未来への展望と渇望 その6

 それから、エレオノーラとの奇妙な友人関係が始まった。

 とはいえ、村の様子を確認したり、畑の手伝いや、道路関係の視察もある。

 あまり頻繁に通えていた訳ではなかった。


 それでも、時間が許せばエレオノーラの元に顔を出す。

 彼女の為――、という訳ではない。

 何しろ、顔を出すのはリスクばかりが高まって、得策とも言えないのだ。


 彼女に関わるのを決めた動機は、憐れみからだった。

 エレオノーラ自身への、クリスティーナが置かれた境遇に対しての、そして非業を全て背負って生きるグスティンを憐れんだから、そうしたい気持ちが勝ったに過ぎない。


 そういう意味では、今の状態は最悪の道筋を逸れたとも思える。

 何らかの理由で再会する前に死別する未来は、これで途絶えたように見えた。

 肺炎から救った結果、違う筋書きになったというなら、それで良い。


 しかし、死因が病死と限った話でもなかったし、もしかすると肺炎が死因でなかったかもしれないのだ。

 クリスティーナを救った、筋書きを変えたと思いつつ、実は全く別の理由で死んでいた可能性は拭いきれない。


 そして、一度は変えたいと願って行動したのだから、せめて自分がもう安心だと判断できるまで、出来る限り守りたいと思った。

 救ったつもりと安堵して、気付かぬ内に亡くしていたと知れば、絶対に後悔する。


 ――片手落ち、なんてモノじゃないわ。

 何て無様な、と罵り自分で自分が許せないだろう。


 物盗りの犯行など、突発的な事故であったら防ぎようもない。

 毎日行かないから、防備も万全ではなく、結局同じ事かもしれない。

 しかし、それは出来る範囲で行える努力を、放棄する理由にはならなかった。


「大丈夫……? あなたの番よ。それとも疲れちゃった?」


 思考が横に逸れ、あまりに長く沈黙が続いた所為で、エレオノーラが心配そうに顔を覗き込んできた。

 それに大丈夫、と手を振って努めて笑みを作る。


「ごめんね、ちょっとボーッとしちゃって。……そうね、ちょっと疲れているかもしれないわ」


「いつも話を聞いてるけど、大変そうだものね?」


 今はエレオノーラと、テラス部屋でリバーシの対決中だった。

 彼女と遊ぼうという話になった時、まず何をしたいか、出来るのかを知らなかった。

 村で子供と遊ぶのは珍しくなく、その延長線上で考えて提案したのだが、その悉くがエレオノーラの理解の外だった。


 元より庭は歩くスペースに事欠かなくとも、走ったり跳ねたりとするには向いていない。

 そもそも、そんな遊びは令嬢として、全く相応しいものでもなかった。


 エレオノーラは刺繍や詩など、室内で出来る事が好きで、特に刺繍は将来の為になるからと積極的な姿勢を見せたものだ。

 それこそ伯爵令嬢セイラにとって全く思慮の外で、遊ぶと聞いて刺繍を提案された時は耳を疑った。


 しかし、それこそが令嬢の付き合いとして相応しい振る舞いなのだ。

 共にお茶を楽しみながら、詩歌集などを詠み、時に創作し……そうした優雅な一時を過ごす。

 伯爵家の令嬢ともなれば、その程度の教養があって当然と見做される。


 だが、当然ながら、これまで土いじりしかロクにやって来なかった伯爵令嬢だ。手芸や詩歌など披露できる筈もなかった。

 それで苦し紛れにテーブルゲームを提案し、チェスをやってボロ負けした。


 所詮、コマの動かし方しか知らない身で、挑戦した方が愚かだったと言えよう。

 しかし、室内遊戯と言っても他を知らないと言うエレオノーラに、リバーシを提案した所……これにもボロ負けした。


 チェスボードを流用できるし、コマは簡単に手作りできる上、ルールが単純だからすぐに始められたのは良いのだが――。

 エレオノーラの地頭の良さを舐めていた。


 チェスが出来るなら、この程度の遊戯もすぐさま対応できると、予想しておくべきだった。

 つい先程まで、ルールどころか存在すら知らなかった遊戯で、ここまで劣勢に立たされるとは……。


「ぐぬぬ……!」


「何を唸っているんですか。これもう、逆転の目ないですよ」


「うるさいわね! 分かってるわよ、そんな事!」


 いつもの様に背後で佇むカーリアへ、怒鳴りつけてから正面に戻る。

 すると、上品に口元へ手を置いたエレオノーラが、くすくすと笑った。


「二人を見ていると、主従というより姉妹みたいだって、いつも思うんです。素敵ですね」


「素敵かどうかは知らないけど、主従とは思えないって言うのには同意するわ」


「エレオノーラ様、お戯れを。私どもが姉妹など、恐れ多くてとてもとても……」


「……じゃあ、何で今あたしの頭を鷲掴みにしてるのよ? ――ミリミリ音してんだけど!?」


「あら嫌だ、私とした事が……! あまりに衝撃的な一言で、我を忘れて先に手が出てしまった様です」


「そういう台詞は、まず指の力を緩めてから言いなさいよ!」


 振り向こうにも、万力で締め付けられているかのようで動けず、痛みが増して尚のこと動けそうない。

 更に叫び声を上げそうになった時、ようやくカーリアの魔手から開放された。


「お嬢様、あまり騒がしい声は感心しません。この時間帯は、特に使用人らが来ないとはいえ、油断し過ぎではないでしょうか」


「誰のせいよ、誰の!」


「――まぁまぁ、賑やかだこと」


 その時、扉を開けてクリスティーナが入室して来た。

 顔には笑みを浮かべていて、血色も良く、完全に健康を取り戻していた。

 手には手芸道具を持っているところからして、日差しが良く入るテラスに、気分転換でもしに来たのだろう。


「うっ……、申し訳ありません。感情が昂ってしまって……」


「咎めている訳ではないの。楽しい声が聞こえてくると、家も明るく感じるもの」


「いえ、でも油断してたのは事実です。ここで下手に露呈すると、私達はともかくクリスティーナ様にもご迷惑になるというのに……」


 人が来ないとはいえ、こんな事を繰り返していたら発覚も時間の問題だ。

 今もまだ見つかっていないのは、単に運の問題に過ぎない。


 彼女たちがこの関係を心地よいと思ってくれていて、長く続けたいと思うなら、そこはしっかりと自粛するべき所だった。

 自省していると、後ろから一礼の気配と共にカーリアが口を開く。


「ご安心下さい、クリスティーナ夫人。見つかるより前に、気配は察知できます。喚くお嬢様を黙らせるのも、一日の長がございますのでご安心を。口を抑えて首を曲げて、骨を折るまで一秒と掛かりません」


「死んでない、それ? 明らかに骨を折る必要ないでしょ!」


「いえ、それぐらいしないと止まらないと、よく存じております」


「あんたは人を……っ! ……何だと思ってるのよ」


 再び激昂しそうになり、息を呑み込んで淑やかに声を落とす。

 同じ轍を踏むまいと思っただけでなく、気付けばカーリアの手が、頭と顎先に添えられていたからだった。


 もしあのまま、感情に突き動かされて大声を上げていたら、きっと首が凄い事になっていたに違いない。

 冷や汗を流しながら、そうと感じさせない声音でクリスティーナへ語り掛ける。


「今日はこちらで刺繍ですか?」


「えぇ、気分が良いの。陽の光には、なるべく当たった方が良いと言われたから、ちょっとそうしてみようかと……」


「大変、宜しいと思います」


 神妙に頷いて返すと、控えめな笑い声と共にエレオノーラが言う。


「お母様、最近よく穏やかな顔をされるようになったの。あなたのお陰ね」


「さて、そうだと良いけど……」


 これには曖昧に笑みを返して、リバーシを投了する。

 運命に歯車があるとしたら、今はそれが狂い始めた頃だと思う。

 思う――というよりは、そうであって欲しいと思いたいのだ。


 原作を知っているから、グスティンが助け出そうと思っているのは知っている。

 だから、慰めの言葉だろうと確信を持って言えた。

 それがクリスティーナにも伝わったから、穏やかな表情を見せるようにもなったのかもしれない。


 それは喜ぶべき事だ。

 未来に希望と展望が持てるなら、それに越した事はない。

 嘆き悲しみながら、流れる月日を眺めるのは辛い事だ。


 ――しかし、同時に思ってしまうのだ。

 運命は変えられないかもしれない、と。


 村は大きく変わった。

 新品種の葡萄はこれからの産業に、大きく寄与するだろう。

 寒冷に強い小麦が行き渡れば飢饉も回避でき、税収の低下も抑えられる。


 病の流行も抑えたから、働き手を失う事もなくなったし、領内には明るい展望が開けていた。

 しかし、それらは原作と関わりない事だ。


 税収について増収が見込めていても、それらは領内の開発資金に回される。

 十年先を見越した、北方との通商を確固たるものに使うと決めた。


 だから、これで伯爵家が即座に裕福となる事はない。

 父が借金を作ろうと、税収から補填する事もない。


 今現在の改革は、原作の裏で――背景で起こっている事でしかなく、本編の動きに何ら関与しないからこそ、運命は変わらないと思っている。

 父は放蕩の末、賭博を行い、借金を作り――そして、その浅慮から没落するだろう。


 敢えて、その流れを変えようともしなかった。

 自業自得として、父と家族はその地位を失うのだ。


 原作の流れを運命というなら、そこに変化は訪れない。

 背景に多少の装飾や変化が起ころうとも、本筋となる流れは一切変わらないだけかもしれないのだ。


 変えよう、と思わなかったから、許された流れかもしれない。

 ――では。

 目の前で、無垢な表情をして微笑みを向けるエレオノーラは……。


 ――では、母を失わず、兄と良好な関係を築けるのだろうか。

 このままの流れなら、その期待が持てる。


 クリスティーナが特別な病に罹ったり、何者かに襲われたりしない限り、生きて別邸から出られるだろう。

 ――でも、本当に?


 それが分からないから、エレオノーラの笑顔に応じられない。

 本筋の流れが変わったと、変えられるのだと確信を持てるまで、安易に頷いてはならないと思ってしまうのだ。


 だが同時に、背景の装飾程度、どうとでも変えられるというのなら……。

 伯爵令嬢セイラ・バークレンが学園から追放された後、その行方について記述はなかった。


 背景はどう変わって構わない、というのなら……。

 ――私の未来は白紙のまま。

 それだけが唯一の救いだ。


 ……ではあるのだが、果たしてそう思って良いのか分からず懊悩する。

 エレオノーラとクリスティーナの穏やかな笑みを見て、不安が付きまとう未来に苦悩を思った。

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