守るべきもの その8

 クリスティーナ夫人とエレオノーラが、広い室内で踊っている。

 見る限り、どうやらダンスの練習中らしかった。

 社交界において、ダンスの教養は必須科目だ。


 本来は公爵夫人たるその人自ら、手解きするものではない。

 講師など幾らでも雇える身分だろうに、手ずから教えているのは、この邸宅に訪れる者がいないからだろう。


 それでも、いつか役立つと信じて、あぁして教え込んでいるのだ。

 一見すると、それは幸せな一コマにも見える。

 子を怒鳴りつけて教え込んでいる訳でもなく、鬼の様な練習を課している訳でもない。


「ねぇ、お母様、ちゃんと出来てる? 変じゃない?」


「とってもお上手よ。そう、歩幅に気を付けて。目を瞑っても出来るように……顎を下げて」


 互いに踊りを見せ合っては、息抜きに楽しく踊って遊んでいるようにも見えた。

 ダンス用の部屋でもないだろうに、十分広いその部屋は、確かに踊るのにうってつけだ。

 傍から見ると、なに不自由なく暮らしているように見えるが、そうではないと直ぐに分かった。


 ここに居るのは、正当な公爵夫人と公爵令嬢だ。

 その二人が、何度も洗って着崩れた服を着ている。

 元が良いドレスだったからこそ、一見すれば良い物に見えてしまうが、裾を見ると縫い直した跡も窺えた。


 衣食住に困窮しない、ギリギリ最低限の生活――。

 それがここで提供される全て、という気がした。


 エレオノーラは勿論、クリスティーナまで肌は白く細い。

 だがこれは、決して自らを綺麗に見せる為ではなく、それだけの食しか与えられてないからだと分かった。


 牢獄に近い生活をさせるだけでなく、それ以外にも多くの不自由を強いられている様だ。

 クリスティーナの娘に向ける視線は優しく、また物哀しい。

 エレオノーラはこれが普通と思っているから、素直に受け入れている。

 しかし、これは本来の貴族生活と、当然受け取るべき公爵令嬢の扱いからは掛け離れたものだ。


 その悲哀が、愛情を向けるクリスティーナの視線から漏れ出していた。

 そして、唐突にその動きが止まる。

 エレオノーラも敏感に感じ取って動きを止めた。


「お母様、どうしたの? 何か間違えた?」


「……違うのよ、ごめんなさい……」


「……悲しいの?」


 クリスティーナが泣きそうな顔を浮かべると、エレオノーラの顔もまた歪む。


「お母様、泣かないで……」


「大丈夫、大丈夫……」


 それは娘をあやすというより、自分に言い聞かせているかの様だった。

 クリスティーナが背を屈めてエレオノーラを抱き締めると、その背を優しく撫で始める。

 しかし、感極まってしまったのか、次第に嗚咽が混じり始めた。


「お母様……?」


「どうかあなたは、王子殿下と一緒になって……。王族になれば、エリーザベト様も文句を言えなくなる。どうか母を、ここから助けて……」


「お母様、泣かないで……」


 悲哀が伝染したかのように、エレオノーラも母に抱き着いて泣き始めた。

 覗き見に顔半分出していたのを元に戻し、唸りそうになる声を抑えながら座り込む。


 悪役令嬢の役割などそんなものだ、と深く考えてこなかった。

 王子に執着を見せるのも、良くある定番に過ぎない、と……。

 一番の権力者に特別視されれば、自尊心が満たされる。


 愛情が本物だとしても、ヒロインへの過剰な排斥は、そうした気持ちが根底にあるのかも、などと考えていた。

 何より小説の物語なのだ。


 特別な事情などなくとも、意地悪するキャラクターとして求められただけ、と考えるだけで十分だ。

 ――しかし。


 しかし、エレオノーラの真実を知ってしまった今となっては、大分心境が異なる。

 彼女は亡き母親の願いを叶えようと必死だっただけだ。

 原作において、母を救い出すことは永遠に叶わない。


 それでも、母が願った王子殿下との婚姻は、叶えられるかもしれない。

 それに必死なあまり、やり方を間違ってしまったのだろう。

 エレオノーラの取り巻きも、また良くなかった。


 完全なイエスマンで、不興を買わないよう宥める事すらしない。

 グスティンの改革が進行中で、公爵の代替わりが発生したばかりだった所為もあるだろう。


 取り入る事を優先して、必要な事を教えなかった。

 元より社交界デビューもしていないエレオノーラだ。

 何を許されて、どこまでが許されないのか、その基準さえ持たなかったに違いない。


 そして、その取り巻きの一人はセイラだった。

 分家筆頭として、同じ年の公爵令嬢の元に付き、ご機嫌伺いしていたのは当然だったろう。

 父の性格からしても、上手く取り入れと言われて不思議ではない。


 他の家についても同様で……いや、もしかすると――。

 公爵家への失点を与える為に、あえて唆した可能性もある。

 何も知らないエレオノーラだからこそ、上手く転がせたかもしれない。


 次々と果断な決定を下すグスティンに、我が身可愛さで突き崩そうと思えば、その妹から……と考えるのは有り得そうな話だ。

 とはいえ、これら全ては妄想の類いでしかない。


 実際のところは、完全にエレオノーラが暴走した結果かもしれない。

 だが、きっと彼女は単に必死だっただけだと思う。

 母と互いに抱きしめ合いながら、泣いている姿が瞼から消えてくれない。


 知ってしまったからには、無下にも出来なくなった。

 鬱々とした気分のまま、四つん這いになって屋内テラスから離れ、見つからない距離で立ち上がる。


 壁伝いに歩き、再び中庭へと帰って来た。

 途中、窓から廊下の様子など見えていたが、使用人らしき人物の姿は、終ぞ一度も出会わなかった。


「邸宅には何人いた?」


「あの御二方を除いて、二人です」


「……少なすぎるわ」


 邸の規模に対して、たった二人は少なすぎる。

 それこそ、料理洗濯程度はやってくれるのだろうが、中庭までは整えていられないのではないか。

 広大な邸は掃除するだけでも一苦労で、大半の時間はそちらに割かれている筈だ。


 もしかすると、花壇に植えられた花などは、彼女ら自身で育てているのかもしれない。

 公爵夫人や令嬢に相応しいと思えないが、鬱屈とした生活をしていれば、良い気分転換になるだろう。


 来た時には気付けなかったが、花が綺麗に一列になっていなかったり、植木が綺麗に刈られていなかったりと、その片鱗は窺える。

 もしかすると、使用人がやっているのかもしれなかったが、さりとて専門職の手によるものでないのは確かだった。


 また一つ、要らぬことに気付いてしまって、逃げるようにして邸宅を去る。

 後から付いて来るカーリアも、しばらく無言で付いて来ていた。

 そうして、邸宅が遠く見えるようになってから、改めて問い掛けて来た。


「公爵家のご令嬢を、蹴り付けるんじゃなかったんですか?」


「あれ聞かされた後にやったら、単なる外道でしょ!?」


「ですから、お嬢様なら躊躇なく――いえ、これ以上は止めておきましょう」


「もう大部分言っちゃってるじゃないのよ! もう全部、なに言いたいか伝わってるから!」


 がなり立てて吠えても、カーリアはどこ吹く風で遠くを見ている。

 掴み掛かってやろうかと思ったが、どうせ通じないと分かっているので、睨み付けて鼻を鳴らした。


「……それで、どうなさるおつもりで?」


「どうしたもんかと思ってる所よ。根本的な解決は、あたしには無理だし」


「そもそも、伯爵家預かりとなってはいるものの、お嬢様であっても侵入したのは大問題ではないですか?」


「そうね、知られたら拙いわ。けど、あたしの顔は知られていないし、村娘の格好をしているから、尚更伯爵家から来たとは思われないでしょ」


 基本的に令嬢のドレスに身を包まないので、今ではすっかりこの格好になってしまった。

 肌はすっかり焼けて健康的な色味をしているし、何かと農作業を手伝うので、筋力もそこそこ付いている。


 ご令嬢と見られる事はほぼなく、村人が迷い込んできたと思われるのが落ちだった。

 警備兵も居ないなら、まず大事にはならないと思うから、その部分は安心材料だ。


「それは結構な事ですが、それで結局、どうされるんですか……? 満足したからもう行かない、と言ってくれるのを期待しているんですけど」


「そうはしないって、あんたも分かってるんでしょ? あの人たち二人を連れ出したところで解決しないし、公爵家に知られて大捜索とかなったら、更に拙いわ」


「では結局、静観するしかない、という事にしかならないのでは……」


「まぁ、そうなんだけどねぇ……」


 クリスティーナ夫人の目的は、そもそも正式に公爵家へ迎え入れられる事だろう。

 今も夫を愛しているかは知らないが、息子の事は愛している筈。

 正式な形で再会させてやるのが一番だと分かっても、その方法がない。


 無理して出会えるようなら、グスティンだって多少強引な手でも良いから、邸宅を訪れるぐらいはした筈だ。

 それをしていないのなら、つまり出来ないと考える方が自然だった。


 そして、連れ出したのが伯爵家の娘と知られると、家中の者にまで迷惑が掛かる。

 両親に一矢報いるには有効な手段だが、そこで暮らす使用人にも類が及ぶと思えば、強引な手段も憚られた。

 かつての自分なら、そうした報いの受けさせ方を、選択肢の一つとして選んだだろう。


 しかし、今となってはオルガスやカーリアの生活を壊してまで、成し遂げようというつもりはなくなった。

 バークレン家の人間はどうでも良いが、それ以上に類が及ぶのは避けたい。


 そうとなれば、あまり大胆な手は打てなかった。

 グスティンと無事な再会を――。


 あの姿を見せられてから、尚更強く思うようになった。

 簡単に無理だと諦めてしまう前に、何か出来ないか考えてみる必要はある。


「でもとりあえずは、様子見ね。陰ながら応援……なんてらしくないし、他の手を打ちたいところだけど、何が出来るかも分からない状態じゃあね……」


「では……まさか、これからも通うおつもりですか?」


「そのおつもりよ。同情できる点は多々あるし、悲劇を悲劇のまま終わらせるのも性に合わないわ」


 それに、と一度言葉を区切り、一拍置いて言葉を続ける。


「たとえ嫌われ役の悪役令嬢だろうと、幸福になる権利があるの。このあたしの様にね!」


 堂々たる宣言のつもりだったが、カーリアからの反応は悪い。

 だが、関係ない。

 分かる者だけ分かれば良いのだ。

 理解を拒絶するような渋面を浮かべるカーリアに、とびっきりの笑顔を見せて拳を握った。

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