原作の呼び鐘 その6
「ねぇ……、殺したりしないわよね? 土の中の人も、このままじゃ拙いんじゃないの?」
「拙いですよ。太い血管切ったので、五分もすれば失神します。十分ほど放置すれば、そのまま目を覚ましませんね」
「な、なに、当然みたいに言ってるのよ……! 流石にそれは……!」
エレオノーラ達は守りたい。
それは間違いない本心だ。
だから、即座の危険はないかもと思いつつ、こうして駆け付けた。
だが、それで刺客らしき人を殺したいかと言えば、全く心境が違った。
拘束し、無力化すれば十分と考えていたのだが、カーリアの考えはそれと違うらしい。
「私が何より優先すべきなのは、お嬢様の命……もっと言えば無事に帰す事です。その為の障害になる相手は容赦しません。殺さねば不安であるなら、殺す以外にないでしょう」
「でもね、だからって……」
「相手もプロです。連れ出そうとした相手を考えて下さい。駄目でした失敗しました、じゃ済まない案件ですよ」
それは、確かにそうだ。
ここは陸の孤島で、しかも味方する何者かも存在しない。
もしかしたら味方したかもしれない使用人も、今は邸内にいないのだ。
本当なら簡単な仕事で、騎士服を着用して、公爵家の押印が入った手紙でも見せれば簡単に連れ出せる。
それさえ出来ない無能と思われるし……そして、連れて行った先で何をするかを考えると、なお失敗は許されない。
「今死ぬか、逃げた先で死ぬか、捕まった後に死ぬか。相手としても選択肢はそんなところです。諦めろ、なんて台詞は届きません。そういう意味で、相手も必死です」
「……そこまで分かってんならよ、退いてくんねぇかな。お前ら、見逃したところで命は取られないだろ? 知らぬ存ぜぬだって通じるだろ? 全員丸く収まるって寸法だ。金が欲しいってんなら払う」
「出来ないわ」
男は舌打ちを一つして、土に埋もれた仲間を見る。
出血量は酷く、顔も青ざめ始めて来た。
酷く汗をかき、そのくせ寒さに震えているように震えている。
死んでほしくない、というのは本心だ。
実行犯である彼らを憎く気持ちはある。
しかし、本当に憎いのは指示した黒幕の方だ。
暴き立てるのは私の役目ではないが、ここで見逃せば最悪、彼女たちの命はない。
それを知っていて、見逃せる筈がなかった。
「あんた、公爵家の遣いって言ったわね。それは本当なんでしょうよ。でも、本邸に連れて行けないなんてのはね、馬車を見れば分かるのよ。あんなグレードの低い馬車、公爵家の本邸に付けられない。家格に見合う馬車でなければ、門前払いにされるから」
「家紋を付けないご貴族様の馬車なんざ、幾らでも……」
「家格の意味、ご存知? 家紋がなくとも、相応の馬車でなければならない。公爵家の門を潜るに、相応しい馬車をね。だから、あの馬車は本邸には行かない。……いえ、行けない」
伯爵家であっても、門前払いを受けるかどうか、という具合の馬車だった。
それほど品格が低ければ、まず受けいれられる事はない。
門前、裏門、どちらにも守衛がいて、適した品格を揃えられない相手に、決して道を譲らないものだ。
「だから、行き先は知る由もないけど……。あんたに命令したのは、グスティン様の祖母、エリーザベト様でしょ? クリスティーナ様が本邸の土を踏まないよう、先に手を回したんだわ。……どう、違う?」
「……言えん」
「まぁ、そうでしょうね。でも、仲間の命と引き換えなら?」
「お嬢様……?」
それは止めておけ、と視線で牽制されたものの、男は首を横に振った。
「契約は契約だ。言えないものは言えない」
「……そう。残念だけど、仕方がないわ。仲間一人の命より、任務遂行の方が大事なのね。まぁ分かってたけど、本業はやっぱり傭兵か……」
「お前こそ……関係のない貴族の令嬢が、どうして首を突っ込んでくる。荒事に慣れているようにも見えない。見て見ぬ振りしてれば良かったろうが……!」
その台詞を合図として、男は剣を構えて突撃してきた。
状況を考えて、どうにもならないと腹が据わったのかもしれない。
カーリアが一歩踏み出し迎撃し、その隙を使って邪魔にならないよう遠くへ離れた。
互いの武器が何度も空を切り、致命傷を与えんと振りかざされる。
鋭い刃が空を切る音が恐ろしく、ただ身体を縮こまらせる事しか出来なかった。
せめて何か援護を、と思うものの、何をすれば有効なのか、それすら分からず見守るしかない。
お互いの武器、身に付けた衣服、動き易さ、どれを取ってもカーリアが不利だ。
そう思うのに、一筋の傷すら未だ付けられていない。
ひらりひらりと紙一重で躱し、反撃を繰り出したナイフで男の頬を浅く斬った。
戦闘力ではカーリアの方が上なのだろうか。
素人目にはそう見えて、常にカーリアがリードしているようだ。
――だったら、もしかすると。
「ねぇ、そのまま拘束するとか無力化できる!?」
「……無理です。そこまで出来るほど実力差は離れていません。無力化したいなら、殺すしかありません」
「喋ってる暇があるのか!」
男の長剣がカーリアの首を狙い、紙一重で避ける。
髪の先端が、少し斬られて風に舞った。
思わず息を呑み、そして見事躱してくれたカーリアに謝罪の念を送る。
これは試合ではない。
刃と刃をぶつける殺し合いなのだ。
余裕そうに見えるのは、カーリアの表情がいつもと変わらない所為で、実際にはひどく集中を必要としている最中だろう。
ひとえに、カーリアが人を殺さず済ませたい、その一心から出た言葉だった。
しかし、それも良く考えれば今更なのだろうか。
生まれた時から傭兵団の中で育ち、本人は斥候と言いつつ、同業からも恐れられる存在だ。
狂人呼ばわりされていて、仲間を助けたい心理を利用し、さらに被害を拡大させる戦法を使っていたようだし、殺人など今更だったかもしれない。
殺せと命じたなら、カーリアはきっと躊躇なくやるだろう。
あるいは、命じなくとも、だろうか。
彼我の戦力差を理解していて、止める為に必要と思うなら――私の命を脅かすと判断したなら、やるしかないという判断かもしれない。
無力化するなら、それこそ魔術の出番だ。
しかし、複雑に――そして機敏に動く二人の一方だけを、上手く絡め取る自信がなかった。
――殺すつもりで使うんじゃないんだから。
そう思っても、こちらの下手な横槍でカーリアの隙を作り、そこに攻撃されてしまう恐れが邪魔して、何も出来ない。
良かれと思った事が、惨事を招くなど良くあるのだ。
それが二の足を踏ませる。
――それに、土中に埋められた、もう一方の男も……。
出来れば、こちらも助けてやりたい。
いや、助けたいのとは違う。
単に殺人の責任を負いたくないだけだ。
傷付けたのはカーリアであって、私はあくまで拘束しただけ。
だから、こちらについて責任はない――。
そう思えたら、どんなに楽か。
関係ない、なんて話はない。
危険と知りつつ、その渦中に飛び込んだのだ。
そして、その危険から助ける為に、カーリアが武器を振るった。
ならば、カーリアがその為に殺人をしたというなら、自らの手で剣を振り下ろしたのと同じことだ。
カーリアの主人として、その身を守るために振るわれた刃の責任を取らなければならない。
土中で失血死したら、それは紛れもなく、私が取るべき責任だ。
男の意識は既に朦朧としていて、顔色も白み掛かって来た。
すぐにでも止血が必要で、そして助けるなら治療も必要だった。
だが、それも戦闘の決着が付いた後でなければならない。
祈る様な気持ちで、カーリアの勝利を待つ。
一縷の希望を持って、死以外の決着が付かないか、その戦いを見守った。
――そして、その決着はいっそ、あっさりと終りを迎える。
男の攻撃を紙一重で避けるのと同時、振り抜いたナイフで喉笛を掻き切った。
喉元を抑え、酸欠に喘ぐ様なくぐもった音を立てると、男はその場に膝をつく。
「――ッ!!」
きつく目を瞑り、顔を背けて、肩を強張らせて拳を握った。
男が自分の血で溺れて、地面を足で引っ掻く音が聞こえて来る。
耳も塞ぎたいくらいだったが、握り締めた拳が動かず、最期の事切れる瞬間まで耳は拾ってしまった。
土を踏む音が聞こえて、肩にそっと何かが触れる。
びくりと肩を震わせるのと、カーリアの囁く声が聞こえるのは同時だった。
「お嬢様、終わりました」
「え、えぇ……。ご苦労さま」
何とか顔を持ち上げ、死体があるだろう場所へ目を向けないように意識して、カーリアの顔を見つめる。
彼女はいつもの無表情を浮かべていたが、ここで困ったような笑みを浮かべた。
「ご苦労さま、ですか……。そんなこと言われるなんて思いませんでした。むしろ、殺しにお叱りを受けるかと」
「しないわよ。あんたが出来ないって言ったんだから。そして、それはあたしっていう、お荷物がいるから無理だったんだろうし」
「あら、意外にしっかり現状を理解してたんですね」
その小馬鹿にした態度には、物言いたい気持ちが募る。
だが、それはカーリアなりの気遣いだと分かるから、怒ったりしない。
……出来る訳がなかった。
「甘ったれな気持ちのまま、首を突っ込んだのは悪かったわ。だから、その為に危険を排除するのは……あんたの役目だって分かるし」
「然様ですか。ご理解されているようで何よりです」
一つ頷いてから、ところで、とカーリアは改めて瞳を一点に見つめてくる。
「お嬢様、私が怖いですか。傍に置くのが嫌なら、オルガスさんに言って下さい」
「え……?」
肩を叩かれた時、肩を震わせた事を言っているのだろうか。
あれはカーリア個人に対して、反応したのではない。
それがたとえばエレオノーラであったとしても、きっと同じ反応をしただろう。
「別に、あんたを怖いとは思ってないわよ。あたしを守るには、そうすべきと思って刃を振るったんだと分かるし」
「狂人と呼ばれてたんですよ。人の痛み、人の恐怖が分からないと。殺すことを厭わない、不気味な奴だと言われていました。次の仕事を別の傭兵団ではなく、使用人に選ばれたのも、情緒や戦場以外を学ぶべきと思われたからです……」
彼女に似合わず、嫌に饒舌だった。
表情が変わらないのはいつもの事だが、焦りや弁解じみたものは感じ取れる。
殺人の業や、他人からの評価を、まるで私に知られたくなかったかのような振る舞いだ。
そして、実際知った今になっても、彼女の評価は今と全く変わっていない。
殺すべきかどうか、それを決められたカーリアだった。
私は全くのお荷物で、そしてこの場合……安全を守るにはそれ以外ないと、カーリアが判断したのだ。
力不足、工夫不足と詰るのではなく、今はただ、それを尊重してやりたかった。
「別にあんたの評価なんて、最初っから変わってないわよ。殺人の是非においても、今は置いておきましょ。それに、一応の形だけであろうと、今はあたしが主人なんだもの。どうであれ、その実行の責任はあたしにある」
土中に埋まった男は、既に意識を失い、呼吸も停まっている。ただ虚ろな視線を苦中に向けていた。
そちらについては、逃がしてやろうと思えば、逃がして治療する事も出来た。
だが、結局逃がす決断は最期までせず、見殺しも同然の状態になっていた。
そちらの責任の所在は、きっと私の方が重いのだろう。
「だから言うの。……ご苦労さま。その働きに満足しているわ」
「滅相もございません」
カーリアは腹の下で手の甲を重ね、頭を深く下ろして礼をする。
それは使用人が主人にだけ向ける、四十五度の最敬礼だった。
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