原作の呼び鐘 その5

「やめろ、ここで騒ぎを起こすな。面倒になる」


「しかし……!」


「大体、我らが騎士であるのは間違いないこと。不勉強だったのは事実だが、それはお前が本当に令嬢だった場合だろう。確証を示せないのは、お前だって同じだ」


 いやに理知的で、冷静な男だった。

 単細胞しかいないと思いきや、様子見として情報を引き出そうとしていたのは相手も同じだったらしい。


 そして、それは事実でもあった。

 証拠を提示できないなら、結局最初の問題――不審者の侵入として処理すれば良いだけだ。


「でも、そうはいかないのよね。証拠が必要なら、お見せできるわ」


 言うなり、魔力を制御して地面に流す。

 足元とその周辺の土を一瞬で支配下に置くと、イメージを流して土の形を作り上げる。


 一瞬後には、自分たちをすっぽりと囲う大きさで、一つの家紋が地面に描かれた。

 バークレン伯爵家の家紋であり、そして魔力の行使を見せたなら、即ち貴族であると見做される。


 本当にバークレンかはさておいて、平民だとは思えなくなったろう。

 冷静に見えていた男の顔が、これで顰めっ面に変わった。


「……なるほど、確かに今は、貴族令嬢として扱わなければならんようだ。だが、それなら尚の事、公爵家の意向を邪魔するのは許されないんじゃないか? こっちは正式な訪問をして、御二方を連れ出す命令を受けている」


「へぇ……? 誰に?」


「言う必要はない」


「ところがあるのよ。伯爵領を通らないと、どこにも行けないんだから。その伯爵家の人間が、御用向きはと問えば、最低限の返答はしなくちゃいけない。言えない、なんて返事はないのよ、下っ端騎士様?」


 塀の中が公爵領とされているのは事実で、治外法権が適用される。

 だが同時に、ここは公爵領にとって陸の孤島でもあるのだ。

 伯爵領を通らず移動は出来ない。


 そして、騎士の権限も様々だ。

 その階級によって通せる権利も様々で、領外活動中の黙秘は下っ端には難しい。

 だから、下っ端には重要な作戦など任せられないのだ。


 問題になれば、それを権利のうちから押し潰せない。

 面倒事が更に増える事になる。

 だが、これがもし貴族籍を持つ隊長などなら、職務により答えられない、と押し通せただろう。


 貴族でもない一般兵に出来る誤魔化しなど、最低限しか出来ないのだ。

 ここで無視をすれば、貴族だと確定している相手から、正式な申し入れが入る。

 それがどんな面倒を持ってくるか、想像できない筈がない。


「それは……、しかし……」


「じゃあ、訊き方を変えましょう。公爵家からの正式な命令で連れ出すのね?」


「そうだ……。それは間違いない」


 これについては素直に応じて、その目にも嘘はなかった。

 答えやすい質問には、答えてくれるつもりらしい。


「公爵夫人、公爵令嬢たるお二人を、その服装で?」


「姿形は重要ではあるまい。急ぎ連れ出す必要があり、それにも納得して頂いた」


「本邸に……?」


「そこまでは言えない」


「ふぅん……?」


 虚偽さえしなければ良い、とでも思っているのだろうか。

 今更、力付くで押し通る事も難しいと悟ってか、態度は改められている。

 しかし、穏便にこの場を切り抜けようというのなら、もう少し返答内容は考えるべきだった。


「どうせ本当の事なんか分からないんだから、本邸と言っておけば良かったのにね。これで、あんたらを外に出す理由がなくなった」


「ふ、ふざけるな……! 我らは公爵家の正式な遣いだ! それをお前が妨げる理由があると思うのか!」


「あると思うわね」


 断言して腕を組み、歩幅を広げて胸を張る。

 この場は絶対に通さない、という意思表示であると共に、少しでも威圧感を出せないか、という苦肉の策でもあった。


「公爵家の遣い? ――結構。では、合わせて問いましょう。それは公爵閣下の遣い? つまり、グスティン・フェルトバーク様から受け取った指示、そう考えて良いのよね?」


「……言えん!」


「そこを頷けないから、下っ端だって言うの。――カーリア!」


 最早、問答は無用だった。

 初めからグスティンが出した指示ではない、と疑っていたのが確定しただけだ。


 こちらの呼び声に呼応して、背後に控えていたカーリアがナイフを取り出し構え、そのまま前に出た。

 騎士たちは驚く様子を一瞬見せたものの、すぐに剣を構えて警戒する。


 一触即発の空気が流れ、そして、それを打ち壊したのは足元に響く微細な振動だった。

 何だ、と足元を見た時にはもう遅い。

 地面が崩れ、足先から股まで一瞬で飲み込むと、そのまま沈んで胸の高さまで土に埋まった。


 喰らった本人としては、唐突な落とし穴に落とされたような感覚だろう。

 腕を振り回し、脱出しようと藻掻いているが、柔らかい土が騎士の周囲を覆っている。

 身体を持ち上げる事も、前や後ろへ進む事も出来ず、完全に身体を土で絡め取っていた。


「ば、馬鹿な……! いつの間に、こんな!」


「地面に家紋を書いたでしょ? あの時、既に魔力が土に流れてたんだから、その時点で仕掛けは終わってたの。少しの隙さえ作れたら、後の事は簡単よ。家紋のあれはね、単なる見せ掛けパフォーマンスじゃなかったのよ」


「く、くそっ!」


 カーリアがナイフを見せた事で、騎士達もそちらに意識を割かれた。

 そして、そこへ不意打ちに仕込みを起動させ拘束した、という寸法だった。


 カーリアに労いの視線を向けてから、騎士達へと目を向ける。

 騎士達も必死に足掻いて抜け出そうとしているが、土を撒き散らすだけで脱出の役には立っていない。


「さて、聞かせて貰いましょうか? 土で腹を満たしたくないでしょ?」


「いえ、お嬢様。先にお二人を逃がした方が良いです。騎士二人の位置が近すぎました。逃げられます」


「え……?」


 騎士達二人は互いの腕を取り合い、そして一方を柔土の外へ逃がそうとしていた。

 上半身の筋力だけで、もう片方を持ち上げようとしている。

 そして、それはカーリアの言う通り、どうやら成功の兆しを見せていた。


「クリスティーナ様、エレオノーラ様、早く邸の中へ! 扉に鍵を掛けて、外に出てこないで!」


「お嬢様もですよ」


 言うや否や、弾かれた様に二人が駆け出した所で、カーリアから声が掛かる。

 確かに戦闘経験のない私がこの場に居ても、あまり役には立ちそうにない。


 本音を言うなら、エレオノーラ達の背を押しながら一緒に逃げ出したかった。

 だが、今は主導権イニシアチブが取れている。

 形ばかりの主とはいえ、カーリアばかりに負担を押し付けたくなかった。


「無力化だったら、あたしにも出来る。一人は逃がしても、もう一人は拘束し続けなきゃいけない。遠いと精度も、力も落ちる。逃げられるわ。二対一は、流石のあんたもキツいでしょ?」


「お守りをしながら一対一も、同じだけ厳しいですけど」


 それもまぁ尤もだ、と苦い顔で応じた。

 じゃあやっぱり、一緒に二人と逃げようかと顔を向けた時、その二人は扉に無事辿り着き、エレオノーラの背を押しながらクリスティーナも入って行く。


 直後に慌てた様子で、ガチャガチャと鍵を掛ける音が聞こえて来た。

 カーリアへと顔を戻すと、呆れた溜め息がその口から漏れた。


「……まぁ、仕方ありません。何とかすると致しましょう」


 そうしてナイフを逆手に、騎士達へと突っ込む。

 その直後には騎士を一人、土からの引き上げに成功していた。

 両手で頭上に持ち上げたと思うと、獣の唸り声を上げて投げ飛ばす。


「ウォォォォオオ!!」


「よくやった!」


「――でも、これで一人は脱落です」


 カーリアは身軽に柔土を飛び越え、地中に残った騎士へ斬りかかる。

 丁度、投げ飛ばした直後、腕を伸ばして止まっていたタイミングで、その肩付近にナイフの銀閃が走った。


 走り抜き、男を飛び越して反対側に着地すると、両肩から血が溢れる。

 血を抑えようにも、ダラリと垂れ下がって全く力が入っていない。


「腱を切りました。手を伸ばして、助け出すのも不可能です。放置すれば出血多量で死にます。ほら、時間を掛けると仲間が死にますよ」


「くそっ! お前……待てよ、どこかで……」


 思案顔を見せたのも一瞬、驚愕した顔で唾を飛ばす。


「カーリアって、――あぁそうか! そんな格好してるから分からなかった……ッ! お前、デレネ高原のランブルタイガーか!」


「え、なに……。有名なの……?」


 事前にあれら騎士を傭兵と看破していた事だし、同業者の匂いを感じ取ったから出来た事に違いない。

 そして、傭兵の中でカーリアは、少しは名の知れた存在だったらしい。


「こんな狂人、よく傍に置いてられるな!? 神経を疑う!」


「あら、酷い。良い性格してるって、皆さん言ってくれますのに」


「もう一度言っとくけど、褒められてないからね、それ」


 思わず突っ込んでしまったが、騎士の緊迫した雰囲気は全く衰えていない。

 むしろ、気安い言葉を掛ける私に、恐々とした目線を向けていた。


「コイツの事を知らないのか……? 暗闇から襲い、一人また一人と襲う、道徳心の欠片もない奴だ! 腱だけ切って得物を放置し、半死人を囮に、助けに来た仲間を襲う。ランブルタイガーの習性そのものだ。凡そ慈悲ってもんを持ってねぇ!」


「分かるわ。あたしのお菓子、根こそぎ奪っていくし」


「そんなチャチなもんと一緒にするんじゃねぇ!」


 どうやら、同意の仕方を間違えてしまったらしい。

 しかし、血も涙も無い、という意味では同じではないか。

 きっと、騎士の片割れもそうした事を言いたかっただろうに。

 気持ちを共有できると思っただけに、少し残念な気持ちになった。


「だが、それなら……!」


 騎士の眼光が怪しく光る。

 その目が真っ直ぐ、こちらを射抜いていた。

 仲間を人質にされているなら、あちらも同じく人質を取ろうと考える目だった。


「やば……!」


 柔土の範囲を広げるか、それとも土の波を浴びせて動きを止めるか、判断に迷った。

 強烈な敵意を浴びせられての制御に経験はなく、焦りも相まって上手くいかない。


 そして、その腕が真っ直ぐに伸びて来る。

 制御が終わるより掴まるのが先だ、直感がそう囁いた。

 諦めの気持ちが旨を支配した時、その手が直前になって引いた。

 騎士がその身体ごと、全身を後方に避けたのだと、その直後になって分かった。


「くっ……!」


「あら、逃げられましたか」


「ねぇ、ちょっと……。あんた、もしかしてあたしのこと囮にした?」


「まぁ、そういうのもアリかな、と……」


「ふざけんじゃないわよ……!」


 今や足はガクガク震え、立っているのがやっとの状態だった。

 自分より遥かに体格の良い男が、手を武器に持って迫ってくる状況など、早々経験できる事ではない。


 緊張と恐怖で心臓がドコドコ音を立てているし、頭は霞掛かったように曖昧だ。

 もう、恥も外聞もなく、泣きながら逃げ出してしまいたい。


 戦闘というものを舐めていた。

 一度、赤熊と対決しただけで、何とかなる気がしていたが、全くそんな事はなかったのだ。

 今更ながら大いに後悔したものの、それはあまりに遅すぎた。

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