先を見据えた職業体験 その3
堂々たる宣言へ水を差すように、背後から変わらず呆れた声音が発せられた。
「お嬢様、そんなことを考えてたんですか?」
「何よ、良いでしょ、勝手でしょ!? これからのあたしには、いずれ必要になるの!」
背後を振り返って睨み付けるも、彼女の眉間には僅かにシワが刻まれ、難色を示しているのが伝わって来た。
カーリアは、セイラの意見や考えを尊重してくれている。
だがそれは、完全に味方である事を意味しない。
単にオルガスに言い含められていただけで、そのオルガスから伝えられている内容から逸脱するようなら、やはり止めてくるだろう。
「そう……なのでしょうか? でも、何の為に?」
「そりゃあ……あんた、早くから知っておくに越した事はないし……。身に付きもしないでしょ?」
「まさかとは思いますが、これから継続的に関わるつもりではありませんよね?」
「関わるつもりだわ。一日離れた所から見るだけで、いったい何が分かるのよ」
カーリアの眉間に、シワが更に追加された。
これは許可されないやつだ、と思うのと同時、その瞳が髭面の男性へと移る。
「お嬢様はこの様に言ってますが、あなた方からすると、当然……迷惑ですよね?」
「いや、まぁ、何……っていうか……」
突然水を向けられ、困った顔でカーリアとセイラの間で視線を動かす。
今だけは村娘だ、と言われても、本人からすると貴族の娘にしか見えていない。
否定的な意見は、そのまま罰に繋がるかも、という恐れから、素直に言葉を出せない様だった。
「まぁ、分かるわよ。今まで働いた事もなければ、苦労知らずの小娘の面倒なんか見たくないわよね。怪我されたり、服が汚れただけで、何を言われるか分からないもの」
「いや、別にそこまでは……」
「ところで、あなた……お名前は?」
突然尋ねられて、怪訝に眉を顰めたものの、即座に頷いて男は名乗る。
「……あぁ、その……ヨーンだ、……です」
「そう、ヨーン。あたしはセイラよ。呼び捨てて構わないわ。この格好の時はね」
「はぁ……」
「でね、あたしを関わらせてくれるなら、ここ数年の不作……どうにか改善出来るかもしれないわよ」
「それは……! 本当なら、願ってもないことだ――いや、ですが。そんなこと……」
ヨーンの顔に一瞬期待が浮かび上がったが、それはすぐに疑心へと変わった。
それも当然だろう。
彼からすれば――他の誰からしても、幼子に過ぎないセイラの発言は軽んじる。
農家というのは親から子へ、その経験や知識を受け継ぐものだ。
時に知恵を出し合って、より良い品質の葡萄を作ろうと、熱意を注いでいたりする。
ぽっと出の小娘に何が分かる、と言いたいところだろう。
それもまた正しい。
貴族の道楽や思いつきに、振り回されては溜まらない、とヨーンの顔にも書いてあった。
「あたしはあなた方を軽んじてもいないし、迷惑を掛けたいとも思ってない。本当よ。でも、そんなの口で言われたって分からないわよね。だからまず、使うだけ使ってみてくれないかしら」
「うぅーん……」
ヨーンは腕を組んで、考え込んでしまった。
ちらちらと背後――カーリアへ視線を向けるものの、お互いに何を言うでもない。
ただ、カーリアの表情は分かり辛いので、断れという視線を向けられていても分からないだけかもしれなかった。
そして、そのまま数分が経過した。
ヨーンにしても、今は保身と利益を天秤に掛けて、必死に考えている最中だろう。
彼にも家族がいて、食わせていく為に必死だ。
何か間違いを犯せば、鞭で打たれると思っていて、下手な言い訳も出来ない。
参加させて怪我でもさせたら、本気で首が飛びかねないとも思っていそうだ。
様々な板挟みがヨーンを苦悩させていて、額からは汗が浮いていた。
――ちょっと急すぎたかしらね。
ほんの思い付き、ちょっとした提案のつもりだった。
彼からすると、今後の人生を左右する重大な選択だが、そんな思いをさせたくて口にした訳ではない。
カーリアという使用人が近くに居たから、平民との付き合い方を誤解していた。
本来なら彼のように、貴族に対して尻込みするのが普通なのだ。
住んでいる世界が違い、関わり合うべきではない、とすら思っているかもしれない。
これは少し、方針を改めた方が良さそうだ。
そっと溜め息をついて、殊更優しく聞こえる声音で、ヨーンに話しかける。
「ごめんなさいね、そこまで困らせるつもりはなかったのよ。……そうね、こちらがどう思い、どう提案しようとも、責任問題というのは付いて回るのよね」
「ご自身で気付かれたのなら何よりです、お嬢様。そして、この場合……ヨーンさんが気付いているかどうかは別として、頷いたなら責任を取るのは彼という事になっていました」
「あぁ……やっぱり、そういう事になっちゃうのね」
「土で汚れたくらいなら、咎めはないでしょう。でも、お嬢様の希望で、という前提であっても、怪我の度合いによっては責任を追及しなくてはなりません。不慣れな作業に従事させておいて、その怪我の懸念を想定していなかったのなら、当然それは責任者の問題になります」
「あちゃー……」
思わず片手で目を覆って、天を仰ぎ見る。
迷惑を掛けるつもりは無い、それは本音だった。
でも、自分の意志とは別に、発生する問題という事まで気を回していなかった。
見るだけで済ませるつもりだと思っていたカーリアからしても、セイラの発言は青天の霹靂だったろう。
それでも即座に止めなかったのは、やはりオルガスの指示があったからだろうか。
彼女の口振りからすると、止める事は決定事項だったように思う。
もしかすると、一つ学習させる為、敢えて黙っていた可能性が高かった。
改めて自分の無自覚な浅慮に反省し、ヨーンに頭を下げる。
「本当に、ごめんなさいね。自分じゃ賢いつもりだったけど、まだまだ浅はかだったみたい。困らせるつもりなんか無かったのよ」
「あぁ、いえ……! そんな頭なんか下げられちゃ、こっちが困っちまいます……!」
「悪いことをしたのは、こっちなんだもの。当然の事だわ。農家や職人の人達には、敬意を払うものだしね」
「は……」
自分では当然の事を言ったまでだったのだが、ヨーンは唖然としてこちらを凝視していた。
しばらく穴が空くほど見つめていたかと思うと、ハッとして頭を下げる。
「いや、申し訳ねぇ……! そんなこと言うお貴族様がいるとは思いませんで! てっきり何か……、もっと無理を言われるものかと……」
「いやね、そんな訳……まぁ、無理もないか。でも、仕事を学びたいと思った事、現状の実態を知りたいと思った事、昨今の不作について手を打ちたい事、それらは全て本当なのよ」
「え、えぇ……。それは、そうなんでしょうが……」
ヨーンもその言葉を疑うつもりはないのだろう。
しかし、いずれにしてもセイラは未だ幼すぎた。
志や考え方が父と違うと分かっても、それ一つで信用できる程、農民も単純ではない。
そこへカーリアが冷静な声音で口を挟んできた。
「お嬢様、必要なのは実績です。信頼を得るにも、それを分かる形で見せる必要があるでしょう。そうでなければ張りぼて、見掛け倒しにしかなりません。お嬢様は村人に信頼を得られている訳でもなく、単なる貴族の道楽で畑を見に来たとしか思われていないのですから」
「そうね、そのとおりだわ……。口では何とでも言えるもの。来年は豊作にしてやる、なんて貴族の口から出るものを信用できる訳ない」
「それも、実務経験のない小娘が言う事ですよ」
「今日はやけに毒舌ね。遠慮がないのはいつもの事だけど……、やけに的確な指摘してくるのは、試しているつもりだからかしら」
これには返答がなく、口の端を僅かに上げただけだった。
助言についても、ある程度オルガスから指示を受けてのものかもしれない。
だとすると、他にも学習させる為の指令か何かをされている可能性がある。
試す様な視線を向け、腕を組んではツンと顎を上げた。
「いいわ、実績ね。確かに今のあたしは、口だけは立派な馬鹿な小娘に過ぎない。そうとは知らず、立場が他人に与える被害を考えていなかった。でも、早々に諦めるつもりもないの。どうするべきかしらね?」
「何故、そうまでして? 知りたいだけなら、屋敷のご本からでも十分でしょう」
「知るだけでは足りないと思うからよ。これからのあたし必要なのは、実際に自らの手で扱える程の、深い知識を身に付ける事だわ」
ワイン農家と小麦農家では、その稼ぎは雲泥の差と、どこかで聞いた事がある。
それはつまり、品質の良いワインとは、それだけ作るのが難しいという意味でもある。
だが、将来手に職を付ける事を考えると、選択肢は多い方が良いに決まっていた。
「なるほど……、そういう事でしたら……」
何かに納得するように深く頷いたカーリアは、口の端に小さく笑みを浮かべて頷く。
盛大な勘違いをされている気はするが、下手な訂正は状況を混乱させるだけと思って口を噤んだ。
それに、勘違いさせたままの方が良いとも考えられる。
没落は確実だと思っているので、それまでの間、箱入り娘のまま時間を浪費させられても困るのだ。
今回の様に、外へ出る助力を貰えるのなら、勘違いさせたままの方が得に思えた。
――それに。
行儀作法も何もかも、十五を境に必要なくなる。
家の没落は止められないだろう。
父を止めるつもりがなく、むしろ促進しようとしている以上、それはまず覆らない。
今こうして農家での働き方を知りたいのも、場所を選べば働く先に困らないと思うからだ。
女性の働き口というのは、それほど多くない。
都市部へ行くなら、その選択肢も広がるだろう。
しかし、没落貴族の名前と顔がもし広まっていたら、就職も難しくなったりしないだろうか……。
いつの間にやら考えが脱線し始めている所に、カーリアが深く頷いて、道の先に手を向けた。
「それならば、いっそご自身で畑を所有しては如何でしょう? 誰かの監督の元、働こうとするから責任が発生する訳で、それで迷惑になるというのなら……」
「自分自身が責任者になれば良い……って? 理屈はともかく、そんな畑……」
ないでしょ、と言い掛けて、瞬時に頭の中で閃くものがあった。
打ち捨てられ、放置されたままの畑が一つ……。
オルガスの執務室でも、話題に出ていたものだった。
「あったわね、確か。ここから遠いの?」
「それなりには。けれど、今から行けない距離ではありません。ただ、問題もあります」
「分かってるわ、長らく放置されていた畑だもの。今から耕すんじゃ遅すぎるって言うんでしょ」
「勿論、それもですが……。苗木を調達する問題も残っています。すぐには無理ですよ」
「じゃあ、今すぐ手配して。ここの畑と同じものを」
着々と、あるいは淡々と話を進めていく二人に、ヨーンは顔を引き攣らせていた。
気付けば遠巻きにこちらを見つめる幾つもの目があって、彼の家族が固唾を飲んで見守っていたのだと分かる。
唐突に現れ、無茶な何かを言い始めた貴族の小娘が、ここで目立たぬ筈もない。
父親や近所の人間を心配して、人が寄って来るのも当然だった。
「早くても数日は掛かるでしょう。それまで、こちらの仕事の流儀と、その基礎を見学させて貰うわね」
「いや、あの……」
「大丈夫、見ているだけで怪我したとして、それはあなた達の過失って事にはならないから」
「そうじゃなくってだな……」
「勿論、邪魔だけはしないわ。極力、質問もしない。ただ、メモを取ったりはさせて頂戴ね」
最後に笑顔を向けると、説得は不可能と悟ったらしい。
渋い表情を残したまま頷き、周囲の家族に手を振って仕事を再開していった。
それを満足気に見送って、改めて仕事の観察を始める。
――確かにそうだ。
あまりに逸り過ぎた。
初めての気ままな外出に、年甲斐もないはしゃいでしまっていたのかもしれない。
ヨーンの仕事ぶりを観察しつつ、葡萄畑に満面の笑みを浮かべた。
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