未来への展望と渇望 その1
初めて公爵家別邸を訪れ、エレオノーラ母娘の現状と現実を知ってから、おおよそ一年が経過した。
季節は巡り、葡萄の収穫期を経て冬になり、再び春が訪れる。
葡萄畑は好調で、特に新品種の葡萄は、期待した通りの豊作を見せた。
例年と変わらない寒い年にもかかわらず、丸々とした瑞々しい、見事な葡萄を実らせたのだ。
その出来栄えを目にした他の村民も、今年からは積極的に新品種を植え付けようとやる気を見せている。
それでいつまでも名前がないのも不便ということで、どういう名付けが良いか募ったところ……。
セイラの名前を取って、セイレンザードという品種に決まった。
オーク樽との相性も良く、濃厚かつ糖度と酸味のバランスも良い。長熟にも適していると見られ、今後のワイン造りに大きな花を咲かせると期待されていた。
それに加えて街道整備も順調で、そろそろ開通の目処も立つという頃合いだった。
土木工事では地面を均すのも、固めるのも手伝っていたので、それもあって相当早く進んでいる。
宿場町から発展させる形で商人を呼び込む作戦も、概ね上手くいっているらしい。
オルガスが万事上手く取り計らってくれているので、それらは父の耳にもまだ入っていない。
本格化すると流石に何処ぞから声が届くだろうし、その舵取りは慎重でなければならなかった。
秋頃には村で流行り病などもあって、酷く奔走させられたが、ともあれ現状は何もかもが上向いて、未来に展望が持てると誰もが言う。
村民の顔にも笑顔が咲いていた。
畑が見える道をカーリアも伴って歩きながら、時折顔を覗かせる人達に声をかける。
「おはよう! 困った事はない?」
「やぁ、おはよう、セイラちゃん! なぁんもない、順調さ! いつもありがとね!」
「いいのよ、何かあったら呼んで!」
手を振りながら笑顔に笑顔で返しながら、次々と村民に声を投げ掛けていく。
「ノルビのおじさん、腰はもう大丈夫?」
「まぁ、中々良くならんわなぁ……! こんな仕事してると、やっぱイワしちまうわ。また今度、薬草貰っていいかい?」
「えぇ、湿布にして貼りやすいようにしとく」
「あぁ、ありがたいねぇ……!」
「無理しないでよ!」
手を振って別れ、また一人、また一人と声を掛けては道を進む。
「今年は畑の規模広げたって? 大丈夫?」
「いやぁ、植え替えるかって話もあったんだけどねぇ。これまで大事に育てて来た葡萄だ。どうせならと思ってね」
「大変になるでしょうけど、出来る限り手伝うから!」
「ありがたいなぁ……! そうだ、今度夕飯一緒にどうだい?」
「えぇ、お邪魔するわね!」
少し前までは、それでも伯爵家の人間として、色眼鏡で見られる事は多かった。
だが、積極的に領の改善を考案し、それを実施する姿や自ら土で汚れるのを厭わない所を見て、すっかり態度は柔らかくなった。
良く色んな家で食事を共にする事もあり、同じ釜の飯を食う間柄として気安い仲にもなり、村民の一員と受け入れられている。
善意に対し、同じ善意で返す事は容易い。
彼らにしても、気負う事なく接せられる貴族は有り難い存在だ。
続く寒冷に、逸早く対応してみせた手腕を間近で見ていただけに、信頼厚く思ってくれているようだった。
道を暫く進み続ければ、次第に畑も見えなくなる。
この道を更に進めば、公爵家別邸へ行くことが出来た。
特別な用事がなければ三日に一度の頻度で通っていて、今ではすっかり恒例行事の様になっている。
村の子供達に愛される、どんぐりクッキーもまた、いつもどおり懐に忍ばせていた。
砂糖など手に入らないので余り甘くないし、食感も小麦と違ってボソボソしている。
しかし、干し葡萄や皮を練り込めば、素朴な味わいとなって中々美味しい。
貴族家から見ると菓子の部類にも入らない食べ物だが、エレオノーラは気に入ってくれた様だ。
「まぁ、餌付けしている気分よね」
「気分というより、正にそれでは?」
最初の頃は、置いて行った土産も拾って貰えず放置されていた。
それでも構わず続けていると、ついには放り捨てられる様になってしまった。
実際のところ、差出人不明、用途不明な何かが、突然出現していたら不気味でしかないだろう。
捨てても戻ってくる呪いの置物が如し、恐怖を感じて当然だと思う。
それにようやく思い至って、別のアプローチを考えようとしたタイミングで、遂に相手側に変化が起きた。
警戒心が薄いのか、それとも外部と接触を持てる切っ掛けになると思ったのか……。
ともかく、贈り物を受け取って、代わりに小さな手紙が返って来る様になった。
防腐効果のある葉を、包み紙の代わりに利用したからだろうか。
クッキーの送り主を妖精と勘違いしている以外は、概ね上手くいっていると見て良いだろう。
「まぁ、妖精呼ばわりは意外だったわね……。あんな所に閉じ籠もっていれば、そんな考えになってしまうのかしら」
「妖精じゃなくて妖怪ならまだしも、ですよね?」
「そこで同意求めてくるんじゃないわよ。あんた、また一つ性格が図太くなったんじゃない?」
「まぁ、そんな……」
カーリアはいつもの無表情に、大袈裟な動作を合わせて、感情の乗らない声で否定した。
「同僚の方々にも、お前は本当に良い性格してる、って褒めて頂いておりますのに」
「全くの善意で言わせて貰うけど、それ褒めてないからね」
「……嫉妬ですか?」
「違うわよ、馬鹿! 現実を教えてやってるんでしょ!?」
振り返って、がなり立てて吠えても、何故か優越する視線を向けて鼻で笑ってくる。
瞬時に怒りが沸点まで到達し、殴り掛かったものの、ひらりと躱された。
更に二発、三発と繰り出しても同様で、そもそも体術で敵わないと知っている。
何かのマグレで当たらないかと期待したが、全くの無駄で終わった。
単に無駄な労力を使わされて、疲れただけだ。
「すばしっこい奴ね……、チッ!」
「お嬢様程度の腕じゃ、十年経っても捕まりませんよ。デレネ高原のランブルタイガーとは、私の事です」
「知らないわよ、そんなもん。大体なによ、褒められてんの、それ? ――自慢げな顔すんな、ムカつく!」
実際のところ、カーリアの表情は変わっていなかった。
しかし、微細に動く表情筋と雰囲気から、どういう顔をしているか想像がつく。
慣れたくはなかったが、長年の付き合いから彼女の表情を掴むのにも慣れてしまった。
騒いでいる間にも、目的へと到着する。
いつもと変わらぬ様子で佇む別邸は、世界から切り離されている様にも見えた。
ここだけ時間が止まっているような、あるいは非常に緩やかなような、俗世から切り離された雰囲気を感じるのだ。
別邸は高い壁で覆われているものの、中の様子を全く窺えないという訳ではない。
鉄柵が置かれた場所もあって、その隙間から窺う事は出来るものの、当然簡単には登れない作りになっている。
足を引っ掛ける場所などなく、長い鉄柵の穂先は鋭く尖っていた。
では別の壁はと思っても、たとえ蹴って上がろうとも、返しが作られていて乗り越えられない設計だった。
しかし、それは魔力を持たない者に対する備えで、私に掛かれば全く障害にはならない。
周囲の雑草を強化し、急成長させ、簡易的な梯子モドキを作る。
別邸へ乗り込む時の定番で、終わった後は雑草を元に戻せば証拠も残らない。
手慣れた手付きで梯子を登り、塀の頂上から飛び降りた。
膝で衝撃を上手く受け流し、音を立てずに着地する。
この時も着地地点の草を上手く操って、衝撃と足音を極小さなものにしていた。
だが、そのすぐ後に降りてきた、何も小細工していないカーリアの方が立てる音の方が小さい。
彼女に対しては今更なので、あえて何も言わない。
さりとて、魔力もなしに完璧な着地をするカーリアに、思わず渋い顔は見せてしまった。
早く行けとでも言うように、カーリアが無言で顎を動かし、いつものテラス部屋を指す。
分かってる、と頷き返して、さっさと用事を済ませようと懐から葉の包を取り出した。
最近はクッキーだけでなく、滋養の付く薬草の根も一緒に入れている。
エレオノーラの母、クリスティーナが病に伏せているのは知っていた。
体質なのか、病気に罹ると長く寝込んでしまうらしい。
その辺りの詳しい事情も手紙を通じて知っていて、だというのに、高価という理由で薬は服用していなかった。
微熱が続き、身体がダルいという症状は単なる風邪に思えるが、去年村でも流行った病によく似ていた。
だから、とりあえず最近は、こうして薬草を
草属性の魔力は応用が広く、熟練する程に出来る事が増えてきた。
植物の成長促進はある程度最初から出来ていたし、品種改良なんてものもやってはいた。
最近では、森で入手できる薬草を採取し、それを品種改良して様々な薬効を作り出している。
ちょっとした薬師の真似事までしていて、傷口の化膿止めであったり、風邪薬、湿布薬など、多くの薬を作り出していた。
薬といっても正確に調合して……といった事まではしていないので、お婆ちゃんの知恵袋的な薬効しかない物もある。
しかし、効果がある薬草から、更に薬効を大きくする事なども可能で、村ではそこそこ重宝されていた。
最初に葡萄を作っていた実験畑は、今やその半分が薬草畑へと変化している。
元より村民の為、領民の為に始めた畑なので、一応葡萄と小麦に区切りが付いた今、より有意義な使い方に変えた形だった。
そうして、何度か手を変え品を変え、手紙のやり取りを通じて薬草も変えて来たのだが、クリスティーナの容態は良くなっていないらしい。
直接この目で確認できれば、より効果的な薬草を提供できるのだが、流石にそこまで無理は出来ない。
こちらも常に綱渡りをしている訳で、この日、この時間にやって来るのも、長年の調査の結果テラス部屋に誰も来ないと知っているからだ。
音を立てずに近寄り、そっと葉包をいつもの位置に置く。
テラス部屋は下半分が木造の造りなので、少し身を屈めれば、内側からは姿が見えない。
――次の手紙で、色好い返事が聞ければ良いけど。
そう思いながら身を翻すと、勢い良く扉が開け放たれた。
まさか、という危惧と、まずい、という危機が脳内に飛び交う。
油断は確かにあった。
これまで大丈夫だったから、今日も大丈夫だと……。
それに、妖精さんと呼び習わしていたのは、会いたくても会えない、目に見えない相手として扱いたかったからだろう。
実際はそうでないと、エレオノーラも知っていたとしても――。
人が侵入していると分かれば問題になるから、妖精という事にして、目を瞑っていただけだ。
特定の時間に来なかったのは、ある種のお膳立てみたいなもので、この良好な関係を、互いに崩したくないから続いていたようなものだった。
――それが、崩れた。
咄嗟に身を翻した時、そこにカーリアの姿がないと気付いた。
すぐ後ろ、手の届く範囲に居た筈なのに、左右へ素早く視線を移動しても、彼女の姿はどこにも見えなかった。
――逃げられた? 一人で?
思い付いたのは、彼女の裏切りだった。
自分一人なら逃げ果せる判断し、瞬時に姿を消したのだ。
あのメイド、どうしてくれよう、と腹の中で怒りを燃やしていると、背後から声が――切羽詰まった声が掛けられた。
「お願い、妖精さん! お母様を助けて!」
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