未来への展望と渇望 その4

 それからの三日間、朝と夕の二回に分けて通い詰めた。

 毎度使用人を昏倒させて調理場を使う訳にもいかないので、冷えても消化に良い、胃に優しいものを用意し、薬草を滋養エキスに変えて飲んで貰うを繰り返した。


 最初は意識も混濁していたクリスティーナだが、抗菌作用も効いて来て、すぐさま受け答え出来る状態まで回復した。

 息をするのも苦しそうにしていた容態も、今はだいぶ落ち着きを取り戻している。


 それで一度はホッとしたのも束の間、その代わりに胸の痛みを訴えるようになった。

 エレオノーラは酷く焦ったが、これは村民の治療中にも良く見られた傾向だ。

 原因は肺の炎症であったり、咳をしすぎたせいで出る症状だったりする。


 あくまで一時的なもので、滋養エキスを摂取した上で静養していれば、自然に消えていくと知っている。

 エレオノーラに安心するよう強く言い含めると、これまでの信頼もあって、素直に冷静さを取り戻した。


 病気の時は心が弱まるものだ。

 辛い症状であればある程、もしかしたら、という不安がもたげて来る。


 普段から、ともすれば儚げに見えるクリスティーナの事だ。

 エレオノーラも日に日に衰弱する、母の姿を見るのは耐えられない気持ちだったろう。


 そのクリスティーナにしても、病の中にあって気が弱っていた筈だ。

 いつまでこの邸に押し込められなくてはならないのか、死ぬまでここにいるのではないか、その不安が目の前に押し寄せて来たのではないか。


 諦めた方が楽になる、と思った事もあるかもしれない。

 しかし、そんな時いつでもエレオノーラが傍に居た。

 寝る間も惜しんで汗を拭い、額の布巾を取り替えて、献身的な看護をした。


 その甲斐あって、枕元で励ます声が、クリスティーナを見事に快復させたのだった。


 四日目の朝にはすっかり復調していて、未だベッドの上で上半身を起こすに留めているものの、その顔は晴れやかなものになっている。

 長く臥せっていたから、少し痩せたようだが、これから少し肉を多めに食べていけば順調に戻っていくだろう。


 脈と熱を診て判断し、そう伝えるとクリスティーナはしっかりと頭を下げてから、礼を口にした。


「本当に、どうもありがとう。わたくしが命を拾ったのは、貴女のお陰です。言葉だけでは到底足りず、何か形ある礼をしたいと思うのですが、勝手を出来る財産もなく……。申し訳なく思います」


「やりたくてやった事、気にしなくて結構ですわ。それに、お礼なら娘さんに言って下さいな。その献身的な介護あってこそ、今の快復があるんですから」


「そう、そうね……。エレオノーラ、愛しい子……。貴女のお陰ね……」


 手を伸ばしてその頭を優しく撫で、切なげな笑みを浮かべる。

 エレオノーラはその手を両手で取って、頬に添えて笑った。

 嬉し泣きで涙が浮かび、母の快復を心から喜んでいる。


「はい……っ。本当に、良かった……お母様っ! 助けてくれるのは、もう妖精さんしかいないと思って……! 勝手に招き入れてごめんなさい」


「いいえ、いいの。もしかすると、貴女を残して逝ってしまったのかもしれないのだもの。それを思うと、何より恐ろしい。この寒々しい邸に、貴女一人が残されるなんて……」


 慈しむ表情の中に悲哀を混ぜて、頬に添えた手を優しく動かす。

 そうして、顔を上げてこちらに改めて視線を向けた。


「改めて、お礼申し上げるわ。今回の事だけじゃなく、幾度となく葉包の贈り物を頂いて……。あの日から娘の顔にも、頻繁に笑顔が浮かぶようになったのよ。鬱屈としていた空気も、それで随分和らいで……。妖精さんと友達になれたのが嬉しかったのね」


「あぁ、うん……なるほど」


 友達と言われて、どう返して良いか分からず困惑する。

 立場上、それを素直に認めてしまっては拙い。

 何しろバークレン家の長女が、接触不可を言い渡されている邸内へ入り込んでいるのだ。


 我が家の立場が悪くなるのは別に良いが、それを報せなかった彼女ら母娘にも咎が及ぶとなれば話は別だ。

 命は助かっても、その後の生活が牢内のごとく悪化する様な事があれば、申し訳ないでは済まない。


「……何と申しますか、妖精のする事ですから。あまり深く考えず、虫に刺された程度と思って下されば……」


「まぁ……! 恩人にそんなこと考えられないわ。でも、そう……不思議には思っていたのよ。外からの侵入は難しいのに、どうやっていつも来ていたのか」


「そう言われてみれば……」


 今までは母優先で、細かい事は後回しと考えていたらしい。

 エレオノーラまで不思議そうな顔をして、私とカーリアを交互に見つめて来た。


 女二人、正門も使わず侵入と退出を繰り返されては、防犯の意味でも問題だ。

 とはいえ、警備兵も居ないのだから、しっかりと準備すれば誰でも登れてしまう。

 だが、それらしき物も無く出入りしているとあっては、不気味ですらあるだろう。


「妖精のする事ですから。塀など有って無い様なものです」


「ふふっ、そうだったわね。確かに、妖精には関係の無い話でした」


「えぇ……っ!? じゃ、じゃあ本当に?」


 クリスティーナは流石に素早く機微を感じ取って、曖昧にしておいた方が良いと悟った。

 しかし、未だ世知に疎く純粋なエレオノーラは、二人の会話をすっかり信じ込んでしまった。


「……中々面倒な話なので、お母様から聞くと良いでしょう。……既に、多く気付いていらっしゃるようですから」


「そういう訳でもなかったけれど、そうね……。これはエレオノーラもしっかり把握しておくべき事。後でゆっくり、その辺りを説明しましょうね」


「はい、お母様。でも、えぇと……どういう事? 妖精さんじゃないの? メイドの妖精さん、いっつも気付いたら消えたりしてるし……んん?」


 やけに妖精について強く確信してると思ったら、それに一役買っていたのは、カーリアの神出鬼没さにあったらしい。

 高い隠密能力と、気配を隠し感じさせない隠伏能力が、その神秘性を演出してしまったのだろう。


 最初の出会いも強烈だった。

 知らない筈の食料庫から麦を持ち出して勝手に料理したり、シーツを我が物顔で持ってきていたりと、エレオノーラの常識からは考えられない事のオンパレードだった。

 確かにこれでは、只でさえ外の世界を知らない彼女は、勘違いしても仕方がない。


「あんたの所為でしょ、上手くフォローしなさいよ」


「そもそも、お嬢様が見つからなければ良かった話では?」


「うるさいわね、あんたが――いえ、今は止めときましょう。不毛だわ」


「然様ですね」


 二人で顔を合わせて頷くと、エレオノーラ母娘から、くすくすと押し殺した笑い声が漏れた。

 エレオノーラの前では今更だが、クリスティーナの前でも見せる醜態ではなかったな、と反省する。

 そこへクリスティーナが隠しきれない笑顔で言ってきた。


「主従と思えぬ気安い関係……。娘から聞いていた通りね。私の愛しい子にも、そうした友を作ってやれたら良かったのに」


「お母様、私と妖精さんは友達じゃないの?」


「難しい問題ね、それは……」


「妖精さんと人間は友達になれない?」


「……そうじゃないの。対等というのはね、本当に難しい事なのよ。いつも貰ってばかりじゃ、対等とは言えないでしょう? そしてあなたは、常に受け取る側なのよ」


 そうは言っても、エレオノーラは全くピンと来てない様だ。

 クリスティーナの言い方も、例えも敢えて曖昧にした言い方だったのも、その原因だろう。


 貴族として教育を受けたなら、そうした知己には長けていなければならない。

 だが、生憎この場所に押し込められている事を考えても、その知恵が身に付く環境ではなかった。


 エレオノーラは意を決した顔をすると、慌ただしく部屋を出て行ってしまった。

 客人がいる前で、断りもなく退室するのはマナー違反だ。

 やはり、そういう所を見ても幾分、教育が足りていない。


 だが、クリスティーナはこのタイミングを良い機会と思ったようだ。

 改めて背筋を伸ばし、深く頭を下げて礼を述べた。


「礼を言います、バークレン伯爵令嬢。この命だけでなく、娘にまで気を掛けて貰って。正式なもてなしも出来ない私を、どうか許して下さい」


「……知ってたんですか」


「いえ、確信したのは今です」


「あら、見事に引っ掛けられてしまったのですね。でも、私が伯爵家の人間とは限らなかった筈ですが」


 クリスティーナはゆっくりと頷く。

 見せる眼差しも母親ではなく、公爵夫人の凛としたものだ。

 彼女は今、その正統な栄誉に属していないが、そうあるべきとした態度を取っている。


「どこか近くの豪商の娘、その可能性もありました。でも、まず思うのは、この邸宅が伯爵領に置かれているという事……。接触禁止令も強く出ていた筈で、ならば関係ないと見るべきとも思いました」


「そうですね、ここは禁足地に近い扱いです。父ですら……いえ、父だからこそ、ここを話題に上げる事すらしません」


「でも、貴女の来訪はいつだって魔力の感知と共にありました。上手く誤魔化していたけれど、寝ている事しか出来ないこの身……。普段より余程、敏感になっていました」


「あぁ……、なるほど。じゃあ、貴族としか考えられないし、だったらまず考えられるのがウチしかないと。カマ掛けするなら、まず第一候補になりますね」


 クリスティーナはまたもゆっくりと頷き、それからまた頭を下げた。

 名ばかりの公爵夫人だとしても、そうも気安く下げるものではない。

 手を伸ばして無理やり身体を起こさせれば、感謝の眼差しと共に手を重ねられた。


「貴女の様な人が、近くに居てくれて良かった……。ここでは噂話すらロクに入って来ないけれど、バークレンには敵しかいないと思っていたから……」


「それはあながち、間違いじゃないと思います」


「でも、貴女がいる。ただ一人でも、心を寄り添って親身になってくれる人が……。貴女に、どうかお願いしたいのです。娘を……エレオノーラを、どうか……」


 触れた手には徐々に力が増してきて、次第にそれが震えて来る。

 病の所為もあり、万全でないからだろうか。

 それとも、拒絶されるのを恐れてのものか……。


 その手をやんわりと外しながら、クリスティーナの目を正面から見つめる。

 それから、拒絶の言葉を口にした。

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