幕間 〜エレオノーラの回顧〜

 生まれてから、ずっとお母様と二人での生活だった。

 使用人もいるけれど、あの人達と会話してはいけないらしい。

 こちらから話すのも、話し掛けられるのも駄目だと教えられた。


 何故と訊いた事もあったけど、それが決まりだからと、詳しい事まで教えてくれなかった。

 一緒に居ても、居ない人だと考えなければいけない。


 部屋の掃除だったり、料理を作ってくれたりする……でも家族とは違う誰か。

 あちらからも、決して話してくれたりはしない。


 どうしても我慢できず一度、どうして、と使用人に訊いてみた事がある。

 その時も、申し訳なさそうな目をするだけで、逃げる様に去って行っただけだった。


 おかしいな、不思議だな、とは思う。

 でも、不満には思わなかった。

 何故なら、一緒に過ごすお母様がいる。


 綺麗で優しい、大好きなお母様がいるから、不満なんてなかった。

 いつも優しく抱き留めてくれるし、色々なお話を聞かせてくれて、そして何でも教えてくれる先生でもあった。


 勉強や行儀作法、ダンスに刺繍、淑女には必要なこと全てを、お母様から教わった。

 勉強と作法の時は、お母様はちょっと怖くなる。

 駄目な時は駄目と、厳しく指導されるけど、いつでも最後には良く出来ましたと褒めてくれる。


 自分の事の様に喜んでくれるから、もっと頑張ろうと思えるし、そしてちゃんと出来たらお母様は嬉しそうに笑った。

 だから、厳しいのは嫌だけど、一杯頑張ろうって気になる。


 お母様は多趣味で、本当に色んな事が出来る。

 絵を描いてお家からじゃ見えない風景を教えてくれたり、刺繍で綺麗な図案を描いたり……。


 お母様がピアノを弾いて、一緒にお歌を歌うのも大好きだ。

 時々はお庭に出て、一緒に花壇のお花に水やりをしたりもする。

 お母様を手伝って、花を植える事もあって、土を触る感触が楽しい。


 歌って、踊って、勉強して。

 そして時々、行儀作法に厳しくて……。

 お家の中で暮らしているのに不満はないけど、それでもやっぱり、不思議に思う事はある。


「ねぇ、お母様? どうして塀の外には出ちゃ行けないの?」


「それはね、外はとっても危ないからよ」


「そうなの? でも、マーサは外に出て行くわ」


「使用人はいいの。怪我しても、危険な事をしていいって、許されてるからよ」


「誰に……?」


「本邸の人たちに、かしらね……」


 お母様は『ホンテイ』の話をすると、決まって悲しむ。

 綺麗な顔を歪めて、そっと抱き締めてくれるけど、いつだってその身体は震えていた。


 必ず抱き締めてくるのは、その泣き顔を見せたくないからだ。

 そうだと気付いたのは、一体いつからだったろう。


 わたしはお母様を悲しませたくなくて、ぎゅうぎゅうと抱き締め返す。

 お母様が悲しいと、こっちまで悲しい。


「お母様、元気だして」


「そうね、ごめんなさい。ごめんなさいね……」


 それからというもの、外に出たいと思いつつ、口にするのは止めにした。

 危険と言いつつ、マーサやベッテが怪我して帰って来た事はない。

 それでも、お母様が駄目というから我慢した。


 お家は塀で囲まれていても、鉄柵が置かれている部分もあって、外の景色が全く見えない訳じゃない。

 そこから遠くに見える森や道には、時折人が通る。


 馬に乗って鎧を着込んだ人たちが、森に入る所を見た事もあった。

 そういう時は、大抵夕方頃になると獣の死体も一緒で、危険は本当にあるんだと実感する。


 鎧の人たちは、きっとその危険を遠ざける仕事をしているのだろう。

 その人たちと一緒なら、外に出られるかも、と言った事がある。

 その場合でも、やっぱりお母様の返事は変わらなかった。


「そうね、その人たちと一緒なら、きっと心強いわね。でも、迷惑になるから、窓辺に近寄るのも止めましょうね」


「お庭にいる時も? 隠れなきゃ駄目?」


「えぇ、迷惑になってしまうわ。互いに顔を見せない方が、一番何事もないの」


「はぁい……」


 お母様は時々、理屈に合わない事を言う。

 でも、そういう時はいつも『ホンテイ』絡みだと知っていた。

 だからきっと、鎧の人も悲しませる事しかして来ないのだろう。


 そう思うと、今度からはしっかり隠れなきゃって思う。

 お母様を悲しませるものは嫌いだ。

 だから、鎧の人も嫌いでいる方がいい。


 お母様が『ホンテイ』の事を語る時は、いつも悲しい顔をするけれど、その中でも一つだけ例外があった。

 それがお兄様を語る時だった。


 まだ幼い時から引き離されたそうだけど、お母様にとって子供である事は変わらず、そしてわたし同様愛してもいるらしい。


「あなたより一歳年上のお兄様よ。きっと今頃、素敵な紳士になっているわ」


 具体的にどんな姿で、どういう性格をしているのか、お母様も知らない。

 だから想像で語るしか無いけど、立派な紳士なら……お母様に愛される人なら、助けてくれても良いのに、と思う。


 わたしもお母様に愛されてる。

 一度も会った事もないし、どういう人かも知らないけど……。

 お母様が愛しているなら、味方であって欲しいと思う。


 テラスの窓から外を見上げて、悲しみを押し殺している姿は見たくない。

 お兄様が本当に味方なら、きっと助けてくれる筈だ。

 でも、そう思ってるのは、私たちだけなのかも……。


 実は全然、味方じゃないかもしれない。

 マーサとベッテみたく、目を合わせても話してくれない人かもしれない。

 それが怖い。


 お母様の愛は一方的なもので、お兄様は全然そんな風に思っていなかったとしたら……。

 そう考えてしまうと、堪らなく怖かった。


 だって、一度たりとも、会いに来ていない。

 本当に味方なら、きっと塀を乗り越えてでも会いに来る筈なのに。


 それとも、塀の外には味方なんて、誰もいないのだろうか。

 お母様の味方はわたし一人で、わたしの味方もお母様しかいないのかも……。


 そう思って、しばらく経ってからの事だった。

 三日に一度にあるダンスレッスンを終えてから、お母様はわたしの顔をじっと見つめて泣き始めてしまった。


 最近のお母様は、何かを思い詰める事が多くなり、そうして感情が決壊したかの様に泣き崩れる事も多くなった。

 その頻度は、最近日に日に増しているように思う。


「お母様、泣かないで……」


「大丈夫、大丈夫……」


 きっといつか、この生活も終りが来る。

 外から助けてくれる手が、差し伸ばされる。


 お母様はその希望を抱いて、このお家に逗まっているのだ。

 直接、そう口にした事はない。

 けれど、きっとそうに違いないと、最近は特に思うようになった。


 だから、大丈夫だと言い聞かせる台詞も、わたしを安心させるつもりで、自分にも言い聞かせる形になっている。


 お母様が悲しむと、わたしも悲しい。

 お母様を悲しませる全てに対し、恨みがましく思う。


 わたしは不満なんてない。

 お優しいお母様と二人で暮らすのに、全然文句なんてない。


 でもきっと、お母様は塀の外を知っていて、時々出たくなるのだろう。

 お兄様に会いたいと思って、いつか会える、出られると、自分に言い聞かせないと潰れてしまいそうになってしまうのだろう。


 お母様の悲しみが溢れる度、誰か助けてと思うようになった。

 お母様を出してあげて。

 出してあげる許可を下さい、と願う。


 だが、その願いが叶った試しはない。

 その代わり、不思議な事が起こるようになった。


 ある日、手の平に収まる大きさの何かが、テラスから見える位置に、置かれていると気付いた。

 テラスの部屋は裏庭に出られる直接のドアが付いていて、そこから見えやすい位置を選んでいるらしい。


 最初は気味が悪かった。

 お家の外から誰か来た筈はないし、マーサもベッテも知らないと言うから。


 葉っぱで包み、細い茎を紐代わりにしたものは、非常に野趣溢れていたし、この家ではまず見られないものだ。


 開けるのも怖くて捨ててしまい、お母様に相談しても、困ったように笑うだけで明確な答えは返って来なかった。

 悪戯かもしれないと思うけど、誰の悪戯かと考えても答えは出ない。


 実はマーサがしたんじゃないかと、何度も訊いた。

 返事が出来ない決まりだから、あぁいう形で何か伝えようとしたのだと。

 しかし、気味悪がられる仕草と表情を見せられ、やっぱり違うと分かっただけだった。


 三日に一度の割合で、いつの間にやら置かれているそれは、放置しているといつの間にか消えていた。

 受け取らずにいても、それでも変わらず置かれてる。


 それでとうとう、怖がるだけじゃなく、中身を確かめてみようと思った。

 もしかしたら、外から助けてくれる何かが入っているのかもしれない。


 しかし開けてみると、そこにあったのはお菓子のクッキーだった。


 この家でも滅多に食べられないものだが、料理人が作ったものでもないようだった。

 形は歪だし、甘い匂いはあまりしない。

 酸っぱい匂いはしているけど、でも葡萄に良く似た匂いだった。


「お母様、葉っぱの中から、これ出て来たの……」


「お菓子……? 葡萄の皮が練り込んであるのかしら……?」


 お母様は何度かクッキーを裏返し、匂いを嗅いで、歯先で削るように口に入れ……そして仄かに笑みを作った。

 今度はサクリと、半分ほど口に含んで、ゆっくり咀嚼して飲み込む。


「優しいお菓子ね。エレオノーラもお上がりなさい。きっと、妖精さんの贈り物よ」


「妖精さん……!」


 おとぎ話にしか登場しないと思っていた。

 本当にいるとは思っていなかったけど、お母様が言うならそうなのかもしれない。


「……きっと、誰かが見てくれてるのね。頑張れって、諦めるなって言われている気がするの」


「妖精さんが言ってるの? そうなの?」


「……どうかしら? そうだ、お手紙書いてみましょう。お菓子ありがとう、美味しかったですって。貰った葉っぱの中に、もう一度包んで」


「素敵っ! 妖精さんに、うんとお礼を言いましょう!」


 お母様の顔には、久方ぶりの笑顔が浮かんでいた。

 本当に妖精さんかどうかは分からない。

 でも、放置していた葉包みは、いつも気付かぬ内に消えてしまっているし、もしかしたら……本物かもしれない。


 たとえ違っても、お母様の笑顔を取り戻してくれたお礼はしたかった。

 早速ペンを用意して、文面を考える。

 葉っぱは小さいから、紙もあまり大きく出来ない。


 お母様と二人で、互いに笑みを浮かべながら、どういう文面が良いか考える。

 久方ぶりの明るい話題に、その日はいつまでも笑顔が尽きなかった。

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