原作の呼び鐘 その3

 公爵家別邸へは予定より早く到着した。

 気が逸っていただけでなく、魔力制御をする程に、より洗練された回転を生み出せたせいだと思う。


 効率的運用は、使わなければ身に付かない。

 まだ未熟だったから伸びしろがあり、だから使う程に余力が生まれていったのだろう。

 そして、その余力が更なるスピードに繋がった。


 遠目に別邸が見えてくると、その門扉の傍に馬車が停まっていると分かった。

 屋根付き扉付きと、最低限の基準を満たした馬車であるものの、貴人が乗るには相応しくない。


 辻馬車ほど酷いとまで言わないが、曲がりなりにも公爵家の別邸へ、傍付けできる規格ではなかった。

 当然、どこの家が所有する馬車か、その徽章も見える所に付いていない。


 嫌な予感が更に募る。

 塀に身を隠す形で接近し、ぶつかるより前に制御を解いた。


 慣性で草カヌーから放り出され、そのまま流れるように着地する。

 そのまま塀の壁に張り付いて、角からそっと顔を覗かせた。


 一見した限りでは、馬車に御者はおらず、中身も空だった。

 どうやら乗ってきた人物は、別邸内へ入っているらしい。

 すぐ背後に控えているカーリアへ、細い声で尋ねる。


「……どう? 馬車内に人はいる?」


「いませんね。普通なら、奪われないように一人は見張っている筈ですが……」


「場所が場所だし、実際……馬泥棒だって、こんな所を張ったりしないわ。用心さが欠けているのには同意するけど、何しろ近辺には本当に何もないもの」


 周囲には民家もなく、邸の背後に森が拡がるばかりで、正面には草原しかない。

 どこかの通り道になっている訳でもないので、本当に誰も通ろうとしないのだ。

 これなら泥棒被害も遭わないだろうと、油断するのも致し方ない。


「とはいえ、来客が何者で、何の用があって来たのか気になるところよ。邸内に何人いるか分かる?」


「ここからだと、正確には分かりませんね。せめて塀の内側に入りませんと」


「相手の正体次第じゃ、見つかると酷い失点……もとい失態になるのよね」


「どうされます?」


 カーリアの問い掛けは、やれというならすぐ見てきます、という意味に他ならなかった。

 失点も失態も、私は気にしないと言う口振りで、それはこちらを見つめてくる瞳からも如実に語られていた。


「まぁ、そうね。ここで足踏みする為に来たんじゃないわ。確認が必要よ、――今すぐ」


「畏まりました。少々、お待ち下さい」


 カーリアは一礼すると壁を蹴り上げ、ひょいと塀を登り切ってしまった。

 本来、返しがあって独力では登れない仕様だ。

 だが、壁を蹴り上げた二歩目で背面へ大きく跳躍したあと、指一本を庇に引っ掛け、そのまま身体を持ち上げ登り切ってしまった。


「改めて良く考えると、訳わかんない身体能力してるわよね……。ナントカ高原のナントカタイガーだっけ? その異名は伊達じゃない……のかしら」


 深く知ってしまうと後悔しそうなので、あれから尋ねてもいないし、調べてもいない。

 傭兵稼業で培った技術なのだと、無理やり理解して放置している。


 待っている間は、本当にやる事がない。

 壁に体重を預け、腕を組んでは空を見上げた。

 春先の暖かくなり始めた時期とはいえ、風が吹けばまだ十分に寒い。


 春用のコートは羽織っていたが、身体をすぐ冷やしそうだ。

 魔力制御をしている最中は、運動している時とそう変わらないので気付かなかったが、それからも開放されてからは、とにかく足元から冷えて仕方がない。


「火でも使えれば良かったんだけど……」


 来客者が誰なのか分からない状況だ。

 最悪の事態を想定して、魔力は温存しておかねばならない。

 そして、最悪の覚悟も……。


「そんな事にならないのが一番だけど」


 膝を擦り合わせる様に待っていると、上からふわりと降りてきて、カーリアが音もなく着地した。

 どうだった、と視線で問うと、簡潔に返答してくる。


「中に入った客人と思しき者は二名だけです。争うような物音や言い合いもなく、クリスティーナ夫人はむしろ、嬉しそうな雰囲気を発していました。エレオノーラ様は困惑の度合いが強かったですね。状況を良く理解していないのだと思われます」


「それだけじゃ良く分からないけど……、客人は敵じゃないのね?」


「気配だけから考えると、そうなります。ただ……」


 カーリアは少し考える素振りを見せて、もう一度邸の方へ目を向けた。


「一人は平静を、一人は焦りを抱えていました。上手く誤魔化していたとも思いますが、腹に一物ありそうだな、と……」


「焦っているのを隠してる……。でも、クリスティーナ夫人が浮かれている所を見ると、悪い話を持って来た訳じゃないのでしょう?」


 そう考えて、いや、と思い直す。

 この状況で、クリスティーナが喜ぶ内容などあるだろうか。

 客人が害意を持って来た訳でないとすると、そのタイミングを考えても、公爵閣下の訃報を伝えるものが含まれていた筈だ。


 その死を喜ぶ様な人だったろうか。

 閉じ込められていた事を、恨んでいたのは間違いない。

 自力で抜け出す力もなく、そして手紙などで外部に助けを呼ぶ事も出来ない。

 別邸は完全な囚われの檻だった。


 強く恨んで当然と思う一方、その死を喜ぶ人間とは思えないのだ。

 彼女は常識があり、良識もある貴族女性の鑑と言える人物だ。


 その死を知らされれば、悼みこそすれ喜んだりはしないだろう。

 だから違和感がある。


「クリスティーナ夫人は、客人に何を言われたの……? 喜びが露わになる程の報せ? この状況で?」


「それと、気になる事がもう一つ……。使用人の気配が見当たりません」


「買い出しの日でも無い筈でしょ? 出掛けてるの、このタイミングで……?」


 この別邸には足掛け三年近く通って来たし、使用人の大まかなスケジュールは把握している。

 クリスティーナからも仔細な話も聞いているので、どういうタイミングで使用人が邸内に居ないかも知っていた。


 客人など来ない前提である邸だから、急な入り用というのがまず存在しない。

 御用聞きの商人も出入り出来ないので、買い出しも使用人の手でする必要があり、だから消費される食材なども厳密に計上されている。


 そして、本当に急な客人となれば、お茶の用意も使用人の務めだ。

 この段階で気配がしない、というのは不自然でしかなかった。


「……気配がないって、実は既に昏倒させられてるとか、そういう事はない?」


「断言は難しいですけど、可能性はあります。本来は取り次ぎなども使用人の役目ですけど、ドアを叩かれていれば出ない訳にもいかないでしょうし」


「貴族としての生活からは、遠く離れていた身だものね……。最低限の生活準備を整えるまでが役目であって、生活を万事問題なく整えていた訳じゃないから……」


 公爵夫人、公爵令嬢への世話をするというより、看守の役目と見る方が自然だった。

 馴れ合いを発生させない為か、使用人の入れ替わりも多く、一年間の間に三回も相手が変わった。


 引き継ぎだけはしっかり行われていたのか、やることやその質はそう変わっていなかった。

 彼女たちの生活も変わらないものが続いていたのは、そうした中にあって、まだしも救いと言えただろう。


「……踏み込むべきかしら? 想像するだに、嫌な予感しかしないんだけど……」


「害するつもりがあるのなら、既に害しているでしょう。周囲に人気ひとけはなく、目撃者もおりません。物盗りの犯行に見せ掛けるのは、とても簡単でしょうから」


「そう……、そうよね……」


 だが、計画的犯行ならば、それこそ使用人が居ない日を狙う。

 昼に出掛けて、日が沈む頃に帰って来るので、欺瞞工作を仕掛けるにも十分な時間だ。

 そして、帰って来た使用人に発見して貰えば良い。


 最悪の予想とは、グスティンに対する意趣返しをする事だ。

 息子を殺されたと思った祖母が、その復讐として母娘を殺す。

 本当にそれが目的なら、押し込んで襲うだけで十分な筈だ。


 だが、クリスティーナが喜ぶ報せを受けていると聞いた、その報告と噛み合わない。

 だから、喫緊の危険は無いと思える。


 そう、思うのだが――。

 眉間に深いシワを刻みながら迷っていると、カーリアから緊張を含んだ声が出る。


「邸から出てきます。人数は四。客人二名も一緒です」


「そう……。状況的に、別邸から本邸へ戻る報せを受け取った……。そう見るべきなのかしらね」


「しかし、ならば馬車の等級が釣り合いません。公爵夫人と、公爵令嬢を乗せる馬車ですよ」


「そうよね、遂に凱旋できると考えれば、あまりに不釣り合い。まずは内々で済ませたい、公表はタイミングを見計らう算段とか……?」


「――どうされます」


 カーリアが鋭い声で聞いてくる。

 緊張の度合いが更に強まったのは、そこに戦闘を考慮に入れた想像をしているからだ。

 そして、最悪の想定は、死傷者を出す事さえ含まれている。


 本来なら、本邸帰還の好い報せを受けただけ、と考えて良かった。

 しかし、急な使用人の不在、等級の釣り合わない馬車、それらが悪い予感を駆り立てる。

 迷っている時間は、そう残されていなかった。


「……行くわ。二人が馬車に辿り着くより前に接触する」


「顔を見せるのですか? それに、馬車より……ってなると、門の内側へ入る事になりますけど」


「相手が貴族で例の約定を知っているなら、あたしを問答無用で排除できる。斬り捨てられても文句言えない。だからこそ、有効よ」


 その反応次第で、相手がどういう立場にあるのか類推できる。

 騎士なのか、そうでないのか。

 貴族なのか、使い走りなのか。

 そのどちらでもない場合、どうした動きを見せるのか。


 門扉を通るだけで全てを見抜けるとは思っていないが、外からの装いだけで全ては見抜けない。

 そして、本当に正規の遣いであったなら、伯爵家への沙汰は大きなものとなるだろう。

 失点は大きなものとなるが、家の没落は決定済みだ。

 後先考えずにいられるから、こうした大胆な手が打てる。


「取り潰しは決定事項なんだから、そこに一つ罪状が加わったって問題じゃないわ。やったモン勝ちよ」


「はぁ、取り潰し……?」


 ――そうだった。

 カーリアはおろか、オルガスにさえ秘していた事を口にしてしまい、只でさえ厳しくしていた顔に渋面が乗る。

 とうとう原作にある流れが来たと思って、つい口が滑ってしまった。


「いいから、行くわよ。あんたは塀の上なり、身を隠せる場所を探して潜んで」


「それでは、お嬢様の防護が疎かになります」


「すんごく心許ないんだけど、そうして貰うわ。合図をしたら、相手を無力化しなさい」


「それは別に、お傍にいても出来ますけど」


「相手は二人なんでしょ?」


 カーリアが凄腕といっても、二人相手を同時取るのは難しい筈だ。

 奇襲が出来れば、その成功率は跳ね上がる。

 二人同時は難しいとしても、一人はやってくれるだろう。


「相手は手練れです。お傍に居なければ守れません。そして、その身を第一に考えるのが私の役目です」


「そうだったわね……。でも、メイド引き連れた平民服の女なんて、怪しめって言ってるようなもんじゃない」


 カーリアは大抵の命令には従う。

 しかし、護衛の任を疎かにしてしまう限りにおいて、決して受け入れてくれない。

 雇い主はオルガスであり、彼女流に言うなら、その忠誠を金で買われている。


 私がより多くの金を払って雇い直さない限り、あるいは忠誠に足る主人と認識されない限り、オルガスの命令を撤回できない。


「……仕方ないわね。とりあえず、相手の出方を見ましょ。場合によっては、一目散に逃げる訳だしね」

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