そして思いは結実する その1

 伯爵家の屋敷に到着したのは、陽が傾き始めた頃だった。

 橙色で染まった空を背後に、裏門の勝手口から中へと入る。


 そうすると、それまで我慢していた疲労感が、どっと身体に押し寄せてきた。

 顔にも、態度にもそれが出ていたのか、カーリアが身体を支えて、労る様に言ってくる。


「魔力も多く使って、随分お疲れでしょう。少し、お休みになった方が……」


「そうしたいけど、いま寝てしまったら朝まで起きないわ……。その前に、オルガスに頼んでおかないと……」


「そのくらい、私が言伝ことづてします。お嬢様、ご自身の顔色、自覚してますか? 酷い事になってますよ」


「だとしても、少し遠回りするだけでしょ。……自分の口から言っておきたいの。これは、けじめだから」


 強く言うと、カーリアはそれ以上何も言わなかった。

 支えてくれていた腕を外し、今度はやんわりと抱きかかえる。

 強制的に連れ帰るつもりか、と身構えたが、意に反することなく、そのまま執務室へと向かって行った。


 意外でもあり、嬉しくもある。

 ただ、家令の仕事は多岐に渡るから、いつも部屋にいるとは限らない。

 それでも、先触れする時間が惜しくて直行させた。

 居ないなら居ないで、その間カーリアに呼ばせている時間で、休んでいられると思った。


 果たして扉をノックすると、一呼吸の間を置いて返事がした。

 一声掛けてから入室し、オルガスの驚く顔を横目にソファーへ、ゆっくりと降ろされる。

 オルガスもまた、カーリア同様気遣わしい視線を向けつつ、対面へ腰を下ろした。


「お嬢様、顔色があまりに優れておりません。すぐ、お部屋に……!」


「それはもう聞いたわ。大丈夫、言うこと言ったら、お暇するから。だから、聞いて頂戴」


 背筋を伸ばして真剣な表情でそう言うと、オルガスもそれに応じて背筋を伸ばした。


「近日中に、公爵家から申し入れがあると思う。合わせて捜査、事実確認、……その場での逮捕もあるかもしれない」


「い、一体……何の話です? お嬢様が、何か……!?」


 オルガスの目が大きく見開かれる。

 そうして、顔色悪く、疲れも滲んで見える姿から、何か大それた事をしてきたのではと思ったようだ。


「公爵家が何故このタイミングで……? まだ家中は忙しく、混乱している時期。他へ注力する暇など……」


「えぇ、だからその隙を突いて、公爵家別邸へ襲撃があった。そこに住まう人を害する目的で、手勢が送り込まれていたの」


「そんな馬鹿な! 一体、どこの誰が、そんな不遜な真似を……!」


 オルガスの驚きも当然だろう。

 そもそも、無視され忘れられた存在がエレオノーラ母娘だった。

 そのうえ伯爵領に置かれ、徹底的に関わりを止められていた。


 本家から締め出されて十数年も経っていて、今更害する理由を持つ者など、誰もいないと考えるのは自然だ。

 普通ならば、誰でもそう考える。

 だが、いま重要なのはそこではなかった。


「既に捜査は始まっている筈で、私は現場に居合わせた。公爵家の公用使を名乗る者を、その実行犯として処断したわ」


「何故そんな危険な事を……! いえ、どうしてそれが今日、起こるものだと?」


「分かってた訳じゃないの。居ても立ってもいられなくて、飛び出したら鉢合わせたっていうのが真相。つまり、偶然ね。で、そこで実行したから……ウチにも処分が下る」


「処分……? しかし、その公用使は偽者だったのでしょう? 過程に不確かな部分が多いのは確かですが……しかし、危機から本家の人間を救ったのです。咎めを受ける理由には……いえ!」


 流石は伯爵家の生き字引だ。

 こちらから説明せずとも、何が悪かったのか、即座に理解を示した。


「塀の内側で起こった事……そして、そこでまさか魔術を……? カーリア、お前が付いていながら! 一体、何をしていた!」


「怒らないであげて頂戴。相手も手練れ、カーリアはしっかり務めを果たしていたの。それに、きっと偽公用使は多分、黒幕との関りが出ないよう、上手く擬装されていた筈……。下手な介入があっても黙らせられる様に」


「そう……なのですか? それは下手人から聞いたのでしょうか」


「いえ、あたしの勘。でも、相手は術中渦巻く魔窟の頂点にいる人よ。分かり易い犯罪の証拠は残さないと思うの。その上で公的な身分と、クリスティーナ様を騙せる程度の物品は用意していた」


 同じものを見せれば、誰もがひれ伏すと思っていたかもしれない。

 だが、最初から不審に思い、看破した上で処断して来る事など、想定から大いに逸脱していただろう。


「ともかく、状況と事情はどうあれ、私が本家の公用使を勝手に処断した事実は変わらない。直接手を下したのはカーリアだけど、その場に主人が居合わせた訳だしね。この場合、責任は主人に及ぶ。不問は無理よ」


「しかし、それでお嬢様に咎が及ぶのは……! 公爵夫人、そのご令嬢を犯罪から未然に防いだ功績で、お嬢様を――!」


 全てを言い終わる前に、片手を前に出して強制的に口を止める。

 それは既にクリスティーナとも話した事だ。

 そして、実際に裁定を下すのがグスティンだとすると、恩情を貰える可能性もあった。


 しかし、それでは困るのだ。

 この家――もとい、父の犯罪を明るみにし、しっかり処分して貰わねばならない。

 これまでの酷遇と、その恨みを晴らすには絶好の機会でもある。


 そして、この日の為に身を削ってきたのだ。

 立つ鳥跡を濁さず、とはいかないし、盛大に濁して行くが、残された人達が不便しないだけの下地は作れたと自負している。


 後は、皆を騙しきったまま逃げ切るだけだ。


「これを機に、父の横領その他犯罪についても、切り込んで来る筈よ。全ての罪が明らかにされる。そして、これまで証拠はしっかり抑えていた。――そうよね?」


「は……、それは間違いございません。しかし……!」


「あなた達の事なら心配いらないわ。全て、私の指示だったと言いなさい。我儘で癇癪持ち、言うこと聞かないと何をされるか分からなかった……そういう具合に」


「滅相もない! 咎を受けねばならぬというのなら、私めも同じく受けねば道理に合いません! どうか……!」


 オルガスは頭を下げて、その忠誠を露わに嘆願する。

 しかし、これから伯爵家が取り潰された後、すぐに後任の家が決まるとも限らない。

 誰だろうと空いている席に座りたいと言い出すだろうが、相応しい相手を見定める期間は必要だ。


 それまでの間、手綱を握って制御できる人物も必要だろう。

 そして、それはこの領の生き字引として、また領主に代わって多く仕事を引き受けてきたオルガスにしか出来ない。


「いいえ、そういう訳にはいかないわ。誰か適当な代官に、ここを任せて御覧なさい。右も左も分からない土地で、いきなり上手くやれる筈ないじゃないの。新領主が着任するまで、ここまで育てた領を守って貰わないといけないわ」


 そう言うと、オルガスはハッと顔を上げて、その表情を苦渋に歪めた。


「しかし、やはりそれでは余りに……! ここまで領を富ませ、育てて来たのもまた、お嬢様ではありませんか……! ――そう、それならば、その功績を持って……!」


「無理な事だと、自分でも分かっているでしょう? あたしは領主じゃないし、代理を任命されてもいない。明らかな越権行為。本来、これも咎められるべき事なのよ。これを功とするか罪とするか……富ませた事実は大きくとも、それは裁定する者次第ね」


 そもそも、女が政治に口を挟むな、という風潮もある。

 有能で有意義な意見だろうと、本来なら黙殺されるものなのだ。


 オルガスが協力的だったのは、その非凡な才を見抜いた事もあるが、今の当主があまりに不甲斐ない所為もあったろう。


 幾つもの例外が重なって今がある。

 だから、裁定者次第では、女が指揮を取って領地を富ませた事実こそ、常識に照らせば非難される事でもあった。


「あたしの指示の元、動いたあなた達全員が被害者。そういう事にしときなさい。そうすれば、職を失わずに済むしね」


 そう言って、カーリアへ皮肉げな笑みを向ける。

 彼女はいつもの無表情のまま、こちらに視線すら返してこない。

 生意気だこと、と笑みを浮かべたまま、オルガスへと顔を戻す。


「実際、下手に罪を拡大させたくないの。どこからどこまでが許されるのか、どこまでの関与ならば、あたしと切り離せるのか……そんなの分からないし。だったら、最初から脅された形の方が簡単だわ。傍若無人で言うこと聞かないってのは、多分この屋敷の住人なら口を揃えて言うでしょうし」


「しかし、それでは私の気が収まりません! 何より、家令として最も身近にいた私が、単に操り人形として思うがままにされていたなど……。それもまた一つの罪として、咎められて当然でありましょう……!」


「……かも、しれないわね。だから、目を背けさせるわ」


「は……」


 言っている意味を理解出来ず、オルガスは目を瞬かせて凝視してくる。

 その目にしっかりと、視線を合わせて言い切った。


「あたし、屋敷から逃亡するから。そうしたら、嫌でもそっちに目が向くでしょ?」


「な、なりません! 沙汰を待つ身で逃亡など! どれ程お立場が悪くなる事か……!」


「まぁ、そうよねぇ……。でも、あたしが証言できないなら、皆の立場は確約されるわ。聞き取り出来ないし、確認も出来ない。罪を被せるにも言いたい放題よ」


「そのような……ご自身を貶める様な事、言わないでいただきたい!」


 オルガスから慟哭が漏れた。

 その瞳には薄っすらと涙の幕が覆っている。

 彼は忠義に厚い忠臣だ。亡き祖父に向けていたその忠信を、同じ様に向けてくれていた。


 父に代替わりしてからも、その忠義があったからこそ見捨てず食らい付いていてくれたのだ。

 彼からすれば、一種の裏切りの様にも映った事だろう。

 そして、それは事実でもあった。


「悪いけれど、もう決めた事なの。大事なのは、このあたしでも……何よりこの家でもないわ」


「領民……と、仰せですか」


「そうね。……領主の代わりは利くわ。でも、土とそれを育てた村民は、代わりが利かない。何より、領主は領民の生活を保障する為にいるの。次の領主が、余程の無能なら頭を抱えてしまうけど、今の公爵閣下はグスティン様。下手な手は打たないと思うわ」


「その為に、汚名を被り、逃亡者となると仰るのですか。捕まってしまえば、まず厳罰は免れません。極刑も有り得ます! それでも、ですか……!?」


 オルガスの表情は懇願に代わっている。

 罪がどれ程の事か、必要とあらば自分がその役を買って出る――。

 彼の瞳はそう語っていた。


「まぁ、国内に留まる事は不可能でしょう。でも、生きて行くだけなら、どこでもやっていけると思わない? こう見えて、あたし結構、図太いわよ」


「こんな時にご冗談はお止め下さい! どうしても、どうしてもと仰るのですか……!?」


「そうね、必要だと思うから。あたしを主人と仰ぐなら、これが最後の命令ね。あたしに全て罪を被せ、領民を守りなさい。その為の準備も進めるように」


「お、お嬢様……! 何卒ッ、何卒ご再考を……ッ!」


 抵抗の素振りを見せるオルガスへ、睨み付けるように視線を強くして立ち上がる。


「今すぐ、即座に、直ちにやるのよ。明日、その裁定官が来ても良いように。……あぁ、父にも色々伝えないと……」


 それでも追い縋ろうとするオルガスを振り切り、慌ただしく執務室から辞去した。

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