原作の呼び鐘 その8

「クリスティーナ様なら、分かりますよね。私達のこれまでの関係は、無かった事にしておかねばならない。これまで一度も、あたしはこの別邸に訪れていない。そうでなくてはいけません」


「そう……そうね。貴女に咎が及ぶ……それは本意でないもの。でも、会えないというのは……。初めて会ったという形で、別の所で再会してすぐ意気投合……そうしても良いんじゃないかしら?」


「そういう訳にはいきません。この場を収めるには、何者かが介入してないと不自然ですから」


 そう言って、二つの死体を直視しないまま指差す。

 魔術を行使した痕跡は隠せていないし、鋭利な刃物による切り傷もある。

 これをクリスティーナかエレオノーラがやった、と強弁するのは無理があった。


「ですから、クリスティーナ様の立場を悪くしない為にも、たまたまあたしが不審な馬車を見つけて乗り込んできた、という形にするのが良いです。いっそ、あの男たちと会話する前、という具合に。……詳細は何も知らなかった、とした方が良いかもしれません」


「な、何故……?」


「少しでも落ち度を無くす為です。物音に気付いて出てきたら、もうこの形だった。何も知らないし、見ていない。出てきたら全て終わっていて、あたしと遭遇した。そういう事にしましょう」


「だから、それは何故なのです。――いえ、いいえ。言わなくて結構。全て、自分で抱え込んでしまうおつもり?」


 クリスティーナから鋭い視線が飛んできた。

 追いやられ、貶められていたとしても、公爵夫人である事は変わりない。

 私が何を言わんとするか理解し、その矜持をもって反発しようとしている。

 だが、ここは受け入れて貰わないと困るのだ。


「この塀の中は公爵領です。あたしはそこで戦闘し、魔術を使い、人を――公爵家の遣いを殺しました。しかも、分家筆頭が禁を破って、それをしたのです」


「分かる。それは分かるわ、でも……」


「貴女はただ傍観していた、そう見られるのも拙いんです。失点になります。それならば、何一つ知らない事にし、あたしが勝手にイチャモンを付けて戦闘を始めたという形の方がマシです」


「でも、でも……どうしてそこまで、貴女一人に被せないといけないの!? そんな事をされて、何も感じないとお思い!?」


 クリスティーナは憤怒の感情を見せて睨み付けていた。

 いつも見せる彼女の表情は、優しくこちらを見つめるばかりで、実の母には貰えない慈愛を注いでくれていたように思う。


 そんな彼女から本気の怒りを向けられて、身の竦むような思いがした。

 しかし、ここは飲み込んで貰わないといけない。


「あたしみたいな小娘に庇われるのは、きっと良い思いをしないでしょう。でも――」


「違います、そうじゃありません。どうして、そんな身を捨てるような献身を……! それで貴女に不利益ばかり被るならば、知らない誰かに助けられたと証言します!」


「いいえ、あたしが証言しますので、それに意味はありません。犯人にしか分からない手口を言えば、それで即座に看破されます」


「何で……、何故そこまでして……」


「貴女がこれから行く先は、魔窟だからです。少しの失点が大きな傷になる」


 クリスティーナの怒気が、それで途端に沈んでしまった。

 そんな彼女の様子を見て、エレオノーラはその行き先を思って顔を青くさせている。

 言葉が足りず勘違いさせてしまったが、これは何も公爵邸の事ではない。

 グスティンとその近臣は、きっと温かく迎えてくれるだろう。


「貴女はこれから、公爵家の一員として社交界へ返り咲く事になります。そこでは、たった一つの小さな染みすら、大きな醜聞になり得る所。ドレスには染み一つすら付けずに行くべきです」


「でも、私のドレスは……、今や染みだらけだと思うわ……」


「そうかもしれません。でも、大きな血の染みを付けて行く必要はありませんよ」


 そう言うと、クリスティーナの顔は大きく歪む。

 そして、社交界の恐ろしさを知るが故に、その提案を受けるべきかと迷う素振りも見せ始めた。

 まだ、もう一押しが必要だった。


「どちらにしろ、あたしが処罰を受けるのは確実で、事態を終息させるには必要な事です」


「で、でも……そうであるなら、罪と同時に功績もある筈でしょう。貴女は私達を助けた。分家として、人として正しいことをしました。それで帳消しと……」


「帳消しは無理でしょう。接近の禁、他領で許可なく魔術の行使、この二つの方が余りに重い。それに、我が家は父が横領他、余罪も多くあり、今回の件を切り口に、全て明るみとされる――されなくてはなりません」


「でも、それは……貴女とは一切関係……」


 父が領主であること、それがこの場合さらに問題なのだ。

 領主はあくまで、その土地を預かり任せられている立場だ。

 当然、十全に運用する事が前提である。


 父はそれを投げ捨て散財し、借財を積み上げた。これだけでも取り上げられるには十分な理由だ。

 そこに犯罪も加わるのだから、グスティンにはこれを機に、徹底的な浄化作業をして貰わなければならない。


「我が家は取り潰しになります。私の件がなくとも、時期が少しズレるだけ。今年の夏には同じことが起きる予定でした。少し早まるだけなので、上手く活用して下さい」


「そんな、そんな事って……」


 クリスティーナが顔を覆ってしまい、それで自由になったエレオノーラが傍に寄ってくる。

 抱き締め、離れたくない、離したくない、と主張してくれる。


 だが、とうとう馬蹄の音が耳にも聞こえる程になってきた。

 もう時間は多く残されていない。


「だから、エレオノーラ……。貴女とはもうお別れ、二度と会えないわ」


「嫌です、嫌です……! だって貴女は、わたくしの……わたくしの……ッ!」


「春から学園の入学だもの。友達なんて幾らでも出来る。身分の差とか色々、考えなきゃいけない事は多いでしょうけど……」


 肩に目を当てて、いやいや、と顔を振るう様は子供のようで、いつまでも離さないと主張していた。

 だが、そういう訳にもいかないのだ。


 クリスティーナへ目を向けると、得心した様に頷いて、そっとエレオノーラを引き離してくれた。

 そうして、涙を流しながら悔しげに見つめる瞳に、にかりと笑って見せる。


「でもね、御家の没落に付き合うつもりはないの。上手く逃げて見せるから、応援していて」


「そうしたら、また会える?」


「……国外追放とかより、可能性はあるかもね。それにほら、あたしって何処ででも生きていける感じするでしょ?」


 両手を広げて、村娘風の服装を見せびらかすと、くすりと小さくエレオノーラが笑った。


「そうかもね。でも、きっとよ。きっとまた会いましょう。だって、わたくし達――」


 エレオノーラが言い切る前に、声を上げて口を挟む。


「言葉にしてしまうと、あまりに軽薄で、頼りない感じがしてしまって……。だから、口には出さないわ。でも、想いは同じだと信じています」


 そう言うと、くしゃりと顔を歪ませ何度も頷く。

 その時、背後から馬の嘶きと土を蹴る音が響いてきた。

 隊長らしき男が、馬車の臨検を命じる声まで聞こえて来る。


「それじゃ、ここで捕まると色々台無しだから、逃げさせて貰うわね。――クリスティーナ様、何卒この機会を上手く活用して下さい。貴女たちの幸福を、遠くから願っています」


 それだけ言うと、カーリアを伴い走り出す。

 魔術で塀を乗り越え、土を元に戻すのと、騎士の声が聞こえて来るのは同時だった。

 正に間一髪で、姿は見られていないと思う。


「遅参いたしまして申し訳ありません! 私はフェルトバーク騎士団、第二大隊隊長、ゴズオーン! この度は――こ、これは何としたことか! この者たちは、一体……!?」


「全て、ご説明します。ですが、その前に……」


 背後からクリスティーナの毅然とした声を聞きつつ、魔力を練り上げて草カヌーを作り出す。

 馬より早く現場から離れられるが、魔力の痕跡が気になる。

 どうか気付かれませんように、と思いながら、うっへりと息を吐いた。


「その場で取り押されずに済んだのは良いけど、大変なのはこれからよ……」


「良いんですか? 取り潰されるとか言ってましたけど……本気で、そのつもりでいるんですか?」


「まぁね。けど、上手くやるわよ」


「はぁ、それなら良いんですけど……。私のお給金や働き先は大丈夫なんですよね?」


 鼻で笑って、笑顔で応じる。


「まぁ、あんたはそういう奴よね。上手くやるって言ったでしょ? 使用人の就職に関して、そう拙い事にはならないわ」


 カーリアはその返答に不満そうな顔をしていたが、構ってやる暇はない。

 とにかく今は、いつ公爵家の遣いが実家にやって来ても良いように、上手く逃げ出す算段をつけねばならなかった。

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