原作の呼び鐘 その4

 公爵家別邸を正門から入るという、初めての体験をしていると、すぐ前方に数人分の人影が見えた。

 先頭に立って先導しているのは騎士服を着た男性で、鎧こそ身に付けていないが、その腰には剣を佩いている。


 生来からの気迫が強く、その顔面は騎士というより野盗に近い。

 それまで穏やかに振る舞っていたものの、乱入者の登場でそれが更に険しくなった。


 足を止め、剣の柄に手を添えると、いつでも抜ける構えを取る。

 儀礼上の剣ではなく真剣で、そして良く見れば随分と粗野な作りだった。


 公爵家の騎士というからには、もっと上質な得物を持っていそうと思いつつ、武器は自分で用意する物かもしれない、とも思う。


 騎士の採用に年齢制限はあるものの、貴族と平民どちらからでも選ばれる。

 完全な実力査定による採用だし、毎年試験を受けては何度でも挑戦する者もいると聞いた。


 粗野に見える風貌も、武器が騎士位に相応しくなく思えるのも、順風満帆に試験を通過した訳ではないからかもしれない。

 ただ、その違和感は覚えておこうと思った。


「何者か!」


 中庭で立ち止まった騎士二人と、その後ろへ庇われる様に立つ二人とで体列が別れる。

 騎士が誰何する後ろで、クリスティーナ夫人とエレオノーラが、焦った様子で互いに顔を見合わせていた。


 この邸に来訪目的で来た者はいない。

 当然、侵入者などもいない事になっているので、顔見知りだと言う事も出来ない。

 どう言って庇えば破綻なく説明できるか。


 それが分からず困っている様子だった。

 エレオノーラ達としても、堂々と姿を現すなど思っていなかったろうから、咄嗟の助け舟を出せずにいる。

 顔見知りと知られると困るのは彼女たちだから、こちらも知らないていで接するつもりだった。


「あら、ごめんなさいね。開かずの扉が開いていたものだから、ついつい入ってしまったの。誰が住んでるのかなぁって思っていたのよ」


「何者か、と聞いたんだ! 娘、名を答えろ!」


「セイラよ」


「後ろの女もだ!」


 だが、これにカーリアは返事をしなかった。

 この場に至って口を閉じる意味はない。

 どういうつもり、と思いながら後ろへ顔を向けると、毛虫を見つめるような険しい顔をしていた。


「ちょっと、どうしたのよ……!」


「あれは騎士ではありません」


 カーリアはきっぱりと断言した。

 互いに小声であり、騎士達まで距離があるから、このやり取りは聞こえていない。

 しかし、カーリアが名乗らず、そして不審な相談をしているとなれば、彼らは危険を先行的に排除する大義名分を得られる。


 彼女にどういうつもりがあろうと、この場で騎士達が偽物だと告発するなら、冗談では済まされない。

 そして、冗談で言える事でもないだろう。


 だが、どちらを信じるかなど、最初から決まっていた。

 ならば、それを信じてこの場を切り抜けるだけだ。

 睨み付け、今にも斬り掛かって来そうな騎士二人に、両手を突き出して待ったを掛ける。


「まぁ、ちょっと待って頂戴。この子ちょっと声が出せないのよ」


「はぁ!? 今そこで何か喋ってたろう! 嘘を言うなら、この場で即座に叩き斬るぞ!」


「そうじゃなくて、怪我が原因で大声出せないって意味。小声でしか話せないから、名前を言ってもどうせ聞こえないわ」


 咄嗟についた嘘にしては、良い内容だった、と自画自賛する。

 二人の騎士はどうする、と顔を見合わせ困惑していた。

 知りたいのは名前ではないだろうし、本題は侵入した理由の方だろう。


 もっと言うなら、無害と判断できれば、即座に移動してしまいたい筈だ。

 彼らに任務があるとするなら、それはこの場から後ろの二人を連れ出す事で間違いないだろうから。


「じゃあ、もう名前はいい。何しに来た。物珍しさで入ってくるな、さっさと失せろ!」


「ごめんなさいね。でも、気になるでしょう? ――騎士でもない奴が、騎士の格好していたら」


 その瞬間、男の表情がサッと醒める。

 だが、それも一瞬の事で、即座に表情が改まった。


 単なるブラフ、反応の一つすらないと思っていただけに拍子抜けだ。

 どうやら、カーリアの言うとおり、彼らには何か裏があると思って良さそうだった。


 最初から違和感はあった。

 馬車を見た時から、もしかしたらという予感もあった。

 それがカーリアの一言で、更に後押しされただけだ。


 クリスティーナに目を向けると、困惑の度合いが強まっているのが分かる。

 それまであった陽気な雰囲気に蔭が落ち、エレオノーラの肩を抱いて、自らが盾になるよう背後へ隠した。


 それを感じ取ったからでもないだろうが、騎士の一人が自らの大義を示すよう、胸を張って声に出す。


「何を見、何を知っての発言かは知らないが、我らは誇り高きフェルトバーグ騎士団の一員! 侮辱はその死を持って贖う事になるぞ!」


「あら、そう。精々、首を落とさないよう、しっかり糊付けしておかなきゃ。……それで? 一員は結構だけど、どちらの隊から出向なの? ウチの村は良くお世話になってるから、しっかりお礼言わせて戴きたいわ」


「なに……?」


「いやだって、声高に威圧してるけど、自分が所属する隊は口にしてないじゃない。言うでしょ、普通」


 本当はそんな規則があるかも知らないし、騎士が口上する際の常識なんて知らない。

 村で世話になっているのは本当だし、森へ魔獣の討伐に行く姿は何度も見た。


 狩った獲物の肉を分けてくれる際にも、村長宅へ出入りするのが殆どで、その時にも会話が聞こえる距離まで近寄りもしなかった。


 だから、村長に対してどういう挨拶をしているかも知らないし、ここで適当な事を言われようものなら、その真偽も確かめようなどない。

 だがそもそも、騎士達はこちらの思惑に乗るつもりはないようだった。


「馬鹿な事を! 貴様らのような不審者に、名乗る名などあるものか! 武器を持たない女だからとて、これ以上邪魔するなら容赦せんぞ!」


 尤もな台詞ではあった。

 そもそも、私は詰問する側でなく、されている側だ。

 ぬけぬけと質問を許される立場ではない。


 だが、騎士の見せる態度はあからさまで、不審さは更に増した。

 名乗らなかったのは良い。

 だが、突然の質問と、それに言い返してやった、という感情の起伏を抑えられていなかった。


「……そう、確かに。無作法者はこちらだわ。とっとと退散するとしましょう。今すぐ立ち去れば、見逃してくれるの?」


「あぁ、今ならな。すぐ消えるなら、今だけは見逃してやる」


 ――有り得ない。

 こんなブラフが通用してしまう時点で、彼らは騎士団所属ではない、と言っているようなものだ。


 背後から矢で撃ち抜くつもり、などと約束の反故を言っているのではなく、接近接触の禁を犯した人間が目の前にいるのだ。

 公爵家に仕える騎士として、その禁を犯した者は拘束、連行程度はしなくてはならない。


 身元を明らかにするだけでなく、何が目的か、徹底的に問い質す義務も生じるだろう。

 それに、公爵夫人と令嬢を護送するのに、たった二人も有り得ない話だった。


 公爵家の家紋入り馬車を使わないのは用心の為、と言い張れる。

 多くの護衛を張り付かせて目立っては本末転倒、その言い分も理解できた。

 だが、それで損なう可能性を高めては、それこそ本末転倒なのだ。


 背後のカーリアにだけ聞こえるように、小さな声音で問う。


「周囲に潜伏している者の反応は?」


「ありません。どこか少し離れた場所で合流するつもりなら、また分かりませんが」


「ちょっと話した感じ、あたしもアレ怪しいと思うわ。正規兵ではない。それは間違いないわね」


「傭兵上がり、あるいは傭兵そのもの。武器を見ても、そうだと分かります」


「あぁ、やっぱり……。随分粗末だと思ったけど、それなら納得。でも、たとえ傭兵上がりの正騎士だとしても、そんなのに任せる仕事じゃないのよねぇ……」


 これまでの扱いが粗雑だったにしろ、扱う相手は公爵夫人であり、そして庶子でもない正統な公爵令嬢である。

 些かの無礼があってもならず、貴族として礼儀作法をしっかり習った騎士を派遣するのが道理だ。


 グスティンの信頼篤い相手が選ばれる筈で、その者以上の適任者として、傭兵上がりが抜擢されたとも思えない。

 そして、何よりクリスティーナたち、二人の格好も気になった。

 振り返って逃げ帰る振りをしながら、横から目を向けて言い放つ。


「お訊きしたいんだけど、公爵夫人たるその人を、普段着のまま何処へお連れするつもり? 今まで、一歩たりとも外へ出されなかったのに? まさか本邸なんて……言わないのでしょう?」


「貴様、さっきから何だ! 我ら騎士団に対する侮辱と見做すぞ! 本当にその首、叩き落とされたいのか!?」


 一度帰る素振りを見せたから、尚更苛立ちが募ったのだろう。

 強くストレスを掛けられ、そこから開放されると分かった瞬間こそ、本質が態度に表れやすい。


 そして、彼は脅して遠ざける事を選んだ。

 護衛中である事を考えても、有り得ない選択だ。

 返しかけた踵を戻し、更に数歩、彼らの方へ歩み寄る。


 今度は間抜けな村娘ではなく、毅然とした態度で二人の視線を射抜いた。

 様変わりした気配に、たじろぐ二人が剣を抜き、エレオノーラ達から押し殺した悲鳴が漏れた。


「抜いたわね」


「それがどうした! 貴様、この場で――!」


「あたしはセイラよ。そう名乗ったでしょ? 聞き覚えは?」


「は……?」


 言わんとする意味が分からず、男二人は目を丸くする。

 その反応だけで、もう十分だった。


「ご存知ない? ここがどの領かも知らず? セイラ・バークレン、それが私の名。そして、伯爵領において、あんた達はその令嬢に刃を向けたのよ」


「はぁ……!?」


「馬鹿言うな、そんな証拠がどこに……!」


 平民と同じ服を着ているとはいえ、その身だしなみは平民とは違う。

 見る者が見れば、髪や肌に良く手入れされた形跡を見て取れただろう。


 平民は石鹸を使うことさえ、まずないものだ。

 特に髪の手入れは普段から行わないと、その美しさは引き立たない。

 貴族と平民との分かりやすい違いとは、まずそこに出る。


「あらあら、駄目じゃない。偽者かどうか疑う前に、ここが伯爵領の治外法権に当たる事を、まず指摘しないといけないわ。門の内側は伯爵領じゃなく、公爵領。剣を抜いただの何だの、指摘されたからって関係ないの」


「だ……っ、馬鹿め! だったら尚の事――!」


「馬鹿なのはそっち。何で、あんたがそれを指摘しないんだって訊いてるの。騎士なんでしょ? そのあんたが、何でそれを知らないのよ?」


 指摘すれば、一方の男の顔面がゆでダコの様に赤くなる。

 今にも襲い掛かって来そうな興奮状態で、その目に殺気が溢れるかのようだった。

 しかし、それをもう一人の男が、咄嗟に上げた手で止めた。

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