そして思いは結実する その3
「――フゴッ!?」
鼻に息を詰まらせ、ビクリと身体を跳ねさせると、布団を蹴飛ばし飛び起きる。
窓へ目を向けると、薄っすらと朝日が昇ろうとしているところだった。
空はまだ暗く、山の稜線から白いものが見え始めたばかりだ。
部屋の中を見渡すと、ベッドサイドに腰掛け、扉の方を見つめては微動だにしないカーリアがいる。
その彼女がこちらを振り返って、いつもながらの無表情に、呆れを存分に含んで溜め息をついた。
「相変わらずの淑女から掛け離れた寝起き、ようございました」
「不可抗力ってヤツででしょ。放っておきなさい。……それで、眠っている間に誰か来た?」
「気炎を上げた奥様がいらっしゃいました。……が、もう家から放り出された後ですと言って、お帰り願いました」
「……信じたの?」
カーリアの口振りから言って、室内へ通さぬまま巌として譲らず、入口での問答で済ませたのだろう。
だが、母が使用人の一言ごときで諦めるとは思わなかった。
相当に激怒していただろうから、隠し立てするなら容赦しないと、魔力を振るった可能性すらある。
だが、カーリアは全く気負った素振りもなく、淡々と頷いた。
「はい。目を見つめて、同じ事を繰り返し伝えていたら、素直にお帰り頂けました」
「信じられないわね。押し通ろうとしなかった訳?」
「しようとはしましたが、譲りませんでしたので。目を見つめて、このまま首絞めたら何秒後に死ぬだろう、とか考えてたら……えぇ、素直に」
「滅茶苦茶、脅してるじゃないのよ」
あの無表情フェイスで、淡々と同じ返事をしながら殺意を向けられたら、そりゃあ逃げ帰るしかないだろう。
しかし、本人は諦めても、他の誰かを代わりに寄越しそうなものだが――。
いや、同じ事か。
結局、カーリアは自分で宣言した通り、不寝番の役目をしっかり果たした。
そういう事なのだろう。
頼りになる使用人へ礼を言って、ベッドから起き上がる。
着の身着のまま寝た筈なのに、気付けばいつもの寝間着に変わっていた。
布団を蹴飛ばしていた事を考えても、どうやらしっかりと寝かし付けてくれたようだ。
寝間着から旅装へ着替えている間にも、濡れた布巾で顔を拭ってくれたり、髪を梳かして結ってくれたりと、そのサポートも慣れたものだ。
それも今日限りと思えば、何だか惜しい気もしてくる。
だが、カーリアは安定した収入と職業をこそ求めていた。
連れ出す訳にはいかないし、彼女を雇う金もない。
カーリアの忠誠は金で買えるが、金がなければ雇えないという意味でもある。
逃亡者の随行となれば危険も相応に高く、さぞ値段も張るだろう。
だから、頼むまでもなく最後の奉公に身を任せた。
「思えば、あんたにも色々手助けして貰ったわね。一応、ありがとうと言っておくわ」
「そこは素直に、お礼を言っておくだけで良いと思います」
「他の誰かはともかく、あんた相手じゃ癪なのよね」
そんな事を言っていると、着替えも髪結いも終わって準備も整う。
背中に掛かっていた髪は、走りやすいよう、後頭部で一つに纏まっていた。
最後まで、実に行き届いた計らいだった。
「じゃ、行くわ。精々、あたしを悪者に仕立てて、オルガスとあんたは被害者って事にしときなさい。次の領主は、グスティン様も良く考えてくれるでしょ。多分マトモな人を選ぶ筈よ。先行き明るい下地も敷けた。問題なくやっていけるでしょうよ」
「お嬢様は……、それで満足ですか」
「勿論よ。満点の出来ではないし、無責任と謗る者もいるでしょうけど……妥当な所だと思ってるわ」
元より、御家の没落は避けられなかった。
本当に不可能なのか、回避する術はなかったのか、それは検討していない。
したいと思うほど、親にも、爵位にも執着を持てなかった。
最初に突き放したのは親だから、という理由もある。
だから、目指したのは家族以外の被害者を、極力少なくした上で一人逃げ出す事だった。
最初は自分ひとり逃げ出して、手に職でも付ければ良いと思っていたが、それは流石に白状と思える程度には、村民と仲良くなった。
助け、助けられ、大いに親交を深めた。
そして、深めた親交の分、義理は果たせたと思う。
後は彼らの勤勉さと、多少の運に掛かっている。
何一つ後悔がないと言えば嘘になるが、十分妥当と思える程には満足していた。
「だから、そんな顔をするのは止めなさい。無事、国境を越えられるよう祈っていて頂戴よ」
「私はいつも表情を変えません」
「……そうね、確かにそうだわ」
確かにカーリアはいつも表情を変えない。しかし、今だけは苦渋を呑み込み、涙するのを我慢しているように見える。
それにちらりと笑って、窓枠に手をかけた。
少し力を込めれば、簡単に上へスライドして開く。
身体を半分だけ乗り出して、地面へ魔力の糸を繋げば、いつもどおりの滑り台が出来上がった。
外に誰の気配もないし、逃亡を阻止しようという誰かもいない。
……当然か。
父としては、既に疫病神でしかなくなった娘を、領内から出て行って欲しいと思っている。
元より、家の中に居ない筈の身だ。
思わず阻止する誰かがいると探してしまったのは、未練からだろうか。
「じゃ、行くわ。達者でね」
「今はとりあえず、お達者で、と言っておきます」
「……含みのある言い方ね。あたしが寝てる間に、オルガスと変な相談してたりしないでしょうね」
「オルガスさん、凄い悔やんでましたよ。それに、泣いてました。考えを改めて欲しいと、直談判に来ましたけど追い返しました。今度会ったら、ちゃんと謝っておいて下さいね」
「あら、雇い主はオルガスなんでしょうに。反発するなんて、いけないメイドね。……でも、いつかね。いつか会えたら、そうするわ」
曖昧な笑みで返し、滑り台を降りていく。
緩やかな螺旋を描いて地上に降り立つと、窓辺からカーリアが顔を覗かせていた。
白くなり始めた夜空だが、その表情までは流石に見えない。
しかし、今は見えない方が、決意が鈍らなくて良い。
だから、窓へ軽く手を振ってから背中を見せた。
旅装の背負い袋にはテントも含まれていて、それなりに重い。
肩の食い込みを直そうと、軽く勢いを付けて背負い直し、足音軽く門の外へと走って行った。
※※※
翌日の事である。
昼にも随分早い朝方から、バークレン伯爵家は上へ下への大騒ぎになった。
何しろ、やって来たのは騎士団だ。
フェルトバーク騎士団、その完全武装した中規模編制の騎馬兵と歩兵が、ずらりと屋敷を囲んでいる。
しっかりと騎士団と公爵家の旗を掲げ、これが正規の派兵である事を主張していた。
そして、その中にあって一つの集団に囲まれる豪奢な馬車まであり、そこにも公爵家の家紋が掲げられている。
「あ、あなた……! これは一体……!?」
「わ、分からん! 何も知らんぞ、私は!」
フレデリクとその妻ビルギットは、互いに窓から外を見つめて悲鳴を上げた。
傍らに立つ娘のマルグリットは、当然何が起こったか理解していなかったが、精強な騎士団を見てむしろ興奮しているようだった。
両親が何かしたという発想は持っておらず、むしろ何か褒められる事でもしたのだと、勝手に思っているようだ。
馬車から一人の青年が降りてくると、騎士達は整然と並んで道を作る。
屋敷の入口まで両端に必ず一名騎士がいて、その青年へは何人たりとも近付けない壁の役割も果たしていた。
青年はその精悍な顔に氷の様な雰囲気を発していて、また亡きエルディス公爵と良く似ていた。
そして、その青年こそが爵位を継承したグスティンで間違いなかった。
それから少し遅れて、同じく馬車から降りてきた一人の男がいる。
彼の側近でグスティンの右腕として辣腕を振るう、スヴァン・フォーセル子爵だ。
二人は重々しい足取りで大扉へと近付いていく。
本家の人間、それも公爵閣下その人が足を運んで来ているのだ。
扉を閉ざす事は勿論、辿り着くより前に出迎えて待っていなければならない。
先触れもなく、また騎士を引き連れてという異例の事態とはいえ、籠城めいた真似は許されなかった。
本来、何一つ連絡なしに訪れる方が非礼なのだし、迎えようにも何の準備も整っていない。
それでも、貴族の矜持、本家への敬意を示す為、出来る限るの持て成しをしなくてはならない。
だが、朝も早い時分となると、可能な事は限られてくる。
フレデリクは粟を食った勢いで歓迎の準備を急がせ、妻と娘を伴い玄関へ向かった。
正装か、それに準じた服装であるべきなのだが、当然そんな時間はない。
着替えたいので時間を下さい、とは到底言えない雰囲気だった。
急ぎ使用人たちを並ばせ、フレデリクは歓迎の出迎えで待ち構えた。
あと十秒も遅れていたら、おそらく先に玄関まで到着していただろう。
グスティンとスヴァンの機嫌はお世辞にも良さそうと思えず、周囲の物々しい雰囲気からしても、下手な動きは出来ないと思わされる。
だが、社交界で鍛えた腹芸は、フレデリクに笑顔の仮面を付けさせる事に成功した。
「ようこそおいで下さいました、グスティン様。何分、突然の事で――」
「セイラ・バークレンは」
朗らかな挨拶は、しかしグスティンの強制的な詰問で遮られた。
有無を言わせぬ迫力は、フレデリクから次の言葉を奪ってしまう。
二の句を継げずにいると、再びグスティンから同じ質問が繰り返された。
「セイラ・バークレンは何処にいる。すぐに呼べ」
「は、は……っ? あの者に御用――あっ、あぁ! いえ、お待ち下さい。それより、まず中へご案内を……」
「いらん。不要だ。それより、既に命は伝えた」
「そ、そうは仰いますが、グスティン様!」
フレデリクは何事かを弁明しようとしたが、それを遮って、グスティンの背後で控えていたスヴァンが前に出る。
「バークレン伯、控えられよ。いつまでも、公爵家令息に対する態度のままでは困りますな。今ここにおわすは、正統なる後継を経た、公爵閣下であらせられる。いつから名で呼ぶ事を許されましたか」
「あ、ぐ……っ!」
亡きエルディス公爵の腰巾着でしかなかったフレデリクと、丸投げされた執務を勤勉にこなすグスティンを支えるスヴァン。
方や伯爵、方や子爵と、その爵位に差はあるものの、グスティンが重宝するのはどちらかなど明白だ。
フレデリクはその事実に歯噛みしつつ、震える身体で頭を下げた。
「ご無礼をいたしました、閣下。しかし、一体あの者にどういった用件で……」
「お前が知る必要は……いや、お前にも関係あることだ。だが、まず本人にも尋ねたい。一家が勢揃いしている中で、どうして彼女だけがいない? すぐに呼べ」
「そ、それは……少々難しく」
「少々? 病床にある訳でもあるまい。無理してでも呼べ」
「い、いえ! そうではないのです!」
フレデリクの額に大粒の汗が浮かぶ。
何が理由で尋ねてきたかは、彼にも予想が付いていた。
タイミング的に、別邸の件で間違いない。
それも本人を出頭させるのではなく、公爵閣下本人が、一切の連絡もなしに押し掛けて来たところに、本気度合いを感じさせる。
下手な言い訳をすると、それこそ一家の危機だった。
「あの者は既に当家とは一切、関係ありません! 既に離縁し、追放いたしておるのです!」
「……なんだと?」
氷の貴公子と呼ばれるに相応しい双眸で、グスティンは剣呑な目を向けた。
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