そして思いは結実する その2
逃げる様に部屋を飛び出して、一路真っ直ぐに父の部屋へと向かう。
公爵閣下が亡くなってしまい、最大の後ろ盾を失った父は、これから誰と懇意にしようか頭を悩ませているだろう。
その悩みを、解決する手伝いをしてやらねばならない。
出来た娘は、こうした気配りだって出来るのだ。
表情に暗い笑みを浮かべた時、背後に付き従っているカーリアが口を開いた。
「……お嬢様、本気なんですか? オルガスさんが追い縋ろうとしてたのも当然です。余りに身を削りすぎでは?」
「あたしは敬われて生きたい訳じゃないからね。貴族の身分なんて、別に必要としてないの。今の生活だって、部屋が豪華ってだけで村民と変わらない生活してた訳じゃない」
「それは……、そうですね」
村での食生活に不満がなかった、と言えば嘘になる。
粗末とは言わないが味気ない食事、調味料は塩が基本で、ワイン煮の概念はあるものの、現代日本で知った味とは比べるべくもなかった。
しかし、味には舌が慣れるもので、これが普通と思えば自然と受け入れられた。
食への拘りが薄かった所為だと思う。
着る物も、土汚れも気にしないのだから、何を取っても今更だった。
「別に貴族令嬢ってガラでもないしね。あたしぐらいの器量があればね、どこでだって生きていけるの」
「……問題はそこではなく、犯罪者扱いの上、逃亡生活を強いられるってところなんですよ。ちゃんと分かってます?」
「分かってるわよ。だから、これから少し仕掛けをするわ。そうすれば、もしかするとマシな事態になるかもしれないからね。……あぁ、付き合えと言うつもりはないから、あんたは次の領主の元で、真面目に働きなさい。もう少し、愛想良くね」
小馬鹿にする様な笑いを向けると、カーリアの機嫌は急降下した。
無表情なのは常と同じで不変なのだが、背景に暗雲を纏って暗い瞳を向けてくる。
そのカーリアが何事かを言いかけた時、目的の部屋に辿り着いてノックした。
それで言葉も飲み込んでしまい、彼女が結局何を言いかけたのか聞けなくなる。
部屋の中に果たして父は在席中で、苛立ちが募る声で何者か誰何して来た。
素直に名前と用件を伝えると、更に苛立ちを強めて入室を許す声が聞こえる。
「入れ!」
「失礼いたします、お父様」
カーリアが先じて前に出、勝手にドアを開けて入室を促すので、目礼だけして扉を潜った。
中に居た父は、不機嫌そうに部屋の中を右往左往していた様で、腕組みして片方の指の爪を齧っていた手を放り出す。
「一体、何の用だ! つまらん内容なら承知せんぞ!」
「いいえ、簡単な用事です。あたしを離縁して下さい」
「は……?」
父の動きが完全に止まり、胡乱な目を向けてくる。
いつだって、そうしてやりたくて山々だった、とその瞳が語って来るかのようだ。
しかし、そう出来ない事情が、父にもあったのは承知していた。
「馬鹿を言うな。幾らつまらんと思っていても……そしてお前が、我が家を憎らしく思っていようとも、そんな事はせん。捨てるぐらいなら、少しでも高値で売りつける。当然の事だろうが?」
「えぇ、望めるなら公爵夫人……。無理でも豪商の後妻なら、そんな所だろうと思っています」
「結構だ。ならば励め。今は公爵がグスティンへと代替わりしたばかりだ。上手く取り入る方法を考えなくてはならん。お前が婚約者の立場であれば、随分やり易くなる」
父としては、当然今の状態を維持したいだろう。
代替わりが発生したなら、その子にも同じ様に取り付き、楽が出来ないか画策すると分かっていた。
しかし、他人の目がないとはいえ、主となる相手を堂々と呼び捨てとは……。
ここにいるのが、全面的な味方ではない、と分からぬ筈がないだろうに。
今更失望する部分などないと思っていたら、更に失望出来る部分が出てきて、こっそりと息を吐いて続けた。
「詳しく聞けば、考えも変わると思います。本日、公爵家別邸で、私は本邸からやって来た公用使を処断しました」
「は……? な……、何をしてるんだお前は! 処断とは! 傷を負わせたのではあるまいな!?」
「いえ、それより更に悪いです。既に死亡しています」
「は、ば……! ……っ!?」
余りの事態に、父は娘の口から出た言葉を理解できていないようだった。
いや、理解できないのではない。
理解したくないのだ。
その様な恐ろしいこと、自分の身近で起きる筈がないと思っている。
その気持ちは分かるが、ここは理解して貰わないといけない。
「あたしが、本日、別邸内へ入り込み、不審者であると推定。独断にて、その場で処断を……。本物とも言い切れませんが……、結果的に本家の遣いへの暴行、殺人には問われると思います」
「な、何をしてるんだお前は! お前が……お前が、そこまで愚かとは思わなかった! 不審かどうかなど、お前なんぞに分かるものか! 何を勘違いして、そんな馬鹿を!」
「結論として、傭兵上がりであるのは間違いない、との考えに至りました。けれど、身分だけは本物だった可能性は高く……。やはり、お咎めはあるでしょう」
父は顔を赤くさせて激昂し、唾を飛ばす勢いで捲し立てる。
「当たり前だ! 何をしたのか分かってるのか、馬鹿者が! グスティンに取り入らんといけない時期に、どうしてそんな問題を起こす!? お前を今日ほど憎らしく思ったことはない!」
「ですから、離縁です。あたし個人が好き勝手やった、そういう事にして下さい。日付は昨日、今日起こした何もかも、当家と関係ない書類を作れば良いのです」
「あぁ……!? あぁ……、そう、そうだ……! お前一人の落ち度、お前の勝手な行動だ。当家……私との何の関係もない! 全て、お前一人の責任だ!」
――だから、そう言ってるじゃない。頭の悪い奴。
いいから、さっさと離縁状を寄越せ、と言いたくなる。
それを腹に力を込めて我慢してると、父は部屋の隅にある文机へと歩み寄った。
机の引き出しを乱暴に開け、中を乱暴に漁って一枚の書類を取り出す。
インク壺に羽ペンを付けると、やはり乱暴な手付きで書き殴りだした。
しばらく、静寂の中に紙を羽ペンで引っ掻く音だけが続く。
最後に荒々しい息とともに、当主の押印を力任せに押し付けると、同じものをもう一つ作る。
そうして、写しとなる片方を持ってズカズカと近付いて来た。
まだインクが乾いていないから、二つ折りにする事も出来ない。
それを指先で弾くようにして、苛立ちも収めないまま寄越してきた。
「そこにしっかり書いておいた。セイラ・バークレンは、もはや当家と一切関わりなく、昨日付けで絶縁するとな。どこまでも忌々しい! そんなに家の為に嫁ぐのが不満だったか! そんな馬鹿げた犯罪をして、意趣返しのつもりだったか! お前は一生豚小屋で過ごす事になるぞ!」
「お気遣いいただきまして、ありがとうございます。親子の情など、一切ない沙汰、感謝しております」
「貴様に割く情などあるか、馬鹿め! さっさと目の前から失せろ! 今すぐ、即座に! 家から出ていけ! 何一つ金目のものも、服、下着すら持ち出す事は許さん! 分かったな!」
「……では、ごきげんよう」
小さくお辞儀して、身体を翻す。
黙って控えていたカーリアは、その無表情な顔に殺意を漲らせた瞳で睨み付けていた。
もしかして、あの態度に怒ってくれたりしたのだろうか。
こちらとしては、今更なので一々腹を立てたりしない。
最後に父へ、一瞥さえせず部屋を出ようとすると、軽く背を押されて急ぎ外へ出される。
それと同時に、扉が閉まりそうなタイミングで何かがぶつかる音がした。
怒り冷めやらぬ父が、何かをぶつけようとしていたらしい。
カーリアが扉の奥へ向かって鼻を鳴らし、再び身体を抱きかかえて歩き出した。
反抗するつもりもないのでそのまま好きにさせると、憤慨した声音でカーリアが嘯く。
「あんなこと言われてましたけど、正直に言うこと聞く必要なんて全然ないです。お嬢様には休息が必要です。家を出るなら、最低限の用意だって要ります」
「そうね……。こっちの目的も果たせたし、今はちょっと寝たいわ」
「そうするのが宜しいかと。朝、夜が明ける頃に家を出れば、どうせ誰にも分かりません。そんな早起きするのは使用人だけですし、そこでバレたって、どうせ何も出来やしないんですから」
そうね、と生返事を返しながら、カーリアの腕の中で揺られた。
実際、休みは切実に必要だった。
野宿程度、どうとでもやってみせると思うものの、最低限の準備もなしでは無理だ。
それに、汎ゆる物を持ち出し不可、とは言われたものの、自分の力で稼いだ物は持っていくつもりだった。
例えばそれには、今日の為に準備しておいた旅装一式などが含まれている。
路銀についても同様で、これは自分の才覚で増やした税収から、ほんの少し分けて貰っていたものだ。
当然、これはオルガスも承知しているもので、貴族子女に与えられるお小遣いと見ても相当少額だ。
しかし、切り詰めて生活すれば、三ヶ月は小さな宿に泊まれる程の金額になる。
ひと月程度で仕事さえ見つかれば、支度金としては十分なものだ。
それらも全て、自室のクローゼットにしっかりと仕舞ってある。
今日という日の為、いざという時の為、数ヶ月前には準備してあった。
だから、突然家から放逐されようと、なんとかやっていける自信はある。
しかし、部屋に辿り着くと、どうにも眠気が強くなって起きていられなくなった。
カーリアに断りを入れ、頭からベッドにダイブする。
「ごめん、何かあったら起こして……。朝までには起きるから……」
「はい、不寝番はお任せ下さい。今はゆっくりとお休みを……」
その言葉を聞くや否や、あっさりと意識を手放した。
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