったかぶりの世間知らずの小娘が、それらしい事を口にしている、と取られるのがオチだ。
カーリアが言っていたとおり、セイラには実績がない。
貴族に振り回されるのは慣れているのだとしても、六歳の小娘が言い出す事だ。
負けると分かっているギャンブルに、手を出したいとは思わないのは当然だった。
だが、ここで一定の成果を見せれば、話を聞く気になってくれる。
カーリアが説明の続きを視線で催促しているのに気付いて、指を一本ピンと立てる。
得意げに胸を張って続きを始めた。
「良い畑っていうのは、高い熟度で健全な葡萄が取れる事を言うの」
「そんなの今更言う事ですか? 農家なら、その程度の事、誰でも知ってるのでは?」
「一々辛辣な物言いね……。じゃあ、それを運に左右されず、高い確率で生み出す条件は? これも知ってる?」
「それを知っていれば苦労しません。葡萄農家は、それぞれ代々伝わる方法で、悪戦苦闘しながら作っているのではないですか?」
家の記録書を読んでも、そうした事が書いてあった。
そして、それは畑を守るという意味もあって、栽培方法を秘匿しているものだ。
情報の共有は、外から見れば分かる事だけに限られ、様々な工夫については隠すのが普通だ。
現代においても、やはり栽培家の苦労全てが共有されている訳ではなかった。
それでも、情報伝達技術の差から、知られている事は余程多い。
「まずは傾斜ね。これがとっても大切なの」
「畑をわざと斜めに作るのですか? 一体、どんな意味が?」
「日射角の関係で、日照量を多く出来るわ。その結果、葡萄の熟度を高めやすい」
「あぁ……。他の葡萄の樹に遮られる事が少なくなると……」
「そう。それに、雨が降ったりで、どうしても過剰水分が発生する日はあるでしょ? 斜めにしとくと、水分が流れていくから滞留し辛いの」
「なるほど……。水捌けが早くなる訳ですね」
「そうよ。そして風が吹き抜け易い構造だから、病気に掛かり難くしてくれる」
「そう……、なのですか?」
「そうなのよ」
風が吹き抜ければ、という部分に突っ掛かる物はあったものの、概ね合理的判断があるとは伝わったようだ。
深く聞かれても聞きかじりの知識なので、それ以上詳しく説明も出来ない。
だが、そういうものだと強く言い張れば、しつこい追求は来なかった。
「傾斜の
「それなら西側でも良いように思いますが。日没までたっぷり、果実に陽が当たるのではないでしょうか」
「それだと当たり過ぎて、日中に上がった果実の温度が、十分に下がらないの。強い西日は糖度不足、着色不良に繋がると言われているわね」
「本当ですか? ……そんなの初めて聞きました」
「ん……、まぁ……」
今までになく調子よく感心してくれたから、つい饒舌になってしまった。
前世では常識とされていた事でも、こちらでは秘匿されてきた知識だったかもしれない。
だが、こんな時の言い訳は、既に考えてある。
「お爺様の手記に書いてあったわ。そこの受け売りよ!」
「先代様が残した知恵なら、方々に伝わっていると思います。独占できれば財になるものも、惜しみなく分け与えたと有名な方ですから」
「そう……だった、かしらね?」
「本当に、先代様の手記に書いてあったんですか? 確認させて頂いても?」
「な、なんでよ! 別にいいでしょ、そんな事!」
妙なところで鋭いメイドに、顔を背けて腕を組む。
それでも追及を止めず、顔を覗き込もうとするので、更にそっぽを向いて逃れた。
「お嬢様の口から出たもの、少し先進的すぎると思いまして……。先代様は遠くまで知られる人格者でございましたから、少し妙だな、と……」
「べ、別に、全てを明らかにしたかどうか、あんたに分かる訳ないじゃない! 敢えて封をしていたものも、あったという事よ!」
「本当に、そうなのでしょうか……?」
あちらへ逃げれば、こちらに近付く。
カーリアはまるで蛇の様に背後から顔を覗かせ、決して言い逃れをさせようとしなかった。
いつもの無表情は輪に掛けて感情が抜け落ち、それが恐ろしくて堪らない。
もはや言い逃れ不可能と悟り、顔を背け、目を固く閉じたまま、自棄になって叫んだ。
「そうよ、お爺様は関係ないわ! あたしが勝手に言っただけよ!」
「……なんでそんな嘘つくんですか」
「だって、信憑性増すでしょ、そっちの方が……」
「じゃあ、お嬢様が考えたんですか、さっきの」
「考えたっていうか、まぁ……」
流石に前世があって、そっちからの知識です、という勇気はない。
それこそ、また嘘に嘘を重ねた、と思われるのがオチだろう。
だが、カーリアは妙に納得した雰囲気で、頷きながら顔を戻した。
「ご自身からの発露、なんですか?」
「そうかもね。……悪い?」
「いえ。ただ、単なる思い付きにしては、強い説得力があり納得できるものでした。思うようにされると宜しいのでは?」
「……いいの?」
「何を危惧しているか分かりませんが、他の畑に迷惑が掛かる訳でもありませんしね。お嬢様の実験場と考えれば、まぁ……構わないんじゃないですか?」
カーリアから何か思う所がある、という雰囲気は感じられた。
それでも、それを理由に止めようとするつもりはないようだ。
我儘令嬢が、何か変な思い付きを試そうとしている、と思われただけで、その程度なら好きにさせるつもりらしい。
突飛な行動をするのは、何もこれが初めてではなかった。
あぁまたか、とでも思われているのなら、これを利用してしまえば良いだけだ。
「それじゃ、好きにやらせて貰うわね。お目こぼし貰っている間に」
「あまり羽目は外さないで下さいね。昨日みたいに倒れられると、連れ戻すのが大変なので。今度は足を持って引き摺りますからね」
「あんたは令嬢に対する扱いってもんを、もうちょっと考えなさいよ」
いつもの軽口が返って来て、げんなりと息を吐いた。
既に大いに疲れた気分だが、今日やろうと思っていた事は済まさねばならない。
「理想としては、やっぱり開けた場所とか丘が良い筈なのよね。森があるのは減点対象なんだけど、動かせないし切り倒せないんじゃ仕方ないわ」
虫の被害は元より、魔獣被害も無視できない。
いっそ土嚢でも築いて、物理的なシャットアウトでもするべきと考えていた。
魔力を駆使して畑とは別方向から土を動かし、壁を作る。
そして壁を背にするように、畑はなだらかな斜面にした。
南向きに面するよう調整して、下層土にも手を入れる。
水捌けは特に大切なので、
魔力を通して土の状態は伝わって来るので、ここにも手を入れたいと思ったのだが――。
「おっも……ッ! 何これ、重すぎ! 表層を動かすより、馬鹿みたいに疲れるわね!? 今日一日じゃちょっと無理だわ」
「そもそも、表層を動かせる事自体、大変おかしな事ですからね」
「ゆっくりやるわよ。しっかり発芽するまでは、まだ時間あるし」
魔力を使わなければ、ここまで大胆な土壌改善など出来ない。
そして農地を休めて、長い時間を掛けた改善など、普通の農民には無理だった。
畑面積に応じた徴税は、収穫物が無くとも取られていくのだ。
そんな中で、確実な収穫高上昇を見込めず、賭けに出られる筈がない。
――魔力を使えば、すぐ出来る事なのに。
「でも、人格者で知られるお爺様でさえ、やらなかった事なのよね。……きっと、魔力を安易に使う事は、思っているより簡単じゃないんだわ」
出し惜しみ、とは違う。
元より戦の中で重宝されてきた能力、だからなのだろうか。
それ以外で使うべきでない、という常識が枷になってしまっている。
それらに一切染まっておらず、現代日本の倫理観を持つ者からすれば、不毛の一言で済ませてしまう。
だが、長らく固定観念で凝り固まった人からすると、それを覆すのは簡単でないのだろう。
馬鹿らしいとも思うが、全てを合理的に動かせるなら、世の中に貧困など生まれていない。
「どうも思考が横滑りしてるわね……。まぁ、休み休みやりましょう。家族と不仲で良かったって、初めて思えたわ!」
定期的に様子を探られているらしいが、直接顔を見せる事は稀だ。
本来なら淑女教育のみならず、多くの時間を家の誇りの為に費やさねばならなかった。
それが常識となり始めた時に投げ捨てられ、代わりの何もかも与えられないとなれば、鬱屈と過ごすしかなかっただろう。
しかし、そのお陰があったから、将来の為にやりたい事が出来ている。
今となっては、その事に感謝しても良い気分だった。
「やらなきゃいけない事は沢山あるわ。目にもの見せてやりましょう!」
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