先を見据えた職業体験 その4

「おはよう! おはよう、皆!」


 農村に通い始めて、今日で七日目。

 通る道々、まず誰かしらに会うので、その度に挨拶は欠かしていなかった。

 今日も今日とて、背後にカーリアを従えて、村娘の格好をさせながら小走りに進む。


 農家の朝は早い。

 太陽が顔を出す頃には起き出して、朝食を取るより前に畑の世話をするものだ。

 まだ葡萄の実が成るどころか、発芽した芽が広がり葉となり初めてたばかりだが、この時期だからと手を抜く理由にはならない。


 ただ、手入れをするにも、まだ直接手を入れられない状態でもある。

 しかし、広い畑のどこに問題が出るかは分からない。

 特に夜は火を焚き続ける関係上、常に危険と問題は付き纏う。


 朝明けて、葡萄の樹のどこかが壊死している可能性もあるのだ。

 そうした樹は早く剪定してやる必要もあり、職人の勘があって早期に見つけ出せるものもある。

 単に虱潰しに探していては、いつまでも次の作業を始められない。


「おやぁ、セイラちゃん。今日も元気だね」


「元気だけど、毎日疲れて大変よ! 最初の三日なんて、特に辛かったわね!」


 挨拶に応えてくれた肝っ玉母さんと、ちょっとした世間話で盛り上がる。

 三日目を過ぎた辺りから、最初は剣吞だった態度も軟化し始め、今では身分差を感じさせない会話も出来るようになった。


 熱心に農作業を学ぼうとする姿勢と、作業の邪魔をしないという宣言をしっかり守っていた事で、少しずつ信頼を得られるようなった。

 実際、彼らの努力に支えられて生きているのだから、これに敬意を向けるのは当然だ。


 しかし、今の領主が視察に来た事は、これまで無かったのだと言う。

 幼少期は先代に連れられて来ていたそうだが、爵位継承後、村を見に来た所を誰も見ていないらしい。

 らしいと言えば、らしい話ではある。


 ――だから、なのだろう。

 こうして伯爵家の人間が、特産品と言える葡萄畑に熱心に通う姿を見られるのは、彼らにとって喜べる事なのだ。


 また、土仕事で汚れる事も厭わない。

 見ているだけでは分からない事も多い。だから簡単な事なら、教えてくれたりもする。

 それを嫌がらず言う事を良く聞いて、実直に行うというのだから、気を良くしてくれる人も多いのだ。


 だが、当然その程度で気を許さない人もいる。

 その中の筆頭が、最初に出会って悪態をついた、カイと言う名の少年だった。


「へんっ! これだからお貴族様ってヤツぁ、駄目なんだ。藁も運べねぇで、デカい態度だけはしてやがる」


「あら、丁寧なご挨拶、痛み入るわね。でも、ごめんなさい。今日は構ってあげる暇はないの」


「何だよ、誰が構って欲しいなんて言ったよ!」


「そういう態度がね、構って欲しいって言ってる様なもんなのよね。とにかく、もう行くから。――またね、おばちゃん!」


「はいよぉ」


 カイは無視して、葡萄の樹に手を加えていた女性に手を振った。

 そのままズンズンと進んで行っても、カイは離れようとせず、変わらぬ態度で付いて来る。


「なぁ、何をそんな急いでんだ? ウチの畑、そっちじゃないぞ?」


「そりゃあね、あんたんトコに向かってる訳じゃないから」


「じゃあ、どこ行くんだよ?」


「うるさい男ね。前から言ってたでしょ、実績作りに畑を一つ使うつもりなの。……あぁ、どうするつもりかは聞かないで。まだ決めかねてるから」


 カイという少年は、とにかく思った事は口にせずには済まないし、突っ掛かりたくて仕方ない性格をしている。

 それが僅かな時間で接して分かった事だった。

 単に貴族が気に食わない、というだけでなく、誰に対しても似た様な態度になる。


 今では単にそういう性格なのだと分かっていても、面倒な事には変わりない。

 案の定、口を開こうとしたカイより先に、掌を突き出して止めて歩速を上げた。


 それでも付いて来るのを止めようとせず、こちらの速度に合わせて横に付く。

 本来、こういう手合いを引き剥がし、距離を取らせるのも使用人の役目だ。

 しかし、早々に無害と判断されてからというもの、カーリアはむしろ二人の会話を楽し気に聞いている節がある。


「使う畑って、アーレンさんの所だろ? 本気で言ってんのか? 人の手から離れて一年以上放って置かれた畑なんて、お前が耕せる訳ねぇだろ」


「正確には二年弱だけど……まぁ、そうね。子供の手で耕せる面積なんて、それこそ猫の額程度もんでしょ。でも、ここに一人、労働力がいるものねぇ……?」


 意味ありげな視線を送ると、大いに顔を顰めた上で口汚く罵って来る。


「馬鹿じゃねぇの。何で俺が……! 大体、俺だって一から耕した事なんてねぇよ! 本気でやるんなら、子供を当てにするんじゃなくて、大人を呼べ!」


「至極、真っ当な意見でございますねぇ」


 基本的にカイとの会話中は口を挟まないカーリアが、感心した口振りで頷いた。


「簡単に見た範囲ですけれど、全ての畑を起こすなら、大人十人は必要と見ました。その手配について、何も聞いておりませんけど……。まさか、私を当てにしているとは言いませんよね?」


「そう言うつもりだって言ったら?」


「撤回するまで、鼻に麦粥流し込みます」


「止めなさいよ! その変な嫌がらせ! やらせないから大丈夫よ!」


「そうですよね。でも、それなら苗木だけあっても……結局、意味がないのでは?」


 カーリアに頼んだのは、あくまで苗木の用意だけだった。

 今日の昼前には届く手筈になっていて、それまでに耕しておくつもりだった。


「まずはある程度、しっかり出来る所を見せる為の畑だから、全ての面積を使う必要はないのよ。今年の気候は分からないけど、立派に実を付けるところを見せられれば、聞く耳持ってくれるかもしれない。これはその為のものだから」


「でしたら、結構ですけど……。そうだとしても、女手一つ、子供手一つで収まる範囲ではないのでしょう? それとも、私の知らない所でお声がけを?」


「そうじゃないわ。ま、見てなさいな」


 自信満々に言い切って、目的地へ進む。

 場所は村の外れ、森に囲まれた一画だった。

 かつてアーレン家が所持していたという畑は、南北へと長い形になっていて、面積自体は村の中でも五指に入る大きさだ。


 本来ならば打ち捨てる必要などなく、有効活用されるべき畑だった。

 息子が王都に行ってしまって継げなかったのも問題だろうが、それなら村の誰かが受け継ごうという話も出た筈だ。


 しかし、結果として誰も欲しがらなかったのは、人手が足りないだけが理由ではないと思う。

 改めて見てみると、その理由も分かって来る。


「このアーレンさんの収穫、元々そんなに良くなかったんじゃない?」


「……そうらしいな。どうも実りが悪いとか、畑がデカいだけで大変だとか、色々聞いた」


 素直にカイが頷いて、渋い顔を浮かべた。

 原因不明の不作は、農民なら誰にとっても困りもので、そしていつだって当事者になり得る。


 この畑が悪いのは努力不足、品質管理不足と片付けるのは簡単だ。

 だが、その仕事ぶりを知って首を捻る状態なら、いつかは自分達にも同じ事が……と思ってしまっても仕方ない。


「でも、それってこの立地なら当然なのよ」


「……なんで?」


「森が近いから」


 そうは聞いても、カイは全くピンと来ていない様だった。

 村の周囲は広い草原地帯で、森と隣接しているのはこの畑ぐらいだ。

 そのうえ森も結構深く、動植物の楽園と化しているのだ。


「いや、そりゃ……魔獣被害は、たまにあるけどさ。それだって、定期的に騎士団が入って処理してくれてんだぜ? アーレンさんちは実際、その魔獣にやられちまったけど、不運みたいなもんで……。毎年ちゃんと、狩った獲物を持ち出してたんだ」


「温床地帯になっていた訳でもないと……。やったフリだけ、とかは?」


「ないよ。村の大人が勢子を務めたりもするんだ。それに獲物の肉は村にも分けて貰えるし、フリだけして帰ってたら、そんなのすぐに分かるだろ?」


「そうね……。領都の兵まで腐ってないと知れたのは幸運だったわ。でも、領都まで遠すぎない? 魔獣が出てから呼んで間に合うの?」


「間に合わないから、アーレンさんちはやられたんだ。追っ払う為の魔道具は支給されてたのに、あれって消耗品だから……。毎年、どんどん減らされてってさ……」


 カイが苛立ちを溜め息に変えて吐き出す。

 ここにも父の浪費の、被害者がいたのか……。


 カイが貴族を嫌うのも当然だ。

 追い払う為の魔道具も、本来は諸経費として毎年一定数が支給されていた筈だ。

 それを渋った結果が、アーレン家の命を奪った。


 その被害を抑える為、魔道具の消費を抑える為の、定期的な騎士団の派遣なのだろう。

 だが、派遣しているのだから問題なしとでも思ったのだろうか。


 もしくは、小金欲しさに魔道具支給を減らしたのかもしれない。

 被害はその年によってバラ付きがあるだろうから、平均を下回る年が続いた事で、経費削減したつもりなのか……。

 理由はどうあれ、遣る瀬ない話だった。

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