未来への展望と渇望 その5

「私では駄目です」


「いえ、いえ……! そんな事は……!」


 クリスティーナにとっては、邸に移ってよりこちら、初めて得られるかもしれない味方だ。

 その手を離すまいと必死に寄って来るのだが、言いたいのは単なる拒絶ではない。


「私はエレオノーラ様を……そして貴方様を、救い出せる人を知っています。託せるとしたら、その人以外に有り得ません」


「そんな人、今更……」


「いるのです。貴女様のご子息、グスティン様です。彼は今も、母と妹を取り戻そうと奮起している筈……」


 俯きかけた顔が、そのとき力強く持ち上げられた。


「本当ですか……?」


「はい、グスティン様は母を恋しく思い、妹を憐れに思い、救い出そうとする努力を惜しんでいません。いつか必ず、助け出してくれます。それまで、どうか心を強くお持ち下さい……」


「本当に、あの子が……?」


「間違いなく。グスティン様は貴女方を愛しておられる。必ず、その時は来ますから。どうか、それを励みに耐えて下さい」


 クリスティーナの瞳からボロボロと涙が溢れ、遂にはしがみつかれて嗚咽を漏らす。

 いま言った事は本当だ。

 彼の心の内を原作で覗いているので、自信を持って口に出来る。


 グスティンは父と祖母を恨み、そして母と妹を憐れみ、常に取り戻したいと考えていた。

 彼は公爵邸で育ったが、愛されていた訳でなかった。


 嫡子だから、次期公爵だから、手元に置かれていたに過ぎない。

 各種教育、魔力と体力の訓練、そのいずれも高度であると同時に、幼子に施すには酷な内容だった。


 そんな彼が、母の愛を求めるのは必然だったろう。

 だが、彼には才能があり、挫ける事のない気概もあった。

 厳しい訓練と教育にも負けない強靭な意思で、自分が有能であれば母と妹を取り戻せるかもしれない、その道筋を逃さなかった。


 そうして父は領政すら息子に投げ出し、祖母は父の仕事を息子が手伝うのは当然、と戒めすらしなかった。

 領政の多くに手を出せる様になれば、母妹の救出は近付く。


 そうして領都警備兵と騎士団、双方の武力も手中に収めた時、遂に事故が起きる。

 僅か十六歳で爵位を得るという、早すぎる継承だったのは、その努力を怠らず邁進していたからに違いない。


「大丈夫、間違いなくグスティン様はやって来ます。これまでずっと辛抱して来たのに、いつまで続くのか、と思うのも当然です。……だから、二年。エレオノーラ様が入学出来る年になるまでには、この生活が終わると思って下さい」


「本当に……そうなるかしら……?」


 これまで幾度となく願っても与えられないものが、不意に落ちてくると言われば気弱にもなるだろう。

 だが、それに力強く頷いて見せる。


「来ます。必ず。だから信じて上げて下さい。私の言葉じゃなく、グスティン様の努力を」


「信じる……信じるわ。息子の事だもの。愛する……私の子だもの」


 再び泣き崩れて顔を覆う。

 しかし、今度の涙は悲哀からでなく、希望を得られた歓喜の涙だった。

 クリスティーナの手を持ち直し、その甲を優しく撫でた時、足音を立ててエレオノーラが帰って来た。


 母親が泣いている事に焦って近寄り、不安そうな顔で私の顔も覗いてくる。

 そこにクリスティーナ泣き笑いの表情で顔を上げて、エレオノーラの頭を優しく撫でた。


「……違うのよ。病気が治ったって……もう絶対大丈夫って教えて貰って、それで安心して、ちょっと泣いてしまったの」


「そうなのね! 妖精さん、ありがとうっ。それでね……」


 母の笑みにつられてエレオノーラも笑い、手に持った物を両手でこちらに突き出して来た。

 銀色のリボンで、その両端が青く染められている。

 材質もシルクのようで、帯の動きで綺羅びやかな光を反射していた。


「これ、貰って下さい。わたしの宝物だけど……、何かあげたいと思ったらこれしかなくて……」


「……でも、それって高価なんじゃない? 大事なものなら、尚の事……」


 エレオノーラ母娘の着る服には、ほつれを直した跡があったのには気付いている。

 古着さえ与えられず、着古した服を使っているのが当然の状態だ。

 リボンなどという装飾品、彼女にとっては滅多な事では手に入らない、貴重な物でもあるだろう。


 宝物というのは比喩でもなんでもなく、彼女にとって唯一大事に仕舞われていた物に違いなかった。

 それを差し出そうというだけで誠意は十分伝わったので、これを固辞しようとした。

 だが、エレオノーラは頑なだった。


「わたしはあなたと対等になりたいんだもの。いっつもお菓子を貰って、お薬も貰って……。だから、精一杯のお返しをしたいんです」


「お嬢様、そこまで言われて受け取らないのは、逆に非礼となるのでは?」


「あんたね、こういう時だけ何でそう……。分かったわよ」


 エレオノーラなりの精一杯に考え、誠意を形にしたものなのだ。

 それを突っ返す事は非礼に当たる、と言いたいカーリアの言も確かだった。

 余計な事を、と思いつつ、ここまで親しくなってしまえば今更か、という思いもする。


 ここまで積極的に関わっておいて、感謝も受け取らない訳にはいかないだろう。

 これが村の誰かなら、またご飯食べさせて、などという軽いノリで済まされる。

 しかし、ここでそういう訳にはいかない。


「感謝の印を、ありがたく受け取るわ。ありがとう、エレオノーラ様」


「友達なのに、様付けなんて……っ。ね、わたしたち、友達になれたでしょう?」


「んー……、それは……」


 チラ、とクリスティーナに目を向けると、困った笑みをエレオノーラに向けてから、こちらに頷き返してくる。

 その視線が意味するところは、娘と仲良くしてやって欲しい、というものだ。


「ま、まぁ……、そうかも。友達……かしらね」


「やった! ともだち! 初めてのともだちが妖精さんだなんて!」


「んんんー……、そこからしてズレてるけど……。いや、色々ズレてるんだけど……。クリスティーナ様、しっかり説明お願いしますよ」


 えぇ、とクリスティーナは笑顔で頷く。

 はしゃぐ娘を愛おしそうに見つめながら、それでもしっかりと頷いて見せた。


「正しい友人との付き合い方も含めて、よく教えておきましょう。これからも、足を運んでくれるのかしら」


「……頻度は少なくなるでしょうけど、そうしなければならないみたいですね……」


 エレオノーラの花咲く笑顔と、期待に満ちた表情を見せられたら、そうしない訳にもいかない。

 仕方なく項垂れていると、さらなる爆弾発言が飛び出した。


「わたし、外にも行ってみたい! ねぇ、お母様……お願いっ。塀の外を見てみたい」


「そればっかりは……」


 十年以上にも渡り、大人しくしていた母娘だ。

 だからこそ、監視の目も緩んでいるのだろうが、本当に抜け出した事実が明るみに出れば只では済まない。


 今の監禁状態も健全でないのは明らかだ。

 しかし、大人しく監禁されているから、生きるのを許されている、と見る事も出来る。

 悪意ある者――ここへ押し込めた者達に知られる事となれば、よほど厄介な種を運び入れる事になるだろう。


「それだけは、遠慮しておきなさい。ここは私達を閉じ込める檻……でも、身を守っている檻でもあるの。それに、もう少しの辛抱なのだから、我慢できるわね?」


「もう少し……? いつか、誰かが助けてくれる? 妖精さんじゃなくて?」


 希望に満ちた眼差しを、否定するのは辛い。

 だが、その役目は自分じゃない。

 それは確かだった。


 大体、無理に逃がす事は可能でも、逃がした先での生活を保障できない。

 生活だけでなく、命すら保障できないだろう。

 ほんの僅かな間だとしても、連れ出す危険性を思えば頷く訳にはいかなかった。


「連れ出すのは、あたしの役目じゃないからね。大丈夫、絶対にやって来るから。二年以内にはね」


「本当に……? 本当の本当に?」


「えぇ、だからそれまで辛抱して。これまで我慢したクリスティーナ様の努力も無駄にしちゃいけないわ」


 母親の名前を持ち出すと、流石にエレオノーラも我儘を引っ込めるしかないようだ。

 クリスティーナの顔色を窺って、間違いないと首肯されれば、今度は素直に身を引いた。


「分かった……我慢します。お母様の為だもの……」


「その代わり、妖精さんには沢山来て貰いましょう」


「ちょっ……、クリスティーナ様……!?」


 胸の前でポンと手を叩いた彼女に、引き攣った顔で手を伸ばす。

 頻繁に通っていたのは今更だが、姿を視認されていたかどうかは大きな違いだ。

 誰も入って来ていないと、もはや強弁する事も出来なくなる。


「貴女がたも、良くご存知でしょう? 滅多な事で人は来ません。テラス部屋では、尚の事そうです。迷惑にはなりませんよ」


「まぁ……誰か来ようにも、ウチのメイドが素早く察知するでしょうしね……」


 チラリと目を向ければ、澄ました顔で頷く。

 出来るメイドを装っているが、その実態は大きく掛け離れているので、見つかる前に逃げるなり、隠れるなりする事は簡単そうだ。


「まぁ、ここですっぱり関係性を断ち切るのも薄情だものね……。ただ、やっぱりそう頻繁には無理よ」


「えぇ……?」


「エレオノーラ、我儘はいけませんよ。これまでの数日が異常というのは確かなのですから」


 流石、締める所は締めるクリスティーナは、良く分かっている。

 普通の貴族の令嬢として、何かしら習い事や勉学に時間が割かれていると予想しているのだろう。


 彼女自身も通った道で、この年頃なら当然受けるべき教育環境を考慮して言ったに違いなかった。

 ただし、現実はまた少し違う。

 ただそれを、馬鹿正直に伝えるつもりもなかった。


「なるべく顔を見せられるようにするから。その時は、一緒に何かして遊びましょう」


「えぇ、きっと。約束ね?」


「えぇ、約束」


 エレオノーラがおずおずと、小指を立てた手を向けてくる。

 何をしたいかすぐに察して、同じく小指を立てて、その指に絡ませた。

 互いに腕を振って笑みを交わし、笑い声と共に指を切った。

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