先を見据えた職業体験 その5

「そんで? 魔獣が出るから実りが悪いって言うなら、まぁそうかもな。魔道具の支給もないなら、誰だって……」


「そうじゃないのよ。本来、その魔道具を嫌がって、魔獣なんて早々近寄るものじゃない筈だから。長年魔獣と付き合っていたんだから、魔獣だって長年魔道具と付き合って来たという事でもあるのよ。森の中で獲物が少ないとか、理由がなければ森から出て来ない筈だわ」


「まぁ、そうかもしれないけど……」


 カーリアが森を眺めてから、納得した雰囲気で頷く。


「ここ何年か続いている寒冷、それで森から草食動物を減らしましたか。だから、森から外れる魔獣も出始めた、と……」


「それはアーレン家が被害に遭った理由であって、普段から続く不作の原因じゃないわね。大変、ご不幸な事だとは思うけど」


「森の木を伐採してしまう事は出来ないのですか?」


「公爵閣下の許可がいるわ。こちらの一存では切れないの」


「伯爵家の領地の事でしょうに、また何故……?」


 カーリアが当然の疑問を発して、近くにいたカイもまた首を捻った。

 彼からすると、その発想自体なかったのかもしれない。

 本当に必要な事なら、昔の内から手を出している筈だ。


 大人連中だって、伯爵に直談判の一つぐらいするだろう。

 それらが一切ないのなら、そういうものだと思い込んでいたのかもしれない。

 だが、実際には複雑でもない事情が絡んでいる。


「ここにあるのが潜竜杉と呼ばれる木材で、貴重資源だからよ。王都や湾口都市なんかじゃ、高値で取引される。船を作る竜骨に、とっても向いている木材らしいの。ある程度、年数の経った樹しか切り出せない決まりがあって、だから伐採権は非常に厳格」


「なるほど。それならば、金の卵を産む前に絞める事なんかしませんか……。それで魔獣の住処を維持するのも、大変業腹だとは思いますが」


「だから、騎士団を派遣できるんでしょ。こういうの、持ちつ持たれつ……で、合ってるのかしら。騎士団は立派な軍で、それを動かすにはお金が掛かる。定期的に派遣できるのは、そうしたリターンがあるからだもの。そのお金も、公爵家から出ているからこそ、公爵家の許可なく伐採できないって理屈でしょうし」


「んだよ、それ! 住んでる俺たちの事はお構いなしかよ……!」


 それもまた、貴族的な考え、というものなのだろう。

 多額な利益の前には、多少の損は飲む。飲み込ませる。


 そして、起こり得る被害に関して魔道具を準備させるなど、最大限の手段は講じていた。

 それを、父がまた一つ奪っていたという事なのだ。


 ――余罪がどんどん出て来るわね……。

 家が取り潰されるのも、当然と言いたくなる。


 果たすべき義務を放棄した貴族に、存在価値などない。

 こうして、直接領民の生活を見ていれば、気付けた事でもあるだろうに……。


「はぁ……」


 居た堪れない息を吐いて、それから、ハタっと思い直す。


「いや、随分脱線しちゃったけど、問題はそこじゃないのよ。森に魔獣が住むとしても、住んでいるのは獣だけじゃないでしょ。虫がやって来るから、葡萄は被害に遭うの。実りに直接的な被害が出るのは、むしろこっちが理由なのよ」


「そう……なのか?」


「近くに森がない畑の人には、実感し辛い事かもしれないわね」


 とはいえ、それは単に前世から受け売りで知っているだけで、セイラ自身が経験として知っている事ではなかった。

 ワインを題材とした本を読んだ事があるから、そうした豆知識を持っているだけで、畑に手を出した事などない。


 良いワインを作る土台としての条件も、それを通じて知った事だ。

 しかし、かつての世界で通じていたイロハが、こちらでも同様に通じるかまでは分からない。


 植物が育つ好条件を整えるだけで、必ず同じ結果に導けるかどうか、それは賭けみたいなものになる。

 ただ、大まかな部分で共通している部分は多い筈だった。


「とにかく、やれる事はやるつもりよ。あたしが見せる結果次第で、来年以降の収穫向上も見込めるかもしれない。あたしは土仕事を学べてラッキー、あんた達は収入が増えてラッキー。誰も不幸にならない、って寸法よ」


「そりゃ嬉しいね。でも、何だってオジョウサマが土いじりなんてしたいんだよ……」


「色々あんの、あたしにも」


 カイは貴族令嬢の思い付きになど、全く期待してなのは、その口ぶりから分かる。

 こっちだって、子供一人からどう思われ様が気にしない。


 空を見上げれば、長く話していたと分かり、時間を余分に使ってしまったと後悔する。

 まだまだ昼までには余裕があるものの、恐らく相当疲弊する筈で、休憩しておく時間も確保したい。

 始めるのなら、すぐに始めてしまいたかった。


 放置されていた畑には、既に枯れて折れた葡萄の樹なども放置されたままで、耕すにはまずそれらの除去から始めなければならなかった。

 雑草も生え放題で、その分、鍬も土に食い込み辛い。


 だが、肝心のその鍬さえ、ここには用意されていなかった。

 目敏く気付いたカイは、周囲に目を向けながら尋ねる。


「何でもいいけどよ、どうやって畑耕すつもりなんだよ。男手もねぇ、道具もねぇんじゃ、やりようがねぇじゃん」


「こっちも本格的なのは初めてだから、ちょっと失敗するかもしれないんだけど……。じゃ、始めましょうか。――ちょっと下がって」


 カイに向けて、ちょいちょいと手を払う仕草を見せると、つまらなそうに唇を窄めつつ、素直に従った。

 それを横目で見届けると、腕まくりでもするかのように肩を動かし、ゆっくりと魔力を練り込み始める。


 胸の奥から湧き上がる力を、右手に集中させた。

 手の平を下に向け、大地と一本の糸を繋げるイメージで、ゆっくりと自分の魔力を土に浸透させていく。


 芋の蔓を引っ張る様に手を動かし、魔力がピンと張ったのを確認すると、身体の奥底から一気に放出する。

 魔力は光を伴って大地に吸い込まれていくと、その地点から波を起こす様に大地が隆起した。


 一つの波が次の波を生み、雑草も根から掘り返され、枯れていた葡萄の樹も押し流していく。

 最後には畑の外に、堆く雑草と枯れ木が積まれる状態になった。


「すっげぇ……」


「大変見事な制御でした、お嬢様」


 大地に挿した魔力の糸を断ち切ると、どっと疲れが押し寄せて来た。

 額からは滝のように汗が流れ、呼吸は荒く肩で息して、膝まで笑ってくる。

 流石に立っていられず、その場に尻もちを付いて、乱暴に服の袖で汗を拭った。


「はぁっはぁっ……! 鉢の中の土を動かすのとはっ、訳が違うわね……っ! 馬鹿みたいに疲れるじゃないのよ!」


「随分と、お元気の様に見受けられますが?」


「空元気よ!」


 うっへりと息を吐いて、とうとう座っているのも辛く、大の字になって横たわった。

 その間にも、カイは畑の中に踏み入り、足で感触を確かめている。

 そのうち直接、畑の土を手に取り、その感触を確かめては唸っていた。


「いや、こりゃ凄ぇよ……。貴族って、ホントに魔法使えんだな……!」


「魔法じゃなくて正確には……って、まぁいいわ。殆ど失敗した割には上手くいったし」


「失敗なのか、これ?」


「結果はともかく、過程の方に問題があったの。魔力を多く注入し過ぎたし、その所為で勢いも付きすぎた。下手に止めるより押し切った方が楽だと思ってやったけど、一度の使用でへたり込むんじゃ、使い勝手悪すぎでしょ……」


 この辺りは感覚的な話なので、カイに言っても仕方がない。

 理解して欲しくて言った訳じゃなく、自分の考えを整理したくて言った事だから、それは別に良かった。

 しかし、カイはどこか不満そうな顔を向けてきた。


「こんなに凄ぇ事できるんならさ、何でもっと協力してくれねぇんだよ。真面目にやってるのが馬鹿みてぇだ」


「伯爵家にあった本の記述を読むと、昔はやっていたみたいだけどね」


「じゃあ、何で今はしてくれねぇんだよ」


「……知るもんですか。でも、ウチに限って言えば……楽に慣れたからじゃない? あるいは、楽のできる制度が下地にある所為かもしれないけど。誰だって、率先して苦労なんかしたくないものねぇ……」


 整って来た息で、他人事のように言った。

 すると、カイはあからさまに機嫌を悪くさせて悪態をつく。


「苦労すんのは農民だけで良いってか。自分たちはその稼ぎを横から攫って、それで暮らしてさ。良い身分だよな」


「そうねぇ……。それが貴族ってものだもの。何とかしたいと思うなら、自分から動かないと何も変わらないわよ。気に食わないっていうなら、それを覆す為の努力が要るの」


「んだよ……、お前が言うな! 苦労知らずのお嬢さんがよ! オレ達ゃ何言われたって、結局歯ぁ食いしばったまま生きるしかないんだ!」


 手の中に握っていた土を叩き付けて、カイは逃げる様に去って行った。

 その間も、大の字のまま空を見上げていて、その背を見送る事すらしない。

 ただ、一つ盛大な息を吐いて、幾らか体力の戻った身体を起こした。


「お嬢様、気になさる事はありませんよ」


「あたしが気にしてるように見えるっての? 冗談よしてよ。あんなの、挨拶みたいなもんでしょ。貴族憎しの典型みたいな農民だし、むしろ当然って感じだわ」


「……そうですね。彼らを変える為なら、まずご自身でその範を示す――その言葉には、確かに頷けるものがありました」


「はぁン……?」


 自分の発言を思い返せば、それは農民の彼らを思いやる様なセリフに聞こえたかもしれない。

 しかし、徹頭徹尾、自分に向けた言葉だった。


 そもそも、生産量やら品質向上、売上高の回復など、考える必要はない。

 生きていく術を身に付ける第一歩として、身近な所から手を付けただけであって、仕事内容を覚えるだけで十分なのだ。


 それなのに妙な勘違いをされ、それがスパイラルしてしまっている気がする。

 大っぴらに自分自身の為、と言えない事から生まれる弊害……、なのかもしれない。

 下手をすると、気付けば取り返しの付かない事になっていたりしないだろうか。


 嫌な想像が脳裏を掠め、それを振り払って立ち上がる。

 未だ倦怠感は未だ強く、もう帰って今日は終わらせたい衝動に駆られた。


 いやいや、駄目だ駄目だと首を振り、また右手に魔力を集中する。

 今度は休み休みやって、どうすれば楽に動かせるかを学ぶつもりで制御を始めた。


「あら、畑はもう耕し終わった筈では?」


「表面だけね。でも、さっき使った感覚だと、底の方にはまだ石とか残ってる筈なのよ。それも取り除いておかないと……。そうすれば、土も掘り返されてもっと混ざり合うでしょうし。ゆっくりやれば、昼前に終わって丁度良い具合になるかもね」


 二回目を始める前から、既に腕が重たい感じがする。

 予想以上に辛かった一回目で、心がどっと疲れてしまった。

 それでも、一度始めた以上、終わらせねばならない。


 大きく息を吸い、細く息を吐く。

 気持ちが萎える前に魔力を練り込み、そうして大地に向かって解き放った。

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