原作の呼び鐘 その7

「けど……、これはどうしたものかしらね……。庭を血で汚しちゃったわ……」


「いっそ地中深く埋めてしまうのは?」


「エレオノーラとクリスティーナ様が可哀想でしょ! 自分んちの庭に死体が埋まってるとか、考えたくもないわ!」


「まぁ、普通の感性ならそうなりますか……」


「暗にあたしは大丈夫そう、みたいな視線を向けるの止めなさいよ!」


 大声を出すと、いつもの調子が戻って来る。

 もしかすると、カーリアもそのつもりで敢えて言ったのかもしれなかった。


 そしてその直後、いや、と思い直す。

 カーリアの表情は変わらぬものの、実に小馬鹿にした雰囲気だけは器用に醸し出している。

 あれは単に、オモチャにして遊びたい加虐心から来たものだ。


「いやいや、ちょっと……今は遊んでる場合じゃないのよ。ホント、どうしよう……」


 当事者の自分であっても、その死体を直視したくない。

 邸の主たるクリスティーナなど、目を剥いて倒れしまうのではあるまいか。


 かといって、当然放置などあり得ないし、死体は公爵夫人と令嬢を襲った犯人の証拠でもあった。

 だが、この身元を洗ったところで、黒幕であろうエリーザベトに、直接結びつける証拠はきっと出ない。


 それでも、死体という物的証拠に意味はある。

 勝手な隠蔽は、要らぬ憶測を呼ぶだろう。


 どうしたものか、と腕を組んで唸っていると、大きな音を立てて邸の扉が開け放たれる。

 何事かと見ると、息を切って走って来るエレオノーラの姿があった。


 一直線に飛び込んで来て、避ける事も出来ずにその華奢な身体を受け止める。

 エレオノーラは震える身体で抱きしめて来た後、涙を浮かべた顔を持ち上げた。


「わたくし、心配で……! 男二人に貴女たち二人が残って! 自分たちを囮にして! お二人に何かがあったらと思うと、わたくし……わたくし……!」


「ごめんなさいね。あの時は、こうするのが一番だと思ったのよ……。自分でも恐ろしいくらいの綱渡りだったと思うし、現実が見えてなかったから出来た事なんだけど……」


「それで、あの者達は……」


 エレオノーラもまた、顔を向けようとしてその動きを止め、死体には目を向けないまま尋ねて来た。

 我が身を心配して緊張させていた身体は、今度は恐怖によって震えて来たようだ。


「確実な事は何も……。ただ、行き先は公爵邸ではなかった、それは間違いない。最悪の想定では、亡き者にされていた、とだけ……」


「そんな……っ」


 腕の中のエレオノーラは、更に震えが増す。

 強張った顔を男たちに向けようとし、そのタイミングで別の声を掛けられ動きが止まる。


 声の方向を見てみると、エレオノーラを追い掛けてきたクリスティーナが、恐る恐るこちらに近付いて来ていた。

 崩れた地面に間違っても近付かないよう、大回りでやって来て、エレオノーラごと一緒に抱き締めてくる。


「本当に……、無事で良かった……。セイラに助けられた事は数知れず、それでも今度ばかりは肝が冷えました……」


「クリスティーナ様、あの男達は公爵家の公用使だったんですか?」


「えぇ、わたくしにはその様に見えました。公爵家の公用印が押された手紙は、本家の者にしか使えませんから……。そして、ようやくお呼びが掛かった……。そう、思ったのに……」


 病に伏せ、心が酷く弱っていた時、励む一助になればと思い、迎えが来ると伝えた事があった。

 そして、実際にその言葉を拠り所として、この時まで耐えてきたのだろう。


 いつか必ず、息子がこの邸から救い出してくれる――。

 それに縋らねば、心を病んで床に臥せっていたとしても不思議ではない。


 そこへようやく騎士服を着用した、公爵本家からの押印と共に、邸から出る許可が出てくれば、思わず飛びついてしまうのも責められなかった。

 疑う気持ちなど、微塵も生まれなかったに違いない。


「その手紙の差出人は、きっとエリーザベト様だったと思います。たった二人の護衛と、公爵家へは出入りできない粗末な馬車……。どこか深い森の中に捨てられるぐらいなら、まだ温情があったでしょう」


「で、でも何故……? ここまで閉じ込めていたのもエリーザベト様なのに、なぜ今になって……!?」


 最初から今まで、クリスティーナ達の生活に然したる変化などなかった。

 その勘気に触れる事などしていない、と思っているだろうし、もしも本当に触れていたのなら、とっくに亡き者とされている。


 唯一、もしかしたらと思えるのは私が出入りしていた事で、そしてそれもまた、余りに今更なのだ。

 クリスティーナが知らない決定的な理由は、公爵閣下の事故死にあった。


 本命の理由としては、本邸の敷居を跨がせたくないから……それに尽きる。

 何より女主人としての権威を、取り上げられたくないからだろう。


 そして、これは憶測でしかないが、息子を殺したと思っているグスティンへの報復も加味してだと思っている。

 真実かどうかはともかく、タイミング的に有り得そうな事といったら、そうした理由からだろう。


 ――もしも、到着が後十分遅れていたら……。

 きっと彼女達は別邸から連れ出されていた。


 それを思うと、今更ながらに恐ろしくなる。

 その恐怖が伝染したのだろうか、エレオノーラがか細い声で呟く様に言った。


「わ、わたくし達、どうなるの……?」


 この刺客は失敗した。

 しかし、それは一つ目の失敗、という意味でしかなかった。

 任務遂行の報告がなければ、失敗を悟るだろう。だからといって、それで諦めるとは思えない。


 証拠を押さえて黒幕を捕らえるか、もしくは誰も侵入させない護衛団を置く必要があった。

 だが、そんなもの即座に用意できる筈もない。


 このまま別邸に、カーリアと二人で護衛として住み込むのも一つの方法だが、解決には程遠かった。

 答えを返せず窮していると、突然カーリアが地面へ両手を付き、顔まで付けて伏せる。


 顔というより耳を当て、地中の何かを聞き取ろうとしているようだった。

 五秒程、同じ体勢でそうしていると、不意に顔を上げて報告して来た。


「遠くから近付く、重い馬蹄音がします。リズムが一定である事を考えると、訓練された武装集団と見るのが妥当です」


 今更、カーリアの実力を疑う者はいない。

 それを意味するところを想像して、エレオノーラは身体を強張る。

 そんな娘を宥めようと、クリスティーナも抱擁を強めた。


 しかし、二人はそれで良くとも、こちらはただ黙って待ち構える訳にもいかない。

 カーリアへ向けていた視線をクリスティーナへ戻し、その腕をやんわりと解いた。


「ちょっと見て来ます」


 そうして彼女たちから数歩離れると、再び地面へ魔力を通し、カーリアへ傍に寄るよう命じる。

 触れ合う程の距離まで近付くと、地面を隆起させて塀を越える高さまで持ち上げた。

 即席の物見台みたいなもので、近付いてくる方向によっては何者か判断できる筈だった。


 そうして遠くを見てみると、泥濘を掘り返す様に直進して来る、カーリアが言ったとおりの集団を発見する。

 二列縦隊で、三十名を超えると思しき騎馬兵が、こちらへ向かって疾駆していた。


 旗を翻してその身分を明らかにしているところかして、間違いなく正規兵だ。

 そして、その旗に描かれた紋章はフェルバーク公爵家を示している。


「状況から考えて……。失敗を察知して援軍を送った、とかではないわよね」


「むしろ、クリスティーナ様たちの危機を察知して、その救助隊が派遣されたと見るべきかと。まだ作戦の成否が分かる状況でもありませんし」


「それを言うなら、どうして危険だと分かったのか、それも疑問だけどね」


 原作では、グスティンが母の死を知るのは、その死亡後だ。

 そういう事になっている。

 詳しい描写は無かったので、読者としてはそれ以上の知識もないが、その知識を前提とすると、彼の対応は余りに早かった。


 とはいえ、既に多く、原作とは細部で違いがある。

 私という異質がまず大きいし、予想以上に早い段階で、グスティンが家臣団を手に入れた事もある。


 情報収集も同時に怠らず、そして十分な時間と力を蓄えて、作戦の開始を始められた。

 それ故、危機一髪で救助の手が間に合った、と考える事も出来る。


 もしかしたら、細部は変えられても、最も大事なは変えられない……そう考えた事もあった。

 だが、これを見る限り、杞憂に過ぎないと思って良さそうだ。


 そして、変わる――変えられる、という事実は、何も全てが好転する事を意味しない。

 実家は没落しないかもしれないし、父は投獄されないかもしれない。


 私がやった功績は、バークレンの功績として取られる。

 誘拐未遂を未然に防いだ功績こそが、家の没落を――父への糾弾を逸らせる原因になるかもしれないのだ。


 政治的立ち回りは、父も決して下手ではないだろう。

 貴族として、分家筆頭として、公爵閣下の腰巾着として生きていた、その処世術は方々に顔も利く。

 上手く逃げ果せる可能性は、十分にあった。


「……拙いわ」


「そうでしょうか? いつまた襲撃が来るか怯えるより、よほどマシなのでは? あれが第二の矢でないのは間違いないでしょう」


「そっちの事じゃないわよ。それに、あれはしっかり甲冑を着込んだ正規兵だし、さっきの見せ掛けだけの雑兵とは訳が違う。グスティン様が派遣した兵と見て間違いない」


「だったら、何が拙いのですか?」


「その為に先手を打つの。……急ぐわよ」


 視線を騎馬隊から切ると同時に、土を戻してエレオノーラ達の元へ戻った。

 心配そうな目で見上げていた二人に、殊更明るく笑って断言する。


「大丈夫、助けが来たわ。さっきとは違う、本物の正規兵よ。タイミングからしてギリギリだったでしょうけど、あたしの助けが無くとも、無事に終わってたわね」


「そんな、そんな事……! でも、貴女は来てくれた! わたくし達の身を案じて! わたくし達の境遇を知っていたのに、それでも……!」


 エレオノーラの瞳から大粒の涙が零れる。

 その涙を指先で掬ってやりながら、その頭を優しく撫でた。


「相変わらず感激屋さんね。でも、これからはそういう感情は、なるべく仕舞わなければならないわ。……あぁ、これは言われずとも、お母様から耳にタコかしら」


「セイラ……?」


 見つめている表情が、いつもと違うと察したのだろう。

 エレオノーラは不思議なものを見る目つきで、離れていく手を見つめている。


「これでお別れね。もう会えなくなる」


「え、何故……? 住む場所が変わるから? でも、わたくし達は友達……そうでしょ? またいつでも会えるのでしょう?」


「そういう訳にはいかないの」


 達観した笑顔で顔を振ると、エレオノーラの涙が止まって青ざめる。

 縋るように伸ばして来た手を、優しく受け止めた後、すぐその胸元へ返した。


 その動作が、友情を突き返されたように感じたのだろう。

 青い顔が更に青くなり、絶望する表情を向けられる。

 それを努めて無視し、クリスティーナへと向き直った。

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