原作の呼び鐘 その1
グスティンの誕生会にて、今後の人生と計画を、大いに考えさせられる事になってから、一年と半分の月日が流れた。
冬の雪解けが始まって久しく、にわかに春めいた陽気も降り注いでいる。
ワイン事業は好調で、北方と直接繋がる通商路も出来上がり、それに合わせて売り上げも爆増した。
交通の便は、単純に人の往来を活発にさせる。
ワインに限らず商人の数が増加し、領を大いに潤わせた。
先行投資として多額の出費はあったものの、この好調が続くようなら大きく取り返せる。
そして何より、新品種から作られ、単一品種から生まれた低価格ワイン、これが当たった。
今までの薄めて飲む形が主流のワインから、同じ値段で飲める薄めないワインとなれば、まず試さない訳がない。
今では庶民酒場の何処でも取り扱う様になり、多くのブドウ農家でその品種を取り扱うまでになった。
最初は本当に大丈夫か、と難色を示していた人達も、今ではこぞって導入しているくらいだ。
――実績を作り、それを見せる。
カーリアも言っていた事だ。
一つの成功や成果を周知させ、それを見せてこそ付いて来る。
その利益に
現金なモノとも思うが、信用の無い者の言葉など塵に等しい。
今となっては、この領と民の生活を富ませる事に繋がっているので、そこだけ喜んでおけば良かった。
新しく出来た北方街道には、予定していたとおり、宿場町を発展させた町を作る予定だ。
ワインを買い付けに来る商人と馬を休ませる以外にも、出入りの商人の為に宿はいる。
今までは領都まで行かないと出来ない農具の買い替え、その手入れすら気軽に出来るようになった。
それを思うと、この近所に本格的な鍛冶屋が出来たら便利という声もあって、宿場町以上の規模になる見通しも出てきた。
誰の顔にも晴れやかな笑顔があって、未来に希望を持っている。
良い暮らしが、更に良い暮らしになると、誰もがそう思っているのだ。
一昔の寒々しい暮らしが嘘のようだ、と村民は口を揃えて言っていた。
この村は変わった。
それも、とても良い方向に。
苦労した分、見返りがあると実感できて、村の誰もが精力的だった。
領が良い方向に進んでいると、知らない者がいるとすれば、それは父だけだった。
少し北方へ顔を出せば……。
領民の生活を見れば、年に一度でも良いから、帳簿だけでなく現地をその目で見ていれば、その変化に気付けただろう。
帳簿との矛盾に気付き、騙されていたと気付けたに違いない。
だが、結局そうした機会は一度もなく、借金を膨らませる結果に終わった。
気付けたからと、その借金を補填する気も更々ないのだが、犯罪に手を染める機会は失われた可能性はある。
――しかし、そうはならなかった。
分かっていた事だ。
それでも、忸怩たる思いにはさせられる。
今は執務室のソファで報告書を読みながら、正面に座るオルガスに向けて口を開いた。
「……それで、父は領主としての権限を行使し、多額の横領をしているというのは間違いないのね?」
「然様でございます。また、多くの方から賄賂を受け取り、特定の者だけが得する領法を作らせるなどの悪事を働いております。罪を犯した者を、金額に応じて無罪放免とさせるケースもありますな」
「そんな事をしておいて尚、借財は返せないほど膨れ上がっている、と……」
コメカミに親指を立てて眉根を寄せる。
そうして、書面を睨み付けながら、大きく溜め息をついた。
「自分で作った借金だもの、領主としての仕事をこなして、それで返せば良いものを、どうしてこう……犯罪に手を染めてまで返そうという発想になるのかしらね」
「やり方を知らないから、何より手っ取り早いからでしょうな。地道に何かを育てる、その発想がないのでしょう。十年先を見越して収益を得るような、お嬢様の進め方こそ、領主として正しいお仕事のなさりようなのですが……」
苦い笑みを浮かべ頷く様は、既にどちらを正しい領主として認めているか、まざまざと表しているかのようだった。
そうやって、認めてくれるのは嬉しい。
しかし、それは領主の娘として、素直に領民の未来を憂いたからやった事ではなかった。
自分でも理由は分かっている。一重に罪悪感から来るものだ。
伯爵家がどうなるか、その未来を知っていた。
取り潰され、一時は公爵領の預かりとなり、その後ほかの貴族へ与えられる事となる。
それで領民の生活が豊かになるかどうか、そこまで原作では語られていなかった。
出来得るならば、父を改心させるなり、借金を作らない方向へ行かせれば良いと分かっている。
しかし、得意属性の判明と共に家族仲は冷え切り、公爵閣下の親友という立ち位置を崩したくない父を、その元凶から引き離す事も出来なかった。
女性が男性に比べ、一段下に見られる世界において、幼い娘が説得できる材料はあまりに乏しい。
だから早々に諦め、没落に巻き込まれず逃げる道を選んだ。
その後ろめたさを――自分ひとり逃げ出す
「……領民たちは、これから豊かに暮らして行けるかしら?」
「ここまで整えられて、行けない道理がありません。今は北方との関係も変化して好意的ですし、伸びしろもまだ多く残されています。新ワインの輸出先を広げる事で、更なる増収も見越せますな。畑を広げたいと申す者も出て来るでしょう。雇用機会を生む事にもなります。まず、この形は崩れません」
「……そう、良かったわ」
バークレン伯爵領の生き字引であり、お祖父様の代から見て来たオルガスが太鼓判を押すなら、その見立てに信用が置けた。
出来る、やれるというつもりで働いて来たが、それが実現したとなれば感動も
「……でも、父は捕まるわ」
「はい。お嬢様の指示通り、証拠は全て揃えております」
オルガスが協力的だったのは、それを抑えておく事で、強制的に代替わり出来ると考えているからだ。
犯罪の証拠を押さえれば、告発して当主を退けられる。
名実ともに、私を領主に据えようと考えていたに違いない。
そうした誤解がある事を知りつつ、その誤解をこれまで敢えて解こうとして来なかった。
そしてこの先、その期待を裏切る事になる。
グスティンの任命した者が新領主として据えられるのだから、無能が来るとは思わない。
父に加担していなかったオルガスも、継続して雇用されるだろう。
何より領政に深く携わって来た有能な家令だから、きっと頼りにされる。
「父は最後まで領民に目を向けなかった。華やかな場所にばかり目を向け、借金漬けになって悪事に手を染めた。でも、無理矢理にでも、目を向けさせる方法はあったと思う。……けど、しなかった。薄情と思うかしら?」
「滅相も」
大きく首を横に振ってから、真摯な眼差しでオルガスは見つめる。
「領主とは、爵位とは、労がなくとも引き継がれます。適性が無くとも務めなければならず、また継いだからには放棄する事も許されません。最大限に努力する義務すらあり、それが出来ない者は見限られる。……当然かと」
「一人で身持ちを崩すならまだしも……。どの道、伯爵家が取り潰されないなら、その借財は我が家の名で返す必要がある。その場合はどうかしら?」
オルガスは報告書の中から目的の物を探し出すと、三枚の用紙を恭しく差し出してくる。
「そちらにあります一枚目が、借財の詳細と合計です。二枚目が横領の内容と金額で、三枚目がその返済に充てる為の方針が書かれています。増収中とはいえ、宿場町での三年間無税期間もありますから、完全返済は少し先になる見通しです」
言われるままに書類へ目を通し、そして合計金額を見るに頭が痛くなった。
敢えて放置していたとはいえ、日本円で三億を超える借金を拵えられたとなれば、渋面も浮かべたくなる。
税収は当然、その全てが伯爵家の資産となる訳ではなく、同時に運営費として活用されるから、借金の補填に回せる金額も多くない。
「いっそ家は取り潰して、父個人の借財として返済せたら良いんじゃない?」
「それも一つの手でしょうな」
はっは、とにこやかに笑っているのは、単なる冗談だと思ったからだろう。
実際、今の税収では辛い金額でも、三年先の免税が消えれば一気に膨れ上がる。
その三年の間に町を大きくし、人口も増えれば更に増収が見込め、水を注ぐだけ実がなるような状態だ。
一般人が見れば目を剥く金額でも、ここまでお膳立てされていれば悲観になる程ではない。
それを分かっているから、オルガスは些かも気にした様子がなかった。
「まぁ……ただ、母と妹には、多少の申し訳なさがあるわね」
「単なる被害者と見るには、目に余るものがありますが?」
家中を統括するのは、伯爵夫人たる母の仕事だ。
それを蔑ろにし、投げ出しただけで飽き足らず、私に対する徹底的な冷遇を課した。
だが同時に、反発ばかりする私に対し、教育する意味合いもあっての事だとは思う。
一日食事を抜けば素直になるだろう、と思って始めたものの、全くへこたれないどころか変わらず奔放なのが許せなかったのだろう。
妹を溺愛するのと反比例して、扱いが極端に悪くなった。
妹は結局八歳の時点で魔力が安定し、母と同じ水属性を得意とした。
それが理由もあって、輪を掛けて可愛く思えたらしい。
妹は妹で、自分が次期女伯爵になると息巻いて、追い出される姉を見下している。
まだ現実が見えてないから好きに言わせているのだろうが、普通なら婿を取って生まれた子に継がせるだろう。
そういう意味では、妹を加害者側に加えるのは偲びなく、単に嫌味を言うだけの可哀想な子でしかない。
それが私から見た、妹の扱いだった。
「実際の沙汰は、どうなるか分からないけどね……。決めるのは主家たる公爵閣下の領分。下された内容には、口を挟めないわ」
「然様ですな……。旦那様とは蜜月の関係ですから、証拠があろうとどこかで握り潰される可能性も……」
早々に代替わりがあると知らないオルガスとしては、当然の懸念だった。
そして、もし原作通りに事が運ぶなら、まさに今年、公爵閣下は事故死する。
学園への入学もこの年である事を考えると、春が来るより早く起きる筈だった。
ヒロインであるソフィアは入学してからすぐ、学園内で会議室一つを借り入れ、当主の執務をするグスティンに驚く描写がある。
学園内は貴族の令嬢、令息ばかりで、爵位を継ぐと決まっている生徒は他にもいた。
しかし、既に爵位を継いでいる生徒は早々いるものではない。
それだけではなく、学園の会議室には家臣団が出入りしていて、学園内では異質な空間が出来上がっていた。
タイミングを考えれば、既に
その時、控えめなノックが執務室の扉を鳴らす。
オルガスが返事をすると、扉を開けてカーリアが一礼してから入室して来た。
「公爵領から早馬のお知らせです。公爵閣下の乗っていた馬車が、雪解けの
――始まった。
いや、予測したとおり、既に始まっていたのだ。
原作を始める鐘が、大きく揺らしながら鳴ったのを感じる。
それはきっと幻聴に過ぎなかったが、確かにそれは頭の隅から聞こえ始めていた。
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