守るべきもの その7
突然の提案は、カーリアにとってひどく突飛に聞こえたらしい。
小首を傾げて問い掛けて来る。
「何故でしょう、とお訊きしても?」
「そこに公爵令嬢、エレオノーラがいるからよ」
「あぁ、別邸というのはそっちの……。でも、やっぱり意味が分かりません。そのご令嬢にどうした理由があって、お会いしたいのでしょうか」
「学園でいびられ、捨てられる事になるからよ」
カーリアは珍しく顔を歪めて、眉根を顰める。
顎先に指を当てつつ、目を細めて重ねて問い掛けてきた。
「……未来は先読みできないものでは?」
「当たり前でしょ、うるさいわね。いいから、今の内に行くのよ。そこで足蹴の一つでもくれてやれば、溜飲が下がるかもしれないわ。未来に出来ない分、今しておくのよ」
「発言の内容が滅茶苦茶です。えぇと、まず未来に出来ない、というのは……」
カーリアなりに努力して、理解しようとしているのは、眉間に寄ったシワの数からも分かる。
しかし、ご丁寧に答えられる内容でもなかった。
言うなれば子供の稚気でしかないのだが、渦巻く感情はとにかくやってやろうという気概に溢れているのだ。
「うるさい、聞くな! 答えられないんだから! あたしは行く! あんたはどうする!? 来るの? 来ないの?」
「付いて行くしかないでしょう。嫌ですけど。一応、お目付け役なんですから。嫌ですけど」
「二度も言わなくていいの! 別にあんたが来なくても、あたし一人で行くけどね!」
「でも、いま行くのは許されないんじゃないですかね?」
「いらないわよ、あんたの許可なんか!」
語気を荒らげて言い放つと、無表情に戻ったカーリアが畑を指差す。
「まだ畑の修復、終わってないじゃないですか。せめて、そっちを先に済ませてからにして下さい」
「……そうね。それはそう。じゃ、明日から行くわ」
何ともバツが悪く、居心地も悪い。
何より決まりが悪かった。
そして、頬に刺さるカーリアの視線も痛い。
だが、とにかくそういう事になった。
その日は昼食後から精力的に働き、無事に修復も完了させる。
夕方にも騎士達が討伐を終えて、その死体を荷車に移し運んでいる所も見られた。
魔獣の素材は高く売れる。
毛皮や爪は勿論、赤熊の肝は薬としても重宝されるから、活動資金の足しにするのかもしれない。
肉の一部は村にも下げ渡され、今日は鍋にしようと、沸き立つ村人の姿も見られた。
その日はカーリア共々、鍋パーティに招待され、野性味溢れる味に舌鼓を打ち、それから帰路に着いた。
そして、宣言通り翌日、伯爵領にある公爵家別邸へと足を向けた。
※※※
公爵令嬢エレオノーラについて、知っている事は少ない。
幼少期は病弱を理由に、一切の社交に出て来なかったと原作にはある。
本来ならば母共々、王家と親しくしている筈だし、度々登城しては多くの貴族と懇意にしている立場だ。
あまりに姿を見せないので、石牢にでも閉じ込められているのだ、と社交界で噂される程だった。
実際、エレオノーラの母、クリスティーナは病に倒れる。
心労が祟り、心を病むと身体まで弱り、次第に衰弱して死んでしまうのだ。
まだ幼い時分のエレオノーラと共に、華やぐ場所から追いやられ、日陰に置かれて忘れ去られた状況は、さぞ心を痛めたに違いない。
開放されるのはグスティンが爵位を継承してからだが、その時には既に亡くなっていた。
グスティンは母の死をそのとき初めて知り、失意の涙を流す。
そしてエレオノーラは、もっと早く助けてくれてたら、と詰るのだ。
母と違い、エレオノーラは健康だった。
家の外へは出られず、中庭程度までしか歩けない環境だったので、筋力的には同世代より劣る部分はあった。
しかし、日に焼ける事のない生活だったから肌は白く、そして儚げに見える母譲りの美貌は多くの男性を虜にした。
自分の美貌に自信を持ったのか、そこから王子殿下へのアプローチが過激化していく。
物語のヒロインであるソフィアへ、仄かな恋心を抱いていた王子は大層迷惑がっていた。
大抵の場合袖にされ、エレオノーラとは距離を取ろうとするのに対し、ソフィアへは親しげに会話しようとする。
業を煮やすエレオノーラは、男爵令嬢でしかないソフィアと、公爵令嬢である自分、どちらが妃に相応しい立場かと言って迫るのだ。
――まぁ、よくある話だ。
そして、王子殿下に婚約者は、その時点でいなかった。
もしも、幼い頃から親しくなれる環境にあれば、自分が婚約者になっていた、と主張するのだ。
そして、それはきっと間違いない事実でもあったろう。
持論に自信があったからだろうか。
そうして、エレノーラは己の魅力で振り返らない王子に業を煮やし、ソフィア排除の方向へ舵を切る。
過激化したところで目に余るとされ、エレノーラは最終的に断罪される。
自由になって一年程度、そこからまた別邸へと逆戻りとなり、再び幽閉されてしまうのだ。
今度は中庭にも出られない、以前よりずっと厳しい監禁生活を強いられる。
……悲惨な結末だ。
学園では強権を振り回し、恫喝同然の事をしていたのも、貴族の振る舞いとして正しくなかった。
公爵家の名を貶める行為でもあり、グスティンの養護と庇いたてがあっても、完全な封殺は不可能だった。
彼には母を死なせた、妹を別邸から救い出せなかった負い目があり、強く諌める事も出来なかったのだ。
屋敷へ幽閉の刑に処す、という形も、本来ならば随分と緩い処罰ではある。
だが、エレノーラはようやく、そこから自由になったばかりだったのだ。
彼女にとっては実際より余程重い罰となるのだが、それを知るのはグスティンと彼女自身だけだろう。
それを思えば、胸が梳くのと似た思いもするのだが――。
この場合、グスティンもまた可哀想だ。
グスティンも本来、ようやく祖母のエリーザベトから、母と妹を救い出せると思っていた。
これで家族と呼べる、心許せる存在を得られると希望を抱いていたのだ。
母と再会し、逢いたかったと、抱擁し合う光景を脳裏に描いていた。
まだ会った事のない、年の近い妹へも、血を分けた兄妹として支え合って生きていきたいと思っていた。
だがそれも、最悪の再会の果てに絶望を知る。
母の死はおろか、ろくな葬儀もなく葬られていたと、直面してしまうからだ。
その後は、妹からは拒絶され会話を重ねられず、そして一年という短い時間で、また離れ離れになってしまう。
悪役令嬢エレオノーラがその後どうなったか、作中では明らかになっていない。
だが、貴族の刑罰として、幽閉は軽い処罰だ。
三年程度の謹慎で、また再び自由に生活できる様にはなるだろう。
婚期も逃し、傷持ちの令嬢となれば、積極的に婚姻を望む家は少ない。
幾ら公爵家と繋がりが出来るとはいえ、簡単とはいかないだろう。
明るい将来は到底、期待できない。
そして、グスティンはそれを歯痒くも思う筈だ。
領主としては有能で、公爵としての品位も損なわない清廉な人物。
しかしそれは、プライベートの――私人としての生活を一切捨てた、ロボットの様な人物だから出来た事だ。
――それを憐れに思う。
彼は有能である事を求められていたが、そうして仕事に打ち込む以外、他に道が無かっただけなのかもしれない。
氷の貴公子と呼ばれていた所以も、そう思えば実に悲しい。
彼を助けたいと思う反面、下手な首を突っ込むな、と冷静な部分が囁きかけて来る。
――どうしたものか……。
現在は、既に公爵家の別邸までやって来ていた。
中庭にまで侵入し、そこの植木の陰に隠れながらも、公爵一家の背景を思い返すにつれ葛藤が生まれる。
作中の出来事を一つ一つ思い出し、そうして思いを寄せるにつけ、自分が本当にしたい事が分からなくなった。
いや、分かっている。ウサを晴らしたいだけだ。
そう思っていた。
自分の身に襲う理不尽に対する、この先受けるかもしれない事件に対する怒りを、どこかにぶつけたいだけなのだと。
衝動に突き動かされて、勢いのままここに来てしまったが、果たして本当に良かったのだろうか。
改めて、周囲の状況を見渡す。
別邸自体は大きな作りで、貴族所有と一目で分かる外観をしていた。
使用人も同じ家で住み込めるつくりだから、部屋の数に応じて窓の数も多い。
ふんだんにガラスを使えるのは、それだけ裕福な証だ。
二階建てで屋根は大きいのは、きっと屋根裏部屋があるからだろう。
漆喰で作られた白い壁と、それと対を成すような黒い木で枠組みを作られた家は、まるでメルヘンの国から出て来たかに見える。
花壇や庭木も良く整えられているから、恐らく家の中も同様、綺麗に整えられているに違いない。
生活そのものだけを見れば、そう悪い暮らしはしていなさそうだ。
気になる点があるとすれば、人の気配が全くしない事だった。
父が別邸の警護を任されている筈なのに、ここには兵士らしき姿も、警護している何者かの姿も見えない。
邸宅内には勿論、使用人などもいるのだろうが、到底それで十分とは思えなかった。
だが、本当に警護する必要があるのなら、そもそも伯爵領ではなく、公爵領で責任を持って管理するだろう。
公爵閣下の――というより、その母君であるエリーザベトが傍にいて欲しくないから、こうした措置を取ったに違いなかった。
もしも強盗がやって来ても、それはそれで不幸な事故だったと、嘆くフリして蔭で笑うつもりかもしれない。
エレオノーラに一撃、食らわせる――。
思い付いたその時は、自分の行いは正しいと思っていた。
しかし、冷静になった今は、衝動に突き動かされて攻撃する気が失せていた。
大体、いざやろうと思っても、実に前途多難だ。
邸の中に押し入るか、彼女が中庭に出て来るまで、辛抱強く待っていなくてはならない。
踏み入るには危険すぎ、かといって待ち続けるのも悠長だ。
いつ来るとも知れないものを、空を見上げて待っていろとでも言うのだろうか。
ここに来て、公爵令嬢に一撃加えるのは最早、無理だと気付いた。
「……お気付きになられたようですね。幸い、警護する者は外にいませんでしたが、中にまで居ないとは限りません」
「この感じじゃ、その線だって薄そうだけど。あんたみたいに護衛兼……って奴だって……。まぁ、考えすぎかしらね……」
「気配を探る感じでは、確かにいそうにありませんけど」
そう聞いて、即座にピンと来た。
カーリアは遠く離れた人の気配を探れるし、屋内に人がいるかどうかまで、高い精度で見抜ける。
では、エレオノーラの居場所も同様に、見つけられるのではないだろうか。
「……どうなの? エレオノーラだけ探せる?」
「その方の気配を知りませんので、正確には無理です。というか、私に犯罪の片棒を担がせる気ですか……」
「そんなの、ここまで侵入してるんだから同じ事でしょ。いいから、やんなさいよ。例えば子供の気配とか、周りより小さいとか、そういう部分から察知できない?」
「……出来なくはないですけど」
目線でやれ、と指示すると、カーリアは数秒目を閉じてから、先導するように歩き出した。
向かった先は邸宅を大回りした裏口方面で、そこはガラス張りの屋内テラスになっていた。
部屋の腰から下は変わらぬ作りなのだが、そこより上は天井までガラス張りで、空高くまで見渡せるようになっている。
キャンバススタンドに置かれた描きかけの絵、周囲に置かれた画材などを見るに、どうやら公爵夫人は絵を愛する人柄の様だ。
キャンバス前に今は人がおらず、その代わりガラスから漏れる声が聞こえていた。
一つは女性、一つは子供のものだから、そこにエレオノーラ親子がいるのだろう。
そっと近寄って、中の様子を盗み見る。
そこでは美しい銀髪を翻し踊る夫人と、夫人をそのまま幼くしたような、真似して踊るエレオノーラの姿があった。
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