未来への展望と渇望 その10

 ようやく終わりが見えた安堵感と、綱渡りの緊張感で盛大に溜め息をつきそうになる。

 それをグッと堪えて、にこやかな笑みを浮かべ、その場から退散しようとした。


 膝を曲げたカーテシーの格好から元に戻り、背中を見せようとしたところで、再びグスティンから声が掛かる。

 ……このまま無視して行けたらどんなに楽だろう。

 そうは思いつつ、直前に自分の口から臣下と言ったからには、無視する訳にもいかなかった。


「あぁ、セイラ嬢……。君は実に見事な覚悟を示した。領の安定、国の安寧は、貴族として優先すべきことだ。私利を捨て公に徹する……、その覚悟を見せてくれたように思う。だが、君はそれで良いのか?」


「是非もありません。むしろ、手心を加えず断ずる事が、これからの領政を支えてくれるでしょう。恐ろしいと思われる事にもなるでしょうが、地盤が揺らいでいては、成すべき事も成せません」


 腐敗と汚染は、深刻な所まで来ていると思う。

 現公爵閣下自らがそれを示し、分家筆頭の父がそれを良しとする風潮を蔓延させた。


 頭が揺れれば、その手足まで揺れる。

 新しい公爵はそれを決して許さないと、その見せしめが必要なのだ。


「他の家には、一種の便宜を図るでも良いでしょう。割を食う領主もいる筈です。そういった方の声は聞くべきと思いますが、我が家だけは駄目です。分家筆頭ですら容赦しない、その姿勢を見せる為、苛烈な処断が必要になります」


「……もっともだと思う。爵位剥奪、領地没収……。君の言う通りにするならば、その程度の沙汰は必要だろう」


 グスティンの発言に、満足気な笑みを浮かべた。

 投獄は当然として、やった事以上の報いは与えて欲しい。

 この先で賄賂を受け取り、金額次第で罪人を逃がすなどという犯罪に手を染める父には、厳格な処分が必要だ。


 領地が潤い、税収が増えたところで、その借金の補填には決して充てない。

 数字を弄った帳簿だけ見て、やはり金が足りないと焦り、犯罪に手を染めれば良いのだ。

 それが遠回りでありつつ確実な、私なりの報復だった。


「だが、それで良いのか……?」


 伯爵令嬢としての地位にも、財産にも興味がない自分には、全く文句などない。

 晴れ晴れとした気持ちで頷くと、それとは逆にグスティンは痛みを堪える様な顔をする。


「……君もまた、全てを失う。君の母も、……確か妹もいた筈だろう。当然、連座で刑を受ける。それでも良いのか?」


「えぇ、是非もないと、そう申しました。それに、連座といっても母と妹には恩情が掛けられる筈……。命までは取られないでしょう?」


「貴族籍は剥奪されるから、行く先となれば修道院だろう。妹御はまだ魔力も安定させない歳だったろうから、どこかの家の養子という手段もある。だが、君は……」


「私だって命までは取られません。刑に服す事もないでしょう。そうであるなら、何処でだって生きていけます。お気に留める必要はありません」


 これにも粛々と頭を下げて、殊勝に罪を受け入れる振りをする。

 視線が床を向いているので、グスティンがどういう表情をしているかは分からない。

 だが、その溜め息が慚愧に堪えないと伝えていた。


「その身をやつす覚悟もあるか……。女性の幸せが婚姻ありきと言うつもりはないが、君ほどの器量があれば相手にも困らなかったろうに……」


「元より貴族籍の方と、ご縁があるとは思っておりませんでした。裕福な生活が送れるとも。だから、別に良いのです」


 顔を上げてチラリと笑う。

 同情を誘うものでもなく、挑戦を向けるような笑みだった。

 それに気を良くしたからではないだろうが、グスティンもまた小さく笑みを浮かべて言った。


「……婚姻は、何も家同士を繋げる為だけのものじゃないだろう? 手放し難い人材を繋ぎ止める為にもあるものだ」


「は……」


 グスティンの瞳には、とても好意的な色が乗っていた。

 向けてくる眼差しにも、優しさや慈しみがある。

 まさか、という気持ちが、ドッと胸に去来した。


「カール・ヴェーレをどう思う?」


「は……、は……?」


 言っている意味が分からず、顔を顰めて訊き返す。

 だが、そんな表情も、今のグスティンには大変お気に召したようだった。


「君でもそんな表情をするんだな。……いや何、家臣団の中でも君の評価は高い。今の提言のみならず、精力的な領地改革は数字にも良く出ていた。毎年の税収増益だけでなく、寒さに強い品種の小麦開発は、来る飢饉の防波堤になり得ると見ている」


「あ、もう……そこまで把握してらっしゃいましたか」


「君と初めて会話してからというもの、注目せずにはいられなかった。昨今、君の父……フレデリクの放蕩癖が目に余るのも、増収のせいか」


 事実関係を結び付けてしまうのは、タイミング的にも妥当としか言えないが、真相は全く異なる。

 それは単に、負けが混んで取り返そうと、父の金遣いが荒くなっただけだ。


「いえ、父には裏帳簿……と言いますか、改ざんした数字しか見せておりませんので……」


「領主に対して? それは反逆と見られ得る、危険な行為だ……」


「あればあるだけ使う人なので。まともな数字など見せられません」


 それもそうだ、と含みのある笑みをグスティンは見せた。

 もしかすると、彼の方でも似たような事が行われているのかもしれない。

 笑みを浮かべたまま、グスティンは饒舌になって続けた。


「ともかく、セイラ嬢の評価は高くてね。父が駄目だと逆に子は良く育つ、の良い例ではないかと言われていた」


「え、えぇ……。グスティン様もそうですものね」


「……かもしれない。だから、君をこちら側へと考える者も多い。カールならば男爵家を出奔しているし、そもそもが五男坊。気楽な身の上で、家族との付き合いも切れている。カールも実際に会って、好感触を得ていたようだ。それで――」


「ちょっと、ちょっとお待ち下さい……!」


 好意的に見てくれているのは間違いなかった。

 自ら不正の証拠を差し出す事で、伯爵家が取り潰しになる――。


 それだけの忠義を示す者を、放り出しては沽券に関わるとして、一挙両得の婚姻話を持ち出した。

 グスティンの狙いは分かる。

 ここまでの話を整理して、改めて理解した。


 しかし、しかしそれで持ち上がる縁談の相手が、先程顔を合わせたカールと言われて、胸の中で生まれたトキメキ的な物が溶けて消えていくのを感じた。


 次期公爵の信頼厚い家臣の一人。

 今は平民と変わらぬ身分でも、公爵家の権力中枢に位置していて、将来も安泰。

 同じく平民として生きて行く身として、身分の差を考えなくても良く、嫁姑問題もない。


 仕事の内容から考えても、給金はそこそこに高い筈で、平民としては極上……もしかすると貴族並みの生活すら送れるかもしれない。

 しかし、年齢差は三倍……は言い過ぎとして、二倍を大きく上回って離れている。


 貴族社会において、親より年上の相手に嫁ぐのは珍しくない。

 とはいえ、いざ自分の身に現実的な案として出て来ると、顔を顰めずにいられなかった。

 これまで考えていた人生設計に、全くなかったプランだ。


 最初から上手く逃げ出すつもりで、結婚を考えていなかったのもある。

 だが、漠然と近い年頃の相手と一緒になると思い込んでいた。


 ――いかに優良物件と言えど……。

 二十歳も歳の離れた相手と、結婚するつもりになれなかった。


「グスティン様、有り難いお話とは思いますが、あまりに急すぎて……」


「それは……確かにそうだな。急ぎすぎたか。カールも色恋沙汰に全く興味がないので、縁談を作ってやれば即座に応じるだろう。本来なら、父親を通して話さねばならないが、今回ばかりはそうも行かないしな……」


「然様でございましょうね……」


 むしろ、没落前に関係を作ってしまうと、カールとの縁談も切らねばならない。

 優秀な人材を外へ流出させたくない、と考えているグスティンとしては、内々で済ませたい問題だろう。


 ――だが。

 カール|色恋沙汰に興味ない、とはどういう事か。

 まるで私まで興味ない、と思われているのは心外だった。


 グスティンが能力主義の合理主義者なのは知っていたし、似たものをこちらに感じ取っているところまでは良いとして、結婚まで同じように考えられても困る。

 一人の女として、結婚に夢見るところはあるのだ。


「ともかくも、余りにも急なお話。グスティン様のが、上手く運んでからのお話でもあるでしょう。ここで詰める話題でもないかと」


「そうだな、気が急いてしまった。余りにも明確にビジョンが見えた所為で、すっかり問題なく進行するつもりでいたらしい。……私らしくもない」


 自嘲する様に笑って、小さく首を左右に振った。

 それで早く会場へ帰そうと、矢継ぎ早に言葉を送る。


「さぁ、いつまでもご令嬢方を、お待たせするものではございませんわ。本日の主役として、彼女たちに揉まれて来て下さいませ」


「……それも務めか」


 グスティンはその端正な顔に、疲れを滲ませて息を吐いた。


「つい、誰もが君と同じ視点で物を見られる女性ばかりだったら、と思ってしまう。気疲ればかりして、全く身になる話がない。笑顔を見せれば姦しい。しかし、無表情に目を向けても、それはそれで喜び出す。……頭が痛い」


「あぁ、氷の鉄面皮はそういう理由でしたか。けれど、そんな視線すら女性たちにとってはご褒美なのでしょう」


 黙っていようといなかろうと、その存在感だけで女性の心を射止めてしまう美貌の持ち主、それがグスティンだ。

 何を言われようと、何を向けられようと、恋する乙女にとっては嬉しがる。

 本人にとっては大変遺憾だろうが、その顔で生まれた事を恨んで貰うしかない。


 グスティンもまた観念して踵を返そうとし、半分ほど背を向けた所で動きが止まる。

 この上まだ何かあるのか、と身構えていると、顔をこちらに向けないまま口を開いた。


「私の母と妹が、そちらの領で暮らしているのは知っていると思う。どうか、少し気に掛けてやってくれないか……」


「それよりグスティン様が直接助ける方が、ずっと早くて喜ばれると思いますけど」


 色々調べられていると思ったが、どうやら勝手に接触していた事までは知られていないらしい。

 不思議に思いつつ、既に一年どっぷり関係がある事など感じさせない口調で言う。


「えぇ確かに、どうせなら改革後の方が色々安全とは思いますが……」


「私は祖母に見張られているからな。接触はおろか、手の者を近付けさせる事すら叶わない。手を出さない方が、よほど安全に繋がる」


「そこまで……? 手紙の一つすら、渡すのを許されないと?」


「母の存在が、祖母にとっては余程許せないらしい。その恨みは一方的なものだが、その勘気に触れれば命の保証はないだろう」


 あのクリスティーナが、何か不興を働いたとは思えないから、本当に一方的に嫌っているのだろう。

 しかし、首を飛ばせと言わないだけ、まだ温情があるのかもしれない。


 ただそれも、本家の敷居を跨ぐとなれば、話は別だろうか。

 グスティンからの手紙一つすら妨害するというなら、有り得る話という気がした。


 では、私が接触したとしても、やはり相当拙い事になりはしないか。

 グスティンとその手の者全てが対象なら、知られれば排除される可能性がある。


 幸い、我が家は公爵閣下とズブズブだから、結果として良い隠れ蓑になっているのかもしれない。

 しかし、そこまで危ない橋を渡っていたのかと、今更ながら恐ろしくなった。

 返事を返せないでいると、グスティンはそのままホールへと帰ってしまう。


 信頼から、だろうか。

 用向きは伝えた。ならば後は上手くやるだろう。そう、思われたのかもしれない。


 だが、とにかくエレオノーラ母娘との接触は、もう少し慎重にせねばならないと分かった。

 見張られていたとしても、カーリアならば先じて報せていただろう。

 だから、実はこの一年ずっと通っていたと、まだ知られてないと思う。

 だが、警戒は必要だった。


 警戒といえば、不意に上がった婚姻話だ。

 グスティン陣営に加わる事……。

 それ自体に不満はないが、流石に力不足としか言いようがない。


 彼はセイラを有能で、物事の先まで見越して行動できる人物と思っているのだろう。

 だが、それらの根拠となる発言全て、原作知識あってこそのものだ。

 メッキは直ぐに剥がれ、遅かれ無能が露呈する。


 実力主義を優遇する、とは即ち、無能に厳しいという意味でもある。

 只でさえ綱渡りの連続だったのに、この先も続けさせられるのは御免だ。


 自分の身の振り方――没落前に逃げ出す算段を、真剣に考えなければならなかった。

 すっかり忘れられていた料理の前に戻り、大きく溜め息をついてから、手近な一つを口に入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る