先を見据えた職業体験 その6
ペース配分して魔力を使っていたとはいえ、幼い身体に魔力の酷使は辛かった。
気持ち的にはフルマラソンをしたと思える程で、苗木を待っている事も出来ずに気絶するように眠りに落ちた。
そして目を覚ましたのは、何と日がとっぷりと暮れた後だ。
目の前にあった筈の畑も、近くに見えていた森も姿を消えていて、ベッドの上で寝かされていた。
見慣れた自分の部屋に居る事は分かったが、混乱ばかりでまず理解が追い付かない。
身体を起こしながら、茫然とした口調で零す。
「何が起きたの……?」
「何がも何も、気絶したお嬢様を屋敷まで連れ戻しただけですよ。疲れから来るものだってのは分かってましたので、単に寝かせておけば回復しますし、それなら土の上で寝かせておく訳にもいかないじゃないですか」
「あぁ、そう……。じゃあ、あれからずっと……半日も寝てたの?」
「はい、そうです。魔力の使い方……というか、実践ですかね。その練習不足の結果だと思います」
「それは、……返す言葉もないわね」
「まぁ、子供が体力の温存を考えず遊び回って、夕食の最中に寝ちゃうのと同じ理屈ですよ。何も一日で全ての手順を、詰め込む必要もなかったんじゃないですか?」
それは確かに、言われたとおりなのだ。
実際に畑を耕す時も、人力で耕すなら当然、田起こしには時間が掛かる。
ただ、他の畑に置いて行かれたくなくて、無茶するしかないと思ってしまった。
二日に掛けて分けるだけでも破格のスピードだし、せめてそうすれば昏倒する事もなかった。
「……確かにそうだわ。心配かけたわね」
「心配なんてしてません。子供が遊び疲れて寝ただけなんですから。オルガスさんは、大変な慌て振りでしたけど」
「あぁ……。そっちには、しっかり謝っておかないとね。ところで、苗木の方は?」
「そちらは手配通り届きました。畑が出来上がっていたので、ついでに植える所までやってくれましたよ。皆さん、驚いてました」
放棄された畑が、誰も手を付けていない筈なのに復活していれば、そうもなるだろう。
ともあれ、そういう事なら作業の遅れは出ていないという事だ。
ホッと安心すると、起きたばかりだというのに、再び眠気が顔を出して来た。
ほゎゎ、と欠伸すると、起こしていた身体をベッドの中に戻す。
だが、それを強制的に起こす悪魔がいた。
「いけません、お嬢様。湯浴みしてからにしませんと。今日もたっぷり汗をかいたでしょう?」
「嫌よ、面倒だわ……。ベトついて気持ち悪いけど、でも眠いし……」
「お湯なんて、いつまでも残ってないんですから。朝になってからだと、冷水で身体を拭く事になりますよ」
「あぁ、うん……。それも嫌よねぇ……」
日本で生きていた時代と違って、今は人力で火を熾し、湯を作るしか方法がない。
ボタン一つでお湯を張れていた時代が、今となっては酷く羨ましい。
そして、この時代においても、湯浴み出来る程の潤沢なお湯を用意できるというのは、十分な贅沢なのだ。
使用人もお零れに預かれるものの、その時にはお湯と呼べない温水を使う事になる。
特に平民が出自の使用人は順番を後回しにされるので、既に冷め切っている湯を使う事もあるのだとか……。
それを思えば、ここで我儘を言うべきではなかった。
「それに、汗を出したなら体力も減っています。何か食べないと、今度はそっちで倒れますよ。眠いと思っても、せめて麦粥だけでも……」
「やめてよ……、何でそうも麦粥を猛プッシュするのよ……」
「そのまま寝たら、麦粥を誤って顔面にぶち撒けますからね」
「純然たる犯罪予告じゃないの……。あー……、もう……! あー……っ、分かったわ、起きる」
嫌々ながら……本当に嫌々ながら身体を起こし、連れられるまま湯殿へ向かう。
こういう時、身の回りの世話を全て他人任せに出来るというのは、とても楽だ。
髪も身体も、ただ待っていれば綺麗に洗い上げてくれる。
ただ、自分でやらない分、眠気が襲ってくるもので、寝てしまわないよう注意するのは本当に大変だった。
既に用意されていた食事も簡単に済ませると、自室に戻る。
食事は今日も一人だった。
以前なら一人で食堂に座るのは嫌な気分だったが、今は下手な詮索をされない分、気が楽と思える程だ。
食事が済めば、後はもう五月蠅い事を言われない。
素直に寝ると言えば、どうぞお休みください、という返答だった。
明日も早くから村に行くつもりだし、と枕に頭を埋めた瞬間、すぐに眠りに落ちて行った。
――
「……フゴッ!」
びびくん、と身体を震わせて、目が覚めた。
何故か断崖絶壁に立っていて、そこから足を踏み外すという不可解な夢を見て、盛大に布団を蹴り飛ばしてた瞬間に起きた。
窓辺を見れば、既に外は明るくなっていて、寝坊と言っても良いくらいだった。
「我ながら良く寝たわ……」
うん、と背伸びしながら起き上がると、ノックの後に扉が開く。
いつも通り、一分の隙も無い身なりを整えたカーリアが入って来た。
「お目覚めでしたか。もっと寝てるかと思いましたが……」
「魔力疲れって凄いのね、身体がまだダルいわ」
「初めての大規模使用だった所為もあるのでは? 体力と同じで、使う程に慣れて来ると、本にも書いてあったでしょう?」
「そうだったわね。その辺の記述、読んでるだけで眠たくなって、大して覚えてないのよね」
そんな事より、ともかくも畑だ。
植えられたばかりの苗木には、しっかりと水分を補給せねばならないし、同時に水捌けの良い土質に変えてやらねばならない。
葡萄は水分を多く欲する植物であると同時に、水分過多で品質を落とす難しい植物でもある。
「簡単に食事を取ったら出発よ。昨日きっちり寝た分、今日も頑張らなくちゃ……!」
その宣言通り、食事を取った直後に村の畑へと赴いた。
道すがら、村人達からも挨拶されて、今日はのんびりだ、と揶揄う様な声にも笑顔で返す。
そうして辿り着いた畑には、カーリアから説明されていた通り、苗木が埋められ立派な葡萄畑になっていた。
ならば早速、水撒きをせねばならない。
畑の傍には井戸があるものなので、水の調達に関して問題はなかった。
ただ、やはり井戸から水を汲むというのは重労働なのだ。
水桶を落として滑車で引き上げる、ごく簡単な作りであるものの、これが十を超える回数引き上げると腕がパンパンになる。
だが、セイラには魔力という反則技がある。
水属性の教本も読んでいたので、煩わしい水汲みに苦しめられなくて済むのだ。
井戸の中に掌を翳し、土を耕した時と同様、水面へ糸を繋げるイメージで魔力を使う。
すぐにピンと張った感覚が返って来て、水を操り外へ持ち上げた。
まるでミミズが顔を出したかの様に、そのまま畑へと頭を伸ばして破裂させる。
簡易的な雨となって水が降り注ぎ、畑全体に程よく生き渡った。
それを傍で見守っていたカーリアが、感嘆とした声を上げる。
「便利ですね。魔法というのは、ここまで出来るものなのですか」
「あたしに出来るのは、その便利止まりでしかないけど」
「十分、有益なのでは?」
「貴族として扱えるべき魔術っていうのは、戦闘で通用する魔力運用が出来てこそだから……」
得意属性を持つとは、つまりそのレベルで扱える事を指す。
不得意であろうと、魔力があるなら魔術は使える。
しかし、水を降らせたところで敵を打ち倒せない。
農耕に携わるなら有用だろうが、魔術をそんな事に使うのは恥とする風潮が世を馳せている。
今やった事は間違いなく異端で、父が知れば激怒するだろう。
しかし、あの父がこんな所に来る筈がないと知っているので、こうも大胆に出来るのだ。
「あたしの得意属性が土だったら、昨日と同じ事をしても、きっと気絶するところまではいかなかったでしょうしね……」
「消費量の違いにも、そうした部分が関わってきますものね」
「落ちこぼれの烙印を押されるのも、当然って感じでしょ?」
父が落胆し、激怒したのは正にそこだろう。
学園に入れば、否が応でも比較される事になるのだ。
盤石の地位に居ると思っていても、その魔力量から貶められる事もある。
時に後継ぎを考える時、魔力量や得意属性から家督を決められるのは、決して珍しい事でなかった。
「ま、あたしにとっては、落ちこぼれと思われようが関係ないけどね」
「確かに、お嬢様ならどこでも図太く生きていけると思います」
「うるさいわね。一日一回、喧嘩売らないと気が済まないの、あんた」
やるべき事は多くある。
そして、今日一日行えば終わる事でもなかった。
畑との付き合いは収穫時まで続く。
それまで一日足りとも、疎かにする事は出来なかった。
時として、家の用事を優先しなければならず、畑に来られない日も来るかもしれない。
その場合はカーリアがしっかりと、畑の面倒を見てくれないといけないのだ。
「呑気な顔してる場合じゃないわよ。あんたもただ、見守ってるだけじゃ済まないんだからね」
「それは初耳ですが、その時は上手くやってみせましょう」
「あら、随分自信ありげじゃない。やっぱり経験あるのかしら?」
「ありませんよ。そんな事より、さっさと始めて下さい。今日はこれで終わりじゃないんですよね?」
今日から本格的な畑づくり、そして葡萄作りが始まるのだ。
勿論、これで終わりではない。
これから後にも、まだ魔力を使う機会は残されている。
フンスッ、と鼻から息を出し、お腹に力を籠め、気合も新たに一歩を踏み出した。
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