幕間 〜グスティンの回顧〜
最初の出会いは、愉快なものでなかった。
家の権威を持ち出して、周りを黙らせ好き放題にする少女……。
貴族の何たるかを履き違える、僕が嫌う貴族令嬢そのものに見えた。
きっと、将来は貧しい者から奪い、更に肥えようと考える人間に成長するのだろう。
そう判断して当然の醜態だった。
公爵家と関わり深い貴族とは、そういう者達と決まっている。
自分が恵まれていると知ってなお、更に奪おうとする恥知らず。
父は直接的に奪う側でないものの、放蕩の限りを尽くし、爵位に伴う義務を放棄している。
お祖父様が亡くなってから本格化し、金の勘定みたいな無味乾燥なものは見たくない、と切り捨てた。
ならば、お祖父様が育て使っていた家臣団に任せておけば良かったものの、公爵家の金を自由に使えないという理由で解雇されてしまった。
その時の彼らが見せた忸怩たる顔を、今でも覚えている。
彼らは爵位を持っておらず、あっても男爵か子爵で、しかもその三男坊といった、家から追い出された者達ばかりだ。
お祖父様は身分で人を見ない。
有能であると思えば取り立てるし、才能があると分かれば身分関係なく傍に置き、学習の機会を与えた。
勉学とは庶民にとって贅沢品と変わらず、学を持たないのは当然と割り切っているものだ。
それでも、お祖父様は人というものを良く見ていたし、人材育成に力を割いていた。
人間が好きな、お人だったのだと思う。
だから、自分がこれはと思った人なら、たとえ身内に取り込む訳でなくとも、教育を受けられる機会を与えていた。
そういうお人だからとても多くの人に慕われていて、お祖父様亡き後であっても、家臣団は公爵家に忠誠を誓ってくれていたのだ。
あの父の元であっても、大恩ある公に顔向け出来ない真似はすまい、と……。
遊び呆けているばかりの父に、その家臣団が厳しい目を向けていたのは確かだ。
だが、遊ぶ金を渡さなかったのは、嫌っていたからでもないし、嫌がらせでもない。
何事にも限度があり、そして無尽蔵ではないからだ。
公爵領は豊かでも、全てどこからともなく湧いてくる訳ではない。
適切な統治と管理、そして運用がなくては成り立たない。
公爵位としてそれも同時に継いだのだから、父は最低でも維持させるため努力する義務がある。
僕にも分かるその道理が、父には理不尽に思えたらしい。
――公爵は私だ。不服があるなら解雇する。
不服があるのは父に対してではなく、適切に運用する気がない、その放蕩癖についてだろう。
賭博をするのも自由だが、それで膨大なツケを作って帰って来るなら話は別だ。
遊べる範囲で……損しても笑って済ませられる範囲で遊ぶ。それならわざわざ苦言を呈したりしないのだと、分からないらしい。
彼らが職を辞したのは去年の事だが、無表情を取り繕っていても、その仮面の下に悔しさが滲んでいたのが分かった。
こんな奴に、栄光あるフェルトバーク家が失墜させられるのか、とその瞳が言っていた。
これまでお祖父様と共に盛り立てて来た、という自負あればこそだろう。
だが、当時まだ七歳だった僕には、彼らをただ黙って見送るしか出来なかった。
だから、彼女の言葉は鮮烈に耳朶を打った。
「彼らは決して公爵領を裏切りません。掴まえておくべきです」
去って行く彼らを見た時、惜しい、と思った。
そして父には、お祖父様を蔑ろにした様に見えて、怒りを覚えた。
当時の僕に、彼らを引き止めるだけの力も、資格もなかった。
お祖父様共々、彼らには可愛がってもらったが、それは大恩ある方のお孫様、という関係だったからだ。
そう、思っていたのだが――。
「あなたに一縷の希望を持っている。声が掛かれば、きっと尽力を惜しみません」
セイラ・バークレンは、そうハッキリ断言した。
彼女は、一体なにを知っているのだろう。
たかだか六歳の、温室で育てられた彼女が、まるで見て来たように言ってのけたのだ。
父の無能に苦労している――、セイラはそう言った。
そして彼女は、敢えて癇癪持ちのワガママ娘を演じているとも言っていた。
聡明であるからこその気苦労があり、それを秘するべきと考えたのだと、少し話せばすぐに分かった。
それでも伝え聞こえて来る話は悪いものばかりで、実際初対面の瞬間まで、それが正しいと疑いもしなかった。
しかし、彼女は僕の前で、あっさりとその本性をさらけ出してきた。
同じく幼いながらに聡明な者同士、親しく出来ると思ったからだろうか。
だが、そうかと思えば、接触する機会を増やしたくないようでもあった。
恐ろしいほど聡明で、鋭い指摘が出来るのに、それを持って関係を深めることを望まないと明確に示した。
近付いたのは、父の命令だから、と言って――。
実際、バークレン伯爵領までは近いようで遠い。
子供にとっては特にそうだ。
密な連絡を取ろうと思えば、取れなくもないが……。
「今は、まだいいか……」
焦る程ではない、という結論に落ち着く。
それよりも、考えなくてならないのは今度の事だ。
父が僕に仕事を丸投げする可能性……、それを頭の片隅で考えなかったと言えば嘘になる。
そして、実際に行う可能性が高い事も……。
ただ、幾ら無能であろうとも、そこまで無能にはなれないだろう、と思いたかった。
セイラ嬢に指摘されるまで、敢えてその問題から目を逸らしていた気がする。
そして、セイラ嬢がその父から聞いたという話――。
馬鹿に見える娘になら、多少の愚痴を聞かれても困らないと思ったのだろう。
その内容は、納得に足るものだった。
「あの父ならば、投げ出すだろう……」
我が子が優秀という理由で責務を放棄しても、まったく不思議ではない。
家令のフォシュマンならば、家臣団が何処へ行ったか知っている可能性がある。
フォシュマンも家臣団同様、お祖父様が拾い育てた者の一人だ。
しかし、奥向きの事を全て任せている為、彼は解雇されなかった。
執事やメイドの統括、年間行事の把握、誰それをパーティに招いた時の注意点など、職務に携わる内容が多岐に渡り、簡単に替えが利かない。
金勘定について全く関わりないとは言わないが、優先度が低い為に取り残されたのだと思っている。
奥向きの事は本来、公爵夫人が統括する役目の筈だった。
しかし、その母は別邸に移され、当然の権利である、フェルトバークの女主人としての権威をも取り上げられた。
母とは三歳の頃に別れたので、その顔も覚えていない。
何が気に食わないのか、女児を生んだその後すぐに、移されたのだと聞いている。
それ以降、一度として本邸に足を踏み入れた事がなかった。
父が追い出したのではないだろう。
追い出したのは祖母だ。
侯爵家の長女として生まれ、貴族社会でもその美しさで名を馳せた母は、貴族令嬢の鑑と言われるほど出来たお人だったらしい。
決して傲慢でもなく、良く礼節を知り、教養高く、男を立てる器量を持った人だとお祖父様から聞いた。
家臣団の評価も概ね同じで、フェルトバークへ嫁ぐに全く不満のない婚姻だったようだ。
しかし、それを祖母が嫌った。
真実は分からないが、自分より美しく、そして好かれる母を妬んでの事だと思っている。
祖母の出自は王家で、先王陛下の姉として生まれた。
自分が誰より優れた女性であり、美しい貴婦人であり、全ての頂点でなければ気が済まない性格をしていたからだろう。
公爵位を父が継げば、当然フェルトバークの女主人も母になる。
それが嫌で追い出したのだ、と予想している。
邸内に限った話だと、絶対的権力を持つのは、公爵よりも女主人だ。
その祖母が屋敷に立ち入らせるな、と命じたのならば、誰あろうと拒めるものではなかった。
だが、それでなくとも、父は祖母に逆らえない。だから母を取り戻そうとしようともせず、今も遊び歩いている。
それについても、父には憤りを感じていた。
祖母は父を間違いなく愛しているが、優先順位を間違えたりしない。
そして父も、それを尊重しているつもりのようだ。
本人は、命じられた女主人の言いつけを、お行儀よく守っているつもりらしい。
「――馬鹿な事を」
思わず悪態が口を突く。
本来、正統な公爵領の女主人は母だ。
呼び戻し、祖母を蟄居させれば良いと思っても、形はどうあれここには居ない人だ。
母にこそ戻るつもりがないのだ、という一方的な理屈がまかり通ってしまっている。
そこまでするなら離縁してしまえば良いものを……。
そうも思うのだが、それでは公爵家の名に傷をつける事にもなりかねない。
大人しく、夫の言うことを健気に守り続ける母だから、利用されてしまっている。
「あるいは、彼女に頼めば良かったか……」
記憶にない母と、見たこともない妹は、バークレン伯爵領内の別邸で暮らしている筈だ。
形としては信任厚い分家に任せたという体だが、下手な相手の元に送れない、という事情もあったのだと思う。
もしかするとそこの領主が、気を利かせて本邸に戻そうと考える可能性もある。
あるいは、お祖父様に忠義を立てて、勝手をする可能性もあった。
だが、バークレンならば父の腰巾着で、その馬鹿をしないと判断された訳だ。
父の顔色伺いと、察しの良さだけは一流なのだ。
父の意に反した行動だけは取らない、と判断されたから、そこの別邸に置かれたのだろう。
時として、そうした小物だからこそ勝手をしない。
そして、それは事実だった。
だが、娘のセイラ嬢には見所があり、互いの利益に反しない限り協力し合えると見た。
「せめて無事なのか、健康に暮らしているかどうかだけでも知りたい……」
今はまだ互いの信頼関係は希薄だし、計算高さを持つ彼女は、決して首を縦に振ってくれないだろう。
彼女の様な存在が身近にいれば心強い。
だが、もう少し親しくなってから、声をかけるべきだろう。
今は解雇された家臣団の行方と、味方にしたまま掴まえておく方法を考えておくべきだ。
そう考えて、まずは目の前の事から、一つずつ片付けていこうと決心した。
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